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参章 雪女の書いた恋物語
参 8
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『お前の待つここ(あやかし書房)へと必ず帰ってくる』
あの時、彼は私にそう言った。
抱きしめられた腕の強さも、匂いも彼の温もりも……声も、今思い出した。
温かい気持ちまでも戻ってきて、胸がキュッと鳴る。
どうして忘れてしまっていたのだろう。
「白雲……」
彼の名が、自然に唇から漏れた。
雨水は、そんな私を見て微笑んだ。
「しおりさん、あなたのしなければいけないことって、雪比のところへと行くことなのかしら? まあ、行ってもいいんだけれど。私からは一つだけ……もうあの子を悲しませないでやってね」
「はい」
あれ? 今、「もうあの子を悲しませないでね」って「もう」って言った?
どういうことだろう、そう思っていても何故か聞き返せない。
気のせいかしら……だけど、私がもし雪比さんのところへと行ったら、どうして待ってなかったんだってことになるわよね?
彼を信じて待っていよう。
あかやし書房を暖かくして。
「雨水、ありがとうございました。私、もう不安じゃありません」
「良かったわ」
「では、私はこれで」
雨水にお辞儀をして、私は来た道を帰ることにした。
すると、彼女から呼び止められる。
「しおりさん!」
「え?」
「記憶、全て思い出さなくてもいいのよ。記憶ってものは、これからも増えるんだから。過去は過去。目の前の今を大切にね」
「ありがとうございます」
何だか、もう会えないかのような言葉に、私は思わず雨水に駆け寄っていた。
「どうしたの? まだ、何か聞きたいことがある?」
私は、ふるふると首を振る。
「また会えますよね?」
そう尋ねると、一呼吸分だけ雨水からの返事が遅れた。
「……そうね、また会いましょう」
「本当にそう思ってる?」
「ええ、思ってるわ」
何だか、ほっとして胸をなでおろす。
「しおりさんって、なかなか鋭いのね」
「え?」
「ううん、頑張ってね」
きっと雨水とは、また会える。
雨水のおかげで、私の焦りも不安ももうすっかり無くなっていた。
お日様は、すっかり真上に昇っている。
実は、白雲神社からあやかし書房までの間に、商店街がある。
昨日は、その商店街のうどん屋さんで白雲とうどんを食べた。
昼間の商店街は、とても賑やかだった。
「おや、あやかし書房のしおりさんじゃないかい?」
ふりかえると、役所の戸籍係にいたのっぺらぼうの彼が、手を振っている。
「あ、どうも」
「お使いかい?」
「いえ、ちょっと白雲神社まで行っていて」
「ふーん」
彼の名前は何だったっけ?
聞いてなかったかしら?
そんなことが頭の中を駆け巡る。
「どうかしたかい?」
「えっと……私、戸籍係さんのお名前を思い出そうとしてて」
正直に言うに限る。忘れていたら申し訳ないけど。
「あ! 名乗ってましたっけ? いやぁ、あんまり名乗ることないんですよ。だから、戸籍係さんって方がしっくりくる」
「ふふふ」
「申し遅れました、私はかくりよ市役所の戸籍係:吾妻吉衛門ともうします」
「あずま きちえもんさん」
「へい」
聞くと彼は明治に入る前、奠都が決また時に、江戸からはるばると京へ移り住んだあやかしなのだという。
「当時はね、このかくりよの世界ができると聞いて、お江戸にいたあやかしたちがぞろりと京へと移動したもんだ。逆さまに、人間たちは京からお江戸へと移り住む者が増えて、閑散としていたようだが、ほんの数日間京はね、あやかしたちがかくりよの門が開くのを待つのにあふれかえっていたんだよ」
「へぇ……知らなかったです」
「知らなくて当然だよ。あれからもう百五十年は経つんだから、すごいよねぇ。しおりさん、記憶が戻ったら、私に向こうの世界の話を聞かせておくれ」
「ええ、ぜひ!」
吾妻吉衛門と名乗った、戸籍係さんは手を振り役所へと戻っていった。
お昼ご飯でも買いに来ていたのかな。
ふと、頭の中にのっぺらぼうの食事風景が過るも、想像はつかなかった。
吾妻吉衛門さんも、役所にいたのっぺらぼうさんたちは皆が目も鼻も口もない。
輪郭は皆、それぞれの輪郭で、耳も形は違っていたので、認識ができている。
吾妻吉衛門さんの耳たぶには、小さなほくろが三つあったから。
商店街で、私も何か甘いものをと思い、和菓子屋へと立ち寄った。
自分は正真正銘の小豆洗いの娘だという、おばあさんが営んでいる和菓子屋、小鞠。
「おまえさんは、小豆洗いっていう妖怪を知っているんか?」
「えっと、名前くらいですけど。教えてもらえませんか? どんな妖怪なのか」
おばあさんは、ざるにたくさんの小豆を入れて音を鳴らした。
ザザッザザーンと。
それは、波の音のようで良い音だと私は思った。
「このような音を出して、人を驚かすのが小豆洗いの手なんだよ」
「いい音ですね。でも、この音で驚くんでしょうか?」
「さあね。私の父はそう言っていたけど、わたしゃ小豆で作った美味しい菓子の方がよっぽど、誰かを驚かせられると思うんだよね」
そんな話を聞いて、私はおばあさんからおはぎを四つ買い求めた。
先日、もらったお給金で。
おはぎを持って、あやかし書房へと戻ってくると店には左近と右近が戻っていた。
「しおり殿だぁ!!!」
「しおり殿ぉ、どこに行っていたんですかぁ!」
少年の姿をしている二人が、私へと抱き着く。
私も二人を抱きしめた。
「戻っていたのね……店で待っていなくてごめんなさい」
あの時、彼は私にそう言った。
抱きしめられた腕の強さも、匂いも彼の温もりも……声も、今思い出した。
温かい気持ちまでも戻ってきて、胸がキュッと鳴る。
どうして忘れてしまっていたのだろう。
「白雲……」
彼の名が、自然に唇から漏れた。
雨水は、そんな私を見て微笑んだ。
「しおりさん、あなたのしなければいけないことって、雪比のところへと行くことなのかしら? まあ、行ってもいいんだけれど。私からは一つだけ……もうあの子を悲しませないでやってね」
「はい」
あれ? 今、「もうあの子を悲しませないでね」って「もう」って言った?
