地味な僕が女の子になれる皮を手に入れたら、大学のイケメンな先輩に本気で恋されてしまって正体がバレないか不安です

ひびきの

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第三話 試着室の女神

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鏡の中の結月は、完璧だ。そして、裸だった。

昨日、全ての衣服を脱ぎ捨ててから、僕は呆然とこの姿を眺め続けていた。一睡もしていない。眠るのが怖かった。この悪夢が、朝になっても続いていたらと思うと。

そして、朝日は無慈悲に昇った。

鏡の前に立つ裸身は、紛れもない、僕自身の身体だった。

おそるおる、自分の右手を持ち上げる。鏡の中の少女も、同じように右手を上げた。僕はその指先で、自身の左肩にそっと触れた。

「……っ!」

指先に伝わる、信じられないほど滑らかな肌の感触。それは僕が知っている自分の肌ではない。なのに、触れられた左肩は、確かに「僕の」感覚としてその接触を脳に伝えている。

自分の手で、自分のものではない身体に触れている。その矛盾した情報に、脳がショートしそうになった。

指は震えながら、鎖骨の窪みをなぞり、胸の柔らかな膨らみへと滑り落ちる。その未知の感触に、心臓が大きく跳ねた。

これは僕だ。この身体は、僕になってしまった。その事実が、津波のように意識を飲み込んでいく。

「ぁ……」

何かを確かめようと声を出そうとして、喉がひきつった。恐怖で声帯が固くこわばり、息が漏れる音しかしない。

鏡の中の少女が、怯えた瞳で僕を見ている

。あの瞳の奥で恐怖に震えているのは、紛れもなく「相沢悠真」だ。

完璧な少女の顔に浮かぶ、情けない男の表情。そのグロテスクなまでの不一致に、吐き気がこみ上げてきた。

「……服を、着ないと」

この姿を、これ以上自分で見ていられない。

この異常な現実を、布で覆って隠してしまいたい。

僕はクローゼットに駆け寄った。しかし、そこにあるのは男物の、くすんだ色の服ばかり。昨日までの僕の抜け殻が、今の僕を嘲笑っているかのようだ。

他に選択肢はない。

震える手で黒のパーカーを羽織り、ジーンズを履いた。ぶかぶかの服が、かえって身体の線の細さや、存在しないはずの華奢さを際立たせてしまう。隠そうとすればするほど、異質さが浮き彫りになるこの皮肉。

このままこの部屋に一人でいたら、僕は本当に狂ってしまう。

動いて、この悪夢の意味を、何か一つでも見つけなければ。

フードを目深にかぶり、玄関のドアを開ける。

ひやりとした金属のノブの感触が、やけに生々しい。昨日まで当たり前だったはずのその温度が、まるで初めて触れる異物のように感じられた。

ごくり、と喉が鳴る。

大丈夫だ。ただ外に出て、服を買いに行くだけ。昨日まで、何千回と繰り返してきた行為だ。
そう自分に言い聞かせても、心臓は警鐘のように激しく脈打っている。
カチャリ。
ラッチが外れる小さな金属音が、静まり返ったアパートの廊下にやけに大きく響き渡った。まるで、後戻りはできないと告げる号砲のように。
重い鉄の扉を、ゆっくりと押し開ける。

一歩、外の世界へ踏み出した。

瞬間、昨日までとは全く違う世界の空気が、全身の毛穴から染み込んでくるようだった。太陽の光は、もはや単なる明るさではない。肌を透過し、皮膚のすぐ下を流れる血の色を仄かに照らし出すかのような、生々しい熱を持っている。

それでも、僕の心は驚くほど落ち着いていた。「結月」の身体を借りて歩き回ってしまえば、もう僕は「相沢悠真」でなくなる。そのことに安堵する気持ちが、心の奥底にあった。

街の騒音が、まるで結月の登場を歓迎するために奏でられる倒錯的なBGMのように聞こえた。
そして、何よりも違ったのは、「視線」だった。

「相沢悠真」だった頃、僕は街の景色に溶け込む、ただの背景だった。誰の目にも留まらず、誰の記憶にも残らない、灰色の透明な存在。それが、心地よくもあり、惨めでもあった。
だが、今は違う。

駅へ向かう道すがら、すれ違う人々が、明らかに僕を「モノ」として認識している。
気のせいではない。前から歩いてくるワイシャツ姿のサラリーマンが、結月の顔を見て、はっと息を飲む。その視線は、僕の顔から胸の僅かな膨らみへ、そしてパーカーの裾から伸びる脚へと、まるで査定でもするかのようにいやらしく滑っていく。その下卑た視線に、ぞくりと肌が粟立った。不快なはずなのに、同時に、心のどこかで暗く甘い優越感が芽生えるのを止められない。

