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──若けりゃ誰だっていいんだって。
栗田の言葉が頭に響く。私はもう若くない。でも、40代半ばの課長にとっては、まだピチピチ……なのだろうか。
そもそも、どうして課長はこうも私を気にかける? さっきの電話だって。なんだって言うんだ。
自分に自信がない、訳じゃない。ここまで、いろいろ経験してきたし、仕事だって自分なりに頑張ってきた。
でも、課長が“私だけに”優しくする理由。そんなもん、あるのかな?
顔は中の下。いや、中の中、見ようによっては中の上? いや。自惚れが過ぎるな。それでも、私は顔で選ばれるタイプではない……
ぼぉ~っと夜道を歩いていると、薄らと思い出してくる。
それは、二年前の春だった。
珍しく残業して、会社の屋上で星を見ていた。都会の夜空に星なんて、ほとんど見えることないんだけど。
ちょうど浮気されて、どうしようもなくなった時。ただ遠くを眺めたかっただけ。
そこで屋上のドアが開いた。立っていたのが、課長だった。
今思うと、課長も離婚してすぐだったのかもしれない。
こちらを見て、すぐに引き換えそうとする課長を、私は引き留めた。
「ちょっと待ってください!」
驚いたように、私を見る。
「一緒に、星を見ませんか?」
誰でも良かった。一人じゃなければ、誰と見る星でも良かった。課長も多分、そうだったと思う。
「都会で星を探すって、大変ですよね」
「あぁ」
「みんなピカピカ光ってるから。なんか、自分みたいな光ってるか、光ってないか微妙な人間は……誰にも、見つけてもらえないと、思えます」
「……ん」
課長は少し悲しそうな表情を浮かべた。
「でも、私。誰かに見つけてもらいたいんですよね。だから、電池入れるなり、蛍光スプレー振るなりして……輝く努力をします。たとえ、見つけてもらえなくても、そうやって、生きていたいから」
課長は何も言わなかったけど、前を向いてフッと笑った気がした。遠くを見ながら、私たちは三十分くらい黙って、星を見ていた。
そうだ!!これだ!!
あの日は、私人生の名場面、第三位にランクインするほどの素敵な夜だった。思い返すと、恥ずかしすぎる語り方だけど。
きっとこの時に、課長は私に惚れたのだろう。誰もが納得するエピソード……だよね?
でも、こんな素敵な夜から始まるラブストーリーも、今、栗田のヤジによって揺るごうとしている……ひどいよ! ひどいよ、マジで!!
◇◇◇
私はじっとチャンスを伺っている。昨日の誤解を解くために。
絶賛リモートワーク中の情報システム課は、今日もまた社員が少ない。しかし、課長と二人っきりになるのは、意識すればするほど、なかなか作れないものだ。
昼休憩に、またオープンスペースでパンにかぶりついていた。私、パンばっかり食べてるな。
「西山さん」
隣の席に課長が座る。今日は課長もパンらしい。私はパンが目一杯入った顔を隠しながら、静かに咀嚼する。
「なぁ、栗田くんって彼氏?」
「ん?」
「ほら。昨日の、さ」
テーブルに置いてあったミルクティーをがぶ飲みする。ちまちまパンを食べている場合ではない。喋れる程度には落ち着き、私は強く訴えた。
「いえ! 付き合っていません! これからも、付き合うことはありません! ただの同期で、焼肉を奢ってくれると言われたため、ついて行っただけで」
あ、これはこれで卑しいやつと思われるかも。しまったと後悔したが、それはもうどうでもいいことだ。
次に聞こえた言葉が、本当めちゃくちゃ嬉しかったから。
「そっか……じゃあ、俺も焼肉奢るって言ったら、一緒に行ってくれるってこと?」
「え?」
「嫌、なら断って、くれても、いい」
課長の句読点が変になる。もしかして、緊張している?
