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たった十分、されど十分
たった十分、されど十分③
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『いったいどういうことか』――私もぜひとも教えていただきたい。
隣をちらりと見ると、同じタイミングで課長もこちらを向いた。目が合った途端、ふわりと柔らかく微笑まれる。甘やかな笑顔に、ドキッと心臓が大きく跳ねた。
次の瞬間、伸びてきた手に肩を引き寄せられた。思わず飛び出かけた小さな悲鳴は、ギリギリで喉に押し留められたけれど、頬が熱くなるのは避けられない。手すら握った記憶のない相手と、いきなり体の左側半分を密着させているのだ。平常心でいろという方が無理というもの。
そんな私などお構いなしで、課長は女性へ向き直った。
「園田(そのだ)さん。私はきちんと申し上げたはずです、『付き合っている恋人がいるからあなたとのお見合いはお断りいたします』と。あなたがなかなか納得してくださらないので、わざわざ彼女に来てもらったんですよ。なあ、実花子」
いきなり名前を呼び捨てられて、心臓が大きく跳ねた。彼は私の肩を引き寄せながら耳もとに口を寄せる。
「俺に合わせて」
ささやかれた瞬間、変な声が飛び出しそうになった。
私だけに聞こえるようにという意図だろうけれど、聞き慣れない『俺』という一人称を吐息と共に耳に吹き込まれて、心臓がバクバクと音を立てはじめる。無言のまま首を縦に振るだけで精いっぱいだ。
園田さんと呼ばれた女性は、一瞬唇を噛みしめてから必死の様子で口を開く。
「で、でもっ、恋愛と結婚は別と言いますでしょう⁉ 『園華堂(えんかどう)』常務の娘である私との結婚は、出世に有利になるんですよ? 各務さんもそのつもりがあったからお見合いに来てくださったのでしょう⁉」
ここでようやく彼女が私達の会社と取引のある文具店関係者だとわかった。
そんな大物とのお見合いをこんなふうに断っても大丈夫なの?
不安になってちらりと隣を見ると、課長はフッと息を吐くように笑って「まさか」と言う。
「今回のお見合いは、お世話になった上司の顔を立てるために行っただけです。部長も『顔を出すだけでいい』とおっしゃっていましたので」
ああ、なるほど。課長がお見合いを断わりたいと思っていたところに、タイミングよく私がいた、というわけだ。
状況が把握できたおかげで、少し冷静になってきた。
さすが未来の幹部候補。帰国とほぼ同時にお見合いが舞い込んでくるなんて、将来への期待値が高すぎる。でもそれはそれで大変だろうな――なんて余計なお世話だろうけど。
あれこれと考える私の横で、彼自身は顔色ひとつ変えずに口を開く。
「私は結婚も恋愛も仕事と関係ないところでやるのが信条です。出世に結婚相手の親の手心などひつようありません。そんなものなくても自分の実力だけで十分やっていけるのでご心配なく。ああ、もともと園田さんに心配していただく義理はありませんでしたね」
真顔のままの課長とは対照的に、園田さんは顔を真っ赤にして肩を震わせている。もしかしたら、出世うんぬんというのは建前で、各務さんを本気で好きになっていたのではないだろうか。
かわいそうに。この人はどんな美人に言い寄られてもなびかないことで有名なのよ……。
それこそ、この一か月の間にどれだけの女性社員がアタックとブロークンをくり返していることやら。
秘書課の大和撫子美女も受付の天然系美少女ちゃんも、もれなく惨敗だったと聞く。食事の誘いにさえうなずいてくれなかったらしい。
そうとは知らない園田さんは、不満をあらわにしながら口を開く。
「恋人がいらっしゃるなら、最初からお見合いをお断りすればよかったじゃありませんか」
「こちらからは私の上司を通して一度はお断りしたはずです。それを『どうしても』とごねたのはそちらではなかったでしょうか。取引先の役員のごり押しを二度も断れば、さすがに角が立ちますから」