横断歩道で信号を待っていると、隣に並んだ男子大学生たちが、ひそひそと何かを囁き合っている。

「……やばくね?あの娘」
「フード被ってても分かる。絶対美人」
「脚、ほっそ……あのジーンズ、逆にエロい」

向けられる好奇と、あからさまな欲望。それは、僕が「相沢悠真」であったなら、生涯向けられることのなかった種類の視線だ。

僕はパーカーのフードをさらに深く被り、顔を隠した。耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かる。それは羞恥心からか、それとも、もっと見られたいと願う、倒錯した高揚感からか、自分でも分からなかった。

目的のファッションビルにたどり着く。ガラスの自動ドアが、僕の前に音もなく滑るように開いた。
一歩足を踏み入れた瞬間、外の生々しい熱気が嘘のように消え、冷房の効いた清浄な空気がふわりと肌を撫でた。そして、様々なブランドの香水が混じり合った、甘く華やかな匂いが鼻腔をくすぐる。それはまるで、ここから先は違う世界のルールが適用されるのだと告げる、境界線そのものだった。

エスカレーターで目的のフロアへ向かう。上昇するにつれて、周囲の客層が明らかに変わっていく。僕のパーカーとジーンズは、この空間ではあまりにも異質で、まるで精密機械の工場に迷い込んだ泥だらけの獣のようだった。

レディースフロアに降り立った瞬間、僕は息をのんだ。
フリル、レース、パステルカラー。男の僕には無縁だった、可憐で、柔らかく、美しいものたちが、洪水のように視界に流れ込んでくる。キラキラと光を反射するアクセサリー、滑らかな曲線を描くマネキン、楽しそうに服を選ぶ女性たちの甲高い笑い声。そのすべてが、僕という存在を拒絶しているように感じられた。
一瞬、踵を返して逃げ出したくなる。だが、それはできない。僕の後ろにはもう「相沢悠真」の帰る場所はないのだから。
何を見ればいいのかも分からず、ただ狼狽えるようにフロアを彷徨う。その時だった。

「よろしければ、何かお探ししましょうか?」

背後からかけられた落ち着いた声に、僕の心臓は警戒心で跳ね上がった。

ビクッと肩を震わせ、恐る恐る振り返る。にこやかな笑顔の女性店員が立っていた。彼女の視線は、僕のフードで隠れた顔と、場違いな服装を値踏みするでもなく、ただ静かに僕の出方を待っている。

「相沢悠真」として店に入った時とは、まるで違う。あの時は、万引きを警戒するかのような無機質な視線を向けられるだけだったのに。彼女のプロフェッショナルな態度は、逆に僕を追い詰めた。何か答えなければ。

「あ……えっと、ブラウスとか、スカートとか……見てて……」

思わず漏れた声は、自分でも驚くほど澄んだ、ソプラノの声だった。
自分の喉から発せられたとは思えない、知らない女の声。その事実に、頭が真っ白になる。身体だけじゃない、声まで。僕は、どこまで「相沢悠真」を失ってしまったんだ?

パニックに陥りかけた僕の耳に、店員の落ち着いた声が続いた。

「かしこまりました。ブラウスとスカートですね。例えば、どういった雰囲気のものがお好みですか?可愛らしい感じとか、少し大人っぽい感じとか」

「えっ、あ、いや……よく、わからなくて……」

僕の戸惑いを察したのか、店員は少しだけ表情を和らげた。

「でしたら、いくつかご提案させていただいてもよろしいですか?お客様、肌の色がとても白いので、きっと淡い色合いがお似合いになるかと思います。こちらのブラウスはいかがでしょう。胸元のフリルが華やかなので、一枚で着ても様になりますし、ジャケットを羽織っても綺麗ですよ」

彼女は過剰に褒めるでもなく、ただ事実として「肌が白い」という特徴を捉え、具体的なコーディネートを提案してくれた。その淡々とした、しかし的確な接客が、逆に僕の強張った心を少しだけ解きほぐしていく。彼女にとっては、僕も無数にいる客の一人でしかない。その「普通」の扱いが、今の僕には何よりもありがたかった。

勧められるがままに、いくつかの服を手に取る。指先に触れる生地の柔らかさ、レースの繊細な凹凸、想像もしたことのない手触りの数々に、いちいち身体が驚いている。そして僕は聖域――試着室へと導かれた。

重いベルベットのカーテンを引けば、そこは僕と、鏡の中の僕だけの小さな世界。外界の音が遠のき、自分の荒い呼吸と心臓の音だけが響く。鏡が、冷たい光を放ちながら僕の姿を映し出していた。

震える手で、着てきたパーカーを脱ぐ。ごわごわした綿生地が肌から離れると、解放感と共に、柔らかな起毛の裏地が名残惜しそうに肌を撫でていった。次に、硬いジーンズのボタンを外し、ジッパーを下ろす。男物の厚いデニム生地に守られていた脚が、試着室の冷気に晒される。肌の表面を、ぴりぴりと空気が撫でる感覚。

