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第百二十八話 アルマディアノス英雄伝
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帝国の最重要機密の塊である研究所の敷地は呆れるほどに広い。
優に数万の兵力を収容できる敷地があり、平時であれば数千の兵士が警備しているはずのそこには、今やロートリンゲンの巨体とクラッツとスクルデがあるだけだった。
「この日を待ちわびたぞ」
ヘイムダルは悠然と嗤う。
ロートリンゲンを駆り、世界に覇を唱える日を。妖魔の脅威から人類が解放される日を。世界に新たな秩序が誕生する日を!
「…………待ちわびたのは妾もですわ」
「そうかスクルデ。この男なら余を殺せると思うたか」
伯父と姪はしばし見つめ合いながら、まだお互いに悪意もしがらみもなかった平和な日々を追想した。
「ええ、クラッツこそは妾の選んだ男。貴方を殺せる貴方を超える英雄ですわ!」
「ならばその言葉、証明してみせよ!」
ロートリンゲンが大剣ニーベルングを抜き放つ。
それだけで突風のような風が巻き起こり、大地に数メートルにわたって亀裂が走った。
「……下がっていろスクルデ」
クラッツもまたウォークライを背負うように握りスクルデの前に立つ。
「ここからの戦いに悪いがお前では足手まといだ」
「口惜しいですがそのようですわね」
今やクラッツはスクルデと戦ったころのクラッツではない。強敵と戦うたびにベルンスト譲りの才能を開花させ、四大公爵アザトースをも悠々と撃破するにいたったクラッツは、もうスクルデが手助けできる範囲を大きく超えていた。
「信じているわ。愛しい人」
「心配するな。嫁のおねだりは叶える主義だ」
スクルデが倒れているアイラとミゼルを抱え、研究所の外へ離れるのを確認した瞬間、両雄は期せずして同時に駆け出しだ。
――――キン!
澄んだ音とともにニーベルングとウォークライが激突する。
「呆れた馬鹿力だな」
「これだけが取り柄なのでね」
力比べがクラッツのほうに軍配があがったことに、ヘイムダルは軽い驚きを隠せない。
アザトースを核に大幅に出力を向上させたロートリンゲンが力負けするなど想定していなかったからだ。
もっともそのアザトースを軽々とクラッツは破ったのだから、それほど不思議なことではないのかもしれなかった。
「しかし剣技のほうはそれほどでもなさそうだ」
軽い脱力とともに合わせていた刃を引くと、ヘイムダルは切り返すようにして水平に剣を振るう。
弾かれたようにクラッツが後ろに飛びのくのが、わずかに速かった。
ブンと耳障りな音を立てて、ニーベルングが先ほどまでクラッツのいた空間を断裂させる。
――そして二人の間に距離ができた。
「魔導砲(カノン)多重展開(フラクタル)」
対消滅系の上位魔導に匹敵する魔導砲を同時に十二個まで展開し、面制圧を試みるヘイムダルをクラッツは正面から受けて立つ。
「俺の拳がそんなおもちゃで砕けるか!」
刹那の間に数百の拳の弾幕で迎撃された魔導砲は、虚しくエネルギーを霧散させられた。
「いったい卿の拳は何でできているのだ? 賢者よ」
「無論、筋肉で!」
(そんなわけがあるか! この脳筋が!)
「筋肉で魔導を消すのは物理法則的にありえぬのだがな……」
これにはヘイムダルも苦笑いである。
「――――だがこの世界には筋肉では凌駕できぬものがあることを知るがよい」
ロートリンゲンが発する圧力が増した。
本能的にこれまでのロートリンゲンとは違うことをクラッツは察する。
明らかに攻撃にシフトした体勢をとるや、ヘイムダルは怒涛の攻撃を開始した。
ニーベルングに籠められた力の割合が、先ほどとは五割ほども違う。
まともに食らえばクラッツでも即死は免れないほどの殺意の高い連撃であった。
「そんな大振りとか嘗めてんのか!」
無論それほどに力を籠めれば予備動作が大きくなり、避けやすくなるのは当然である。
見事な体捌きでロートリンゲンの懐に飛びこむと、クラッツはうっ憤を晴らすかのように満身の力で拳に乗せられた力を解放した。
「呆れたものだ。下手をすればロートリンゲンの装甲でも危ないかもしれんな」
「くそっ! あの時と同じかよ!」
かつてギュンターを追い詰めながらも逃がしてしまったときと同じ、防御されたのとも抵抗されたのとも違う、攻撃そのものがなかったことにされたような感覚。
全く無傷で屹立するロートリンゲンをクラッツは親の仇のように睨みつけた。
(――――見事! 前に見たときより遥かに洗練され偽装が進化しておる!)
階梯という世界の法則を魔導技術の力で欺く。
その発想、そして技術力の全てがベルンストをして感嘆せしめるのだ。あの姉妹、時間が許せば弟子にして育てたいほどの逸材である。
「もはや卿の攻撃は一切通じぬ。哀れな獲物のごとく逃げ続けるがいい。余に息の根を止められるそのときまで!」
「残念だが俺の筋肉に不可能はねえ!」
ヘイムダルにとってそれは悪あがきのような攻撃だった。
ことごとくを無効化されていながら、全く戦意を失わない金剛石のようなクラッツの闘争心には敬意すら覚える。
「だがそれもいつまで保つかな?」
筋肉でどうにかなるほど階梯魔導は甘くない。
より力をこめ、より攻撃力が高ければ打ち破れるという類とは文字通り次元が違うのだ。
ロートリンゲンを守る階梯の壁は、幼子の平手でもクラッツの剛腕でも等しくその全てを無効化する。
いくら力を強化しても意味はないのである。
「余裕ぶっこいてんじゃねえ!」
クラッツの拳の速度がさらにもう一段階あがった。
威力よりも速度重視、手数重視というスタイルはクラッツらしくない。
しかしその一発一発の威力はロートリンゲンをもってしても軽視できぬもので、軽く音速を越えたその拳は秒間百発の弾幕となってロートリンゲンを襲った。
「いくらやっても無駄なことだ!」
ヘイムダルはクラッツの折れない精神には敬意を表するが、いつまでも甘んじて攻撃を受け続けるつもりはない。
そろそろ決着をつけようか、とニーベルングと近接魔導の同時攻撃で一気にクラッツを粉砕しようとしたヘイムダルは愕然とした。
「な、なんだこれは…………?」
残りのエネルギー残量が恐ろしく目減りしている。
このままのペースで戦い続ければロートリンゲンは一時間と保たずに魔力を使い果たして鉄くずと化すであろう。
階梯魔導といっても、それが本来のものではなく魔導技術によって偽装されているだけである以上、魔力の消費は免れない。
弾幕のようなクラッツの拳を無効化しているだけで、どんどん魔力が目減りしていくのは考えてみれば当然の結果であった。
「余としたことが……階梯魔導の眩さに足元を見誤ったか」
もはや自分が一方的に優位な状況にないことをヘイムダルは悟った。
魔力がなくなる前にクラッツを打倒しうるかどうか、これで条件はほぼ対等となった。
「面白い。まだ余に五分の勝負を挑めるものがこの世界にいようとは」
一方のクラッツも決して計算通りに戦っていたわけではない。
ロートリンゲンに弱点はないか、手探りするための弾幕であり、魔力を減らすことができたのはその副次効果のようなものだ。
いったいどうやって階梯魔導の防御を突破するかについては、まだ糸口さえ見えていなかった。
「だからといって泣き言ばかり言ってられないのが男のつらいところよ!」
(少しは頭を使ったと思ったら……今のお前にできることは相手の魔力切れを狙うことだけじゃ。筋肉であれを突破できるなら苦労はせん)
魔導であれば、同じく階梯を偽装することなどベルンストには造作もない。
おそらくはクラッツも教えればできるであろう。
だがこのところのクラッツは頑なに肉弾戦にこだわっている傾向がある。アザトースと戦ったときもそうだった。
もしかしたらクラッツもまた、ベルンストに別れの時が近づいていることを予感しているとでもいうのだろうか? まさか、この脳筋にそんな気遣いができるとも思えん。
「できないと言われて、はいそうですかって諦められるか!」
(だから力を入れても無駄だと――――)
「――――そこまでだ。踏みはずせしものよ」
誰だ、とはクラッツもヘイムダルも問わなかった。
白髪に血のような瞳、あらゆるものに君臨する絶対的な威圧感。
そして存在そのものが質量を得て巨大化して迫ってくるような圧迫感を発するような男が二人といるはずがない。
「魔王、か」
「魔王だな?」
「なぜか人は余をそのように呼ぶようだな」
魔王の人を食ったような返答にヘイムダルは無言のまま静かな怒りを抱いて突撃した。
「無駄だ」
ニーベルングがいとも簡単に、まるで最初からそこに置いてあったかのように運動エネルギーを失った空中で静止した。
先ほどまでクラッツがロートリンゲンにさんざんやられていたことと同じ。
おそらくはこれが本物(オリジナル)の階梯魔導なのだ。
「さすがは魔王――と言いたいところだが、いつまでも人類を貴様の好きにできると思うなよ?」
そもそもミゼルとアイラが研究する階梯魔導は、魔王という絶対者に対抗するための副産物であった。
いかなる攻撃も通さないという魔王を倒すためにはどうしたらいいか?
