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第三章 次世代編
偽りの婚礼(3)
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早速、瘤瀬の里に知らせが行き、阿蛾が諏和賀に可能な限りの速さでとんできた。
実のところ、阿蛾とおみつはそんなに仲がいい訳ではない。
四郎とおみつは時苧への警戒心があるし、阿蛾は当時こはと亡き後は菜をにしか懐いておらなかった。
長じて時苧の妻となってからは、幾度となく瘤瀬と諏和賀とを往復していたものの、瘤瀬衆を抜けた彼らと積極的には関わりを持ってこなかった。
四郎とおみつの小屋で合間見えたとき、二人がなんとなくぎごちないのは仕方のないことであったろう。
「久方ぶりです、姉者」
阿蛾がおみつに挨拶を交わした。
「本当ね。しかし、あたし達の子が縁組とは。
あたし達も年をとったもんね!」
おみつが陽気に言った。
「そうですね」
阿蛾も微笑んだ。
帰蝶が普段は袖を通さない、袖があり裾が長い衣に腕を通して、神妙な面持ちで端座している。
一方で知良は飄々としながら、薬を求めてきている人々に穏やかに処方していた。
「聞いた?なれ初め。
出逢ってすぐに子供作って、翌日、同居よ?
それで3日後には両家の挨拶!
早いわよね~、わが息子ながら、こんなに手が早いとは!
……ああ、ごめんなさいね?
じい様にも、あんたにも、申し訳ないと想ってるのよ?」
あの娘のことだから、縁組だって色々思うところもあったんでしょう?
おみつはすまさなそうに詫びた。
阿蛾はおみつの話から、”どうやら、おみつ・四郎夫婦は帰蝶の子の父を知良だと思っている”らしいとあたりをつけた。
(……帰蝶は。兄者とのまぐわいの後、知良とも肌を重ねた、ということなの?だとしたら、疾風兄者の子を宿したまま帰蝶が知良に嫁ぐことは、わたし達四人の胸に納めることになりそうね)
時苧と、阿蛾と、当事者二人だけに。
この人のよさそうな姉に、心配そうに窺っている兄。そして飄々としている帰蝶の伴侶となる少年に、一生嘘を突き通すのだと思ったときには、阿蛾の胸に小さい針が打ち込まれたように感じた。
「……いえ」
阿蛾は言葉少なに、なんとか微笑みらしきものを顔に浮かべた。
「それで、八雲姉者」
阿蛾が言いかけた処をおみつが厳しい顔になったのを、阿蛾は見逃さなかった。
「申し訳ありません、『おみつ』姉者」
と言いなおした。
第一子は瘤瀬衆とすることが話し合われ、四郎とおみつ夫婦は不承不承、そして帰蝶は賛成した。
知良も何を考えているのか、飄々とした表情のまま異存はないようであった。
帰ろうとする阿蛾を木戸門まで送っていくと、知良が立った。
「義母者」
知良が切り出してきた。
「”将来、帰蝶の生んだ子が、本当の父親そっくりであったらどうしよう”という危惧は無用です」
「!」
滅多に表情を顕さない阿蛾が動揺した。
「私と帰蝶どのは、腹の子が別の男の子であると、お互いに知っています」
「……なのに、そなたは。あの子を娶ろうと言うのか」
阿蛾が喘ぐように言った。
「腹に子を宿したまま、木の洞の中にうずくまっている帰蝶どのが寂し気に見えました。
私が帰蝶どのを見つけた時には、心底ほっとしたような顔を見せました。
二言三言交わしただけでしたが、私は、帰蝶どのと居ると居心地がいいなと思えたのです」
「……」
「それで我が家に連れて帰りました」
「帰蝶は」
阿蛾は、意に沿わぬ男に襲われたのではない。
自らが画策した罠に陥ったのだ、と説明しようとしたのを、知良は遮った。
「おそらくは無理矢理ではありますまい」
「……」
「帰蝶どのが、納得ずくの懐胎なのでしょう?」
(この子は、なんと鋭いことか……!)
母の自分が、まだ気持ちの納まりがつかぬのに……!
「我々は二人で幸せになりますよ」
知良の言葉に、阿蛾はますます複雑な想いを抱えて後にしたのだった。
「……阿蛾?」
寝所からの問いかけに、次の間の女は平伏した。
「今?」
「大丈夫よ。……ああ、そちらに行くわ。」
しゅ、しゅ、と何かを整えているような音。
勘ぐらずとも、寝所には敬愛する姉と、伴侶の男ではない者の気配。阿蛾は畳の目をみながら、唇を噛み締めた。
「お待たせ」
すっと、寝所と次の間の境の戸が開く。ほのかに、『蛾楽』の香が漂っていた。
「あらためてご報告には伺うのですが」
「顔をあげて、阿蛾。
ということは相談ごとね?
