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第二十七話 もうひとつの教会
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一週間後、シギショアラの地を一団の聖職者達が訪れていた。
現強硬、ニコラウス5世教皇の特使として派遣されたジュロー枢機卿の一団であった。
「このようにキリスト教国同士が相争うことなどただ異教徒を利するのみ。我ら教皇庁が公正な裁定を行うゆえワラキア公には一旦国にお引取り願いたい」
おいこら、寝言は寝て言え。
そう言いたいのをぐっとこらえて、俺はにこやかに笑って彼らの申し出を固辞した。
どうやらヤーノシュの教皇庁に対する影響力を見誤っていたらしかった。
もしかしたら十字軍の派遣要請でも受け入れたのかもしれない。
これほど本腰を入れて、あからさまにハンガリー寄りの工作を教皇庁が行うにはそれくらいの見返りがないとおかしいのだ。
「フニャディ・ヤーノシュは我が父の仇、奴の首を取るまで退くことは叶いませんな」
「さて? ヴラド・ドラクル殿は臣下に暗殺されたと聞き及びましたが?」
「ヤーノシュに教唆されたと自白したものがおりまして」
はっきりと嘘である。
しかしことここにいたってはこの線で押し通すしかない。
いくらなんでもここで教皇庁から異端認定されるという選択肢はない。
「ならばその者を御引き渡しいただきたい。その件も含め我ら教皇庁が裁きを下しましょうぞ」
「…………………」
駄目だ、こいつら何が何でもヤーノシュを助ける気でいやがる。
「ヴラド公も心の底から異教徒に従っておりわけではございますまい。同じキリスト教徒として今は心を一つにすべきとき。神は必ずや公の満足のいく答えをお導きくださるでしょう」
――――――それはヤーノシュの全面勝訴というお導きか?
あまりの下らない口舌に、どうやら怒りを通り越して逆に腹が据わってしまったらしい。
悪いがそちらがそのつもりならこちらにも相応の覚悟がある。
「残念ながらお断りいたしましょう。我らには貴方以外に歴とした導き手がおりますゆえ」
「まさか本気で異教徒に魂を売り渡したのではありますまいな? さすればキリスト教国のことごとくがワラキアを敵として神の鉄槌をくだしましょうぞ!」
所詮小国のワラキアが、教皇庁に正面から刃向かえるわけがないと思っていたジュロー枢機卿は激昂した。
神の代理人である自分を愚弄するならば、本気でワラキアなど滅ぼしても構わない。
たまたまトランシルヴァニアを手に入れて調子にのっているようだが、繁栄を極める欧州に比べればたかが田舎の一公国程度何ほどのことやある。
そもそも異教徒の殲滅に燃えるジュローとしては、ワラキアがオスマンに従属しているというだけでも許しがたくあるのだ。
「これはしたり。我が信仰する神の導き手はローマ皇帝ヨハネス8世陛下ただひとり。それはフィレンツェ公会議において教皇聖下もお認めになったはず。まさか東西の合同をお進めになっている聖下が、我が正教を異端扱いされるようなことはございますまい?」
「そ、それは……………」
今や瀕死の正教など知ったことか、とジョローは考えていたが、さすがにそれを言葉にするのは憚られた。
教皇自身が東西合同に並々ならぬ関心を寄せているのは事実であったからだ。
「私としたことが埒もないことを! そのようなことがあるはずもない! もしそうならば教皇庁は異端と合同することになるのですからな!」
煽るように俺は嗤った。
(―――――この若僧、殺してやりたい―――――!)