ロートリンゲンの設計思想は究極的にいえば魔王を凌駕することにある。この場合そのロートリンゲンに対等にやりあえるクラッツのほうが想定外なのだった。
「――――階梯突破」
静止していたニーベルングが魔王を捕えようと動き出す。
それは初めて人類が魔王を傷つけうる領域へと到達した瞬間であった。
傲然と屹立していた魔王が初めて身を躱すため後ろへと下がる。その事実は魔王の矜持を著しく傷つけるに十分すぎた。
「誰の許しを得て我が階梯に並ぼうとするか!」
顔を紅潮させて魔王は激怒した。
淡々と機械のような抑揚のない口調であった魔王がようやく露わにした感情であった。
彼にとって全ては自分か管理すべき従属物なのである。
この世界の秩序を守るために、世界が管理を外れて変容しないために、星(かみ)がその存立を危うくされないために。
長いときを魔王は世界を管理し続けてきた。
妖魔が滅ぼうと人類が滅ぼうとなんら痛痒に感じるところではない。
だがヘイムダルのように世界の枠組みを脅かす存在を絶対に許すことはできなかった。
それが神より賜った唯一にして絶対の使命。
ヘイムダルの所業はその神から賜った権能に対する反逆に他ならなかった。
「出来の悪い猿真似ごときが! 余は神の代行者! この星を管理するものぞ!」
ガクンとロートリンゲンの前進が止まる。
魔王に看破された疑似的な階梯魔導が使用を封じられたのであった。
もとよりロートリンゲンの階梯魔導は法則を偽装することによって成立しているのである。法則の擁護者である魔王がそれに気づいた以上、使えなくなるのは当然であった。
「身の程を知るがよい」
――蹂躙が始まった。
ロートリンゲンの巨体がなすすべもなく打たれ、蹴られ、腕が断裂し、腹部から魔導回路が短絡を起こして火花をまき散らす。
それでもヘイムダルは諦めることなく反撃の道を探っていたが、もはやロートリンゲンに戦闘力は残されていなかった。
バランスを失い倒れようとする機体をヘイムダルは必死の努力で立て直す。
その努力を嘲笑うかのように、魔王が止めの一撃をロートリンゲンに見舞おうとしたときである。
魔王の一撃は横合いからクラッツの拳に弾かれるようにして虚空をさ迷った。
「何を見下してるのか知らないが、ようは魔王よりも強ければいいってことだろう?」
(この馬鹿! 今のお前では魔王には勝てん! 奴は上位階梯にしてこの星の神の代行者なのだぞ!)
ベルンストならば魔王を倒すのはそれほど難しいことではない。
所詮魔王は神の代行者に過ぎず、ベルンストは限りなく神そのものに近い存在なのである。しかも並みの星の神であれば軽々と凌駕するほどの。
しかしクラッツの物理に特化した力では、ベルンストが今から教えたところで魔王の領域には届くまい。
これだからもっとまじめに魔導を勉強しておけばよかったのだ!
事ここに及んでもクラッツを乗っ取り、ベルンスト自身で戦おうという選択が思い浮かばないことにベルンストはなんら疑問を感じていなかった。
「大人しくそこで見ていろ」
傲然と言い捨てられてヘイムダルは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
ヘイムダルは個人戦闘にかけてはギュンターにも劣らぬ武人であるが、魔王の防御を突破するにはロートリンゲンの力なしには不可能であることを誰よりも理解していた。
「余の野望、見事乗り越えてみせるか? 我ら世界に生きる者たちが魔王の玩具でないことの証明のために」
そんなことはありえない。
クラッツがいかに強かろうと魔王の階梯を突破できるはずがない、というのに心のどこかで期待している自分がいる。
そんな期待をさせる空気がなぜかクラッツにはあるのだ。もしそれが英雄に許された特権であるとすれば、ヘイムダルは自分が英雄足りえないことが悔しかった。
「もとより俺は我がままだからな。魔王なんて神の使いッ走りにどうこう言われるつもりはない」
「――――塵芥(くず)め」
不快そうに眉を顰めると魔王の矛先がヘイムダルからクラッツへと向いた。
前触れもなく白い光がクラッツへ放たれると同時に、瞬間移動した魔王の拳がクラッツの腹筋を貫いた。
「ざけんな! 俺の筋肉を嘗めるんじゃねえ!」
何千度あるかしれない熱線と、鋼鉄をも軽々と貫く打撃をクラッツは筋肉を固めることでかろうじて耐えた。
もちろん無傷では済まなかった。それほど世界の頂点に立つ魔王の攻撃は甘くはない。
だがそんなことで攻撃を凌がれてしまった魔王にとっては予想外の驚愕でもあり、屈辱でもあった。
「おのれっ!」
「この程度で驚いてもらっちゃ困るな」
さすがのクラッツもことここにいたっては出し惜しみをする余裕はなかった。
実はロートリンゲン相手にすら全力ではなかったクラッツは、ベルンストの遺伝子に目覚めて初めて全出力で身体を強化した。
細胞の末端に至るまで、莫大な魔力を浸透させた強化によって、クラッツの身体は青白い魔力の輝きを放ち、鋼のような筋肉はさらにそれを束ねたかのようにバンプアップする。
刹那、震脚を利かせた飛びこみ前蹴りを魔王は全く予測できなかった。
(――――これが脳筋の本当の力か)
見事というべきであろう。
速度、打撃力、予測、反射すべてが魔王をも上回っている。
現に魔王はクラッツの可視限界を超えた速度や、物理法則を越えた筋力による無軌道な攻撃に対応できていない。
「――――だからどうした?」
魔王は苛立った自分を落ち着かせるようにそう言い放った。
彼の言う通りクラッツの攻撃も階梯の差の前に全く通じていないのである。
ここまで魔王と渡り合っているのは驚くべきことだが、魔王はロートリンゲンと違って魔力切れを起こすことなどありない。いずれクラッツのほうが先に力尽きるのは明らかだった。
「小賢しい男よ……苦痛を先延ばしするだけだということがわからんか」
なお諦めることをしないクラッツを侮蔑するかのように魔王は嗤った。
「無理です。はい、そうですかなんて諦められるか! 諦めて得られるものなんか何もねえ! 義姉さんのときにそう教わったんだよ!」
あのとき、ベルンストに言われなければみすみすコーネリアを貴族に差し出していた惨めな自分を思い出すたびに屈辱に身が震える。
二度とあんな思いをしないために強くなるとクラッツは誓ったのだ。
「諦めなければなんとする? この神と人間の越えがたき壁を!」
渾身のクラッツの拳が、いくら当たっても魔王は身じろぎ一つしなかった。
避ける必要すらない、まるで鋼鉄の壁に羽毛を投げつけるがごとき愚行という魔王の認識は残念ながら事実であった。
だからといってクラッツはいささかも気落ちした様子はなく攻撃を続行する。
「まだ分際がわからぬか? 余が神より授かったこの力を、存在の格を貴様は決して超えることはできないのだ!」
確かに魔王すら対応のできないクラッツの速度は素晴らしい。
だからどうした?
