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第四章
【許すということを 04】
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「お父さんは今から思うと学歴コンプレックスみたいなのが強い人で、お母さんと駆け落ちしたことで大学進学をせず、就職が上手く行かなかったことで心が折れてしまったみたいでした。そのせいか、食事の前には私に九九を暗唱させたり、ふりがなのない本を朗読させたりしました。お父さんの用意した問題に答えられないと、こんな馬鹿娘に食べさせる飯は無いって、全部ゴミ箱に捨てちゃうんです。作ってくれたお母さんが、すぐそこで見てるのに」
「え、ええー」
「次第にそれだけじゃなくて、ゴミ箱に捨てたあと、私のことを殴ったり蹴ったりしてくるようになりました。何度も土下座して謝らないと止めてくれないんです。お母さんも……見てるだけで、止めてくれなかった……」
「ぎゃ、虐待じゃないですか……」
存在を無視されるようなことはあっても父に暴力を振るわれたことがない若子は、どちらがマシなのだろうと考えてしまった。どちらも辛いに決まっているのに。
「お母さんはパート先のスーパーで、店長さんと不倫をしていました。わざわざ近所のおばさんたちが私に教えてくれるんです。恋唯ちゃんのママ、不倫してるんだよって」
当時を思い出して、恋唯は苦笑する。
あの人たちは恐らく、他所の家庭が壊れる様を無邪気に楽しんでいたのだろう。
「私の両親は、全然……唯一の恋なんかじゃなかった。私は常に、親に愛されたい気持ちと、二人に今すぐいなくなって欲しいという気持ちが、自分の中でせめぎ合っているのを感じました。でも、お父さんに、首を絞められた日に」
若子の表情が一気に強張る。
「初めて私、自分の出来ることに気がついたんです」
「出来ること、ですか……?」
恐る恐る、若子が聞いた。何か恐ろしいものの深淵を覗こうとしている。そんな予感がして。
「でも、お母さんは……お父さんがいなくなったことに気付いて、喜ばなかった……。びっくりして、探し回って……すごい剣幕で私を問い詰めたから……二人は本当は恋をしていたんでしょうか。まだ愛し合っていたのでしょうか。私は何も聞かなかった……もう一度、同じ事をしようって……また同じものを味わいたいって、そう思ってしまったから……」
「い、いなくなっちゃったんですか。お父さん……?」
「はい、そうです。もう、どこにもいませんよ」
もっと何か、聞かなくてはいけないことがある。
若子は妙に焦っている自分を感じていたが、何から手を付ければいいのか、分からない。
「私が親に愛されている子どもだったら、そんなことは考えなかったんでしょうか。やっぱり、愛されていると違うんですか? 理不尽なことも、暴力的なことも、はね除けられるんですか。愛の力で? それとも対話で……? そんなこと、私には無理だった。リリーさんは立派です。私はきっと、謝られたって許せない。それが出来ないのは私が悪い子だからでしょうか。向こうでもここでも、どの世界でも、私だけが異物じゃないですか。いつも真っ当な方法では物事を解決できない。なんでいつも、私だけがおかしいんですか……?」
恋唯の両目から溢れ出して、頬へと流れていく涙を、若子は食い入るように見つめていた。
大人の女の人が感情的に泣く姿を、初めて見た気がする。
「パンを……」
「えっ、パン?」
「一度だけ、お父さんがパンを沢山買ってきてくれたことがあったんです。パチンコで勝ったって言ってました。ビニール包装された安いパンでしたけど、その日はお父さんも上機嫌で……三人で、パンを食べたんです。美味しいねって、お母さんも笑ってて……本当に、美味しかったなあ……」
まるで子どものように、心細そうに恋唯が泣いている。
若子は思わず、彼女のことを抱き締めていた。
「え、ええー」
「次第にそれだけじゃなくて、ゴミ箱に捨てたあと、私のことを殴ったり蹴ったりしてくるようになりました。何度も土下座して謝らないと止めてくれないんです。お母さんも……見てるだけで、止めてくれなかった……」
「ぎゃ、虐待じゃないですか……」
存在を無視されるようなことはあっても父に暴力を振るわれたことがない若子は、どちらがマシなのだろうと考えてしまった。どちらも辛いに決まっているのに。
「お母さんはパート先のスーパーで、店長さんと不倫をしていました。わざわざ近所のおばさんたちが私に教えてくれるんです。恋唯ちゃんのママ、不倫してるんだよって」
当時を思い出して、恋唯は苦笑する。
あの人たちは恐らく、他所の家庭が壊れる様を無邪気に楽しんでいたのだろう。
「私の両親は、全然……唯一の恋なんかじゃなかった。私は常に、親に愛されたい気持ちと、二人に今すぐいなくなって欲しいという気持ちが、自分の中でせめぎ合っているのを感じました。でも、お父さんに、首を絞められた日に」
若子の表情が一気に強張る。
「初めて私、自分の出来ることに気がついたんです」
「出来ること、ですか……?」
恐る恐る、若子が聞いた。何か恐ろしいものの深淵を覗こうとしている。そんな予感がして。
「でも、お母さんは……お父さんがいなくなったことに気付いて、喜ばなかった……。びっくりして、探し回って……すごい剣幕で私を問い詰めたから……二人は本当は恋をしていたんでしょうか。まだ愛し合っていたのでしょうか。私は何も聞かなかった……もう一度、同じ事をしようって……また同じものを味わいたいって、そう思ってしまったから……」
「い、いなくなっちゃったんですか。お父さん……?」
「はい、そうです。もう、どこにもいませんよ」
もっと何か、聞かなくてはいけないことがある。
若子は妙に焦っている自分を感じていたが、何から手を付ければいいのか、分からない。
「私が親に愛されている子どもだったら、そんなことは考えなかったんでしょうか。やっぱり、愛されていると違うんですか? 理不尽なことも、暴力的なことも、はね除けられるんですか。愛の力で? それとも対話で……? そんなこと、私には無理だった。リリーさんは立派です。私はきっと、謝られたって許せない。それが出来ないのは私が悪い子だからでしょうか。向こうでもここでも、どの世界でも、私だけが異物じゃないですか。いつも真っ当な方法では物事を解決できない。なんでいつも、私だけがおかしいんですか……?」
恋唯の両目から溢れ出して、頬へと流れていく涙を、若子は食い入るように見つめていた。
大人の女の人が感情的に泣く姿を、初めて見た気がする。
「パンを……」
「えっ、パン?」
「一度だけ、お父さんがパンを沢山買ってきてくれたことがあったんです。パチンコで勝ったって言ってました。ビニール包装された安いパンでしたけど、その日はお父さんも上機嫌で……三人で、パンを食べたんです。美味しいねって、お母さんも笑ってて……本当に、美味しかったなあ……」
まるで子どものように、心細そうに恋唯が泣いている。
若子は思わず、彼女のことを抱き締めていた。
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