血が滲みでるほどに唇を噛みしめ、ジュローは大げさな身振りで、さも迂闊なことを言った、という演技に興じるヴラドを呪った。
何よりその言葉を否定出来る術を、自分が持ち合わせていないことがたまらなく無念であった。
「ご足労だが一度お引き取りになってヤーノシュ公にご伝言いただこう。我らは正教会の仲裁にならいつでも応じる用意がある、と」
鮮やかな地中海の赤い夕陽に照らされて、ローマの特徴的な円形の屋根が鈍い陰影を作り上げていた。
かつてあった力を失い、老いさらばえた醜い肢体をさらしていても、背負い続けた膨大な過去がもたらす栄光の輝きは消えない。
誰もがそれを信じ、そして納得してしまいそうな荘厳な風景であった。
しかし暗闇に沈んでいく古い石造りの街並みは、彼らの未来を暗示しているようにも思えるのだった。
ローマ
その名は全ての欧州世界の精神的な源流である。
しかし今やその名を受け継ぐ帝国は、かろうじて息をしているだけの瀕死の病人のようでもあった。
後の世にビザンツ帝国とも、東ローマ帝国とも呼ばれるこの大国は、わずかばかりの領土と皇帝が存在するというだけの名ばかりの存在に成り果てていた。
その猫の額のような国土も、今や巨大なオスマン帝国によって包囲されており、莫大な朝貢金を払ってようやく存在を許されている。
かつての栄光を知るものにとってそれは屈辱以外の何物でもなかったのである。
―――――かの有名なコンスタンティヌス帝が、ボスポラス海峡のマルマラ海側の突端に首都を建設したのは西暦330年のことになる。
コンスタンティノポリスと呼ばれたこの首都は、ローマ帝国の東西分裂後、新ローマあるいは第二のローマと呼ばれ、最盛期には人口四十万を擁するキリスト教圏最大の都市として機能した。
強固な城壁に守られた帝都は難攻不落であるかに思われたが、第四回十字軍によってあろうことか味方であったはずのキリスト教徒によって一旦滅亡の憂き目をみる。
その後帝国はミカエル8世のもとで復活するも、ついにかつての繁栄を取り戻すことはなかった。
世界に冠たるローマの正統な後継者にして、キリスト教正教会の総本山でもあるコンスタンティノポリスは今唐突に訪れた機会に荒れていた。
政治的影響力を失って久しいコンスタンティノポリス総主教庁に、ワラキアとハンガリーの調停が持ち込まれたからであった。
正教会(オルソドクシア)
ローマの分裂とともに、教会もまた東西に分かたれており、西方のカトリック教会に対し東方を正教会という。
ルーマニアはいうに及ばず、セルビア・ブルガリア・ウクライナ・ポーランド・ロシア・ギリシャなど、東欧の諸国のほとんどはこの正教会に所属していると言っていいだろう。
帝国の衰亡とともにその影響力は低下していたが、正教徒にとっての信仰の源であるという巨大な権威は健在であった。
ゆえにこそワラキア公はローマ教皇庁にではなく、コンスタンティノポリス総主教庁に調停を委ねたのである。
彼らにとってこの調停に成功すれば、再び東欧でも影響力を取り戻せるかもしれないという希望を抱かせるには十分な問題であった。
現強硬、ニコラウス5世教皇の特使として派遣されたジュロー枢機卿の一団であった。
「このようにキリスト教国同士が相争うことなどただ異教徒を利するのみ。我ら教皇庁が公正な裁定を行うゆえワラキア公には一旦国にお引取り願いたい」
おいこら、寝言は寝て言え。
そう言いたいのをぐっとこらえて、俺はにこやかに笑って彼らの申し出を固辞した。
どうやらヤーノシュの教皇庁に対する影響力を見誤っていたらしかった。
もしかしたら十字軍の派遣要請でも受け入れたのかもしれない。
これほど本腰を入れて、あからさまにハンガリー寄りの工作を教皇庁が行うにはそれくらいの見返りがないとおかしいのだ。
「フニャディ・ヤーノシュは我が父の仇、奴の首を取るまで退くことは叶いませんな」
「さて? ヴラド・ドラクル殿は臣下に暗殺されたと聞き及びましたが?」
「ヤーノシュに教唆されたと自白したものがおりまして」
はっきりと嘘である。
しかしことここにいたってはこの線で押し通すしかない。
いくらなんでもここで教皇庁から異端認定されるという選択肢はない。
「ならばその者を御引き渡しいただきたい。その件も含め我ら教皇庁が裁きを下しましょうぞ」
「…………………」
駄目だ、こいつら何が何でもヤーノシュを助ける気でいやがる。
「ヴラド公も心の底から異教徒に従っておりわけではございますまい。同じキリスト教徒として今は心を一つにすべきとき。神は必ずや公の満足のいく答えをお導きくださるでしょう」
――――――それはヤーノシュの全面勝訴というお導きか?