どういうことだろう、そう思っていても何故か聞き返せない。
気のせいかしら……だけど、私がもし雪比さんのところへと行ったら、どうして待ってなかったんだってことになるわよね?
彼を信じて待っていよう。
あかやし書房を暖かくして。
「雨水、ありがとうございました。私、もう不安じゃありません」
「良かったわ」
「では、私はこれで」
雨水にお辞儀をして、私は来た道を帰ることにした。
すると、彼女から呼び止められる。
「しおりさん!」
「え?」
「記憶、全て思い出さなくてもいいのよ。記憶ってものは、これからも増えるんだから。過去は過去。目の前の今を大切にね」
「ありがとうございます」
何だか、もう会えないかのような言葉に、私は思わず雨水に駆け寄っていた。
「どうしたの? まだ、何か聞きたいことがある?」
私は、ふるふると首を振る。
「また会えますよね?」
そう尋ねると、一呼吸分だけ雨水からの返事が遅れた。
「……そうね、また会いましょう」
「本当にそう思ってる?」
「ええ、思ってるわ」
何だか、ほっとして胸をなでおろす。
「しおりさんって、なかなか鋭いのね」
「え?」
「ううん、頑張ってね」
きっと雨水とは、また会える。
雨水のおかげで、私の焦りも不安ももうすっかり無くなっていた。
お日様は、すっかり真上に昇っている。
実は、白雲神社からあやかし書房までの間に、商店街がある。
昨日は、その商店街のうどん屋さんで白雲とうどんを食べた。
昼間の商店街は、とても賑やかだった。
「おや、あやかし書房のしおりさんじゃないかい?」
ふりかえると、役所の戸籍係にいたのっぺらぼうの彼が、手を振っている。
「あ、どうも」
「お使いかい?」
「いえ、ちょっと白雲神社まで行っていて」
「ふーん」
彼の名前は何だったっけ?
聞いてなかったかしら?
そんなことが頭の中を駆け巡る。
「どうかしたかい?」
「えっと……私、戸籍係さんのお名前を思い出そうとしてて」
正直に言うに限る。忘れていたら申し訳ないけど。
「あ! 名乗ってましたっけ? いやぁ、あんまり名乗ることないんですよ。だから、戸籍係さんって方がしっくりくる」
「ふふふ」
「申し遅れました、私はかくりよ市役所の戸籍係:吾妻吉衛門ともうします」
「あずま きちえもんさん」
「へい」
聞くと彼は明治に入る前、奠都が決また時に、江戸からはるばると京へ移り住んだあやかしなのだという。
「当時はね、このかくりよの世界ができると聞いて、お江戸にいたあやかしたちがぞろりと京へと移動したもんだ。逆さまに、人間たちは京からお江戸へと移り住む者が増えて、閑散としていたようだが、ほんの数日間京はね、あやかしたちがかくりよの門が開くのを待つのにあふれかえっていたんだよ」
「へぇ……知らなかったです」
「知らなくて当然だよ。あれからもう百五十年は経つんだから、すごいよねぇ。しおりさん、記憶が戻ったら、私に向こうの世界の話を聞かせておくれ」
「ええ、ぜひ!」
吾妻吉衛門と名乗った、戸籍係さんは手を振り役所へと戻っていった。
お昼ご飯でも買いに来ていたのかな。
ふと、頭の中にのっぺらぼうの食事風景が過るも、想像はつかなかった。
吾妻吉衛門さんも、役所にいたのっぺらぼうさんたちは皆が目も鼻も口もない。
輪郭は皆、それぞれの輪郭で、耳も形は違っていたので、認識ができている。
吾妻吉衛門さんの耳たぶには、小さなほくろが三つあったから。
商店街で、私も何か甘いものをと思い、和菓子屋へと立ち寄った。
自分は正真正銘の小豆洗いの娘だという、おばあさんが営んでいる和菓子屋、小鞠。
「おまえさんは、小豆洗いっていう妖怪を知っているんか?」
「えっと、名前くらいですけど。教えてもらえませんか? どんな妖怪なのか」
おばあさんは、ざるにたくさんの小豆を入れて音を鳴らした。
ザザッザザーンと。
それは、波の音のようで良い音だと私は思った。
「このような音を出して、人を驚かすのが小豆洗いの手なんだよ」
「いい音ですね。でも、この音で驚くんでしょうか?」
「さあね。私の父はそう言っていたけど、わたしゃ小豆で作った美味しい菓子の方がよっぽど、誰かを驚かせられると思うんだよね」
そんな話を聞いて、私はおばあさんからおはぎを四つ買い求めた。
先日、もらったお給金で。
おはぎを持って、あやかし書房へと戻ってくると店には左近と右近が戻っていた。
「しおり殿だぁ!!!」
「しおり殿ぉ、どこに行っていたんですかぁ!」
少年の姿をしている二人が、私へと抱き着く。
私も二人を抱きしめた。
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