76 / 88
第十二話【金平糖の想い出】雨と紫陽花とあの日の追憶
[2]ー1
しおりを挟む
[2]
大きく枝を広げた木立の隙間から、キラキラとまぶしい陽射しが差し込む。
雨上がりの湿った土の匂いを吸い込むと、庭の片隅の薄紫の花が目に入った。梅雨の晴れ間を待っていたかのように、山紫陽花が満開を迎えている。
青青とした葉が作る木陰の下で、膝を抱えて小さな体を更に小さく折りたたむと、頭の上から降ってくる蝉の声が、目に見えないカーテンみたいに自分を隠してくれる気がした。
「美寧―――ここにいたのか」
掛けられた声に顔を上げようとした瞬間、目の前が暗くなる。頭の上に手を当てると、帽子だった。
「今日は暑くなる。ちゃんと被っておかないと倒れてしまうぞ?」
帽子の上からポンポンと軽く撫でられ、美寧は小さく頷いた。
涼し気な水色のリボンが付いた麦わら帽子は、八歳を迎えた先月、誕生日プレゼントとして祖父から贈られたものだ。
雨が止んだら、早くこの帽子を被って外へ遊びに行きたいと思っていたのに、美寧はそれすらも忘れてしまっていた。
「……ありがとう、おじいさま」
広いつばを持ち上げてそう言うと、祖父は微笑みながら「ここは涼しいな」と言って、ゆっくりとした動きで隣に腰を下ろした。
「―――残念だったな」
何が、と聞き返す必要はない。
「聡臣も中二だ。忙しいのだろう」
祖父の言葉に素直に頷くことが出来ず、きゅっと唇をきつく結んだ。
そんな美寧を見て眉を下げた祖父は、その大きな手をそっと美寧の肩に回し、自分の体へと優しく引き寄せる。美寧の肩を軽く叩くように撫でる祖父の手。大きくて分厚い手には沢山の深いしわが刻まれている。美寧はそのしわしわの手がとても好きだ。
「分かってるもん……お兄さまはお勉強と、ぶかつとせいとかいでお忙しいのくらい」
大人ぶった言葉を並べてみるけれど、その口はアヒルみたいに突き出ているし、声の調子からも明らかに拗ねているのが見て取れる。
けれど祖父はそれに関しては何も言わずに、美寧の肩を撫で続けてくれた。
「正月にはちゃんと会えるだろう?」
「……お正月はここじゃないもの」
年に一度、年末年始は自宅に戻る。兄に会えるのは、夏休み以外はその時だけだ。
頬を膨らませて小さく呟いた美寧は、両手に抱えた膝の中に顔を埋めてしまった。
兄聡臣は、都内の私立中学に通っている。
兄は毎年夏休みになると、ここ祖父の家に一週間ほど滞在するのが例年の習慣となっていた。自宅からここまでは車で二時間ほどかかる。
美寧は六つ上の兄が大好きで、いつも夏が来るのを楽しみにしていたのだった。
母方の祖父である榮達は、明治時代に創業された財閥一族の直系で、美寧が生まれる前は母体となる企業の会長職を務めていた。そして美寧が生まれる少し前に第一線を退き、それと同時に別荘として持っていた高原地の邸宅に住まいを移した。
美寧が榮達の家に身を寄せるようになったのは、乳幼児の頃に気管支炎を患ったことがきっかけだ。
美寧を生んだ母の産後の肥立ちが悪かったこともあって、母子二人で都内の家を離れて空気のきれいなこの地で静養をしていたのだった。
成長とともに体も丈夫になった美寧は、いったんは幼稚園に上がる年に自宅に戻ったのだ。
けれどその年。美寧が四つの誕生日を迎えるよりも早く、母親が病気で亡くなってしまった。
美寧の父は仕事に忙しく、九歳だった兄はまだしも幼い美寧の世話まで手が回らない。
それでも父は、ベビーシッターや家政婦を雇いながら何とか幼稚園に通う彼女の世話をしていたが、幼い美寧にとって突然甘えられる母親がいなくなったことと、目まぐるしく変化する生活環境に、小さな体と心がついていかなかったのだろう。美寧は再び体調を崩しがちになり、もう一度祖父のもとで静養することとなったのだった。
