彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~ ヴラド・ツェペシュに転生したら詰んでます

高見 梁川

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第五十四話 ヘレネの戦い6

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 サレスの祈りをよそに、リナレスはついにヘレナのいる寝室へと辿りついた。
「――――ここか?」
 ひと際大きな扉の部屋を前にしてリナレスは舌舐めずりをする。
 どこか女性らしいたおやかな細工と、扉の両脇に飾られた美しい花がここに高貴な女性がいることを明確に告げていた。
「潔く出てこい! 魔女め!」
 予想以上に早かった敵の襲来に、ヘレナは静かに瞑目したが、それで諦めるつもりは毛頭なかった。
 大理石のテーブルで封鎖された扉が突破されるには時間がかかるだろう。
 それまでにサレスが敵を駆逐してくれるかもしれない。あるいは外部の援軍が間に合うかも。
「……妾が本当に魔女ならば苦労はないのだがなあ」
 非力な少女(ヘレナ)に出来ることは少ない。
 おもちゃのような非力な人間用の弩を構えて、ヘレナは腹の底からこみあげる恐怖を飲み込んだ。
 恐怖におびえて立ちすくむのはヘレナの性に合わない。
 むしろ積極的にあがき続けることこそ、ヘレナの少女の本領というべき資質であった。
 ドンドンと扉を叩く音が激しさを増していく。
 打撃では扉が開かないことを知ったリナレスたちは渾身の力で剣を扉に叩きつけた。
 オーク材で出来た扉は硬く厚かったが、それでも男たちに剣をふるわれれば少しずつ空間を削られていくのを防ぐことは出来ない。
 バリッという破裂音とともに剣が扉を突き抜けると、テーブルを押えて必死に敵の侵入を防いでいた侍女たちが悲鳴をあげた。
「へへっ! やっぱりいやがったぜ!」
 わずかに空いた穴を広げてひとつ、ふたつと剣が突きたてられ、拳ほどの隙間が開くと1人の男がヘレナの姿を確認するべく穴から中を覗きこむ。

「ぎゃああああああああああああああああ!」
 ヘレナの姿を確認したと思った瞬間、男の目には小さな矢が突き刺さり、無防備な目を貫通した矢は男の脳にまで達して停止した。
 ヘレナの持つ弩は威力こそ小さいものの、鎧や兜を装着していない平服を着たままの人間に対してはなお十分な攻撃力を有していたのである。
「くそっ! 迂闊に穴に身体をさらすな! 今は扉を叩き壊すことに専念しろ!」
 追い詰めたと思っていた獲物に反撃されたリナレスは激怒したが、ヘレナを追い詰めるための冷静さまではなくさなかった。
 力任せに剣が振るわれ、どんどん扉が原形を失っていく。
 分厚い扉が半ばまで切り倒され、男たちの野太い腕が扉を後ろから支えていたテーブルへと伸びた。
 こうなっては侍女のやせ腕で男たちの力を押し返すことは不可能であった。
「きゃああああああああ!」
 力任せにテーブルが押し返され、反動で背中から侍女たちがひっくり返る。同時に開いたスペースから猛然と男達が飛び出した。
「ぐおおおおっ!」
 ひと際大柄であった男の胸に、ヘレナの放った矢が突き刺さり転げまわるようにして男は悶絶した。
 しかし残る男たちはヘレナに向かって殺到する。
 震える手でヘレナは新たな矢をつがえようとするが、焦るばかりで一向に矢が手に着かない。
 早くしなければ、男達がたどり着く前に早く!!
「姫様! お逃げください!」
 侍女の1人が必死に男の足にすがりつくようにしてヘレナを庇った。
 無駄な抵抗にいらだった男は、無防備な侍女の背中に容赦なく剣を突きたてた。
「コンスタンス!」
 鈍い音とともに絶命する侍女を見てヘレナは悲痛な声をあげた。
「とうとう追い詰めたぞ、魔女め!」
 そしてヘレナを見降ろすようにして、歓喜の笑みを浮かべたリナレスが立ち塞がっていた。
 咄嗟に弩を向けようとしたヘレナを鼻で笑うようにリナレスは弩を弾き飛ばす。
 武器をなくしたヘレナは、それでもなお毅然と敵意をこめてリナレスを睨みつけた。

