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たった十分、されど十分
たった十分、されど十分②
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「各務(かがみ) ……課長?」
サラリとした黒い前髪のかかった二重まぶたがいつになく険しく見える。どこか切羽詰まった表情のその人は、各務尊(たける)――企画部の課長で私の上司だ。
切れ長の涼やかな目や高い鼻梁、薄い唇がほっそりとした輪郭の中に完璧に配置されている。その上、百八十五センチに長い手足というモデルばりの体形で、この人を〝イケメン〟と言わずして誰を言うのかというほど整った容姿だ。
そんな彼は、私が入社したばかりの『OJT研修』と呼ばれる職場内訓練で、私のトレーナーについてくれた先輩でもあった。
まぶしいくらいの容姿にもかかわらず、課長はほとんど感情を表に出さない。研修開始当初はなにを考えているのかわからない彼を、私は苦手に感じていた。
けれど私が何度質問しても彼は嫌な顔ひとつせず、常に根気強く丁寧に指導してくれた。
おかげでOJT研修が始まって二週間経つ頃には、彼に完全なる信頼を持つようになった。
三ヶ月の研修の最後に行われる新入社員の社内コンペで社長賞をもらうこともでき、彼がとても喜んでくれたのは、今でもいい思い出になっている。
そんな各務課長は、私のOJT研修が終わると同時に海外支部へと異動になった。そして五年の歳月を経て、ひと月前に本社に戻ってきた。三十歳、史上最年少課長の誕生だった。
整った容姿の上に将来有望のエリート社員ともなれば、社内の女性達の人気を一気にさらったのもうなずける。
私は彼と毎日のように職場で顔を合わせるので、さすがにいちいち見惚れたりしない。けれど今の課長はいつもとは違っていた。
見慣れた三つ揃えのスーツ姿ではなく、白いカットソーに黒いジャケットとグレーのテーパードパンツというラフな格好で、会社では前髪を整髪剤で半分後ろに流しているが、今は全部を下ろしている。
〝OFFモード〟の彼が自分の上司だと脳が理解するまでに数秒要したのはそのせいだ。
テーブルを挟んで向かいに立った各務課長が、どこか切羽詰まった顔で私をじっと見る。
「佐伯さん」
「は、はい」
意味もわからず緊張が走る。
「これから君の時間を十分もらえますか」
「はいっ」
反射的に返事をしてからハッとした。課長は仕事で用があるときいつも『君の時間を○分ください』と前置きをする。そのくせでつい『はい』と返したものの、今は仕事中ではなかった。
いったいなんの用が?と疑問が頭をよぎったと同時に、彼は「ありがとうございます」と私の隣の椅子に腰を下ろした。
「あの、各務課長――」
「これから、とある女性がここに来ますが、佐伯さんは黙って私の隣にいてもらえればそれで十分です」
彼が私の言葉を遮るように早口で言う。
大丈夫ってなにが⁉
あっけに取られている私に畳みかけるように、課長は「ではお願いしますね」と言った。
「ちょっと待って――」
詳しい事情を尋ねようとしたとき、高らかなヒール音がこちらに近づいてきた。
足音の主は私より少し年下と思える女性。明るめの茶色いロングヘアを巻き髪にし、見るからにハイブランドとわかる洋服を身につけている。
彼女は私達の前で足を止めるなり、バンッと大きな音を立ててテーブルに両手をついた。
「これはいったいどういうことかしら」
地をはうような低い声が降ってきた。かわいらしい容姿とは裏腹に、細い眉はきつく寄せられ、目には怒りの火が燃えている。
サラリとした黒い前髪のかかった二重まぶたがいつになく険しく見える。どこか切羽詰まった表情のその人は、各務尊(たける)――企画部の課長で私の上司だ。
切れ長の涼やかな目や高い鼻梁、薄い唇がほっそりとした輪郭の中に完璧に配置されている。その上、百八十五センチに長い手足というモデルばりの体形で、この人を〝イケメン〟と言わずして誰を言うのかというほど整った容姿だ。
そんな彼は、私が入社したばかりの『OJT研修』と呼ばれる職場内訓練で、私のトレーナーについてくれた先輩でもあった。
まぶしいくらいの容姿にもかかわらず、課長はほとんど感情を表に出さない。研修開始当初はなにを考えているのかわからない彼を、私は苦手に感じていた。
けれど私が何度質問しても彼は嫌な顔ひとつせず、常に根気強く丁寧に指導してくれた。
おかげでOJT研修が始まって二週間経つ頃には、彼に完全なる信頼を持つようになった。
三ヶ月の研修の最後に行われる新入社員の社内コンペで社長賞をもらうこともでき、彼がとても喜んでくれたのは、今でもいい思い出になっている。
そんな各務課長は、私のOJT研修が終わると同時に海外支部へと異動になった。そして五年の歳月を経て、ひと月前に本社に戻ってきた。三十歳、史上最年少課長の誕生だった。
整った容姿の上に将来有望のエリート社員ともなれば、社内の女性達の人気を一気にさらったのもうなずける。
私は彼と毎日のように職場で顔を合わせるので、さすがにいちいち見惚れたりしない。けれど今の課長はいつもとは違っていた。
見慣れた三つ揃えのスーツ姿ではなく、白いカットソーに黒いジャケットとグレーのテーパードパンツというラフな格好で、会社では前髪を整髪剤で半分後ろに流しているが、今は全部を下ろしている。
〝OFFモード〟の彼が自分の上司だと脳が理解するまでに数秒要したのはそのせいだ。
テーブルを挟んで向かいに立った各務課長が、どこか切羽詰まった顔で私をじっと見る。
「佐伯さん」
「は、はい」
意味もわからず緊張が走る。
「これから君の時間を十分もらえますか」
「はいっ」
反射的に返事をしてからハッとした。課長は仕事で用があるときいつも『君の時間を○分ください』と前置きをする。そのくせでつい『はい』と返したものの、今は仕事中ではなかった。
いったいなんの用が?と疑問が頭をよぎったと同時に、彼は「ありがとうございます」と私の隣の椅子に腰を下ろした。
「あの、各務課長――」
「これから、とある女性がここに来ますが、佐伯さんは黙って私の隣にいてもらえればそれで十分です」
彼が私の言葉を遮るように早口で言う。
大丈夫ってなにが⁉
あっけに取られている私に畳みかけるように、課長は「ではお願いしますね」と言った。
「ちょっと待って――」
詳しい事情を尋ねようとしたとき、高らかなヒール音がこちらに近づいてきた。
足音の主は私より少し年下と思える女性。明るめの茶色いロングヘアを巻き髪にし、見るからにハイブランドとわかる洋服を身につけている。
彼女は私達の前で足を止めるなり、バンッと大きな音を立ててテーブルに両手をついた。
「これはいったいどういうことかしら」
地をはうような低い声が降ってきた。かわいらしい容姿とは裏腹に、細い眉はきつく寄せられ、目には怒りの火が燃えている。
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