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45:記憶のカケラ1
しおりを挟む満開の藤色の八重の花を、目に焼き付ける。
もう、この目で見る事は、叶わないと知っているから……。
特長的な白い幹にその身を預けて、最後の時をお前と過ごす。
『愛してる―――クロウ……』
自分の命よりも魂よりも大切な、愛しい黒い竜の腕の中で、その名を、呼ぶ。
『アカツキ……』
『泣くな……私が、クロウを愛して、消える事を、嘆かないでくれ……』
別れの時が、近付いている。
体の細胞が、ばらばらになってきているのが、わかる。
自分が、自分でなくなり、砕けていく不快感が、全身に広がっていく。
終わりの時が、もう、すぐそこまで来ているのだ。
『……そんな顔、するな。私に後悔など、ないのだから』
もう、躰が動かない。
クロウに腕に抱かれたまま、指先から塵芥へと砕けていくこの身を預け、目だけで顔を見上げて微笑むと、ゆっくりと唇が降りてきて、クロウからのこの生涯最後のキスを貰った。
クロウの涙が、頬に落ちて来る。
絶対に、忘れない。
最後のキスも、お前の涙も。
クロウを愛した私の心は、お前の元に置いていく。
この世界に生きた私の記憶も、一緒に―――。
目を瞑れば、全てを忘れてしまうとしても、お前を愛した心と一緒に、これからの長い旅路の行き着く先に、はじめの記憶を置いていく。
自分が砕けたら、心を無くして、記憶をなくすことは、わかっている。
だけれども、それだけはここに、お前に愛を伝えた永遠に藤色の花を満開に咲かせる、幻夢の木の花の中に、隠してゆく。
『―――………この仔を、大切に守ってね?』
腕の中には、光の珠を抱いていた。
ふたりの記憶と心、そして、ふたりの命を継ぐもの。
この光だけは、この命が付きようとも、魂が100に砕かれようとも、必ず、絶対に、守り抜く。
心も記憶もなくしても、この光だけは、忘れない。
異界の彼方からでも、必ず、救いに行くからね―――。
・・・
「―――アカツキ?!」
瑠璃が、オレを呼ぶ声が聞こえる。
目を開くと、腕の中に瑠璃がいた。
その名のもとになった瑠璃色の瞳に涙を一杯に溜めて、オレを見上げている。
傷だらけだ。
あまりにも痛ましくて、自分に生まれたばかりの心が痛む。少しでも、その痛みが和らぐように、額を撫でてやって気付く。
瑠璃の首には、初めて会った時に付けられていたのと同様の『呪』付の魔具拘束具を嵌められていて、とても苦しそうだ。
誰が、そんなものをまた、お前に嵌めたんだ?
怒りのあまり一気に血流が回ったのか、目が覚めてきて、気付く。
瑠璃と同じ拘束具が、俺の首にも嵌められていることに……。
そうだった。
世界の果てみたいな丘陵の草原で、竜たちに血の誓いを行使したアビゲイルによって、ここに連れて来られ、これを、嵌められたのだった。
ばしゃあん!!という音と共に、全身に打ち付ける凍り付くような水の冷たさに、はっきりと意識が戻る。
「―――……っう」
目の前には薄汚れ苔むした石畳。
水浸しのソコに、瑠璃を胸元に抱き込んで、うつ伏せに倒れ伏していたらしい。
冷たい水を浴びたからだけでなく、躰が芯から凍り付いているかのように震え、歯ががちがちと音を立てる。
胸の中の瑠璃だけが、あの光みたいに、あたたかい。
意識が戻っても未だはっきりしない状況と視界に目を細めると、この薄汚れた場所に不似合いな、だけれども不思議と溶け込む、美しい女の姿が在った。
「―――よくも、この状況で眠れるものね。さすがは、98回も薄汚れた異界で命を散らしてきた忌むべき魂の持ち主だわ」
朝日を集めて形どったような神々しい程に美しい姿。
光が透ける銀糸の髪に、太古の海の青を映した瞳をもつ、天に輝ける一番星。
はじめの自分の躰の中には今、亡者とも闇そのものともいえる形無き人とはいえない淀みを持つ、悪しき魂が憑りついている。
そうだった。
自分が最初に持っていた、あのはじめの躰は、今やアビゲイルのモノなのだ。
「……お似合いだな」
そんな躰、オレはもういらない。
今のオレは、このオレだ。