「いいえ。行きます!」
課長と目を合わせる。私の体内に、なんかよくわからないホルモンが溢れてくる。多分、幸せな時に流れるセロトニン、とかいうやつだ。
「良かった……いつがいい?」
「えっと……来週の金曜なら……」
課長が私に向かって、ニコッと笑顔を見せた。そして、小指を立てる。
「約束」
「はい」
オープンスペースの片隅で、指切りげんまんをした上司と部下は、きっと私たちが初めてだろう……
この小指、もう一生洗わないんだ。そのくらい、小指がときめいている。薬指と中指が嫉妬する。
小指を離した後は、もう放心状態に近かった。
パンなんて食べている場合じゃないと、私は課長のパン食いシーンをガン見する。
「ん? 何? 食べにくいんだけど」
まぁ、そりゃそうか。少しため息をつき、私は視線を逸らそうとする。すると、課長の目の下に、まつ毛がついていることに気がついた。
「……あ! ここに、まつ毛ついてます」
課長がメガネを外して、目の下を擦る。そんな何気ない姿に、ハッとする。
あ、メガネなしの課長、初めて見た……すごく良い。自然と脳汁が出る。
「取れた?」
メガネなし課長が、私を見つめる。心臓が五個くらいあるのでは? と疑ってしまうほどに高鳴った。多分血液が追いつかず、肺の働きは止まっていたと思う。
「はい。取れました……あの……課長って……メガネなしでも……素敵ですね……」
勇気を出して言ってみた。声はどんどんボリュームを下げ、語尾はちょっと掠れていたけど。何とか聞こえたようだった。
「そう? ありがとう」
いつも落ち着いた課長の声も、ちょっとだけ、上擦ったように聞こえた。
◇◇◇
課長と焼肉の約束を取り付けた私は、もう無敵すぎた。仕事もこれまで以上にできそうだ。半年あれば、部長になっちゃうかもしれない。
そうなったら、課長の上司になっちゃうなぁ~
いつも以上にふざけた思考で歩いていると、広報部の女性たちが小さな声で噂をしていた。
「ねぇ。見た? 情報システム課の河村課長! メガネ外したみたいだよ」
「え? 本当に? どうだった?」
「メガネがないと、意外とイケメンだった」
「マジで? 見たいー」
え? 課長がメガネを外したのは、さっき私の目の前で、一瞬だけだったはず。
もしかして、情報システム課で、何かが起きている? 私は広報女性の間を掻い潜り、急いで我が部署へ戻った。
そこには、噂通り、メガネなし課長がパソコンに向き合っている。一体なんで?
「課長! ちょっと来てください」
「え? どうした?」
「いいから早く!」
課長の顔を身体で隠すようにして、使われていない会議室へ入る。
「一体、どういうことですか?」
開口一番、問い詰めた。
「え? 何が?」
「だから……どうして、メガネを外しているんです?」
課長に思い切り、疑問をぶつける。
「だってさっき、西山さんがメガネないほうが良いって言っただろ……」
「裸眼ですか?」
「いや。コンタクト。大昔に使ってたコンタクトが、引き出しにあったから。視力変わってないし」
「何をやってるんですか!? 早く外して!」
「え? なんで?」
「えぇ?」
そりゃ、モテてもらっちゃ困るからに決まってるでしょ! とは言えず。
「古いコンタクトは、大変危険なんです!」
「でも、使用期間はまだ大丈夫だったけど」
「いや。あぁいうのは、未開封の時の期限を書いてあるんですよ!」
「いや。それ食品だろ? そもそも未開封だったって」
「ワンデー? ツーウィーク?」
「ワンデー」
「じゃあ、いいでしょう! すぐに外して!」
「はぁ……」
課長は首を傾げながら、コンタクトを外した。
「メガネは?」
「ポケットに……」
私は課長のポケットからメガネケースを取り出し、メガネを課長の耳にかけた。
「ふぅ~」
なんか、大きめのため息が出る。
「メガネ姿の課長も、めちゃくちゃ素敵ですから! 自信を持ってください!」
「はぁ、ありがとう」
「目は大切にしてくださいね!」
「……うん」
私は急いで課長と会議室を出る。手を振って解散した。
もう、そういうことされたら、困るよ。本当に……こちとら、ライバルを増やしたくないんだから。
あれ? でも、さっきの課長。
──西山さんがメガネないほうが良いって言っただろ……。
って言ってなかったっけ? つまり……私のために、わざわざコンタクトに?
