地味な僕が女の子になれる皮を手に入れたら、大学のイケメンな先輩に本気で恋されてしまって正体がバレないか不安です

ひびきの

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第十四話 君の無垢と僕の背徳が混ざる距離

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翌朝、けたたましく鳴り響くアラームを乱暴に止め、悠真は重い瞼をこじ開けた。

頭に靄がかかったまま、退屈な講義を受け、無感情にコンビニのレジに立つ。何もかもが色褪せて見え、ただ時間だけが過ぎていく無気力な一日。今日もまた、その繰り返しが始まる。罪悪感と自己嫌悪で思考がうまくまとまらないまま、昨日と同じようにシャワーを浴び、昨日と代わり映えのしないTシャツとデニムを引っ張り出す。

鏡に映るのは、寝癖のついた黒髪と、寝不足で隈のできた、紛れもない「相沢悠真」の顔だった。この顔で昨日、千紗と同じキャンパスにいながら、一度も目を合わせることなく一日を終えたのだ。

「……行くか」

大学へ向かう道すがら、今日が火曜日だという事実が鉛のように重くのしかかる。手芸部の活動日だ。週末のお泊り会で、千紗にキスされて以来、彼女とどんな顔をして会えばいいのか分からない。結月としてなら、いつも通りに振る舞えるだろうか。いや、自信がない。あの夜の出来事を、どういう顔で受け止めればいい?

講義が始まってからも、教授の声は右から左へと通り抜けていくだけだった。悠真の意識は、数メートル前方に座る千紗の後ろ姿に釘付けになっていた。時折、彼女が友人とひそひそ話してくすくすと笑う。そのたびに、明け方の薄明りの中で触れた唇の柔らかさがフラッシュバックし、居ても立ってもいられない気持ちになる。

これは罰なのだろうか。女のふりをして彼女たちの聖域に踏み込んだ、その罰。
ただのクラスメイトとして、遠くから彼女を眺めていることしかできない。それが「相沢悠真」と「佐藤千紗」の正しい距離なのだ。そう頭では理解しているのに、一度知ってしまった彼女の体温と唇が、その境界線を曖昧に蝕んでいく。

講義が終わると、悠真は誰と話すでもなく、逃げるようにキャンパスを後にした。
自室に戻り、「相沢悠真」としてベッドに倒れ込む。鏡を見るのも嫌だった。そこに映る、無骨で、何の取り柄もない男の姿。結月として華やかな世界の中心にいた時間と、この殺風景な部屋で一人きりの今の自分との落差が、胸を抉る。

(なんで俺は、こんなことをしてるんだろうな……)

結月を演じ始めてから、確実に「相沢悠真」への自己嫌悪が深まっていることを、悠真は実感していた。結月なら千紗の隣で自然に笑えるのに。「相沢悠真」は、遠くから彼女を見つめて、目を逸らすことしかできない臆病者だ。

ふと、壁に貼ったコンビニのシフト表が目に入る。来週もぎっしりとシフトが入っていた。無機質な挨拶を繰り返し、ただ時間を切り売りするだけのあの空間が、今はひどく苦痛だった。以前は何も感じなかったはずなのに。

(……バイト、もう辞めようかな)

客の楽しそうな会話を聞くのも、幸せそうなカップルを見るのも、全部がしんどい。何もかもが、自分の惨めさを際立たせるだけだ。

「……今日は、もう無理だ」

ぽつりと呟き、悠真はスマートフォンを手に取った。部活には行かない。今日のところは、この嘘と罪悪感から逃げてしまいたい。それがどんなに弱い考えだと分かっていても、今の自分にはそれしか選べなかった。「体調が悪いから、今日の部活は休みます」。そうグループチャットに送ろうと、文字を打ち込み始めた、その時だった。

ピコン、と軽快な通知音が鳴り、画面上部にメッセージのプレビューが表示される。送り主は、千紗だった。

『結月ちゃん、この前の週末は本当に楽しかったね!なんだか、もっと結月ちゃんのこと知りたいし、もっと仲良くなりたいなって思って!今日の部活、すっごく楽しみにしてるんだ!』

