甘い世界

白川ゆい

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Cafe fleur

遠い存在

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「翔ー、お誕生日おめでとう!」

 私の誕生日のちょうど一週間後。今度は翔さんの誕生日があった。誕生日たくさん祝ってもらえた嬉しいな、なんて思っていた私と比べ物にならないくらいたくさんのプレゼントを貰う翔さんを、滝沢とメグさんと並んで見つめていた。

「すずちゃんもとんでもない人好きになっちゃったよねぇ」

 可哀想、と全く心のこもっていない同情の言葉を私に投げかけて、メグさんはカウンターに顎を乗せてぼんやりしている。滝沢も何も言わなくて、やっぱり翔さんは遠い人なのかなぁ、なんて思ってしまう。この街の全ての女性が来ているのではないかと思うほどの人数だ。お店の外には行列ができている。中には有名な高級ブランドの袋を持っている人もいて、自分が用意したプレゼントがゴミに見えてくる。

「すずちゃんは何あげるの?」
「え……!」
「ん?」

 メグさんが首をかしげて私を見上げる。その上目遣いは当然私より可愛い。何だか更に落ち込んでしまって、私は俯いた。

「ケーキだろ?」

 私の気持ちなど全く読み取る気のない滝沢が簡単にバラしてしまう。メグさんは「ふーん」と言って翔さんに群がる女の人たちに視線を戻した。

「あんなのばっか貰ってたら手作りケーキとか嬉しいんじゃないかな」

 あんなの。メグさんが言っているのはきっと高級ブランドの袋の中身のことだ。嬉しい、のかな……。シュンとしてしまう私にメグさんが続ける。

「すずちゃんは翔さんの彼女なんだから。彼女から貰ったものはきっと一番嬉しいよ」

 と。最近滝沢だけでなくメグさんも優しいから怖い。そう言ったら

「俺は元々優しいから」

 と、頭を鷲掴みにされたから前言は撤回することにする。メグさんはやっぱりドSだ。
 その日は結局お店を開ける状態ではないと、急遽お休みになった。一応閉店してから翔さんと会う約束はあるのだけれど、この状態だと今日中にプレゼントは渡し終わらないんじゃないだろうか。私も渡せるようなプレゼントじゃないし、もういいかな……。一応おめでとうは言えたし。はぁ、とため息を吐いてお店を出た。
 お店の前には女性が行列を作っていて、その人たちがみんなモデルさんみたいに綺麗だから驚いた。この人たちがみんな翔さんのことを好きなのだと思うと、メグさんの言っていた通り私はとんでもない人を好きになってしまった。更に落ち込んでいく気持ち。俯いて歩いていると、突然目の前に人影が現れた。驚いて顔を上げた時、お腹に何か柔らかいものが飛んできて、目の前に女の人が倒れ込んだ。

「……っ」
「だ、大丈夫ですか?!」

 慌てて彼女の隣に座り込むと、彼女は目を潤ませて私を見た。彼女の横にはケーキらしきものが潰れて落ちていて。さっき私のお腹に当たったのはこれだと気付いた。泣きそうな彼女の前に、誰かが立つ。つられて見上げれば、綺麗な女の人が彼女を見下ろしていた。

「あんたみたいな地味女に手作りケーキなんて貰って翔が喜ぶと思う?」
「……」
「迷惑なだけだから。鏡見て思わないの?こんな地味女に想われて翔迷惑だろうなって」
「……」

 彼女の言葉がそのまま私にも刺さる。周りの人からはクスクス笑いが洩れていて、彼女は顔を真っ赤にして唇を噛み締めていた。さすがに酷いと思って言い返そうとした時。彼女はケーキの潰れていないところを箱に戻して立ち上がった。そして何も言わず立ち去る。シュンとした小さな背中を見ていられなくて、私は思わず彼女の後を追った。

「大丈夫ですか?」

 彼女は私の問いに力なく笑う。その笑顔を見ていると何故か私まで泣きそうになって。
 ……翔さんが、遠い人に思える。何度抱き締められても、キスをしても、一つになっても、好きだと言われても。私はどこかでセーブしている。傷付きたくないと、自分の心を守るために「翔さんはいつか私に飽きる、そうしたらすぐに捨てられる」と。そう何度も何度も言い聞かせて、いつか来るその日のために覚悟をしている。翔さんと出会う前のことを思い出せないほど溺れているくせに。