大昔のコンタクトを、“私のために”引き出しから取り出す課長を想像する。
嘘……可愛すぎる……
そこへ広報課の女性たちがやってきた。
「あれ? 河村課長、メガネのままだけど」
「あ! 本当だ。さっき外してたのに。おかしいなぁ……」
彼女たちは、私の思惑通り、ガッカリしながら帰って行った。
栗田の言葉が頭に響く。私はもう若くない。でも、40代半ばの課長にとっては、まだピチピチ……なのだろうか。
そもそも、どうして課長はこうも私を気にかける? さっきの電話だって。なんだって言うんだ。
自分に自信がない、訳じゃない。ここまで、いろいろ経験してきたし、仕事だって自分なりに頑張ってきた。
でも、課長が“私だけに”優しくする理由。そんなもん、あるのかな?
顔は中の下。いや、中の中、見ようによっては中の上? いや。自惚れが過ぎるな。それでも、私は顔で選ばれるタイプではない……
ぼぉ~っと夜道を歩いていると、薄らと思い出してくる。
それは、二年前の春だった。
珍しく残業して、会社の屋上で星を見ていた。都会の夜空に星なんて、ほとんど見えることないんだけど。
ちょうど浮気されて、どうしようもなくなった時。ただ遠くを眺めたかっただけ。
そこで屋上のドアが開いた。立っていたのが、課長だった。
今思うと、課長も離婚してすぐだったのかもしれない。
こちらを見て、すぐに引き換えそうとする課長を、私は引き留めた。
「ちょっと待ってください!」
驚いたように、私を見る。
「一緒に、星を見ませんか?」
誰でも良かった。一人じゃなければ、誰と見る星でも良かった。課長も多分、そうだったと思う。
「都会で星を探すって、大変ですよね」
「あぁ」
「みんなピカピカ光ってるから。なんか、自分みたいな光ってるか、光ってないか微妙な人間は……誰にも、見つけてもらえないと、思えます」
「……ん」
課長は少し悲しそうな表情を浮かべた。
「でも、私。誰かに見つけてもらいたいんですよね。だから、電池入れるなり、蛍光スプレー振るなりして……輝く努力をします。たとえ、見つけてもらえなくても、そうやって、生きていたいから」
課長は何も言わなかったけど、前を向いてフッと笑った気がした。遠くを見ながら、私たちは三十分くらい黙って、星を見ていた。
そうだ!!これだ!!
あの日は、私人生の名場面、第三位にランクインするほどの素敵な夜だった。思い返すと、恥ずかしすぎる語り方だけど。
きっとこの時に、課長は私に惚れたのだろう。誰もが納得するエピソード……だよね?
でも、こんな素敵な夜から始まるラブストーリーも、今、栗田のヤジによって揺るごうとしている……ひどいよ! ひどいよ、マジで!!
◇◇◇
私はじっとチャンスを伺っている。昨日の誤解を解くために。
絶賛リモートワーク中の情報システム課は、今日もまた社員が少ない。しかし、課長と二人っきりになるのは、意識すればするほど、なかなか作れないものだ。
昼休憩に、またオープンスペースでパンにかぶりついていた。私、パンばっかり食べてるな。
「西山さん」
隣の席に課長が座る。今日は課長もパンらしい。私はパンが目一杯入った顔を隠しながら、静かに咀嚼する。
「なぁ、栗田くんって彼氏?」
「ん?」
「ほら。昨日の、さ」
テーブルに置いてあったミルクティーをがぶ飲みする。ちまちまパンを食べている場合ではない。喋れる程度には落ち着き、私は強く訴えた。
「いえ! 付き合っていません! これからも、付き合うことはありません! ただの同期で、焼肉を奢ってくれると言われたため、ついて行っただけで」
あ、これはこれで卑しいやつと思われるかも。しまったと後悔したが、それはもうどうでもいいことだ。
次に聞こえた言葉が、本当めちゃくちゃ嬉しかったから。
「そっか……じゃあ、俺も焼肉奢るって言ったら、一緒に行ってくれるってこと?」
「え?」
「嫌、なら断って、くれても、いい」
課長の句読点が変になる。もしかして、緊張している?
