甘い世界

白川ゆい

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Cafe fleur

色々な顔

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「温かい紅茶はね、先にカップも温めておくといいよ」

 バイトを始めて二週間。今まで注文を聞いて出来上がったものを運ぶことしかしていなかったけれど、そろそろ紅茶の淹れ方教えようか、と翔さんが言ってくれた。もちろんまだまだなのは分かっているけれど、新しい仕事を教えてもらうとその都度認めてもらえているような気がして嬉しい。

「お湯は勢いよく。そう」

 やかんからポットにお湯を注ぐ。そして蒸らすためにすぐに蓋をする。ここまでしてホッと息を吐くと、それを見ていた翔さんに「気を抜かない」と叱られた。翔さんは普段はニコニコしているけれど、仕事のことになると厳しい。「はい!」と気合を入れて返事をする。
 お湯の温度、蒸らす時間、カップの種類。少し間違えるだけで紅茶の風味は落ちてしまう。前に何も考えずに淹れた紅茶と完璧に淹れた紅茶、飲み比べさせてもらったけど全然違った。せっかくバイトしているのだから少しでも翔さんの味に近付けたい。メモを取り、家でも何度も練習して、私は必死で紅茶の淹れ方を学んでいた。
 Cafe fleurは狭い路地の奥にあるのに、お昼と15時頃、夜は行列ができるほどの人気だった。お客さんは圧倒的に若い女性が多い。そのほとんどが翔さん目当てで、中には本気で翔さんを好きな人もいるようだった。そんな人達が、バイトとは言え翔さんのそばにいる女を好ましい目で見るはずがない。

「こんなの頼んでないんだけど」
「えっ」
「何?謝ることもできないの?バイト辞めちゃえば?翔くんに迷惑だって分からない?」
「……申し訳ございません」

 確実に注文したものを、私のミスだと言い突き返す。こんなことも少なくなかった。自分のミスではないのに怒られ酷いことを言われ謝らされ、キッチンに戻り「注文と違うそうです」と言うと滝沢やメグさんにため息を吐かれる。悔しくてバイトが終わってから泣いたこともある。でも、誰にも言いたくなかった。負けたくなかった。
 翔さんは紅茶を淹れたり料理を作ったりとても忙しそうで、きっと私にキツく当たるお客さんに気付いていない。それでいい。そんなお客さんにも認めてもらえるように頑張ればいいだけだ。

「こんなの頼んでない」
「……、申し訳ございません」

 すぐに謝りキッチンに戻る。そして、翔さんと滝沢とメグさんの視線が、私に突き刺さった。

「……すみません、私のミスです。これ頼んでいないそうです」

 忙しい中、せっかく作ってくれたものが無駄になってしまう。私のせいで。悔しさに唇を噛むと、チッと舌打ちが聞こえた。

「……なぁ、お前さ」

 滝沢は、眉間に皺を寄せたまま私のところまでツカツカと歩いてくる。怒られる、そう思ったのに。

「何で言い返さねぇの」
「えっ」

 予想外のことを言われ固まる。滝沢はまた舌打ちをして元の場所に戻った。え、言い返す……?その時またお客さんに呼ばれて私はホールに戻った。
 それは私が見る限りでは本気で翔さんのことを好きな人だ。そして、私に最もキツく当たる人。

「あのさぁ」
「はい」
「紅茶不味いんだけど」
「……!申し訳ございません!」

 それは私が淹れた紅茶だった。最低だ。翔さんの足を引っ張るとは、こういうこと。まだまだ練習不足だ。もっと頑張らないと。

「やっぱり翔に迷惑かけるだけじゃん」
「辞めちゃえば?」
「ほんと、あんたみたいなバイトいたって迷惑」

 その人の友達も、口々に私を攻撃する。けれど紅茶が不味いのは完全に私のせいだし何も言えない。ひたすらに頭を下げていたら。

「目障り。引っ込んで」

 彼女はカップを持ち、中身を私に掛けた。……ように見えたのに。私にはいつまで経っても熱い液体は掛からなかった。恐る恐る顔を上げて目を見開く。私の目の前には見慣れた背中があった。

「……うん、悪くないね。でも蒸らしてる時気抜いたでしょ。温度は一定じゃないと」
「す、すみません……」

 髪の毛から滴る紅茶を舐めてそう言った翔さんは、思わず謝る私に向かってニコッと笑った。

「言い返していいよ。智輝にやるみたいに」
「え?」

 トン、と背中を押され、翔さんに紅茶を掛けてしまって固まっている彼女の前に出される。何も言わない彼女に、私は唾を呑み込んで、言った。

「紅茶は、勉強中で、翔さんにはまだまだ敵いません。不味いのも、本当に私の責任です。……でも、でも料理を突き返すのだけは、やめてください。翔さんが、滝沢が、メグさんが一生懸命作ったお料理です。私を攻撃するのは構わないけど、あの人たちの仕事を無にするようなことはやめてください。翔さんのお料理を無駄にするあなたのような人こそ、翔さんのファンなんて言うのやめてください。私は、私は翔さんのファンです。翔さんのお料理も紅茶も最高です!だから、無駄にする人は許せません!!」

 シン、とお店が静まり返る。いくら翔さんに言い返せと言われたからって、言い過ぎたかもしれない、やっぱりお客さんに言い返すのはまずかったかもしれない……!不安になった私の耳に、思いがけない声が届く。

「ぷっ」

 ぷっ?

「あはは、あはははは!」

 それは、翔さんの笑い声だった。な、何で笑ってるの……?そして、ハッとする。翔さんは私のせいでずぶ濡れなんだった……!急いでタオルを持ってきて翔さんに手を伸ばす。その手を、ぐっと握られ、引き寄せられて。濡れた前髪の間から覗く真剣な目が私を射抜く。いつもニコニコしている翔さんの真剣な目は、目眩がするほどに美しくて。ゴクリと唾を呑み込んだ。

「……面白いね、すずちゃん」

 ふっと、その目が細くなる。また笑い出した翔さんにドキドキしながら、私は翔さんの服をタオルで拭いたのだった。
 その後すぐ彼女は無言で店を出て行き、お店は平常運転に戻った。翔さんはその日中ずっと笑いっ放しで、二人きりの帰り道にあの真似をされて顔から火が出るんじゃないかと思うくらい恥ずかしい思いをしたのだった。
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