わたしに顔を見せてちょうだい」
(このひとは)
阿蛾はふいに涙ぐみそうになって、また唇を噛み締めた。
(わたしの夫が、この人に色々なことを強いているのに。どうしてこの人は無条件に、こんなにも優しいのだろう)
阿蛾はのろのろと顔をあげた。
(やつれた)
誰も、草太すら気付かないかもしれぬ。でも、他ならぬ自分は気付く。この姉者のどんな変化にも。
「言って、阿蛾」
菜をが促した。
「帰蝶が縁組致します」
阿蛾の様子からすると、疾風ではないらしい。
「誰と?」
「羅生丸兄者と八雲姉者のお子、知良殿です」
「知良と?馴れ初めは?」
およそ思いつきもしなかった縁組に、菜をは彼の姿を思い浮かべた。
背が伸びるのに横が追いつかず、ひょろひょろしている。が、父とともに薬草を採取しに山々を巡っており、けしてひよわな訳ではない。なによりも彼の飄々とした身のこなし、澄んだなにもかも見通すような、まるで賢者のような瞳が印象的であった。
(また、いいやつひきあてたなー。帰蝶って見る眼は確かよね!)
「薬草採取に出かけていた知良どのと、帰蝶が遇ったのだとか」
なぜか、阿蛾の声は涙を含んでいるようであった。
「そう」
(手違いがあったのだろうか)
疾風と帰蝶の間になにか、手ひどい手違いが。帰蝶が知良の手を取る程に。
菜をは、知良が帰蝶の困窮に手を差し伸べたのであろうことを、疑っていなかった。
「知良のことが、相容れない訳じゃないんでしょう?」
「ええ。なんというか、あの子が自棄になって縁組を決めたのではないか。
知良どのがそれにひきずられたのではないか……、と……」
阿蛾は消え入るように呟いた。
(ということは、帰蝶が自棄になるような確信が阿蛾にも、じい様にもあるということだ)
おそらく、疾風にも。
(疾風兄者はどんなに辛くとも痛くとも、立ち直るだろう。しぶとさ、したたかさ。あきらめの悪さが忍ぶの身上だ)
幾度も死地をくぐりぬけてきた兄の芯の強さに、菜をは疑いを抱いていなかった。
しかし、あの娘は。
「ちょっと帰蝶の様子見てくるわね」
阿蛾はほっとした顔になった。
「疾風兄者のことは」
菜をが何気なくいうと、阿蛾の肩があからさまにびくり、とした。
「大丈夫よ。伊達や酔狂でじい様に苛めぬかれてきたんじゃないのよ?」
……ああ、阿蛾の愛しい亭主様の悪口言ってごめんね?
菜をが冗談ぽく明るくいうと、やっと阿蛾は笑った。
実のところ、阿蛾とおみつはそんなに仲がいい訳ではない。
四郎とおみつは時苧への警戒心があるし、阿蛾は当時こはと亡き後は菜をにしか懐いておらなかった。
長じて時苧の妻となってからは、幾度となく瘤瀬と諏和賀とを往復していたものの、瘤瀬衆を抜けた彼らと積極的には関わりを持ってこなかった。
四郎とおみつの小屋で合間見えたとき、二人がなんとなくぎごちないのは仕方のないことであったろう。
「久方ぶりです、姉者」
阿蛾がおみつに挨拶を交わした。
「本当ね。しかし、あたし達の子が縁組とは。
あたし達も年をとったもんね!」
おみつが陽気に言った。
「そうですね」
阿蛾も微笑んだ。
帰蝶が普段は袖を通さない、袖があり裾が長い衣に腕を通して、神妙な面持ちで端座している。
一方で知良は飄々としながら、薬を求めてきている人々に穏やかに処方していた。
「聞いた?なれ初め。
出逢ってすぐに子供作って、翌日、同居よ?
それで3日後には両家の挨拶!
早いわよね~、わが息子ながら、こんなに手が早いとは!
……ああ、ごめんなさいね?
じい様にも、あんたにも、申し訳ないと想ってるのよ?」
あの娘のことだから、縁組だって色々思うところもあったんでしょう?
