彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~ ヴラド・ツェペシュに転生したら詰んでます

高見 梁川

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第十九話 反撃開始

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 トランシルヴァニアの経済的支配階級はドイツ系サス人(ザクセン人)である。
 ハンガリーの王位をドイツ人である神聖ローマ帝国皇帝が兼任した結果、植民したドイツ系移民は様々な特権を現地で享受することができたからだ。
 彼らは商業を中心に成功を収め、トランシルヴァニア内にドイツ風の自治都市を建設するまでに繁栄した。
 この都市群をジーベンビュルゲンといい、ブラショフとシギショアラはその中心的役割を果たす商業都市でありサス人の砦でもあった……………。

 暗がりで密談する三人の男は沈鬱な空気に包まれている。
「失敗したというのですか??」
「まったく悪運の強い男でして……」
 トランシルヴァニアの二大都市ブラショフ商会の会頭であるバルドイは失望に思わず声を荒げた。
 あの男がワラキアの大公になってからというものトランシルヴァニア商人は各地の市場で駆逐されつつある。
 もともと価格自由権という、反則じみた特権にあぐらをかいていたのが悪かった。
 といってもこちらの言い値で売り、買値も思うがままなどという恐喝紛いの商売が成立してはまともに働こうと考えるほうが難しい。
 何の苦労もなく、一方的にルーマニア人から搾取することのできる商売に浸りきっていたサス商人は、いつものようにハンガリー王国に助けを求めたのだが、あろうことかワラキア公ヴラドは、ハンガリーの英雄ヤーノシュを撃退してしまう。
 まさかワラキアの若僧が、英雄ヤーノシュを撃退するとは思ってもみなかったトランシルヴァニアの商業を支配するサス人は慌てた。
 このままではいつになったらヴラドを引きずり降ろせるかわかったものではない。
 その間にもワラキアの市場は内需拡大の恩恵を受けて発展を続け、トランシルヴァニアの経済圏は縮小する一方なのだ。
 それどころかいつの間にかヴェネツィアの商人までが、遠路はるばるワラキアのような田舎を訪れて長年の販路を奪い去っていく。
 しかも2ケ月前から施行された強制貨幣通用令は、もはやサス人に一刻の猶予もないという危機感を抱かせるには十分すぎた。
 多国籍化したワラキアの経済市場のなかで、通用貨幣としてオスマンのアスパー銀貨とワラキアのダカット金貨の併用が定められ、さらにハンガリーの一フロリン金貨も含めた強制交換比率が施行されたのである。
 これにより、ハンガリーのフロリン金貨とワラキアのダカット金貨の交換比率をことさら高く設定していたサス人商人は再び大打撃を蒙っていた。
 泣きっ面にハチとはこのことである。
「せっかくヤーノシュ公に忠勇無双の戦士を選んでもらったというのに」
 本心を言えばヤーノシュには、上部ハンガリーなどよりワラキアの方に軍を向けて欲しかった。
 しかし将来のハンガリー王を狙うヤーノシュとしてはワラキアは所詮国外の話であり、上部ハンガリーはなんといってもハンガリー国内の問題なのである。
 国内の敵対貴族たちに対して優位を保つためには、上部ハンガリーの奪還こそが急務であった。
 かといってこのままヴラドを放置しておくという選択肢もない。
 幸いにして急進的な国内改革を推し進めるヴラドは、国内貴族から既得権益の侵害者として認識されていた。
 手引きに協力してくれる貴族も多く、暗殺は有効な手段であると思われた。
 確実を期すために、ヤーノシュから教皇庁の伝手まで頼って屈強の戦士を送り込んだというのにどこまで悪運の強い男なのか―――――。

「バルドイ殿には誠にご苦労をおかけする。奴を打ち払い正当な公位を回復した暁にはこのヴラディスラフ必ずや恩義に報いよう」
 バルドイとともに使者の報告を待っていたのは先年の戦いの後、トランシルヴァニアに亡命していた前ワラキア大公ヴラディスラフであった。
 彼としてはこんなことで、パトロンでもあるバルドイに下りられてはかなわない。
 現在のところヴラドの排除に関する両者の利害は一致しているが、商人であるバルドイが利益のためにヴラドに頭を下げてワラキア市場へと参入する可能性はゼロではないのだ。
 自分に投資することが、トランシルヴァニアの未来の利益であることを主張しておくのは当然であった。
「いかにあの男でも所詮は人間。しかも後継者のいない虚弱な政権は奴ひとりが倒れるだけで瓦解する砂上の楼閣のようなもの。すでに我が手の者が次の手を打っております」
 果たしてどこまで信用していいものかな?
 バルドイは迷い始めていた。
 ヴラディスラフは当時の人間としては決して無能な人間ではない。
 史実においても混迷のワラキアの独立を、その死にいたるまで守り通したことでも水準以上の手腕を所有していたことを窺わせる。
 しかし彼にはヴラドを打倒しうる軍を組織することはできないだろうし、ヤーノシュをワラキアに引き込むだけの政治力もないであろう。
 そのうえ野心は旺盛で彼が大公位を奪い返した後、バルドイとの約束を守るかどうかは不確定なように思われた。
 では彼を見捨てる選択もありか?
 ―――――いや、やはりそれでも彼にヴラドを倒してもらわねばならぬ。
 隣国に誕生した英明な君主など、こちらにしてみれば迷惑以外のなにものでもない。
 操りやすい愚鈍な君主に名誉と権力を与え、そして我々は金を得る。そんな関係こそが望ましいのだ。
 しかしそれぞれの互いの未来に思いを馳せる二人が、全く見逃している事実がある。
 それは利益を共有しているかのように見えるヴラディスラフとバルドイだが、彼ら自身の不利益もまた共有しているという事実であった。
 彼らの敵は黙って受け身でいられるほど忍耐強い人間でも慈悲深い人間でもなく、むしろ己の敵を引き裂くことに喜びを見出す類の悪魔に等しい人物なのだから。