速度が速いだけで魔王に対抗できていると思うなら大間違いだ。
「見よ! 余の力を!」
クラッツの打撃にタイミングを合わせて、魔王は全周三百六十度へ白光の衝撃波を放つ。
姿が捉えられないのなら面で制圧すればよい。
どうせ相手の攻撃は効かないのだから、必ず当たる攻撃をすればよいのである。
「ぐああああっ!」
致命傷にこそならなかったが、クラッツの身体のあちこちが焼け焦げて肉の焼ける嫌な臭いが立ちこめた。
それでもクラッツの戦意は衰えない。
目突き、金的と効果のない攻撃を繰り返すクラッツへと再び衝撃波が襲った。
「こんなのが効くかっ!」
出血を大量に滴らながら強がるクラッツを、魔王は口元を歪めて嘲笑った。
「負け犬の戯言だな。悔しければ余が神より賜ったこの力を上回ってみせるがいい。できはしないであろうがな」
強がってはいるがクラッツの体力は確実に疲弊している。
ベルンストはさすがにクラッツの意識を乗っ取ることを考え始めた。いくら考えてもこの先クラッツが魔王に勝つ手段を思いつくことができなかったからだ。
「――――借り物の力見せびらかして楽しいか? 俺には道化にしか見えないぜ?」
そう言って傲然と胸を張るクラッツにベルンストは正しく瞠目した。
この絶望的な状況で、本心からクラッツがそう言っていることを感情を共有しているベルンストは誰よりよくわかったのである。
「死んだ親父が言ってたっけ。人はいつまででも学べるが、力を借りてるうちには半人前だ、と」
「神の叡智を理解できぬ塵芥めが!」
借り物ではない自分の力でいつか最強になってみせる。
その言葉にベルンストはかつて自らにもまた、ドルマント世界の神の代行者への道があったことを思い出した。
冗談ではない。魔導の王たる自分が神に力を借りる必要などあろうか。誓って自分の力で神を越えて見せる。
断固としてベルンストは代行者となることを拒否した。
飽くなき向上心と未来に対するギラギラした野望が、ベルンストに神の力を借りることをよしとしなかった。
どこまでもいつまでも……限界をつくることなど夢にも思わなかったあのころ。
それがいつからもっとも神に等しいなどと満足してしまったのか。
今こそベルンストはクラッツからの借り物ではない、遠い昔に失われた自分自身の感情を取り戻していた。
(――――この思い、いつぶりのことか)
神になるということは誰かを超えるということではない。究極的には星と、宇宙と合一し集合存在となることである。
そのことに気づいたときにベルンストは前に進むことを止めた。
本質的に異世界に自分の分身を送り込むのも、先に進むことを恐れた防衛本能のなせるわざであった。
今まで目を背けてきた事実を突きつけられたベルンストは思わず苦笑した。
――――同時に、約束の別れの時がいよいよ自分に訪れようとしているのを悟った。
神への変容の最終段階。ついに来るべき時が来たのだ。
(――――クラッツよ)
「なんだ? このくそ忙しいときに!」
(我と代わるか?)
「これ以上あんたの力を借りるのはなしだ。俺はすでに一度あんたの力を借りて立ちあがった。もう一度力を借りたら俺は自分を許せない」
(ではこの劣勢をなんとする?)
「俺がわかるのはひとつだけ。どんだけ防がれても、より強い力でそれをぶち破るってことだけだ!」
(そういうことじゃないんじゃが……)
階梯とは力による力への防御とは性質が異なる。
だからこそベルンストにはクラッツの勝ち筋が見えなかったのだが。そのベルンストの懸念はすぐに裏切られた。
どこまでもクラッツの筋肉は法則の埒外にあるようであった。
「いつまでも涼しい顔してんじゃねええええええええ!」
ウォークライを手にしてクラッツは吼えた。
あの四大公爵アザトースの魔力すら吸収したウォークライである。
スカーレットアダマントには魔力を吸収する性質がある。そしてもうひとつ、魔力を増幅するという力が。
ウォークライがこれまで吸収した魔力を全て開放、さらに増幅する。
その先端に集積した力はあまりにも大きすぎた。
地上最強に区分される四大公爵の力と、それを遥かに凌駕するクラッツの魔力。
無理やり詰め込まれた水がその圧力で器を破るように、膨大な魔力はウォークライという器から溢れた。
きっかけは脳筋なクラッツが力をこめただけでも、結果的にそれは階梯の扉を開いて魔王へと届いたのである。
階梯の防御を切り裂いて、クラッツはウォークライを唐竹割に振り下ろした。
「ば、馬鹿な…………!」
魔王の額から血しぶきがあがる。
ほんのわずか、無意識に身を引かなければ致命傷になっていたかもしれない。
代行者となってから初めて感じる死の恐怖に魔王は惑乱した。
「ゆ、許さんぞ! 神に歯向かった報いを受けよ!」
(こやつ、本当に筋肉で階梯を突破しおった!)
魔導の王としてあるまじきことだが、あまりの意外さと痛快さにベルンストは哄笑した。
こんな愉快なことが世界にはあるのかと思った。
一度は感情を失った自分がこんなにも笑えるということに新鮮な喜びを覚えてもいた。
(――――ドルマント世界の新たな神、ベルンスト・ゲオルグ・フォン・アルマディアノスがこの星の神に告げる!)
ゾクリと魔王の背筋に戦慄が走った。
神の代行者である彼は、神が感じた恐怖の余波を無意識に受け取ったのである。
余波にすぎぬものにしてこの腹の奥底に重くわだかまるような恐怖。
いったい何があったら神たるものがこれほど恐怖するのか、魔王には想像もつかなかった。
(神と神との決闘を望まぬならば手出し無用! 人の戦いは人に任せるがよい!)
