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最終話【あなたと食べるオムライス】ずっと一緒に

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怜に手を引かれて浜辺をゆっくりと歩く。
西に傾いた陽射し。長く伸びた二つの影も、ゆっくりとあとをついてくる。

さっきから怜は何も言わない。水族館を出る時に『少し海辺を散歩してみますか?』と訊いてきただけ。
なんの会話もないけれど、決して居心地は悪くない。繋がれた手のひらから、彼の体温が伝わってくるから。この温もりは彼の優しさだ。

(水族館、楽しかったなぁ)

今朝突然『水族館に行きませんか?』と訊かれた時は、びっくりした。前日まで全然そんなことは言っていなかったのに。

目を見開いて止まっている美寧に、『出かけるのはまだ無理そうですか?美寧の体調が一番です』と怜は付け加えた。その言葉に慌てて『行く!大丈夫!』と返事をしたのだった。

肌を撫でる秋の潮風。引いては返す波の
大きなものに包まれる安らぎと畏怖が交互に訪れるようで、美寧の思考をどこか別のところへと誘っていく。

(今、こんな風に海を見てるなんて、あの頃の私には想像もつかなかったよね………)

(れいちゃんと一緒なら、いつだってどこだって楽しい……)

アルバイトを休んでいたこの数日間。美寧はずっと考えていた。

怜のことが好きで、このままずっと一緒にいたい。
今度こそきちんと自分の気持ちを伝えたい。祖父とは違う、『一人の男性として好き』なのだと。ちゃんと伝えたい。

けれど同時に考える―――自分のことを怜にきちんと説明しなければいけない、とも。

(黙って家を飛び出したって言ったら、れいちゃんなんて言うかな……)

『すぐに家に帰りなさい』
『父親に迷惑をかけてまで、一緒にはいられません』

そう言われたらどうしよう。もし嫌われたら―――

そう考えてしまえば、なかなか口にすることが出来なくなった。

(お父さまは、私のことなんてもう…………)

もう分かっている。父にとって自分は必要のない人間なのだと。

けれど、それでも。

父は娘である自分のことを探しているかもしれない。
父がもし本気で探そうと思えば、あっという間に見つかるだろう。父にはその力があるのだから。
頭のどこかでそれが分かっていた。
だから高柳が怜の家を訪れた時、彼の後ろ姿に固まってしまったのだ。

『父の迎えが来たのかも』

反射的にそう思った。

振り向いた高柳の顔にもなんとなく既視感があって、いつどこで会ったのかすれ違ったのかは記憶にないけれど、もしかしたら父関係の人かもしれない。そう考えた途端、反射的に逃げ出したくなるほどの不安が襲った。

けれどその不安の中に、 かすかに交じる別の感情。
それは、父が自分のことを探してくれていたのだという、喜び。
まだ完全に見放されたわけではないのだという“希望”。

けれど結局、高柳は怜の友人だった。
怜とは違う種類のイケメン男性。一度見たら忘れられないだろう容姿の彼を、忘れてしまうだろうか。
きっと美寧の不安が呼び起こした勘違いだったのだ。そう考えたらホッとする気持ちと同時に、心の中に隙間風が吹いたような気がした。

不安からくる緊張が解けた後は、来客の高柳と普通に会話することができていた。
けれどそれは、高柳の勤めている会社の名前を知るまでだった。その名を聞いた途端、美寧の体から一気に血の気が引いていった。

ただの偶然なのか、それとも―――

「疲れましたか?」

ふと隣から声をかけられて、美寧の意識が思考の中から戻ってくる。見上げると、切れ長の涼やかな瞳と目が合った。

「大丈夫ですか?痛いところや苦しいところは?」

覗き込まれて、左右に首を振る。
普段あまり表情を変えることのないその瞳には、美寧の様子を探ろうとする気配が滲んでいる。

振っていた首を止めた美寧の額に、怜の手がそっと触れる。
「熱はないようですが――」と言われ、美寧の瞼が突然熱くなった。

繋いでいない方の手を、額に乗せられた怜の手に重ねる。きゅっと指に力を入れると、かすかにピクリと怜の手が反応した。

「ミネ……?」

自分を呼ぶ声はどこまでも優しい。
きっと心配させている。分かっているのに動けない。

大きな手が当たっている熱い瞼には、どんどん水気が集まっていき、それを隠すように、美寧は額の上の手を握り続ける。
口を開いたら漏れ出るだろう嗚咽を、こらえようと唇を噛んだ。

突然、繋がれていた手がするりと外された。
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