「妾は負けぬ!」
「おいおい、頭がおかしくなったんじゃねえか? 身の程をわきまえろ、餓鬼が!」
 呆れたように肩をすくめると無造作にリナレスはヘレナを殴りつける。
 小さなヘレナの身体が衝撃で後ろにはじけ飛び、肺の酸素を強制的に吐き出されてヘレナはケホケホと咳きこんだ。
 もうどこにも希望などありはしなかった。
 それでもヘレナは敗北を認める気にはなれなかった。
 ―――――自分こそがヴラドの隣に立つに相応しい人間のはずだ。
 立ち塞がる全てを跳ね除け超然と歩む者。悪魔と呼ばれ神を敵に回そうとも傲然と世界を変えていく者。妻たるこの身もまたそうあらねばならぬ。
 そうでない自分を決して認めることなど出来ぬ!
「手間をかけさせやがって……! あの世で悪魔に詫びやがれ!」
 リナレスが剣を振り上げ、まさに必殺の一撃が振り下ろされようとしたその時、ヘレナは唐突に理解した。
 死にたくない! 
 その理由は決してヘレナの才能や立場によるものではなかった。
 もう一度ヴラドに会いあの胸に抱かれ、はにかんだ微笑みを見て思う存分甘えてみたかった。
 ことさら妻としての役割にこだわったのは、要するにヴラドの隣に立つ自分の居場所を作りあげたかっただけにすぎなかった。
 自分が打算でもなく強制でもなく、非合理な恋という感情に支配されているという事実にようやくヘレナは気づいたのである。
 ―――――ああ、好きだ。好きだとも。こんなにも妾は我が夫を愛している。政治的パートナーとしてではなく、1人の男性として、生涯の伴侶として。なのに妾は何一つ彼に伝えていない!!
 天才などと持ち上げられつつ、自分の気持ちひとつ把握できない愚か者であったとは。
 願わくばもう一度、幻影でもいいからこの目にあの我が君の優しい笑顔を見せて欲しい。
 一筋の涙とともにヘレナは白銀に煌めく剣を見つめた。

 ――――ゾブリ

 深く肉を切り裂き、骨を砕く鈍い音が響く。
「あ……あああ」
 腹から突き出た剣が引き抜かれると、生温かい血がまるで噴水のように腹圧で床に噴きだした。
 誰の目にも致命傷であるその傷は、ヘレナに穿たれたものではなかった。
 力なく崩れ落ちたのはリナレスのほうだったのである。
 そして――――
「誰に断って俺の女に手を出していやがる」
「我が夫…………」
 夢ではなかった、どうしてももう一度会いたかった人物を前にして、軽やかな妖精のようにヘレナは胸へと飛び込んだ。
「うわあああああああああああああああああああ!!」
 堰を切ったようにヘレナは身も世もなく泣いた。
 会えた!
 会えた! また会えた!
 生きてこの愛しい人に会えた!

 それは帝国の皇女でもなく、公国の公妃でもなく、ヘレナという一人の少女がようやく辿りついた生まれて初めての恋の始まりなのだった。
 胸にしがみついて泣きじゃくるヘレナの頭を優しく撫でながら、俺は心底胸を撫で下ろしていた。
 ほんとうに危なかった。
 わずかコンマ一秒遅れたらこの再会はなかった。
 連れて来た兵力が少なすぎたので、汚水口から城内に潜入したのが結果的に大正解だった。
 手の中に伝わるぬくもりに、躊躇なく引き返した自分の決断が間違っていなかったことを俺は確信していた。
 たとえ戦略的に間違いであると言われたとしても。 
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