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Cafe fleur
内緒の夜
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「好きだよ」
翔さんの大きな手が私の頭を撫でる。わしゃわしゃと髪を乱され、それが嬉しくて。私も彼に、気持ちを伝えようとするのだけれど。何故か声が出ないんだ。彼はそんな私を見て、寂しそうに笑う。でもこれでいいんだと思う自分もいて。だって、声に出してしまったら。私はどう考えてももう後戻りできない。
ハッとして目を覚ますと、そこはいつも通り自分のアパートの部屋だった。最近あの夢をよく見る。翔さんに好きだと言われた日から。あれはどういうつもりで言ったのだろうかとか、本気なのだろうかとか、他の女の子にも言っているのではないかとか。そんなことを考えるのも疲れてしまった。
翔さんはあれからも普通だしいつも通りだし、でも帰る時のキスの後「好きだよ」と囁くようになった。私は曖昧に笑うことしかできなくて。翔さんはその度に寂しそうな顔をした。
『今日すずちゃん暇?』
Cafe fleurの定休日、メグさんからメールが来た。はい、と返したらすぐに返ってくる。
『今日智輝の家で鍋パやるよ』
と。この前翔さんが言っていた鍋パのことか。本当に誘ってくれた。内緒で一人驚いていると、メグさんからもう一通メールが届いた。
『女の子何人か連れてきて』
と。私は近くにいた香穂を誘った。
「はぁ?槙原かよ」
「え?なんで?可愛いじゃん」
「アイツ彼氏持ち」
「オイ藤堂すず空気読め!!」
滝沢の家に入るなり、メグさんに怒られた。顔が引きつるけど香穂は全く気にせず挨拶をしている。二人は私の友達とお知り合いになりたかったらしい。気持ちは分かるけど、滝沢とは学科もサークルも同じだから私の知り合いは滝沢もほぼ知り合いだ。どんだけ出会いに飢えてるんだ。
「噂の翔さんは?」
二人と早速仲良くなった香穂は、目を輝かせて翔さんを探す。でも翔さんはまだ来ていないようだった。
「えー、香穂ちゃんも翔さん狙い?」
「私は彼氏一筋なんだけど、すずの好きな人がどんな人か見たくて」
「ちょ、香穂!私好きだなんて一言も……!」
私がそう言ったちょうどその時。開いていたドアから翔さんが入ってきた。もしかして今の聞かれてたかな……。
でも、翔さんにはきっとどうでもいいことだよね。翔さんは特に表情を変えないまま、持ってきたお酒を滝沢に渡した。そして香穂に話しかける。お互いに自己紹介をした二人はその後、私を挟んで座った。つまり、翔さんが私の隣に座った。それだけで心臓が痛いくらいに暴れ回る。
飲み会は楽しく進んだ。相変わらず滝沢は私にだけ一言多いし、香穂も私をからかってくる。いつものメンバーにメグさんが加わるとドSが三人になるから私は終始からかわれて真っ赤だった。翔さんはそれに加わりはしないけど笑っていて、私をフォローしてくれる気はないようだった。
お酒を飲んだ翔さんは何だか悩ましげでいつもより色っぽくて、目が離せなくて。見惚れていると三人がニヤニヤしながら私を見ていて急いで目を逸らした。
深夜まで続いた飲み会も、一人脱落し、また一人脱落し。最終的に残ったのは私と翔さんだけだった。
「すずちゃんお酒強い?」
「弱いんですけど、途中からお茶にしたので。翔さんは強いですね?」
「さぁ?好きだけどね」
首を傾げて微笑む翔さんは妖艶で。赤面して固まった私の頬に、お酒を飲んだはずなのに冷たい手が触れた。
「すずちゃん」
「っ、はい」
「俺、やっぱり酔ってるかも」
「え……」
「すずちゃんと二人きりになりたい」
「ふ、ふたり……?」
「そう、二人きりになって、いっぱい甘やかして、ドロドロにして、俺に夢中になってほしい」