「お加減はいかがでしょうか? ヴラド様」
「大事ない」
 あの暗殺未遂事件以来ベルドがまるで母親のようにまとわりついて困る。
 確かに目前で暗殺犯の凶行を阻止できなかったことに忸怩たるものがあるであろうことはわかるのだが、さすがに執務室の中くらいは息を抜かせてほしい。
 だいたいあれからシエナの手で、綿密な身元調査が行われた精鋭の護衛団が組織されているからベルドにできることはないのだ。
「――――――やはりお考えなおしはいただけないでしょうか?」
「こればっかりは無理だな」
 ベルドが俺の体調を慮ってくれるのは有難いが、こればかりは話が別だ。
 暗殺未遂事件で意識を回復させた俺は、刺客を送ったトランシルヴァニアへの侵攻を宣言していた。
 これは本来の力関係からすればありえないことだ。
 ハンガリー・トランシルヴァニア連合とワラキアとの国力差は隔絶しており、その差は生半なことで埋まるものではない。
 しかし今にかぎってはその前提が崩れていた。
 すなわち上部ハンガリーの雄、ヤン・イスクラとヴラドは対ハンガリー戦において盟友関係にあったからである。
 どっぷりと上部ハンガリーに拘束されているヤーノシュは、トランシルヴァニアを早急には救援することができないはずであった。
 それに殺されかかったのに、何のお返しも考えないほど俺はお人よしな人間ではない。
 最初俺が自ら出陣すると言ったときには、ベルドもネイもタンブルも揃って反対した。
 敵地奥深く侵攻する危険を考えれば、大公自ら出陣するのは危険だ、と。
 しかしこの程度の敵を相手に敗北するようでは、どのみち俺の地位も長続きするものではない。
 上部ハンガリーを片づけたヤーノシュが、本腰をあげてワラキア征服に乗り出せばいずれにせよワラキアのジリ貧は避けられないのだ。
 それに首尾よくトランシルヴァニアを占領したとしても、その後の政治的落とし所を探るのは俺でなくてはならなかった。
「今のうちに学んでおけ。いずれはお前が決断をしなくてはならない立場になる日もあろう」
「…………はい」
 悔しいがまだ自分には力が足りない。
 ヴラドの代わりを務めるだけの知識も経験も度量もない。
 それがベルドにはたまらなく悔しく無念であった。
 ―――――あの日ヴラド様に命を救われたのは、こんな無力な自分を自覚するためではなかったはずだ。
 いつか必ずヴラド様に追いつく。追いついてみせる。
 そしてヴラド様の理想を実現するための頼れる力となるのだ!
 ベルドもまた決意を新たにしていた。

 常備軍のほぼ全軍となる兵三千、そして友好的な貴族軍からなる一千の軍勢がトゥルゴヴィシュテに集められていた。
 真紅の軍装で統一された煌びやかな近衛軍は、その中でもひと際異彩を放っている。
 中世ワラキア公国における赤備えを率いるのは、俺の代理を務める側近のベルドである。
 その中を一糸乱れぬ統率ぶりで配下の精鋭とともに、粛々とヴラドの前に進み出たゲクランがその長い手で剣を抜き、ゆっくりと儀式の礼をとった。
「我らが大公殿下に聖アンデレの祝福あれ! アンデレ、ヴラド! アンデレ、ヴラド! アンデレ! ヴラド!」
「アンデレ! ヴラド!」
「アンデレ! ヴラド!」
「アンデレ! ヴラド!」
 はちきれんばかりに膨れ上がった士気とともに、兵士たちの鬨の声がこだまする。
 小国であったワラキアが、攻められるばかりであったワラキアが、遂にこちらからうって出るという事実が兵士たちを昂揚させていた。
 もはやそこに素人臭かった農家の次男坊の面影や、荒くれで教養のない傭兵の面影はない。
 どこの国にも負けぬ精鋭の軍人の姿がそこにあった。
――――――俺に喧嘩を売ったことを地獄の底まで後悔しろ。
 昨年のヤーノシュ侵攻を退けたのはまだまだ運の要素も強かった。
 しかし今日からはもうまともに戦っても負けん。
 俺は固唾を呑んで命令を待つ信頼すべき兵士たちにむかって、高らかに戦いの開始を告げた。
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