神としての力は圧倒的にベルンストが勝る。
だからこそ数々の異世界をベルンストは好き放題に蹂躙し続けてきたのだ。
この星の神がベルンストに恐怖するのはむしろ当然のことであった。
強大な神となったベルンストと勝ち目のない決闘することなど思いもよらぬ。
神は迷うことなく魔王への加護を奪い去った。
それは新たな神となったベルンストが、この星でクラッツのためにしてやれる最後の手助けだった。
(――――さらばだクラッツ)
「いきなり何言い出すんだ? これからだろが!」
そう答えるクラッツの声には悲痛の色があった。理性ではなく本能によって、クラッツもまたこの瞬間を予感していたのだろう。
(神は神の居場所に戻るさ。強くなれ、クラッツ。だが――――お前は神にはなるでないぞ?)
「おい、待て! 行くなよベルンスト! お前はこの脳筋めってぼやくのが仕事だろが!」
(我になにをさせるつもりだお前は)
「――俺はまだお前に認めてもらってないじゃないか!」
脳筋だと馬鹿にされながらもいつかベルンストに認めて欲しかった。
もっとも神に等しいというベルンストの強さに嫉妬とともに抑えきれぬ憧れを抱いてきた。
そんなクラッツの葛藤をもちろんベルンストは承知していた。
なんとなればベルンストはずっとクラッツと感情を共有し続けてきたのだから。
(我はとうの昔にお前を認めておるよ。好みに合わぬのは変わらぬが、な)
クラッツの心の器から、これまでベルンストが占めていた容量が割れた砂のように抜け落ちていく。
その耐えがたい喪失感にクラッツは慟哭した。
(――――最後に楽しいという感情を思い出せた。礼を言う)
それを最後に、ベルンストという意識はクラッツの中から永遠に喪失した。
「勝手に来て、勝手に帰りやがって……楽しい? 俺だって楽しかったさ! 一度も言ったことはないけれど!」
互いに憎まれ口を叩いていても、確かに二人の心は繋がっていた。
本当はいつだって感謝していたのだ。
クラッツが男として前を向くことができたのはベルンストのおかげなのだと。
「なんなのだ? どうして余の加護が消える? 余は神に選ばれた唯一の代行者なのではなかったのか?」
神の代行者として神の力を振るってきた魔王は、自分から神の加護が消え去ったことに子供のように当惑していた。
ずっと神の力を自分の力と思いこんでいたために、いざ神の力を奪われてしまうと自分に何ができるのかもわからない。
クラッツには見向きもせず、魔王はただ神の名を呼び続けた。
「どうした? 神に助けてもらわなきゃ戦うこともできないってか?」
「こ、この塵芥が!」
階梯による安全すら失った魔王は怒りはしたが、明らかに戦意を失っていた。
負けるかもしれない、自分が死ぬかもしれない、という初めて感じる圧力に身体がついてこないのだ。
「くだらねえ。素の力で決着をつける度胸もねえか」
「こんなことが許されると思うか! 余は世界の秩序を担っているのだぞ!」
「御託はいいから、そんなに魔王(てめえ)がえらいなら、この俺に勝って見せな」
そういってクラッツはウォークライを振りかぶる。
魔力の増幅で白銀の光に輝いたウォークライが陽光を遮り、魔王に暗い影を落とした。
巨大すぎる鉄塊を見上げて魔王は恥も外聞もなく悲鳴をあげる。
「神よ! 貴方の下僕をお見捨てになるのですか?」
無様に転げまわって魔王はウォークライを避けた。
先ほどまでの傲慢さはどこへ行ったのか、呆れてクラッツは吐き捨てる。
「――要するにお前は神の力がなけりゃ塵芥にも劣る無能ってことでいいのか?」
「余は魔王! この世界最強の管理者だ!」
さすがに筋肉が取り柄の塵芥に侮辱されることなど耐えられない。
「なら大口に相応しいところを見せてみろ!」
振り下ろされるウォークライをすんでのところで躱し、魔王はクラッツに全魔力をこめた渾身の光弾を放った。
「――――足りねえな」
拳で光弾を軽く叩き落してクラッツは不満げに呟いた。
先ほどまで浴びせてきた攻撃の半分にも満たない力であった。この程度の力で神を気取っていたというのか。
これならヘイムダルのロートリンゲンでも撃破は容易であろう。
しかし神の力無き、魔王のそれが全力だった。
「そんな、そんなはずがない。たかが人間が魔王を越えてよいはずがないのだ!」
「よいとか悪いとかじゃない。どっちが強いか? 俺が強くて、魔王(てめえ)は弱かった。それだけのことだろうが」
もはや互いの格付けは済んだ。
「――――あばよ」
「ありえん! ありえてよいはずがない!」
最後まで現実を認めることができずに魔王は絶叫する。
そんな悲鳴も虚しく、魔王はウォークライによって脳天から股間までその身体を真っ二つに引き裂かれた。
それは強くなることを諦めなかった男と、強さをただ与えられた男が裸の力で戦った当然の帰結なのかもしれなかった。
――――数か月後
このときばかりは役立たずになり果てたクラッツの耳に、明るい赤ん坊の泣き声が届いた。
「お喜びください。王子の誕生でございます!」
出産の指揮を執っていた筆頭侍医が晴れやかな笑顔でクラッツにそう告げると、ようやく我に返ったようにクラッツは喜びを爆発させた。
「ルナリア! でかしたああああああああああ!」
クラッツに続いて病室に入った吸精鬼たちは、生まれたばかりの男の子に目じりを下げて悶えまくる。
「きゃああ! きゃああ! ご主人様そっくりの黒髪ですわ」
「将来有望です。じゅるり」
「ステーリア様! よだれ! よだれ!」
「誰にも渡さない……この子の童貞は私がもらったああああ!」
「生まれたばかりの赤ん坊に何を欲情してるのよ! うちの子には絶対に手は出させないわよ!」
「とりあえずお前ら出てけえええええええええ!」
「ブーブー! 横暴だ! 私たちにも愛し子を愛でる時間を!」
吸精鬼たちの抗議を無視してクラッツは彼女たちを病室から追い出した。
ようやく静けさの戻ったベッドでしばし二人は見つめ合う。
ルナリアの胸に抱かれた我が子の頬を、大きな指でくすぐるようにしてクラッツは思わず相好を崩した。
黒い髪に黒い目は明らかにクラッツの血を引いている。
しかし凛としつつも可愛らしい顔立ちはルナリアの方によく似ていた。将来はもしかしたら女泣かせになるかもしれない、とクラッツは埒もないことを考えてしまうほどであった。
「名前は決めたのか?」
ルナリアに問われ、気恥ずかしそうにクラッツは答えた。
「――――ベルンスト。いつか俺が越えなければならない史上最強の男の名をもらおう。勝手に一人で帰った罰だ。文句は言わせん」
かつて魔王を倒し、妖魔の領域を征服した英雄がいた。
イェルムガンド王国に空前の繁栄をもたらしたその英雄は、美しい妻たちに囲まれ、時に尻にしかれながら二十人もの子宝に恵まれた。
世界中の誰も追随できぬ強さを持ちながら、英雄は最後まで人として戦い、人として死んだ。
「神なんてつまらない。ほかの誰が知らなくとも俺はそれを知っている。忠告してくれた相棒もいるしな」
死後神として祀ることも拒否した英雄は八十四歳の天寿を全うし、死後も人としてあることを望んだという。
後世にいわく、これを『アルマディアノス英雄伝』と呼ぶ。
優に数万の兵力を収容できる敷地があり、平時であれば数千の兵士が警備しているはずのそこには、今やロートリンゲンの巨体とクラッツとスクルデがあるだけだった。
「この日を待ちわびたぞ」
ヘイムダルは悠然と嗤う。
ロートリンゲンを駆り、世界に覇を唱える日を。妖魔の脅威から人類が解放される日を。世界に新たな秩序が誕生する日を!