「か、翔さん、酔ってるんですよね?」
「うん、でも、酔ってなくてもいつも思ってる」
「う、嘘だ……」
「嘘じゃないよ。俺はすずちゃんには嘘つかない」
近付いてきた翔さんの形のいい唇に見惚れる。でもすぐに見えなくなった。アルコールの匂いがする。酔ってしまいそうだった。 流されてしまいたいと、これほど思ったことはない。こうしている間に誰かが起きたら、いや、もしかしたら起きているかもしれない。見られたら嫌だ。でも、やめてほしくない。翔さんの袖をきゅっと握る。ピクッと反応した翔さんに、その場にゆっくり押し倒された。
「すずちゃん、好きだよ」
そう言われる度に、喜びと切なさが私を襲う。信じたい気持ちと、不安な気持ちが半分半分。優しいのに強引なキスは、翔さんらしいと思った。優しく包み込むようで、それでいて私を捕らえて離さない。蜘蛛の巣に捕まった、獲物のようだ。最後にちゅ、と小さな音を立ててキスが終わった時、私は翔さんにしがみつくように抱きついていた。
「俺の家がいい?それとも、すずちゃんのお家?」
これから何が起こるのか、私はちゃんと分かっている。その上で答えた。
「ここから近い方」
と。
「お邪魔しまーす……」
「どうぞ」
そして滝沢の家から歩いて行ける距離にあった、翔さんの家にお邪魔した。何だかいい匂いがする。生活感がない。最低限のものしか置かれていない翔さんの部屋は、何となく翔さんらしいと思った。男の子の部屋にお邪魔したのは初めてじゃない。でも緊張は今までの比じゃなかった。
「何か飲む?」
「ひっ……!だ、大丈夫です!」
唐突に話しかけられて変な声を出してしまった私を、翔さんは苦笑いしながら見た。そしてキッチンに入り、しばらくして。突っ立っている私に温かいココアをくれた。
「ほら、こっち来て飲みな。落ち着くよ」
翔さんがこっちと言ったのは、ソファーに座った翔さんの膝の間だった。お、落ち着けるか……! 私はその場でソワソワウロウロして、でも翔さんも譲る気はないと判断してゆっくりとそこへ向かった。こういう時って普段どうやって歩いているかも忘れる。フワフワとしてまるで雲の上を歩いているような感覚になりながら、何とか翔さんの元へ辿り着いた。
翔さんから渡されたココアは温かくて優しい香りがする。そっと口に含んでみた。
「美味しい……」
「うん、俺も一口ちょうだい」
翔さんはそう言って、当然のように私の持っているマグカップに口を付けた。近い。翔さんの前髪がおでこに当たる。
「うん、美味しい」
目の前で微笑まれて真っ赤になるのは、不可抗力だ。
「すずちゃん」
「っ、はい」
「まだ緊張してる?」
「少し……」
「そう。……俺はすずちゃんといると、すごく落ち着くよ」
翔さんはそう言って、私の肩に顔を埋めた。私が持っていたココアをちゃんとそばのテーブルに置いて、私を抱き締める。翔さんはいい匂いがする。多分香水だ。そんなにキツい香りじゃないのに、クラクラと酔いそうになる。翔さんから出る強烈なフェロモンにやられている感じ。
「すずちゃん」
「っ、はい」
「好きだよ」
未来は見えていた。私はきっと、翔さんといると泣くことになる。なのに、まるで依存性の強い麻薬のようだ。 翔さんの瞳に熱がこもる。私が翔さんの首に腕を回したのが、合図だった。蕩けるようなキスは、ココアの味。甘くて少しほろ苦い。中毒性を持った熱が、私の体を這い回る。
「はぁ、」
翔さんの美しい唇から熱い吐息が漏れる。ぎゅうっと目を瞑れば、翔さんの甘い声が「俺を見てて」と囁いた。甘美で濃密な夜。誰にも言えない内緒の夜。私は文字通り翔さんにドロドロに溶かされて、狂おしいほどの熱に浮かされた。
「すずちゃん、好きだよ」
それは甘い囁きでもあり、悪魔の囁きのようでもある。どちらにしても、私は息も出来ないほどの底なし沼に堕ちていくような気持ちだった。
