蒼天の城

飛島 明

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第三章 次世代編

偽りの婚礼(2)

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 池のほとり。
 帰蝶は必死に姿隠しの術を使って、『消えて』いた。
 何度も疾風が側を通ったが、とり乱しているせいか、すぐ傍らの帰蝶には気付かなかった。

(あたしだから気付かないの? それとも、あたしだからあえて気付かずに通り過ぎているの?)

 彼のあの瞬間の眼。
 どんな拒絶の言葉より、態度より彼の偽らざる本当の気持ちが篭っていた。



 オレはおまえを好きではないのに、おまえはオレを騙すほどオレを欲しいのか。
 好きではないが、そこまでオレを想ってくれるならば。
 今この瞬間受胎した子とともに、おまえの人生を引き取ろう。
 嫌いではないし。
 いつか。
 いつか、情が通いあうこともあるだろう。


 言葉より雄弁に疾風の心が帰蝶の肌に染み込んだ。そして帰蝶は疾風を突き飛ばし、外へ飛び出した。


 帰蝶は鍛錬を重ねるごとに気付いたことがある。

 己の存在を隠す技、己の状態を己の見せたい状態に見せる擬態に秀でているようだということを。
 それは帰蝶が幼い頃から人の輪の中心に居た割には、一人になるのが何よりも楽しみな子供だったことに起因するのかもしれない。

 決して瘤瀬は血統だけで次世代を継ぐ者を選びはせぬ。
 より強く、より優秀なものでなければ、どうして己が命を預けることが出来ようか。
 無論、闘術も次期棟梁と目されるだけあって、次世代の中では群を抜いていたし、瘤瀬衆の全ての世代の中で10指に数えても良いほどであった。

 その闘術にみな目がいき、時苧や阿蛾ですら、功刀と同じ方面に娘がより力が秀でていることに気がついておらなかったのである。

 人の機微に誰よりも繊細な疾風だったからこそ、気付いてしまった。
 これが功刀や草太であったなら、最後まで気付かなかったかも知れぬし、気付いたとしても帰蝶が傷つかないやりかたをしてくれたかもしれぬ。あるいは、「わざと」手ひどく扱って彼らを憎ませてくれたり、軽蔑させてくれたりして、帰蝶の心の重さを軽減してくれたかもしれぬ。



(あの眼)
 あの瞬間、体のそこここから赤い血飛沫が飛んだかと想った。
 実際は涙すら、出てきはせぬ。
 疾風との褥を飛び出してから1日以上、ずっとこの池のほとりで膝を抱えていた。


(帰らなくちゃ……)
 帰蝶はぼんやりと想った。このままでは腹の子に障る。
 ふっと嘲った。
(どこに還るというの、帰蝶。もう疾風の腕の中には還れないのよ)

 時苧の血と、疾風の血を受け継ぐ子。この子はどんなに見事な忍ぶとなることだろう。
 必要なのは実力だけ。
 忍ぶには家柄も関係ないし、血筋も問題ではないかもしれない。自分は、次期棟梁になるだけではなく。おそらく極めて優秀である可能性が高い、後継ぎを作ることにも成功したのだ。

(それで充分じゃないの、帰蝶……)

 いつのまにか帰蝶はぼんやりと、己の目の前で薬草を採取している男をみつめていた。
 と男が帰蝶の方を振り向いた。
 見れば少年といってよいほどにの容貌だが、少なくとも帰蝶より3、4歳上には見えた。日に焼けているが、瘤瀬の者ではない。

 男が帰蝶のほうを見た。

 二人は暫し見つめ合っていた。
「……」

 どうせ相手には、姿隠しの術を使っている帰蝶は見えぬのだ。
 すると。

「あんた」
 帰蝶は一瞬、男が口をきいたとは考えなかった。姿の通り、声変わりがようやく始まりつつある少年のようであった。
(空耳か?)
 まして、自分に向けて発信された言葉であるとは。

「あんた。大丈夫か?
望んでもない男の子を身ごもった、ていうような顔をしてるぜ?」
(望んでもない男の子?疾風はわたしの望んだ男ではなかった、ということ?)

「大丈夫か?
あんた、身重なんだろう?
こんな処にずっと座っていると体に毒だ。立てるか?」
 少年はそういうと手を帰蝶に差し伸べてきた。

「わたしが見えるの?」
 ようやく帰蝶の意識は現実に返ってきた。

「ああ。”姿隠しの術かけてるのにどうして”って顔してるね。
どうしてだろうな?
オレ、人の気配に異様に敏いらしいんだ。
母者なんかは『忍ぶにした方がよかったかしら』て言うけどな」

(わたしをみつけてくれた……! 誰も、疾風もみつけてくれなかったのに)



 助けはいらなかったが、1日以上同じ姿勢をとっていた為、体がばきばきと強張っている。
(きっと透湖や疾風なら『気の鍛錬』でこんなことをしていても、体がしなやかに動くんだろうな)
 あまりの体の強張りに、眉をしかめてみせながら、疾風という言葉にぎくり、とした。