おみつはすまさなそうに詫びた。
阿蛾はおみつの話から、”どうやら、おみつ・四郎夫婦は帰蝶の子の父を知良だと思っている”らしいとあたりをつけた。
(……帰蝶は。兄者とのまぐわいの後、知良とも肌を重ねた、ということなの?だとしたら、疾風兄者の子を宿したまま帰蝶が知良に嫁ぐことは、わたし達四人の胸に納めることになりそうね)
時苧と、阿蛾と、当事者二人だけに。
この人のよさそうな姉に、心配そうに窺っている兄。そして飄々としている帰蝶の伴侶となる少年に、一生嘘を突き通すのだと思ったときには、阿蛾の胸に小さい針が打ち込まれたように感じた。
「……いえ」
阿蛾は言葉少なに、なんとか微笑みらしきものを顔に浮かべた。
「それで、八雲姉者」
阿蛾が言いかけた処をおみつが厳しい顔になったのを、阿蛾は見逃さなかった。
「申し訳ありません、『おみつ』姉者」
と言いなおした。
第一子は瘤瀬衆とすることが話し合われ、四郎とおみつ夫婦は不承不承、そして帰蝶は賛成した。
知良も何を考えているのか、飄々とした表情のまま異存はないようであった。
帰ろうとする阿蛾を木戸門まで送っていくと、知良が立った。
「義母者」
知良が切り出してきた。
「”将来、帰蝶の生んだ子が、本当の父親そっくりであったらどうしよう”という危惧は無用です」
「!」
滅多に表情を顕さない阿蛾が動揺した。
「私と帰蝶どのは、腹の子が別の男の子であると、お互いに知っています」
「……なのに、そなたは。あの子を娶ろうと言うのか」
阿蛾が喘ぐように言った。
「腹に子を宿したまま、木の洞の中にうずくまっている帰蝶どのが寂し気に見えました。
私が帰蝶どのを見つけた時には、心底ほっとしたような顔を見せました。
二言三言交わしただけでしたが、私は、帰蝶どのと居ると居心地がいいなと思えたのです」
「……」
「それで我が家に連れて帰りました」
「帰蝶は」
阿蛾は、意に沿わぬ男に襲われたのではない。
自らが画策した罠に陥ったのだ、と説明しようとしたのを、知良は遮った。
「おそらくは無理矢理ではありますまい」
「……」
「帰蝶どのが、納得ずくの懐胎なのでしょう?」
(この子は、なんと鋭いことか……!)
母の自分が、まだ気持ちの納まりがつかぬのに……!
「我々は二人で幸せになりますよ」
知良の言葉に、阿蛾はますます複雑な想いを抱えて後にしたのだった。
「……阿蛾?」
寝所からの問いかけに、次の間の女は平伏した。
「今?」
「大丈夫よ。……ああ、そちらに行くわ。」
しゅ、しゅ、と何かを整えているような音。
勘ぐらずとも、寝所には敬愛する姉と、伴侶の男ではない者の気配。阿蛾は畳の目をみながら、唇を噛み締めた。
「お待たせ」
すっと、寝所と次の間の境の戸が開く。ほのかに、『蛾楽』の香が漂っていた。
「あらためてご報告には伺うのですが」
「顔をあげて、阿蛾。
ということは相談ごとね?
わたしに顔を見せてちょうだい」
(このひとは)
阿蛾はふいに涙ぐみそうになって、また唇を噛み締めた。
(わたしの夫が、この人に色々なことを強いているのに。どうしてこの人は無条件に、こんなにも優しいのだろう)
阿蛾はのろのろと顔をあげた。
(やつれた)
誰も、草太すら気付かないかもしれぬ。でも、他ならぬ自分は気付く。この姉者のどんな変化にも。
「言って、阿蛾」
菜をが促した。
「帰蝶が縁組致します」
阿蛾の様子からすると、疾風ではないらしい。
「誰と?」
「羅生丸兄者と八雲姉者のお子、知良殿です」
「知良と?馴れ初めは?」
およそ思いつきもしなかった縁組に、菜をは彼の姿を思い浮かべた。
背が伸びるのに横が追いつかず、ひょろひょろしている。が、父とともに薬草を採取しに山々を巡っており、けしてひよわな訳ではない。なによりも彼の飄々とした身のこなし、澄んだなにもかも見通すような、まるで賢者のような瞳が印象的であった。
(また、いいやつひきあてたなー。帰蝶って見る眼は確かよね!)
「薬草採取に出かけていた知良どのと、帰蝶が遇ったのだとか」
なぜか、阿蛾の声は涙を含んでいるようであった。
「そう」
(手違いがあったのだろうか)
疾風と帰蝶の間になにか、手ひどい手違いが。帰蝶が知良の手を取る程に。
菜をは、知良が帰蝶の困窮に手を差し伸べたのであろうことを、疑っていなかった。
「知良のことが、相容れない訳じゃないんでしょう?」
「ええ。なんというか、あの子が自棄になって縁組を決めたのではないか。
知良どのがそれにひきずられたのではないか……、と……」
阿蛾は消え入るように呟いた。
(ということは、帰蝶が自棄になるような確信が阿蛾にも、じい様にもあるということだ)
おそらく、疾風にも。
(疾風兄者はどんなに辛くとも痛くとも、立ち直るだろう。しぶとさ、したたかさ。あきらめの悪さが忍ぶの身上だ)
幾度も死地をくぐりぬけてきた兄の芯の強さに、菜をは疑いを抱いていなかった。
しかし、あの娘は。
「ちょっと帰蝶の様子見てくるわね」
阿蛾はほっとした顔になった。
「疾風兄者のことは」
菜をが何気なくいうと、阿蛾の肩があからさまにびくり、とした。
「大丈夫よ。伊達や酔狂でじい様に苛めぬかれてきたんじゃないのよ?」
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