翔さんの大きな手が私の頭を撫でる。わしゃわしゃと髪を乱され、それが嬉しくて。私も彼に、気持ちを伝えようとするのだけれど。何故か声が出ないんだ。彼はそんな私を見て、寂しそうに笑う。でもこれでいいんだと思う自分もいて。だって、声に出してしまったら。私はどう考えてももう後戻りできない。
ハッとして目を覚ますと、そこはいつも通り自分のアパートの部屋だった。最近あの夢をよく見る。翔さんに好きだと言われた日から。あれはどういうつもりで言ったのだろうかとか、本気なのだろうかとか、他の女の子にも言っているのではないかとか。そんなことを考えるのも疲れてしまった。
翔さんはあれからも普通だしいつも通りだし、でも帰る時のキスの後「好きだよ」と囁くようになった。私は曖昧に笑うことしかできなくて。翔さんはその度に寂しそうな顔をした。
『今日すずちゃん暇?』
Cafe fleurの定休日、メグさんからメールが来た。はい、と返したらすぐに返ってくる。
『今日智輝の家で鍋パやるよ』
と。この前翔さんが言っていた鍋パのことか。本当に誘ってくれた。内緒で一人驚いていると、メグさんからもう一通メールが届いた。
『女の子何人か連れてきて』
と。私は近くにいた香穂を誘った。
「はぁ?槙原かよ」
「え?なんで?可愛いじゃん」
「アイツ彼氏持ち」
「オイ藤堂すず空気読め!!」
滝沢の家に入るなり、メグさんに怒られた。顔が引きつるけど香穂は全く気にせず挨拶をしている。二人は私の友達とお知り合いになりたかったらしい。気持ちは分かるけど、滝沢とは学科もサークルも同じだから私の知り合いは滝沢もほぼ知り合いだ。どんだけ出会いに飢えてるんだ。
「噂の翔さんは?」
二人と早速仲良くなった香穂は、目を輝かせて翔さんを探す。でも翔さんはまだ来ていないようだった。
「えー、香穂ちゃんも翔さん狙い?」
「私は彼氏一筋なんだけど、すずの好きな人がどんな人か見たくて」
「ちょ、香穂!私好きだなんて一言も……!」
私がそう言ったちょうどその時。開いていたドアから翔さんが入ってきた。もしかして今の聞かれてたかな……。
でも、翔さんにはきっとどうでもいいことだよね。翔さんは特に表情を変えないまま、持ってきたお酒を滝沢に渡した。そして香穂に話しかける。お互いに自己紹介をした二人はその後、私を挟んで座った。つまり、翔さんが私の隣に座った。それだけで心臓が痛いくらいに暴れ回る。
飲み会は楽しく進んだ。相変わらず滝沢は私にだけ一言多いし、香穂も私をからかってくる。いつものメンバーにメグさんが加わるとドSが三人になるから私は終始からかわれて真っ赤だった。翔さんはそれに加わりはしないけど笑っていて、私をフォローしてくれる気はないようだった。
お酒を飲んだ翔さんは何だか悩ましげでいつもより色っぽくて、目が離せなくて。見惚れていると三人がニヤニヤしながら私を見ていて急いで目を逸らした。
深夜まで続いた飲み会も、一人脱落し、また一人脱落し。最終的に残ったのは私と翔さんだけだった。
「すずちゃんお酒強い?」
「弱いんですけど、途中からお茶にしたので。翔さんは強いですね?」
「さぁ?好きだけどね」
首を傾げて微笑む翔さんは妖艶で。赤面して固まった私の頬に、お酒を飲んだはずなのに冷たい手が触れた。
「すずちゃん」
「っ、はい」
「俺、やっぱり酔ってるかも」
「え……」
「すずちゃんと二人きりになりたい」
「ふ、ふたり……?」
「そう、二人きりになって、いっぱい甘やかして、ドロドロにして、俺に夢中になってほしい」
「か、翔さん、酔ってるんですよね?」
「うん、でも、酔ってなくてもいつも思ってる」
「う、嘘だ……」
「嘘じゃないよ。俺はすずちゃんには嘘つかない」