「少し話さない?」

 彼女の言葉に、私は小さく頷いた。
 公園のベンチ。並んで座った私たちは、彼女が奢ってくれた温かいココアで手を暖めながら空を見上げた。自分の吐く息が白く染まっている。何だか更に寂しさが増すような気がして、私は慌てて目を逸らした。

「見たことある。あなた、あそこで働いてる人よね?」
「はい……」
「……私はね、一度だけお店に行って。素敵な人だと思ってたら、次に街で会った時に事故に遭いかけた私を彼が助けてくれた。……たったそれだけ。それだけなのに、こんなに夢中になるなんておかしいよね。私、彼より年上なのに。いい歳して笑っちゃう」
「っ、そんなこと……」
「好きになってもらえるなんて思ってない。ただ、少しでいいから彼と話したかったの……」

 翔さんのそばにいるのがふさわしい人。それはきっと、とても綺麗な人。誰もが目を奪われて、翔さんの隣に立つことを誰もが認めるような、そんな人。でもそんな人はこの世に一握りしかいなくて、その中に入れなかった翔さんのことを好きな人はこんな風に泣くしかない。私もいつか、そうなる。分かっているのに。離れるのが怖い、なんて。

「諦めなきゃね。ちゃんと自分に合う人、見つけなきゃ」

 彼女の言葉はずしっと石のように私の胸にのしかかった。
 しばらく話して、私は彼女と別れた。いつの間にか夜になっている。今日の晩ご飯どうしようかな、なんて思いながら歩いていると。前から翔さんが歩いてくるのが見えた。すぐに分かる。彼は一際輝いているから。バレないように慌てて近くにあったコンビニに入った。何となく今日は、会いたくない。棚に隠れるように、商品を選んでいるフリをしてしゃがむ。けれど、すぐ横に見慣れた靴が見えて。背中を嫌な汗が流れた。

「……どうして隠れるの」

 低い声。怒っている時の声。私は諦めて立ち上がった。

「っ、あ、翔さん。もう終わったんですか?」

 いかにも今翔さんの存在に気付いた、そんな風を装って言っても翔さんの眉間の皺は更に深くなっただけだった。翔さんは私の手を掴んで歩き出した。どこに向かっているのかはすぐに分かる。Cafe fleurだ。
 いつの間にかあんなに並んでいた女の人は一人もいなくなっていて、静かな道を翔さんは速足で進む。どうにかこの場から逃げたいと思ったけれど、しっかり手を握られていて無理だった。 お店に着くと、そこは小さい電気がついているだけで暗くて、一週間前と同じ状況なのに何だかどんよりしている気がした。それは、私の気持ちなのか、それとも。

「どこ行ってたの?何回も電話した」
「え……!ごめんなさい、話してて気付かなくて」
「誰と話してたの」

 翔さんの鋭い視線が突き刺さる。居心地の悪さに身を強張らせると、翔さんは小さくため息をついて椅子に座った。

「……今日、会わないつもりだった?」
「……」
「俺は、一緒にいたいと思ってたよ。すずちゃんに二人きりで祝ってほしいって。だから約束もしたのに。すずちゃんは俺の誕生日とかどうでもいいの?」
「っ、そんなわけ……!」

 そんなわけ、ない。私の誕生日に素敵なプレゼントを貰ったから少しでも返したいと思って、色々考えたんだ。翔さんみたいなプレゼントは学生の私には到底買えない。それなら、安いものでも翔さんの好きなものを心を込めて贈ろうって。だから翔さんの好きな紅茶のシフォンケーキを焼いて、奮発して香水も買った。プレゼントが入っているバッグを握り締める。テーブルの上に無造作に置かれている高そうなプレゼントが容赦なく胸を抉った。

「……すずちゃんはさ、本当に酷いよね。やっと捕まえられたと思ったら、俺の手から水みたいに簡単に零れ落ちようとする。逃げようとする」
「……っ」
「捕まえてたくて必死になってる俺が馬鹿みたいだ」

 ゴクンと息を呑む。何を言えばいいか分からなくて黙ったままの私を見て、翔さんは自嘲するように冷たい笑みを浮かべた。

「……もういいよ」

 翔さんが出て行く。何もできず、私はその場に座り込んだ。床にボタボタと大粒の涙が落ちていく。苦しくて、私は涙を乱暴に拭った。
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