「…………待ちわびたのは妾もですわ」
「そうかスクルデ。この男なら余を殺せると思うたか」
伯父と姪はしばし見つめ合いながら、まだお互いに悪意もしがらみもなかった平和な日々を追想した。
「ええ、クラッツこそは妾の選んだ男。貴方を殺せる貴方を超える英雄ですわ!」
「ならばその言葉、証明してみせよ!」
ロートリンゲンが大剣ニーベルングを抜き放つ。
それだけで突風のような風が巻き起こり、大地に数メートルにわたって亀裂が走った。
「……下がっていろスクルデ」
クラッツもまたウォークライを背負うように握りスクルデの前に立つ。
「ここからの戦いに悪いがお前では足手まといだ」
「口惜しいですがそのようですわね」
今やクラッツはスクルデと戦ったころのクラッツではない。強敵と戦うたびにベルンスト譲りの才能を開花させ、四大公爵アザトースをも悠々と撃破するにいたったクラッツは、もうスクルデが手助けできる範囲を大きく超えていた。
「信じているわ。愛しい人」
「心配するな。嫁のおねだりは叶える主義だ」
スクルデが倒れているアイラとミゼルを抱え、研究所の外へ離れるのを確認した瞬間、両雄は期せずして同時に駆け出しだ。
――――キン!
澄んだ音とともにニーベルングとウォークライが激突する。
「呆れた馬鹿力だな」
「これだけが取り柄なのでね」
力比べがクラッツのほうに軍配があがったことに、ヘイムダルは軽い驚きを隠せない。
アザトースを核に大幅に出力を向上させたロートリンゲンが力負けするなど想定していなかったからだ。
もっともそのアザトースを軽々とクラッツは破ったのだから、それほど不思議なことではないのかもしれなかった。
「しかし剣技のほうはそれほどでもなさそうだ」
軽い脱力とともに合わせていた刃を引くと、ヘイムダルは切り返すようにして水平に剣を振るう。
弾かれたようにクラッツが後ろに飛びのくのが、わずかに速かった。
ブンと耳障りな音を立てて、ニーベルングが先ほどまでクラッツのいた空間を断裂させる。
――そして二人の間に距離ができた。
「魔導砲(カノン)多重展開(フラクタル)」
対消滅系の上位魔導に匹敵する魔導砲を同時に十二個まで展開し、面制圧を試みるヘイムダルをクラッツは正面から受けて立つ。
「俺の拳がそんなおもちゃで砕けるか!」
刹那の間に数百の拳の弾幕で迎撃された魔導砲は、虚しくエネルギーを霧散させられた。
「いったい卿の拳は何でできているのだ? 賢者よ」
「無論、筋肉で!」
(そんなわけがあるか! この脳筋が!)
「筋肉で魔導を消すのは物理法則的にありえぬのだがな……」
これにはヘイムダルも苦笑いである。
「――――だがこの世界には筋肉では凌駕できぬものがあることを知るがよい」
ロートリンゲンが発する圧力が増した。
本能的にこれまでのロートリンゲンとは違うことをクラッツは察する。
明らかに攻撃にシフトした体勢をとるや、ヘイムダルは怒涛の攻撃を開始した。
ニーベルングに籠められた力の割合が、先ほどとは五割ほども違う。
まともに食らえばクラッツでも即死は免れないほどの殺意の高い連撃であった。
「そんな大振りとか嘗めてんのか!」
無論それほどに力を籠めれば予備動作が大きくなり、避けやすくなるのは当然である。
見事な体捌きでロートリンゲンの懐に飛びこむと、クラッツはうっ憤を晴らすかのように満身の力で拳に乗せられた力を解放した。
「呆れたものだ。下手をすればロートリンゲンの装甲でも危ないかもしれんな」
「くそっ! あの時と同じかよ!」
かつてギュンターを追い詰めながらも逃がしてしまったときと同じ、防御されたのとも抵抗されたのとも違う、攻撃そのものがなかったことにされたような感覚。
全く無傷で屹立するロートリンゲンをクラッツは親の仇のように睨みつけた。
(――――見事! 前に見たときより遥かに洗練され偽装が進化しておる!)
階梯という世界の法則を魔導技術の力で欺く。
その発想、そして技術力の全てがベルンストをして感嘆せしめるのだ。あの姉妹、時間が許せば弟子にして育てたいほどの逸材である。
「もはや卿の攻撃は一切通じぬ。哀れな獲物のごとく逃げ続けるがいい。余に息の根を止められるそのときまで!」
「残念だが俺の筋肉に不可能はねえ!」
ヘイムダルにとってそれは悪あがきのような攻撃だった。
ことごとくを無効化されていながら、全く戦意を失わない金剛石のようなクラッツの闘争心には敬意すら覚える。
「だがそれもいつまで保つかな?」
筋肉でどうにかなるほど階梯魔導は甘くない。
より力をこめ、より攻撃力が高ければ打ち破れるという類とは文字通り次元が違うのだ。
ロートリンゲンを守る階梯の壁は、幼子の平手でもクラッツの剛腕でも等しくその全てを無効化する。
いくら力を強化しても意味はないのである。
「余裕ぶっこいてんじゃねえ!」
クラッツの拳の速度がさらにもう一段階あがった。
威力よりも速度重視、手数重視というスタイルはクラッツらしくない。
しかしその一発一発の威力はロートリンゲンをもってしても軽視できぬもので、軽く音速を越えたその拳は秒間百発の弾幕となってロートリンゲンを襲った。
「いくらやっても無駄なことだ!」
ヘイムダルはクラッツの折れない精神には敬意を表するが、いつまでも甘んじて攻撃を受け続けるつもりはない。
そろそろ決着をつけようか、とニーベルングと近接魔導の同時攻撃で一気にクラッツを粉砕しようとしたヘイムダルは愕然とした。
「な、なんだこれは…………?」
残りのエネルギー残量が恐ろしく目減りしている。
このままのペースで戦い続ければロートリンゲンは一時間と保たずに魔力を使い果たして鉄くずと化すであろう。
階梯魔導といっても、それが本来のものではなく魔導技術によって偽装されているだけである以上、魔力の消費は免れない。
弾幕のようなクラッツの拳を無効化しているだけで、どんどん魔力が目減りしていくのは考えてみれば当然の結果であった。
「余としたことが……階梯魔導の眩さに足元を見誤ったか」
もはや自分が一方的に優位な状況にないことをヘイムダルは悟った。
魔力がなくなる前にクラッツを打倒しうるかどうか、これで条件はほぼ対等となった。
「面白い。まだ余に五分の勝負を挑めるものがこの世界にいようとは」
一方のクラッツも決して計算通りに戦っていたわけではない。
ロートリンゲンに弱点はないか、手探りするための弾幕であり、魔力を減らすことができたのはその副次効果のようなものだ。
いったいどうやって階梯魔導の防御を突破するかについては、まだ糸口さえ見えていなかった。
「だからといって泣き言ばかり言ってられないのが男のつらいところよ!」
(少しは頭を使ったと思ったら……今のお前にできることは相手の魔力切れを狙うことだけじゃ。筋肉であれを突破できるなら苦労はせん)
魔導であれば、同じく階梯を偽装することなどベルンストには造作もない。
おそらくはクラッツも教えればできるであろう。
だがこのところのクラッツは頑なに肉弾戦にこだわっている傾向がある。アザトースと戦ったときもそうだった。
もしかしたらクラッツもまた、ベルンストに別れの時が近づいていることを予感しているとでもいうのだろうか? まさか、この脳筋にそんな気遣いができるとも思えん。
「できないと言われて、はいそうですかって諦められるか!」
(だから力を入れても無駄だと――――)
「――――そこまでだ。踏みはずせしものよ」
誰だ、とはクラッツもヘイムダルも問わなかった。
白髪に血のような瞳、あらゆるものに君臨する絶対的な威圧感。
そして存在そのものが質量を得て巨大化して迫ってくるような圧迫感を発するような男が二人といるはずがない。
「魔王、か」
「魔王だな?」
「なぜか人は余をそのように呼ぶようだな」
魔王の人を食ったような返答にヘイムダルは無言のまま静かな怒りを抱いて突撃した。
「無駄だ」
ニーベルングがいとも簡単に、まるで最初からそこに置いてあったかのように運動エネルギーを失った空中で静止した。
先ほどまでクラッツがロートリンゲンにさんざんやられていたことと同じ。
おそらくはこれが本物(オリジナル)の階梯魔導なのだ。
「さすがは魔王――と言いたいところだが、いつまでも人類を貴様の好きにできると思うなよ?」
そもそもミゼルとアイラが研究する階梯魔導は、魔王という絶対者に対抗するための副産物であった。
いかなる攻撃も通さないという魔王を倒すためにはどうしたらいいか?