もともと別荘だった祖父の家は、今は祖父の一人暮らしではあるものの、昔からなじみの家政婦が近所から通ってきてくれていて、乳児の時から世話をしてくれていた彼女に美寧も懐いていた。
それから四年。美寧はずっと祖父と一緒に暮らしているのだ。
大きく枝を広げた木立の隙間から、キラキラとまぶしい陽射しが差し込む。
雨上がりの湿った土の匂いを吸い込むと、庭の片隅の薄紫の花が目に入った。梅雨の晴れ間を待っていたかのように、山紫陽花が満開を迎えている。
青青とした葉が作る木陰の下で、膝を抱えて小さな体を更に小さく折りたたむと、頭の上から降ってくる蝉の声が、目に見えないカーテンみたいに自分を隠してくれる気がした。
「美寧―――ここにいたのか」
掛けられた声に顔を上げようとした瞬間、目の前が暗くなる。頭の上に手を当てると、帽子だった。
「今日は暑くなる。ちゃんと被っておかないと倒れてしまうぞ?」
帽子の上からポンポンと軽く撫でられ、美寧は小さく頷いた。
涼し気な水色のリボンが付いた麦わら帽子は、八歳を迎えた先月、誕生日プレゼントとして祖父から贈られたものだ。
雨が止んだら、早くこの帽子を被って外へ遊びに行きたいと思っていたのに、美寧はそれすらも忘れてしまっていた。
「……ありがとう、おじいさま」
広いつばを持ち上げてそう言うと、祖父は微笑みながら「ここは涼しいな」と言って、ゆっくりとした動きで隣に腰を下ろした。
「―――残念だったな」
何が、と聞き返す必要はない。
「聡臣も中二だ。忙しいのだろう」
祖父の言葉に素直に頷くことが出来ず、きゅっと唇をきつく結んだ。
そんな美寧を見て眉を下げた祖父は、その大きな手をそっと美寧の肩に回し、自分の体へと優しく引き寄せる。美寧の肩を軽く叩くように撫でる祖父の手。大きくて分厚い手には沢山の深いしわが刻まれている。美寧はそのしわしわの手がとても好きだ。
「分かってるもん……お兄さまはお勉強と、ぶかつとせいとかいでお忙しいのくらい」
大人ぶった言葉を並べてみるけれど、その口はアヒルみたいに突き出ているし、声の調子からも明らかに拗ねているのが見て取れる。
けれど祖父はそれに関しては何も言わずに、美寧の肩を撫で続けてくれた。
「正月にはちゃんと会えるだろう?」
「……お正月はここじゃないもの」
年に一度、年末年始は自宅に戻る。兄に会えるのは、夏休み以外はその時だけだ。
頬を膨らませて小さく呟いた美寧は、両手に抱えた膝の中に顔を埋めてしまった。
兄聡臣は、都内の私立中学に通っている。
兄は毎年夏休みになると、ここ祖父の家に一週間ほど滞在するのが例年の習慣となっていた。自宅からここまでは車で二時間ほどかかる。
美寧は六つ上の兄が大好きで、いつも夏が来るのを楽しみにしていたのだった。
母方の祖父である榮達は、明治時代に創業された財閥一族の直系で、美寧が生まれる前は母体となる企業の会長職を務めていた。そして美寧が生まれる少し前に第一線を退き、それと同時に別荘として持っていた高原地の邸宅に住まいを移した。
美寧が榮達の家に身を寄せるようになったのは、乳幼児の頃に気管支炎を患ったことがきっかけだ。
美寧を生んだ母の産後の肥立ちが悪かったこともあって、母子二人で都内の家を離れて空気のきれいなこの地で静養をしていたのだった。
成長とともに体も丈夫になった美寧は、いったんは幼稚園に上がる年に自宅に戻ったのだ。
けれどその年。美寧が四つの誕生日を迎えるよりも早く、母親が病気で亡くなってしまった。
美寧の父は仕事に忙しく、九歳だった兄はまだしも幼い美寧の世話まで手が回らない。
それでも父は、ベビーシッターや家政婦を雇いながら何とか幼稚園に通う彼女の世話をしていたが、幼い美寧にとって突然甘えられる母親がいなくなったことと、目まぐるしく変化する生活環境に、小さな体と心がついていかなかったのだろう。美寧は再び体調を崩しがちになり、もう一度祖父のもとで静養することとなったのだった。