その文面を見た瞬間、悠真の指は固まった。悪意の欠片もない、純粋な好意。お泊り会を経て、自分との距離を縮めようとしてくれている、その真っ直ぐな気持ち。キラキラした瞳でそう話す千紗の顔が、ありありと目に浮かぶ。これを読んでしまった後で、「体調が悪い」なんて嘘をつけるだろうか。

彼女をがっかりさせたくない。その一心で、打ちかけていた欠席の連絡を全て消去した。
罪悪感で胸が張り裂けそうだった。それでも、千紗の期待を裏切ることはできなかった。

「……はぁ……」

重く濁った溜息が漏れる。だが、その息を吐ききると、悠真はゆっくりと身体を起こした。覚悟を決めたようにクローゼットへ向かい、決して見慣れることのない「結月」の服を手に取る。

これからまた、嘘を重ねに行くのだ。千紗のあの太陽のような笑顔に会うために。その笑顔の裏にある好意が、自分という偽物に向けられていると知りながら。自己嫌悪の沼に沈みながらも、彼女の隣にいたいと願う歪んだ欲望には、もう逆らえそうになかった。

---

重い身体を引きずるようにして、悠真は手芸部の部室のドアの前に立っていた。中から漏れ聞こえてくる、楽しそうな笑い声。このドアを開ければ、そこには「結月」を待つ優しい世界が広がっている。そして、あの唇の持ち主がいる。数秒間、ドアノブを握ったまま動けずにいたが、やて意を決して、ゆっくりとドアを引いた。

「こんにちはー…」

ガラリ、と音を立てて開いたドアの先。温かい空気と、色とりどりの毛糸や布の匂い。そして、一番にこちらを向いた、太陽のような笑顔。

「結月ちゃん!来てくれたんだね、待ってたよ!」

鈴が鳴るような声で駆け寄ってきたのは、千紗だった。その屈託のない仕草を見た瞬間、悠真の心臓は嫌な音を立てて跳ねる。彼女は、週末の夜の出来事などまるで覚えていないかのように、いつも通りだった。その事実に安堵する一方で、ちくりと胸が痛んだ。

「ご、ごめん、遅くなって」

「ううん、全然!さ、こっち座ろ?」

千紗に腕を引かれ、いつもの席に促される。早川部長と田中さんも「結月ちゃん、こんにちは」「週末は楽しかったね!」と優しく微笑みかけてくれた。その温かい歓迎が、今はひどく胸に痛い。

今日の活動は、文化祭で展示する共同制作のタペストリー作りだった。大きな布を囲み、それぞれが担当の箇所に刺繍やアップリケを施していく。

「それにしても、お泊り会楽しかったよねー!夜中の恋愛トーク、最高だった!」

「ねー!結月ちゃんの男になったら土木作業したいって話、今思い出しても面白いんだけど!」

和やかな声が飛び交う中、悠真は黙々と針を進めていた。――だが隣から「うーん…まただ…」と小さなうめき声が漏れる。視線を向けると、千紗が針の小さな穴に糸を通そうと、必死に目を細めて悪戦苦闘していた。唇を尖らせ、眉を寄せるその仕草が、どうしようもなく幼く愛らしい。

「貸して、やってあげる」

自然と口が動いていた。

「え、ほんと?ありがとう結月ちゃん!」



千紗から針と糸を受け取り、慣れた手つきでスッと糸を通す。わずかな動作の中にも、女の子として見られる「結月」の役割を果たす満足感が滲む。それを返そうとした時だった――。

千紗の指が、針を受け取ろうとした悠真の手に、そっと重なった。柔らかく、少し温かい。爪先がかすかに手の甲を撫で、その何気ない感触に、悠真の呼吸がひゅっと浅くなる。

「わ、すごい!ありがとう!」

無邪気な笑顔と共に放たれたその一言は、部室の喧騒よりもはるかに大きく、胸の奥で反響した。

――瞬間、背筋に電流が走る。

彼女の指先のぬくもりが、皮膚から直接、脳の奥へ焼き付けられるように流れ込んでいく。思い出してしまう。あの夜明け前の、肌にまとわりつくミルクのような匂い。耳元に落ちてきた吐息の熱。唇に重なった、信じられないほど柔らかな感触。