ロートリンゲンの設計思想は究極的にいえば魔王を凌駕することにある。この場合そのロートリンゲンに対等にやりあえるクラッツのほうが想定外なのだった。
「――――階梯突破」
静止していたニーベルングが魔王を捕えようと動き出す。
それは初めて人類が魔王を傷つけうる領域へと到達した瞬間であった。
傲然と屹立していた魔王が初めて身を躱すため後ろへと下がる。その事実は魔王の矜持を著しく傷つけるに十分すぎた。
「誰の許しを得て我が階梯に並ぼうとするか!」
顔を紅潮させて魔王は激怒した。
淡々と機械のような抑揚のない口調であった魔王がようやく露わにした感情であった。
彼にとって全ては自分か管理すべき従属物なのである。
この世界の秩序を守るために、世界が管理を外れて変容しないために、星(かみ)がその存立を危うくされないために。
長いときを魔王は世界を管理し続けてきた。
妖魔が滅ぼうと人類が滅ぼうとなんら痛痒に感じるところではない。
だがヘイムダルのように世界の枠組みを脅かす存在を絶対に許すことはできなかった。
それが神より賜った唯一にして絶対の使命。
ヘイムダルの所業はその神から賜った権能に対する反逆に他ならなかった。
「出来の悪い猿真似ごときが! 余は神の代行者! この星を管理するものぞ!」
ガクンとロートリンゲンの前進が止まる。
魔王に看破された疑似的な階梯魔導が使用を封じられたのであった。
もとよりロートリンゲンの階梯魔導は法則を偽装することによって成立しているのである。法則の擁護者である魔王がそれに気づいた以上、使えなくなるのは当然であった。
「身の程を知るがよい」
――蹂躙が始まった。
ロートリンゲンの巨体がなすすべもなく打たれ、蹴られ、腕が断裂し、腹部から魔導回路が短絡を起こして火花をまき散らす。
それでもヘイムダルは諦めることなく反撃の道を探っていたが、もはやロートリンゲンに戦闘力は残されていなかった。
バランスを失い倒れようとする機体をヘイムダルは必死の努力で立て直す。
その努力を嘲笑うかのように、魔王が止めの一撃をロートリンゲンに見舞おうとしたときである。
魔王の一撃は横合いからクラッツの拳に弾かれるようにして虚空をさ迷った。
「何を見下してるのか知らないが、ようは魔王よりも強ければいいってことだろう?」
(この馬鹿! 今のお前では魔王には勝てん! 奴は上位階梯にしてこの星の神の代行者なのだぞ!)
ベルンストならば魔王を倒すのはそれほど難しいことではない。
所詮魔王は神の代行者に過ぎず、ベルンストは限りなく神そのものに近い存在なのである。しかも並みの星の神であれば軽々と凌駕するほどの。
しかしクラッツの物理に特化した力では、ベルンストが今から教えたところで魔王の領域には届くまい。
これだからもっとまじめに魔導を勉強しておけばよかったのだ!
事ここに及んでもクラッツを乗っ取り、ベルンスト自身で戦おうという選択が思い浮かばないことにベルンストはなんら疑問を感じていなかった。
「大人しくそこで見ていろ」
傲然と言い捨てられてヘイムダルは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
ヘイムダルは個人戦闘にかけてはギュンターにも劣らぬ武人であるが、魔王の防御を突破するにはロートリンゲンの力なしには不可能であることを誰よりも理解していた。
「余の野望、見事乗り越えてみせるか? 我ら世界に生きる者たちが魔王の玩具でないことの証明のために」
そんなことはありえない。
クラッツがいかに強かろうと魔王の階梯を突破できるはずがない、というのに心のどこかで期待している自分がいる。
そんな期待をさせる空気がなぜかクラッツにはあるのだ。もしそれが英雄に許された特権であるとすれば、ヘイムダルは自分が英雄足りえないことが悔しかった。
「もとより俺は我がままだからな。魔王なんて神の使いッ走りにどうこう言われるつもりはない」
「――――塵芥(くず)め」
不快そうに眉を顰めると魔王の矛先がヘイムダルからクラッツへと向いた。
前触れもなく白い光がクラッツへ放たれると同時に、瞬間移動した魔王の拳がクラッツの腹筋を貫いた。
「ざけんな! 俺の筋肉を嘗めるんじゃねえ!」
何千度あるかしれない熱線と、鋼鉄をも軽々と貫く打撃をクラッツは筋肉を固めることでかろうじて耐えた。
もちろん無傷では済まなかった。それほど世界の頂点に立つ魔王の攻撃は甘くはない。
だがそんなことで攻撃を凌がれてしまった魔王にとっては予想外の驚愕でもあり、屈辱でもあった。
「おのれっ!」
「この程度で驚いてもらっちゃ困るな」
さすがのクラッツもことここにいたっては出し惜しみをする余裕はなかった。
実はロートリンゲン相手にすら全力ではなかったクラッツは、ベルンストの遺伝子に目覚めて初めて全出力で身体を強化した。
細胞の末端に至るまで、莫大な魔力を浸透させた強化によって、クラッツの身体は青白い魔力の輝きを放ち、鋼のような筋肉はさらにそれを束ねたかのようにバンプアップする。
刹那、震脚を利かせた飛びこみ前蹴りを魔王は全く予測できなかった。
(――――これが脳筋の本当の力か)
見事というべきであろう。
速度、打撃力、予測、反射すべてが魔王をも上回っている。
現に魔王はクラッツの可視限界を超えた速度や、物理法則を越えた筋力による無軌道な攻撃に対応できていない。
「――――だからどうした?」
魔王は苛立った自分を落ち着かせるようにそう言い放った。
彼の言う通りクラッツの攻撃も階梯の差の前に全く通じていないのである。
ここまで魔王と渡り合っているのは驚くべきことだが、魔王はロートリンゲンと違って魔力切れを起こすことなどありない。いずれクラッツのほうが先に力尽きるのは明らかだった。
「小賢しい男よ……苦痛を先延ばしするだけだということがわからんか」
なお諦めることをしないクラッツを侮蔑するかのように魔王は嗤った。
「無理です。はい、そうですかなんて諦められるか! 諦めて得られるものなんか何もねえ! 義姉さんのときにそう教わったんだよ!」
あのとき、ベルンストに言われなければみすみすコーネリアを貴族に差し出していた惨めな自分を思い出すたびに屈辱に身が震える。
二度とあんな思いをしないために強くなるとクラッツは誓ったのだ。
「諦めなければなんとする? この神と人間の越えがたき壁を!」
渾身のクラッツの拳が、いくら当たっても魔王は身じろぎ一つしなかった。
避ける必要すらない、まるで鋼鉄の壁に羽毛を投げつけるがごとき愚行という魔王の認識は残念ながら事実であった。
だからといってクラッツはいささかも気落ちした様子はなく攻撃を続行する。
「まだ分際がわからぬか? 余が神より授かったこの力を、存在の格を貴様は決して超えることはできないのだ!」
確かに魔王すら対応のできないクラッツの速度は素晴らしい。
だからどうした?