各務課長は淡々と返してはいるが、言葉の端々に冷たさがにじんでいる。
隣をちらりと見ると、同じタイミングで課長もこちらを向いた。目が合った途端、ふわりと柔らかく微笑まれる。甘やかな笑顔に、ドキッと心臓が大きく跳ねた。
次の瞬間、伸びてきた手に肩を引き寄せられた。思わず飛び出かけた小さな悲鳴は、ギリギリで喉に押し留められたけれど、頬が熱くなるのは避けられない。手すら握った記憶のない相手と、いきなり体の左側半分を密着させているのだ。平常心でいろという方が無理というもの。
そんな私などお構いなしで、課長は女性へ向き直った。
「園田(そのだ)さん。私はきちんと申し上げたはずです、『付き合っている恋人がいるからあなたとのお見合いはお断りいたします』と。あなたがなかなか納得してくださらないので、わざわざ彼女に来てもらったんですよ。なあ、実花子」
いきなり名前を呼び捨てられて、心臓が大きく跳ねた。彼は私の肩を引き寄せながら耳もとに口を寄せる。
「俺に合わせて」
ささやかれた瞬間、変な声が飛び出しそうになった。
私だけに聞こえるようにという意図だろうけれど、聞き慣れない『俺』という一人称を吐息と共に耳に吹き込まれて、心臓がバクバクと音を立てはじめる。無言のまま首を縦に振るだけで精いっぱいだ。
園田さんと呼ばれた女性は、一瞬唇を噛みしめてから必死の様子で口を開く。
「で、でもっ、恋愛と結婚は別と言いますでしょう⁉ 『園華堂(えんかどう)』常務の娘である私との結婚は、出世に有利になるんですよ? 各務さんもそのつもりがあったからお見合いに来てくださったのでしょう⁉」
ここでようやく彼女が私達の会社と取引のある文具店関係者だとわかった。
そんな大物とのお見合いをこんなふうに断っても大丈夫なの?
不安になってちらりと隣を見ると、課長はフッと息を吐くように笑って「まさか」と言う。
「今回のお見合いは、お世話になった上司の顔を立てるために行っただけです。部長も『顔を出すだけでいい』とおっしゃっていましたので」
ああ、なるほど。課長がお見合いを断わりたいと思っていたところに、タイミングよく私がいた、というわけだ。
状況が把握できたおかげで、少し冷静になってきた。
さすが未来の幹部候補。帰国とほぼ同時にお見合いが舞い込んでくるなんて、将来への期待値が高すぎる。でもそれはそれで大変だろうな――なんて余計なお世話だろうけど。
あれこれと考える私の横で、彼自身は顔色ひとつ変えずに口を開く。
「私は結婚も恋愛も仕事と関係ないところでやるのが信条です。出世に結婚相手の親の手心などひつようありません。そんなものなくても自分の実力だけで十分やっていけるのでご心配なく。ああ、もともと園田さんに心配していただく義理はありませんでしたね」
真顔のままの課長とは対照的に、園田さんは顔を真っ赤にして肩を震わせている。もしかしたら、出世うんぬんというのは建前で、各務さんを本気で好きになっていたのではないだろうか。
かわいそうに。この人はどんな美人に言い寄られてもなびかないことで有名なのよ……。
それこそ、この一か月の間にどれだけの女性社員がアタックとブロークンをくり返していることやら。
秘書課の大和撫子美女も受付の天然系美少女ちゃんも、もれなく惨敗だったと聞く。食事の誘いにさえうなずいてくれなかったらしい。
そうとは知らない園田さんは、不満をあらわにしながら口を開く。
「恋人がいらっしゃるなら、最初からお見合いをお断りすればよかったじゃありませんか」
「こちらからは私の上司を通して一度はお断りしたはずです。それを『どうしても』とごねたのはそちらではなかったでしょうか。取引先の役員のごり押しを二度も断れば、さすがに角が立ちますから」
各務課長は淡々と返してはいるが、言葉の端々に冷たさがにじんでいる。
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