あまりの下らない口舌に、どうやら怒りを通り越して逆に腹が据わってしまったらしい。
悪いがそちらがそのつもりならこちらにも相応の覚悟がある。
「残念ながらお断りいたしましょう。我らには貴方以外に歴とした導き手がおりますゆえ」
「まさか本気で異教徒に魂を売り渡したのではありますまいな? さすればキリスト教国のことごとくがワラキアを敵として神の鉄槌をくだしましょうぞ!」
所詮小国のワラキアが、教皇庁に正面から刃向かえるわけがないと思っていたジュロー枢機卿は激昂した。
神の代理人である自分を愚弄するならば、本気でワラキアなど滅ぼしても構わない。
たまたまトランシルヴァニアを手に入れて調子にのっているようだが、繁栄を極める欧州に比べればたかが田舎の一公国程度何ほどのことやある。
そもそも異教徒の殲滅に燃えるジュローとしては、ワラキアがオスマンに従属しているというだけでも許しがたくあるのだ。
「これはしたり。我が信仰する神の導き手はローマ皇帝ヨハネス8世陛下ただひとり。それはフィレンツェ公会議において教皇聖下もお認めになったはず。まさか東西の合同をお進めになっている聖下が、我が正教を異端扱いされるようなことはございますまい?」
「そ、それは……………」
今や瀕死の正教など知ったことか、とジョローは考えていたが、さすがにそれを言葉にするのは憚られた。
教皇自身が東西合同に並々ならぬ関心を寄せているのは事実であったからだ。
「私としたことが埒もないことを! そのようなことがあるはずもない! もしそうならば教皇庁は異端と合同することになるのですからな!」
煽るように俺は嗤った。
(―――――この若僧、殺してやりたい―――――!)
血が滲みでるほどに唇を噛みしめ、ジュローは大げさな身振りで、さも迂闊なことを言った、という演技に興じるヴラドを呪った。
何よりその言葉を否定出来る術を、自分が持ち合わせていないことがたまらなく無念であった。
「ご足労だが一度お引き取りになってヤーノシュ公にご伝言いただこう。我らは正教会の仲裁にならいつでも応じる用意がある、と」
鮮やかな地中海の赤い夕陽に照らされて、ローマの特徴的な円形の屋根が鈍い陰影を作り上げていた。
かつてあった力を失い、老いさらばえた醜い肢体をさらしていても、背負い続けた膨大な過去がもたらす栄光の輝きは消えない。
誰もがそれを信じ、そして納得してしまいそうな荘厳な風景であった。
しかし暗闇に沈んでいく古い石造りの街並みは、彼らの未来を暗示しているようにも思えるのだった。
ローマ
その名は全ての欧州世界の精神的な源流である。
しかし今やその名を受け継ぐ帝国は、かろうじて息をしているだけの瀕死の病人のようでもあった。
後の世にビザンツ帝国とも、東ローマ帝国とも呼ばれるこの大国は、わずかばかりの領土と皇帝が存在するというだけの名ばかりの存在に成り果てていた。
その猫の額のような国土も、今や巨大なオスマン帝国によって包囲されており、莫大な朝貢金を払ってようやく存在を許されている。
かつての栄光を知るものにとってそれは屈辱以外の何物でもなかったのである。
―――――かの有名なコンスタンティヌス帝が、ボスポラス海峡のマルマラ海側の突端に首都を建設したのは西暦330年のことになる。
コンスタンティノポリスと呼ばれたこの首都は、ローマ帝国の東西分裂後、新ローマあるいは第二のローマと呼ばれ、最盛期には人口四十万を擁するキリスト教圏最大の都市として機能した。
強固な城壁に守られた帝都は難攻不落であるかに思われたが、第四回十字軍によってあろうことか味方であったはずのキリスト教徒によって一旦滅亡の憂き目をみる。
その後帝国はミカエル8世のもとで復活するも、ついにかつての繁栄を取り戻すことはなかった。
世界に冠たるローマの正統な後継者にして、キリスト教正教会の総本山でもあるコンスタンティノポリスは今唐突に訪れた機会に荒れていた。
政治的影響力を失って久しいコンスタンティノポリス総主教庁に、ワラキアとハンガリーの調停が持ち込まれたからであった。
正教会(オルソドクシア)
ローマの分裂とともに、教会もまた東西に分かたれており、西方のカトリック教会に対し東方を正教会という。
ルーマニアはいうに及ばず、セルビア・ブルガリア・ウクライナ・ポーランド・ロシア・ギリシャなど、東欧の諸国のほとんどはこの正教会に所属していると言っていいだろう。
帝国の衰亡とともにその影響力は低下していたが、正教徒にとっての信仰の源であるという巨大な権威は健在であった。
ゆえにこそワラキア公はローマ教皇庁にではなく、コンスタンティノポリス総主教庁に調停を委ねたのである。
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