速度が速いだけで魔王に対抗できていると思うなら大間違いだ。
「見よ! 余の力を!」
クラッツの打撃にタイミングを合わせて、魔王は全周三百六十度へ白光の衝撃波を放つ。
姿が捉えられないのなら面で制圧すればよい。
どうせ相手の攻撃は効かないのだから、必ず当たる攻撃をすればよいのである。
「ぐああああっ!」
致命傷にこそならなかったが、クラッツの身体のあちこちが焼け焦げて肉の焼ける嫌な臭いが立ちこめた。
それでもクラッツの戦意は衰えない。
目突き、金的と効果のない攻撃を繰り返すクラッツへと再び衝撃波が襲った。
「こんなのが効くかっ!」
出血を大量に滴らながら強がるクラッツを、魔王は口元を歪めて嘲笑った。
「負け犬の戯言だな。悔しければ余が神より賜ったこの力を上回ってみせるがいい。できはしないであろうがな」
強がってはいるがクラッツの体力は確実に疲弊している。
ベルンストはさすがにクラッツの意識を乗っ取ることを考え始めた。いくら考えてもこの先クラッツが魔王に勝つ手段を思いつくことができなかったからだ。
「――――借り物の力見せびらかして楽しいか? 俺には道化にしか見えないぜ?」
そう言って傲然と胸を張るクラッツにベルンストは正しく瞠目した。
この絶望的な状況で、本心からクラッツがそう言っていることを感情を共有しているベルンストは誰よりよくわかったのである。
「死んだ親父が言ってたっけ。人はいつまででも学べるが、力を借りてるうちには半人前だ、と」
「神の叡智を理解できぬ塵芥めが!」
借り物ではない自分の力でいつか最強になってみせる。
その言葉にベルンストはかつて自らにもまた、ドルマント世界の神の代行者への道があったことを思い出した。
冗談ではない。魔導の王たる自分が神に力を借りる必要などあろうか。誓って自分の力で神を越えて見せる。
断固としてベルンストは代行者となることを拒否した。
飽くなき向上心と未来に対するギラギラした野望が、ベルンストに神の力を借りることをよしとしなかった。
どこまでもいつまでも……限界をつくることなど夢にも思わなかったあのころ。
それがいつからもっとも神に等しいなどと満足してしまったのか。
今こそベルンストはクラッツからの借り物ではない、遠い昔に失われた自分自身の感情を取り戻していた。
(――――この思い、いつぶりのことか)
神になるということは誰かを超えるということではない。究極的には星と、宇宙と合一し集合存在となることである。
そのことに気づいたときにベルンストは前に進むことを止めた。
本質的に異世界に自分の分身を送り込むのも、先に進むことを恐れた防衛本能のなせるわざであった。
今まで目を背けてきた事実を突きつけられたベルンストは思わず苦笑した。
――――同時に、約束の別れの時がいよいよ自分に訪れようとしているのを悟った。
神への変容の最終段階。ついに来るべき時が来たのだ。
(――――クラッツよ)
「なんだ? このくそ忙しいときに!」
(我と代わるか?)
「これ以上あんたの力を借りるのはなしだ。俺はすでに一度あんたの力を借りて立ちあがった。もう一度力を借りたら俺は自分を許せない」
(ではこの劣勢をなんとする?)
「俺がわかるのはひとつだけ。どんだけ防がれても、より強い力でそれをぶち破るってことだけだ!」
(そういうことじゃないんじゃが……)
階梯とは力による力への防御とは性質が異なる。
だからこそベルンストにはクラッツの勝ち筋が見えなかったのだが。そのベルンストの懸念はすぐに裏切られた。
どこまでもクラッツの筋肉は法則の埒外にあるようであった。
「いつまでも涼しい顔してんじゃねええええええええ!」
ウォークライを手にしてクラッツは吼えた。
あの四大公爵アザトースの魔力すら吸収したウォークライである。
スカーレットアダマントには魔力を吸収する性質がある。そしてもうひとつ、魔力を増幅するという力が。
ウォークライがこれまで吸収した魔力を全て開放、さらに増幅する。
その先端に集積した力はあまりにも大きすぎた。
地上最強に区分される四大公爵の力と、それを遥かに凌駕するクラッツの魔力。
無理やり詰め込まれた水がその圧力で器を破るように、膨大な魔力はウォークライという器から溢れた。
きっかけは脳筋なクラッツが力をこめただけでも、結果的にそれは階梯の扉を開いて魔王へと届いたのである。
階梯の防御を切り裂いて、クラッツはウォークライを唐竹割に振り下ろした。
「ば、馬鹿な…………!」
魔王の額から血しぶきがあがる。
ほんのわずか、無意識に身を引かなければ致命傷になっていたかもしれない。
代行者となってから初めて感じる死の恐怖に魔王は惑乱した。
「ゆ、許さんぞ! 神に歯向かった報いを受けよ!」
(こやつ、本当に筋肉で階梯を突破しおった!)
魔導の王としてあるまじきことだが、あまりの意外さと痛快さにベルンストは哄笑した。
こんな愉快なことが世界にはあるのかと思った。
一度は感情を失った自分がこんなにも笑えるということに新鮮な喜びを覚えてもいた。
(――――ドルマント世界の新たな神、ベルンスト・ゲオルグ・フォン・アルマディアノスがこの星の神に告げる!)
ゾクリと魔王の背筋に戦慄が走った。
神の代行者である彼は、神が感じた恐怖の余波を無意識に受け取ったのである。
余波にすぎぬものにしてこの腹の奥底に重くわだかまるような恐怖。
いったい何があったら神たるものがこれほど恐怖するのか、魔王には想像もつかなかった。
(神と神との決闘を望まぬならば手出し無用! 人の戦いは人に任せるがよい!)
神としての力は圧倒的にベルンストが勝る。
だからこそ数々の異世界をベルンストは好き放題に蹂躙し続けてきたのだ。
この星の神がベルンストに恐怖するのはむしろ当然のことであった。
強大な神となったベルンストと勝ち目のない決闘することなど思いもよらぬ。
神は迷うことなく魔王への加護を奪い去った。
それは新たな神となったベルンストが、この星でクラッツのためにしてやれる最後の手助けだった。
(――――さらばだクラッツ)
「いきなり何言い出すんだ? これからだろが!」
そう答えるクラッツの声には悲痛の色があった。理性ではなく本能によって、クラッツもまたこの瞬間を予感していたのだろう。
(神は神の居場所に戻るさ。強くなれ、クラッツ。だが――――お前は神にはなるでないぞ?)