「……っ」

慌てて手を引いたが、もう遅い。優しい温もりに触れているのが「男」である自分だという倒錯的な事実が、下腹部にじわじわと熱を広げていく。目の前で微笑む千紗は、何も気づいていない。無垢さと背徳感のコントラストが、悠真の神経をじわりと焼く。

刺繍枠に視線を落とすふりをしながら、指先に残る余韻を振り払おうと必死になる。だが、柔らかな指の重なりは幻のようにいつまでも消えず、胸の内側でじくじくと疼き続けていた。

「そういえば、来週公開の恋愛映画、もう予告見た?主演の俳優さん、めちゃくちゃかっこよくない?」

「わかるー!私、絶対初日に行くって決めてるんだ」

部員たちの華やいだ声が、やけに遠くに聞こえる。熱を帯びた身体を隠すように、悠真は必死で目の前の作業に集中しようと努めた。

「あ、赤い刺繍糸がなくなっちゃった。そこの棚から取ってくるね」

千紗が立ち上がる。その何気ない仕草に、悠真の胸が小さく波打った。

「……あ、私も…白い糸、取ってくる」

気づけば、言葉が口をついていた。――半ば無意識の行動。冷静になりたくて、けれど彼女から目を離せない。

二人は材料棚の前に並び立つ。他の部員たちから視線が届かない、わずかな死角。ざわめきが遠くに引いて、空気の密度が濃くなる。

千紗が赤い糸を探して指を伸ばし、ぱっと振り向いた。彼女の顔が思った以上に近い。

「この前のお泊り会、本当に楽しかった。またやりたいな」

ほんの囁き声。それなのに、悠真の耳には雷鳴のように響く。瞳が細められ、いたずらっぽく笑む。だが、その奥のまっすぐな輝きは逃げ場を与えてくれない。



(近い…、声も…目も……全部が僕に向いてる……)

結月として「もちろん!」と笑顔で答えるのは簡単だ。けれど、胸の奥では“相沢悠真”としての意識が抗い続ける。女として触れ合った記憶を抱きながら、男の自分が彼女に惹かれている――その倒錯した事実が、胸の奥で熱を孕ませる。



「……うん、私も……」

震える声。喉の奥がきゅっと締め付けられて、かろうじて搾り出した。

幸い、千紗は気づかない。小さく「やった!」とガッツポーズをして、赤い糸を手に席へ戻っていく。

残された悠真は、白い糸を手にしながら、足元がわずかに揺れるような錯覚に囚われていた。さっきの瞳の熱――あれは友情か、それとも…。心臓がまだ、部室のざわめきよりもずっと大きな音で跳ね続けていた。

あっという間に時間は過ぎ、活動終了の時刻になる。皆で机の上を片付け、ゴミをまとめながら、今日の成果を笑い合った。その輪の中に自分もいる。それが奇跡のようで、同時にひどく恐ろしかった。

「じゃあ、またね!結月ちゃん!」

帰り際、千紗がいつもと同じように、自然に手を振ってくれる。悠真は、引きつった笑顔で何とか手を振り返した。

その太陽のような笑顔に、胸が焼けるように熱くなる。

もう、ただのクラスメイトとしても、ただの手芸仲間としても、彼女を見ることはできない。あのキスを境に、自分はもう戻れない場所に来てしまったのだと、悠真は心の奥底で静かに悟っていた。

一人になった帰り道、罪悪感がどっと押し寄せてくる。こんな嘘、いつまで続けられる?いっそ、もう結月になるのをやめてしまえば、この苦しみから解放されるんじゃないか。そんな考えが、一瞬頭をよぎった。

だが、脳裏に浮かぶのは、屈託なく笑いかけてくれる千紗の顔。「またやりたいな」と囁いた時の、あの親密な空気。今日の、指先が触れ合った瞬間の熱。

あの優しい世界を、千紗の笑顔を、この手で捨てることなんて、できるはずがない。
そうだ、もうやめられないんだ。結月の姿にならないことも少しは考えた。でも、やめることなんてできっこない。この嘘がどんな結末を迎えようとも、俺はまたこの皮を被り、彼女の前に立つだろう。その笑顔が見られるなら、どんな罪でも背負ってやる。悠真は、夕暮れの空を見上げながら、固く唇を噛み締めた。
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