(疾風はわたしを望んでいなかったし、わたしも疾風を望んでいなかったんだ)
 そう思うと、ようやく帰蝶の双眸から暖かい水分が流れ出ていった。
 ”自分も本当は、疾風に焦がれていた訳ではなかったのだ”。何故だか、そう思えて仕方がなかった。

「隠れんぼうにしては、悲壮な顔してるな。
ウチにくるか?」
 少年はごく自然に言った。
「あんた瘤瀬の者だろう?
オレは諏和賀の者だけど、『鑑札』は持ってるのか?」


 瘤瀬と諏和賀を行き交う道は、忍ぶによって厳しく管理されている。他国者の侵入を防ぐ為だ。
 それぞれの入り口に鑑札係りがおり、固有の鑑札を与えられた者でなくては時苧や草太、はては諏名姫まで通り抜けることを赦されぬ。

「ああ……」
 帰蝶はぼんやりと頭の中を探った。
 以前、透湖と疾風と山を歩いた際に、鑑札作りに連れていかれた。透湖の口利きで帰蝶自身の鑑札を作って貰ったことを思い出したのだ。

 諏和賀に遊びにいっておいで、と透湖に言われたが、まだ一度も足を踏み入れておらなかった。
「持ってるわ」

「そうか。じゃあ出立しよう。
あんたの体調みながら、のんびりと行こうね」
 そういうと少年は帰蝶の手をとり、歩き始めた。

「あの!」
 帰蝶は足を止めた。
 少年がん?と振り返る。

「あんたの、名前を聞いてないわ」
「オレもあんたの名前を聞いてないけど」
 少年はにっと笑い、それでも。
「オレ、知良ちらっていうんだ」
「ちら?」
「そ。諏和賀の薬師のおみつと、薬草園の四郎の子供だよ。
あんたも、お袋様に診せてやるよ」

「ん」
 帰蝶はにっこりと笑った。
 知良はその笑顔をみて、にやりと笑った。
「その方がいいよ。
あんた、さっきまで人生にやけっぱちな女みたいだったから。
その笑い方、年相応で断然いいよ」

(なんと歯に衣きせぬ、ずけずけとしたもの言いなのだろう)
 帰蝶は面食らいながらも、その言い方が気に入った。そういえば、いつも瘤瀬の里では大人の女の口ききをしていた気がする。

 久方ぶりに深呼吸したような感覚であった。


「おかえり、知良」
 知良の母であろう女が二人を出迎えてくれて、そして彼の後ろの帰蝶をお客さんか?と見遣り。はっとし。
「知良!この娘さんはっ」
 瞬時に帰蝶の体を見抜いたようであった。

(わたしってそんなに見破られやすいの?)
 通常は、受胎1日目で見破られることすら困難である。
(なんなの、この母子おやこ

「瘤瀬の帰蝶と申します」
 帰蝶は丁寧に言った。
「帰蝶!
じゃ、じい様と阿蛾の娘って、あなたなのね?!」
 おみつの言葉に帰蝶は身構えた。
(もう追っ手が来たのか?)

「母者も父者も瘤瀬の出なんだ」
 知良の穏やかなもの言いに、帰蝶はおや、と眉をつりあげた。
(さっきまでと態度が全然違うじゃない!)
 そんな帰蝶に知良は大人びた微笑みを返した。

「ま、中に入りなさい。
身重の体に毒よ。
知良?なれ初めはたーっぷり聞かせて貰えるわね?」
 おみつはにっこりと笑った。
 知良もにっこりと返した。
「単純ですよ、母者。
池のほとりで我らは出会った。
そして1日半、諏和賀の行程をともにした。それだけです」

 帰蝶が受胎して数日。数日などは誤差のうちに入らぬだろう。

 おみつはそれが真実であることを感じ、「手が早いのは誰の血筋かしらねー」とぶつぶつ呟いていた。
「母者ではないですか?」
 知良はすまして言い、おみつは真っ赤になった。
「知良!いつも大人をからかって!」

 ともあれ3人は家の中に入った。

「ねえ」
 帰蝶はこっそりと知良の袖をひいた。
「ん?」
「ずいぶんと態度違うじゃないの?」
 帰蝶はひそひそと言った。

「この里ではね。オレはいい息子で通ってんの。
実は素が出せたの、あんたが初めて」
 知良はにっこりと笑い、帰蝶はどぎまぎした。

 その様子をおみつは片目でみながら、(おやおや、仲のよろしいことね!)とにこにこしていた。
 堅物の息子が、それでも領主の信任厚い薬師の息子で、本人も薬師としての才覚が認められている息子。
 縁談もちらほらあったが、どんな娘をつかまえるのか、楽しみであったのだ。

 帰蝶という娘の前では、あれほど堅物な息子がいたずらっぽく微笑んでおり、いい相手をつかまえたのだな、と感じたのだ。
(瘤瀬衆の棟梁の叔母なんて、大物捕まえちゃったけど!あんた、わかってるのかしら?あんたはこの諏和賀のご領主と、瘤瀬衆の棟梁を親戚にしちゃうのよ?!)

 若い二人には親の気持ちなど、眼中にないようであった。

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