「おい、待て! 行くなよベルンスト! お前はこの脳筋めってぼやくのが仕事だろが!」
(我になにをさせるつもりだお前は)
「――俺はまだお前に認めてもらってないじゃないか!」
脳筋だと馬鹿にされながらもいつかベルンストに認めて欲しかった。
もっとも神に等しいというベルンストの強さに嫉妬とともに抑えきれぬ憧れを抱いてきた。
そんなクラッツの葛藤をもちろんベルンストは承知していた。
なんとなればベルンストはずっとクラッツと感情を共有し続けてきたのだから。
(我はとうの昔にお前を認めておるよ。好みに合わぬのは変わらぬが、な)
クラッツの心の器から、これまでベルンストが占めていた容量が割れた砂のように抜け落ちていく。
その耐えがたい喪失感にクラッツは慟哭した。
(――――最後に楽しいという感情を思い出せた。礼を言う)
それを最後に、ベルンストという意識はクラッツの中から永遠に喪失した。
「勝手に来て、勝手に帰りやがって……楽しい? 俺だって楽しかったさ! 一度も言ったことはないけれど!」
互いに憎まれ口を叩いていても、確かに二人の心は繋がっていた。
本当はいつだって感謝していたのだ。
クラッツが男として前を向くことができたのはベルンストのおかげなのだと。
「なんなのだ? どうして余の加護が消える? 余は神に選ばれた唯一の代行者なのではなかったのか?」
神の代行者として神の力を振るってきた魔王は、自分から神の加護が消え去ったことに子供のように当惑していた。
ずっと神の力を自分の力と思いこんでいたために、いざ神の力を奪われてしまうと自分に何ができるのかもわからない。
クラッツには見向きもせず、魔王はただ神の名を呼び続けた。
「どうした? 神に助けてもらわなきゃ戦うこともできないってか?」
「こ、この塵芥が!」
階梯による安全すら失った魔王は怒りはしたが、明らかに戦意を失っていた。
負けるかもしれない、自分が死ぬかもしれない、という初めて感じる圧力に身体がついてこないのだ。
「くだらねえ。素の力で決着をつける度胸もねえか」
「こんなことが許されると思うか! 余は世界の秩序を担っているのだぞ!」
「御託はいいから、そんなに魔王(てめえ)がえらいなら、この俺に勝って見せな」
そういってクラッツはウォークライを振りかぶる。
魔力の増幅で白銀の光に輝いたウォークライが陽光を遮り、魔王に暗い影を落とした。
巨大すぎる鉄塊を見上げて魔王は恥も外聞もなく悲鳴をあげる。
「神よ! 貴方の下僕をお見捨てになるのですか?」
無様に転げまわって魔王はウォークライを避けた。
先ほどまでの傲慢さはどこへ行ったのか、呆れてクラッツは吐き捨てる。
「――要するにお前は神の力がなけりゃ塵芥にも劣る無能ってことでいいのか?」
「余は魔王! この世界最強の管理者だ!」
さすがに筋肉が取り柄の塵芥に侮辱されることなど耐えられない。
「なら大口に相応しいところを見せてみろ!」
振り下ろされるウォークライをすんでのところで躱し、魔王はクラッツに全魔力をこめた渾身の光弾を放った。
「――――足りねえな」
拳で光弾を軽く叩き落してクラッツは不満げに呟いた。
先ほどまで浴びせてきた攻撃の半分にも満たない力であった。この程度の力で神を気取っていたというのか。
これならヘイムダルのロートリンゲンでも撃破は容易であろう。
しかし神の力無き、魔王のそれが全力だった。
「そんな、そんなはずがない。たかが人間が魔王を越えてよいはずがないのだ!」
「よいとか悪いとかじゃない。どっちが強いか? 俺が強くて、魔王(てめえ)は弱かった。それだけのことだろうが」
もはや互いの格付けは済んだ。
「――――あばよ」
「ありえん! ありえてよいはずがない!」
最後まで現実を認めることができずに魔王は絶叫する。
そんな悲鳴も虚しく、魔王はウォークライによって脳天から股間までその身体を真っ二つに引き裂かれた。
それは強くなることを諦めなかった男と、強さをただ与えられた男が裸の力で戦った当然の帰結なのかもしれなかった。
――――数か月後
このときばかりは役立たずになり果てたクラッツの耳に、明るい赤ん坊の泣き声が届いた。
「お喜びください。王子の誕生でございます!」
出産の指揮を執っていた筆頭侍医が晴れやかな笑顔でクラッツにそう告げると、ようやく我に返ったようにクラッツは喜びを爆発させた。
「ルナリア! でかしたああああああああああ!」
クラッツに続いて病室に入った吸精鬼たちは、生まれたばかりの男の子に目じりを下げて悶えまくる。
「きゃああ! きゃああ! ご主人様そっくりの黒髪ですわ」
「将来有望です。じゅるり」
「ステーリア様! よだれ! よだれ!」
「誰にも渡さない……この子の童貞は私がもらったああああ!」
「生まれたばかりの赤ん坊に何を欲情してるのよ! うちの子には絶対に手は出させないわよ!」
「とりあえずお前ら出てけえええええええええ!」
「ブーブー! 横暴だ! 私たちにも愛し子を愛でる時間を!」
吸精鬼たちの抗議を無視してクラッツは彼女たちを病室から追い出した。
ようやく静けさの戻ったベッドでしばし二人は見つめ合う。
ルナリアの胸に抱かれた我が子の頬を、大きな指でくすぐるようにしてクラッツは思わず相好を崩した。
黒い髪に黒い目は明らかにクラッツの血を引いている。
しかし凛としつつも可愛らしい顔立ちはルナリアの方によく似ていた。将来はもしかしたら女泣かせになるかもしれない、とクラッツは埒もないことを考えてしまうほどであった。
「名前は決めたのか?」
ルナリアに問われ、気恥ずかしそうにクラッツは答えた。
「――――ベルンスト。いつか俺が越えなければならない史上最強の男の名をもらおう。勝手に一人で帰った罰だ。文句は言わせん」
かつて魔王を倒し、妖魔の領域を征服した英雄がいた。
イェルムガンド王国に空前の繁栄をもたらしたその英雄は、美しい妻たちに囲まれ、時に尻にしかれながら二十人もの子宝に恵まれた。
世界中の誰も追随できぬ強さを持ちながら、英雄は最後まで人として戦い、人として死んだ。
「神なんてつまらない。ほかの誰が知らなくとも俺はそれを知っている。忠告してくれた相棒もいるしな」
死後神として祀ることも拒否した英雄は八十四歳の天寿を全うし、死後も人としてあることを望んだという。
後世にいわく、これを『アルマディアノス英雄伝』と呼ぶ。
10
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【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
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パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
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これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
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子供少ないな~50人位産まれても良かった(笑)
書籍購入して読んでたんですが・・・
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”スクルデにとって好きな相手とは、父の仇であると同時に決して敵わない大好きな叔父、ヘイムダルを倒してくれる人物というのが大前提で、復讐に自分の命を懸けていた。”
大好きな父の仇であると同時に決して敵わない叔父 のまちがいですかね?
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面白かった!
他の作品も読まさせて頂きます!
ありがとうございます!