その躰は、はじめの竜達と共に世界を作った、彼らの愛する一番星だというのに、中身が違っただけで三流品以下の廉価品もいいところの、模造品とも見える。
中身と外見が伴っている様が、本当にお似合いだ。という意味でそう伝えたのに、アビゲイルは言葉の意味を取り違えたのか、気が違ったかのように高らかに笑いだした。
憐れだと、思う。
自分のモノではない躰を手に入れて、勝ち誇りサイレンみたいに高らかに笑うアビゲイルが―――。
騙して手に入れた血の誓いで、ここぞとばかりに竜たちを縛り付ける。偽物の誓いで仮初の愛を手に入れて、世界を統べる星は自分だと、一番星の躰を、はじめの竜たち全てを手に入れて、アビゲイルはこの世の春を謳歌し御満悦のようだ。
そんな彼女が、心の底から憐れで、怒りすらわかない。
どれだけ痛めつけられても、うめき声も上げず、表情も変えなかったオレに、アビゲイルは瑠璃を連れてきて、あろうことか瑠璃に攻撃を始め、オレは瑠璃を、胸の中に抱き込んで―――そこで意識が途絶えたのだった。
「お前は、一体何が、欲しいんだ?」
口先で呟くと、狂喜の笑い声をいったん止めて、アビゲイルが俺の背中を蹴りつけて来た。
「もう、特にはないわね。竜も世界も、ぜ~~~んぶ、わたくしのモノだもの。きっと創世神だって、わたくしのモノになるのよ」
「―――昔から、頭が足りん女とは思っていたが、本当に、馬鹿につける薬は、ないな」
「―――なんですって?」
勝ち誇り悦に入る下品な女が、般若の面を被ったが如く、表情を変える。
そういう所も、馬鹿だというんだ。
周囲に人と竜の気配があるということは、この石牢はどこからか見世物になっているのだろう?
自分の下品な本性を、真の一番星ではないことを、自分からばらしてどうするというのか。
「このわたくしに、随分な物言いね?生贄ともあろう者が」
「生贄だろうとなんだろうと、お前よりは人として上だと思うよ?」
瑠璃を守るように全身で抱き込んで、目だけで卑下するオレに向かい、アビゲイルは牙を剥いた。
鞭が、背中の皮膚を切り裂き、焼ける様な痛みが全身に広がる。
むちゃくちゃに鞭を打ち付けられて、全身から血が噴き出して、打たれた裂傷が焼き鏝をあてられた様に痛み出す。
「―――アカツキ?!」
「瑠璃……顔を出すな、あぶない……」
ちょっと煽ればすぐこれだ。
お前の本性を、衆人の元に晒す為、敢えて見せ物の憐れな奴隷役に徹しているというのに、それにも気付かない。馬鹿な、女―――。
無力な奴隷をいたぶる、光の聖女—アルラキス様の余りに残虐非道さに、周囲の気配が息を飲んでいるのがわかる。
皆は、いない。
良かった、と思う。
こんな姿は、見せたくはないし、自分達がアビゲイルに操られ、その結果、オレがこんな非道な目に遭っていることを知ったりしたら、アイツらは、きっと悲しむ。自分を痛めつける程に、怒り悲しむ様が予想できるのだ。
彼らは、本当に優しい、世界の神たる竜なのだから。
何の力も持たない、99回目の転生体の俺になんて、心を砕いていては、イケない。
瑠璃も、皆も、守ってみせる―――。
彼らの心を守ることだけが、今のオレに、出来る事だから……。
余りの痛みに、意識が飛びそうになったその時、涼やかな声が、この狂乱の場の空気を変えた。
「アビゲイル」
光と共に現れた、光色をした黄色の竜の淀みのない、静かな声が、狂喜に飲み込まれていたアビゲイルを制した。
「その渡り人は、僕がおもてなしをするので、お待ち頂く様にと、伝えた筈だね?」
迷える者を諭す、神の使いのような黄竜の静かな声に、アビゲイルは震え上がり痙攣し、冷たい石畳に顔からべしゃりと吸い込まれるように倒れ伏した。
「も、もうしわけ、ございません!!黄竜―――様!!」
「いいよ。そのままでいなさい。君はそのまま、接遇について反省が必要なようだ。僕がいいというまでね」
全身を焼かれる様な痛みに、意識が遠のく暁の側に、黄竜ー黄麟が膝をついた。
「白竜に、治療をさせようか?」
「―――みんな、は……クロウ……は」
無事なのか?と言葉を告げる前に、暁の意識は闇の中に落ちて行った。
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