近付いてきた翔さんの形のいい唇に見惚れる。でもすぐに見えなくなった。アルコールの匂いがする。酔ってしまいそうだった。 流されてしまいたいと、これほど思ったことはない。こうしている間に誰かが起きたら、いや、もしかしたら起きているかもしれない。見られたら嫌だ。でも、やめてほしくない。翔さんの袖をきゅっと握る。ピクッと反応した翔さんに、その場にゆっくり押し倒された。
「すずちゃん、好きだよ」
そう言われる度に、喜びと切なさが私を襲う。信じたい気持ちと、不安な気持ちが半分半分。優しいのに強引なキスは、翔さんらしいと思った。優しく包み込むようで、それでいて私を捕らえて離さない。蜘蛛の巣に捕まった、獲物のようだ。最後にちゅ、と小さな音を立ててキスが終わった時、私は翔さんにしがみつくように抱きついていた。
「俺の家がいい?それとも、すずちゃんのお家?」
これから何が起こるのか、私はちゃんと分かっている。その上で答えた。
「ここから近い方」
と。
「お邪魔しまーす……」
「どうぞ」
そして滝沢の家から歩いて行ける距離にあった、翔さんの家にお邪魔した。何だかいい匂いがする。生活感がない。最低限のものしか置かれていない翔さんの部屋は、何となく翔さんらしいと思った。男の子の部屋にお邪魔したのは初めてじゃない。でも緊張は今までの比じゃなかった。
「何か飲む?」
「ひっ……!だ、大丈夫です!」
唐突に話しかけられて変な声を出してしまった私を、翔さんは苦笑いしながら見た。そしてキッチンに入り、しばらくして。突っ立っている私に温かいココアをくれた。
「ほら、こっち来て飲みな。落ち着くよ」
翔さんがこっちと言ったのは、ソファーに座った翔さんの膝の間だった。お、落ち着けるか……! 私はその場でソワソワウロウロして、でも翔さんも譲る気はないと判断してゆっくりとそこへ向かった。こういう時って普段どうやって歩いているかも忘れる。フワフワとしてまるで雲の上を歩いているような感覚になりながら、何とか翔さんの元へ辿り着いた。
翔さんから渡されたココアは温かくて優しい香りがする。そっと口に含んでみた。
「美味しい……」
「うん、俺も一口ちょうだい」
翔さんはそう言って、当然のように私の持っているマグカップに口を付けた。近い。翔さんの前髪がおでこに当たる。
「うん、美味しい」
目の前で微笑まれて真っ赤になるのは、不可抗力だ。
「すずちゃん」
「っ、はい」
「まだ緊張してる?」
「少し……」
「そう。……俺はすずちゃんといると、すごく落ち着くよ」
翔さんはそう言って、私の肩に顔を埋めた。私が持っていたココアをちゃんとそばのテーブルに置いて、私を抱き締める。翔さんはいい匂いがする。多分香水だ。そんなにキツい香りじゃないのに、クラクラと酔いそうになる。翔さんから出る強烈なフェロモンにやられている感じ。
「すずちゃん」
「っ、はい」
「好きだよ」
未来は見えていた。私はきっと、翔さんといると泣くことになる。なのに、まるで依存性の強い麻薬のようだ。 翔さんの瞳に熱がこもる。私が翔さんの首に腕を回したのが、合図だった。蕩けるようなキスは、ココアの味。甘くて少しほろ苦い。中毒性を持った熱が、私の体を這い回る。
「はぁ、」
翔さんの美しい唇から熱い吐息が漏れる。ぎゅうっと目を瞑れば、翔さんの甘い声が「俺を見てて」と囁いた。甘美で濃密な夜。誰にも言えない内緒の夜。私は文字通り翔さんにドロドロに溶かされて、狂おしいほどの熱に浮かされた。
「すずちゃん、好きだよ」
それは甘い囁きでもあり、悪魔の囁きのようでもある。どちらにしても、私は息も出来ないほどの底なし沼に堕ちていくような気持ちだった。
応援ありがとうございます!
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