そして、床に落ちた抜け殻を見下ろし、僕は手に持ったブラウスとスカートに向き直った。

まず、シルクのような手触りのブラウスに腕を通す。ひんやりとした滑らかな生地が、熱を帯びた素肌を撫でていく。その瞬間、背筋にぞくっとする快感が走った。

汗ばむ肌に張りつくような感触は、誰かに優しく抱きしめられているようで、袖口のレースが手首に触れるたび、繊細な刺激が神経をかき乱す。

手首が、まるで本当に“細くて華奢な女の子のもの”になったように思えた。

衣擦れの音さえ、今の僕には甘い囁きに聞こえる。衣服との触れ合いが、こんなにも快感に変わるなんて――それも、「女の子の身体」で。

次に、フレアスカートを手に取る。驚くほど軽く、柔らかい。おそるおそる足を通し、ウエストまで引き上げる。

布が太ももを撫でる感触に、思わず息を飲む。内側の裏地が肌にまとわりつくたび、“女の子として存在する自分”のリアルさが増していく。

スカートのジッパーを背中でゆっくりと引き上げ、ホックを留める。カチッという音とともに、ウエストがきゅっと絞られ、「くびれ」が生まれる。

骨格そのものが、女の子の形に作り変えられていく感覚。

スカートの裾がふわりと揺れるたび、布が内ももに絡みつき、その度に“女の子であること”を思い知らされる。

服が僕を定義する。「こういう女」だと。
抗えない、でも心地よすぎる、甘美な束縛だった。

鏡に映った姿を見て、僕は言葉を失った。
そこにいたのは、見惚れるほどに美しい、知らない女性だった。
フリルのついたブラウスは華奢な鎖骨を飾り、スカートは歩くたびに空気をはらんで優雅に揺れる。スカートが揺れるたびに、太ももを撫でる裾の感触がくすぐったい。

「……これが、私…?」


鏡の中の少女が、僕と同じように戸惑い、そして恍惚とした表情を浮かべている。今まで「相沢悠真」の身体では感じることのなかった、新しい感覚の連続だった。服はただ身を守るものではない。触れ、飾り、動きを与え、自分自身を全く新しい存在へと変えてしまう、魔法のようなものなのだ。

「……ああ……」

恍惚のため息が漏れる。鏡の中の結月の鎖骨に、僕は思わず自分の指でそっと触れた。冷たい鏡の感触と、その奥にある生身の肌の温かさ。この姿を、世界に見せたい。この結月が、どれほど素晴らしい存在なのかを、世界中に知らしめたい。

意を決して服の代金を払い、新しい服のまま店を出た。紙袋には、脱ぎ捨てた「相沢悠真」の残骸が詰め込まれている。その瞬間から、世界の反応は、さらに劇的なものへと変わった。

街行く人々が、振り返る。ショーウィンドウに映る自分の姿は、あまりにも非現実的で、まるで誰かが作った映画のワンシーンのようだ。

喉が渇き、カフェに入れば、ドアを開けてくれた男性客が、僕を見て顔を赤らめる。店員は、一番眺めの良い窓際の席へと、恭しく案内してくれた。

「相沢悠真」だった頃には、注文を聞きに来てもらうことさえ一苦労だったのに。

これが、美しいということ。これが、「女」として扱われるということ。世界は、こんなにも優しく、甘やかだったのか。

しかし、その甘い世界の中で、僕は別の種類の視線にも気づき始めていた。
カフェで隣に座った女性たちの、品定めするような冷たい視線。すれ違いざまに、僕の頭のてっぺんから爪先までを値踏みし、何か欠点を探そうとする、同世代の女の子たちの集団。

その視線は、僕に突き刺さる。そこには、嫉妬、軽蔑、そして「敵」を見るかのような鋭さが含まれていた。

美しいということは、ただ愛されるだけではないのだ。値踏みされ、評価され、時には、その美しさ故に敵意を向けられる。

「見られる」ことの快感は、「見張られる」ことの恐怖と、常に隣り合わせなのだ。
「相沢悠真」だった頃の、誰からも注目されない安全な世界。
「結月」として生きる、常に視線に晒される華やかで、しかし残酷な世界。

紙袋を抱えて、夕暮れの街を歩く。その重みが、僕が今日手に入れたものの大きさを物語っていた。

帰宅し、部屋の鍵をかける。外界から遮断された空間で、僕は大きく息を吐いた。全身の筋肉が、心地よい緊張から解放されて微かに震えている。最高のステージを終えた後のような、甘美な消耗感だ。

鏡の前に立ち、今日手に入れた服を一枚一枚、結月に着せていく。ワンピースに着替えれば気品のあるお嬢様に、タイトなニットに着替えれば少し小悪魔な少女に。服一枚で、結月は僕の想像を超えて様々なペルソナを纏っていく。

鏡の中の結月は、自信に満ちた笑みを浮かべて、僕を見つめ返していた。そうだ。これが僕の望んだ世界だ。

優しさも、残酷さも、すべて受け入れよう。そのすべてが、結月を輝かせるためのスパイスになる。
そして、この世界で、僕は「結月」を、誰よりも輝く最高の存在にプロデュースしてみせる。いや、違う。

僕が、最高の『結月』になるんだ。

その瞳には、新たな挑戦への、燃えるような光が宿っていた。僕と結月の、倒錯した物語は、まだ始まったばかりなのだ。
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