「いいえ。行きます!」
課長と目を合わせる。私の体内に、なんかよくわからないホルモンが溢れてくる。多分、幸せな時に流れるセロトニン、とかいうやつだ。
「良かった……いつがいい?」
「えっと……来週の金曜なら……」
課長が私に向かって、ニコッと笑顔を見せた。そして、小指を立てる。
「約束」
「はい」
オープンスペースの片隅で、指切りげんまんをした上司と部下は、きっと私たちが初めてだろう……
この小指、もう一生洗わないんだ。そのくらい、小指がときめいている。薬指と中指が嫉妬する。
小指を離した後は、もう放心状態に近かった。
パンなんて食べている場合じゃないと、私は課長のパン食いシーンをガン見する。
「ん? 何? 食べにくいんだけど」
まぁ、そりゃそうか。少しため息をつき、私は視線を逸らそうとする。すると、課長の目の下に、まつ毛がついていることに気がついた。
「……あ! ここに、まつ毛ついてます」
課長がメガネを外して、目の下を擦る。そんな何気ない姿に、ハッとする。
あ、メガネなしの課長、初めて見た……すごく良い。自然と脳汁が出る。
「取れた?」
メガネなし課長が、私を見つめる。心臓が五個くらいあるのでは? と疑ってしまうほどに高鳴った。多分血液が追いつかず、肺の働きは止まっていたと思う。
「はい。取れました……あの……課長って……メガネなしでも……素敵ですね……」
勇気を出して言ってみた。声はどんどんボリュームを下げ、語尾はちょっと掠れていたけど。何とか聞こえたようだった。
「そう? ありがとう」
いつも落ち着いた課長の声も、ちょっとだけ、上擦ったように聞こえた。
◇◇◇
課長と焼肉の約束を取り付けた私は、もう無敵すぎた。仕事もこれまで以上にできそうだ。半年あれば、部長になっちゃうかもしれない。
そうなったら、課長の上司になっちゃうなぁ~
いつも以上にふざけた思考で歩いていると、広報部の女性たちが小さな声で噂をしていた。
「ねぇ。見た? 情報システム課の河村課長! メガネ外したみたいだよ」
「え? 本当に? どうだった?」
「メガネがないと、意外とイケメンだった」
「マジで? 見たいー」
え? 課長がメガネを外したのは、さっき私の目の前で、一瞬だけだったはず。
もしかして、情報システム課で、何かが起きている? 私は広報女性の間を掻い潜り、急いで我が部署へ戻った。
そこには、噂通り、メガネなし課長がパソコンに向き合っている。一体なんで?
「課長! ちょっと来てください」
「え? どうした?」
「いいから早く!」
課長の顔を身体で隠すようにして、使われていない会議室へ入る。
「一体、どういうことですか?」
開口一番、問い詰めた。
「え? 何が?」
「だから……どうして、メガネを外しているんです?」
課長に思い切り、疑問をぶつける。
「だってさっき、西山さんがメガネないほうが良いって言っただろ……」
「裸眼ですか?」
「いや。コンタクト。大昔に使ってたコンタクトが、引き出しにあったから。視力変わってないし」
「何をやってるんですか!? 早く外して!」
「え? なんで?」
「えぇ?」
そりゃ、モテてもらっちゃ困るからに決まってるでしょ! とは言えず。
「古いコンタクトは、大変危険なんです!」
「でも、使用期間はまだ大丈夫だったけど」
「いや。あぁいうのは、未開封の時の期限を書いてあるんですよ!」
「いや。それ食品だろ? そもそも未開封だったって」
「ワンデー? ツーウィーク?」
「ワンデー」
「じゃあ、いいでしょう! すぐに外して!」
「はぁ……」
課長は首を傾げながら、コンタクトを外した。
「メガネは?」
「ポケットに……」
私は課長のポケットからメガネケースを取り出し、メガネを課長の耳にかけた。
「ふぅ~」
なんか、大きめのため息が出る。
「メガネ姿の課長も、めちゃくちゃ素敵ですから! 自信を持ってください!」
「はぁ、ありがとう」
「目は大切にしてくださいね!」
「……うん」
私は急いで課長と会議室を出る。手を振って解散した。
もう、そういうことされたら、困るよ。本当に……こちとら、ライバルを増やしたくないんだから。
あれ? でも、さっきの課長。
──西山さんがメガネないほうが良いって言っただろ……。
って言ってなかったっけ? つまり……私のために、わざわざコンタクトに?
大昔のコンタクトを、“私のために”引き出しから取り出す課長を想像する。
嘘……可愛すぎる……
そこへ広報課の女性たちがやってきた。
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