もともと別荘だった祖父の家は、今は祖父の一人暮らしではあるものの、昔からなじみの家政婦が近所から通ってきてくれていて、乳児の時から世話をしてくれていた彼女に美寧も懐いていた。
それから四年。美寧はずっと祖父と一緒に暮らしているのだ。
0
あなたにおすすめの小説
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
俺様系和服社長の家庭教師になりました。
蝶野ともえ
恋愛
一葉 翠(いつは すい)は、とある高級ブランドの店員。
ある日、常連である和服のイケメン社長に接客を指名されてしまう。
冷泉 色 (れいぜん しき) 高級和食店や呉服屋を国内に展開する大手企業の社長。普段は人当たりが良いが、オフや自分の会社に戻ると一気に俺様になる。
「君に一目惚れした。バックではなく、おまえ自身と取引をさせろ。」
それから気づくと色の家庭教師になることに!?
期間限定の生徒と先生の関係から、お互いに気持ちが変わっていって、、、
俺様社長に翻弄される日々がスタートした。
あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお断りいたします。
汐埼ゆたか
恋愛
旧題:あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお受けいたしかねます。
※現在公開の後半部分は、書籍化前のサイト連載版となっております。
書籍とは設定が異なる部分がありますので、あらかじめご了承ください。
―――――――――――――――――――
ひょんなことから旅行中の学生くんと知り合ったわたし。全然そんなつもりじゃなかったのに、なぜだか一夜を共に……。
傷心中の年下を喰っちゃうなんていい大人のすることじゃない。せめてもの罪滅ぼしと、三日間限定で家に置いてあげた。
―――なのに!
その正体は、ななな、なんと!グループ親会社の役員!しかも御曹司だと!?
恋を諦めたアラサーモブ子と、あふれる愛を注ぎたくて堪らない年下御曹司の溺愛攻防戦☆
「馬鹿だと思うよ自分でも。―――それでもあなたが欲しいんだ」
*・゚♡★♡゚・*:.。奨励賞ありがとうございます 。.:*・゚♡★♡゚・*
▶Attention
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
俺に抱かれる覚悟をしろ〜俺様御曹司の溺愛
ラヴ KAZU
恋愛
みゆは付き合う度に騙されて男性不信になり
もう絶対に男性の言葉は信じないと決心した。
そんなある日会社の休憩室で一人の男性と出会う
これが桂木廉也との出会いである。
廉也はみゆに信じられない程の愛情を注ぐ。
みゆは一瞬にして廉也と恋に落ちたが同じ過ちを犯してはいけないと廉也と距離を取ろうとする。
以前愛した御曹司龍司との別れ、それは会社役員に結婚を反対された為だった。
二人の恋の行方は……
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
課長のケーキは甘い包囲網
花里 美佐
恋愛
田崎すみれ 二十二歳 料亭の娘だが、自分は料理が全くできない負い目がある。
えくぼの見える笑顔が可愛い、ケーキが大好きな女子。
×
沢島 誠司 三十三歳 洋菓子メーカー人事総務課長。笑わない鬼課長だった。
実は四年前まで商品開発担当パティシエだった。
大好きな洋菓子メーカーに就職したすみれ。
面接官だった彼が上司となった。
しかも、彼は面接に来る前からすみれを知っていた。
彼女のいつも買うケーキは、彼にとって重要な意味を持っていたからだ。
心に傷を持つヒーローとコンプレックス持ちのヒロインの恋(。・ω・。)ノ♡
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる