57 / 111
第五十七話 再始動
しおりを挟む
間一髪の再会から、俺はほとんど丸一日熟睡していたらしい。
48時間近く一睡もせず馬を飛ばしていたのだから当然とも言える。
途中で山賊紛いに農民を脅して馬を略奪してきたうえ乗りつぶしてしまったし、後で補償してやらないといけないだろう。
ところでさも当然のように俺のベッドにもぐりこんでいるこのお子様をどうしたものだろうか。
少し会わない間に身体の曲線がまた少し大人に近づいたような気がするのは俺の気の迷いだろうか。
体臭も子供臭いミルク臭さが抜けて、どこか華のような甘い香りを漂わせるヘレナに俺は理性が徐々に浸食されつつあることを自覚した。
可愛いじゃねえかこんちくしょううううう!!
ヘレナが目覚めるまでの一時間ほどを、身動きが取れず悶々とする俺であった。
ザワディロフの謀反の失敗は、ワラキアにおける貴族の抵抗にとどめをさしたと言っていい。
ヴラドを倒すのにこれほどの機会は二度と訪れないだろう。
にもかかわらずザワディロフは失敗した。
そしてザワディロフを見捨てた貴族たちはこれから先なんらかの機会があったとしても、より確実な機会でなければ動けまい。
さらに副次的な効果として、トランシルヴァニアの貴族たちが一斉に恭順してきたため、モルダヴィアを狙うポーランドに備えるための予備兵力の抽出が可能となった。
やはりヤーノシュの存在がトランシルヴァニア貴族にとって、解放のための唯一の支えであったのだ。
強国ハンガリーの壊滅とトランシルヴァニアの恭順。
老獪なポーランド王カジミェシュ4世が、いかにモルダヴィア侵攻に意欲を燃やそうとも、無理な敵対行為は差し控えることになるだろう。
それにしても驚いたのはハンガリーでのベルドの見事な手腕である。
とりあえず現状維持をしてくれれば十分だと考えていたはずが、ヤーノシュ一派を粛清し、さらに汚名をマルクトに着せて処分するとは、同じことを自分も考えていたとはいえ驚愕の念を禁じえない。
子供だ子供だと思ってきたが、いつのまにかベルドも免許皆伝ということか。
ハンガリー貴族に俺の不在が不審に思われないうちに、ブダに行って褒めてやらんといかんな。
食事もそこそこにブダへ戻ろうとトゥルゴヴィシュテを出立しようとした俺であったが…………。
「ところで……そこにいられると俺が動けんのだが?」
「妾を連れていくというまでは絶対にここから動かぬのじゃ!」
俺の膝のうえでいたくご立腹の様子のヘレナが、梃子でも動かぬとばかりに腰に手を回していた。
こういう態度そのものはまだまだお子様なのだがな。
「いや、だからね? これから行くブダは敵の真っ只中なわけで。ヘレナにこれ以上危ない思いをさせたくなくてだね?」
「危ないのはどこでもいっしょじゃ! それに……妾はもう我が夫から絶対に離れぬと決めたのじゃ!」
スリスリと子犬のように頭を胸にこすりつけるヘレナの姿にクラクラと眩暈にも似た症状が俺を襲う。
まさかこの俺がこの言葉を使う日がこようとは!
(――――俺を萌え殺す気か!)
ザワディロフの反乱から間一髪生き延びて以来、ヘレナは俺にべったりで離れようとしなかった。
天使のように可愛いヘレナにまとわりつかれるのは男として悪い気はしないので放置していたのだが、まさかブダまで同行すると言い出すとは。
ヤーノシュに勝利した現在、ワラキアにおける脅威は限りなく小さくなったはずであった。
もちろん毒殺やテロの可能性がないわけではないが、どこもかしこも敵だらけであった先ごろとは事情が違う。
だがブダとなればそうもいかない。
先王ヤーノシュを殺したのは何といってもヴラドなのであり、その後のマルクトの悪政もワラキアに非なしとは言えないのである。
むしろ実情を考えればすべてはワラキアの思惑通りに進んだといえる。
政治を見通す目をもったものであれば、その真実に気づいていてもおかしくはなかった。
そんなところへヘレナを伴うのはさすがの俺でも容認することはできなかった。
「我ままを言わないで。今度はある程度兵も残していくしブダはこことは比較にならないくらい危険なんだから」
「でも我が夫は、その危険な場所に行くのではないか! 妾を置いて!」
自分の知らない場所でヴラドが死んでしまうなど想像しただけでも身が凍る思いである。
まだ自分は何もしていない。この気持ちを何一つ伝えていない。
あの生と死の挟間で自覚したヴラドへの思いは、ヘレナの中で消化不良のまま澱のようにたまり続けていた。
「そ、それに妾はまだ我が夫に……その、つ、伝えていないことが」
どんどん尻すぼみになっていく自分の声を不甲斐無く思いつつも、ヘレナは瞬く間に頬が熱く血が勢いよく頭に上っていくのを抑えることができなかった。
そんなヘレナを、柱の陰からサレスが腕を回して応援している。
磁器のように白いヘレナの顔が、まるで林檎のように真っ赤に染まっていった。
天才と呼ばれり聡明な頭脳も、ローマ皇帝の高貴な血も、初恋という障害の前には全くと言っていいほど役に立たない。
「何? 何かあった?」
「う、うるさいのじゃ! 女の我儘くらい叶えてやれぬと我が夫の器量がしれるのじゃ!」
再び癇癪を起してヘレナはヴラドに抱きついた。
こうなると意地になったヘレナを説得することは不可能だ。
無理やり置いていくこともできるが、下手をするとあの侍女といっしょに城を抜け出して追いかけて来かねない。
困ったことにそうするだけの実行力が、あの暗殺者あがりのおかしな侍女にはあるだろう。
そんなことになるくらいならまだ一緒に連れて監視していたほうがましである。
それに心のどこかで、ヘレナについてきてほしいという気持ちもあるというのが嘘偽らざる本音でもあった。
ヘレナがザワディロフに殺されているかもしれないと知ったあの時の絶望感を今でもまざまざと覚えている。
この世のすべてが色を失って、何もかも破壊してしまいたいという衝動にかられた憎悪とも怒りともつかぬあの感情を。
いつの間にかヘレナは仲間以上に大切な俺にとっても家族の一人となってしまっていた。
いつからだろう? 彼女の天才を知ったときか、はたまた夫と呼んでくれたときなのか、あるいは初めて彼女の美貌を見たときか――――。
今はまだ妹以上恋人未満といったところだが、あと数年ほどヘレナが成長した暁にはそのときには本当の意味で夫婦となるときが来るのだろうか。
「俺の傍から離れるんじゃないぞ?」
「う、うむ! 望むところなのじゃ!」
パッと花が咲いたように微笑むヘレナの頭を撫でる俺の視界に、なぜか計画通り、とばかりに口の端を吊り上げる侍女の姿が映った。
―――――もしかして全て作戦通りか?
48時間近く一睡もせず馬を飛ばしていたのだから当然とも言える。
途中で山賊紛いに農民を脅して馬を略奪してきたうえ乗りつぶしてしまったし、後で補償してやらないといけないだろう。
ところでさも当然のように俺のベッドにもぐりこんでいるこのお子様をどうしたものだろうか。
少し会わない間に身体の曲線がまた少し大人に近づいたような気がするのは俺の気の迷いだろうか。
体臭も子供臭いミルク臭さが抜けて、どこか華のような甘い香りを漂わせるヘレナに俺は理性が徐々に浸食されつつあることを自覚した。
可愛いじゃねえかこんちくしょううううう!!
ヘレナが目覚めるまでの一時間ほどを、身動きが取れず悶々とする俺であった。
ザワディロフの謀反の失敗は、ワラキアにおける貴族の抵抗にとどめをさしたと言っていい。
ヴラドを倒すのにこれほどの機会は二度と訪れないだろう。
にもかかわらずザワディロフは失敗した。
そしてザワディロフを見捨てた貴族たちはこれから先なんらかの機会があったとしても、より確実な機会でなければ動けまい。
さらに副次的な効果として、トランシルヴァニアの貴族たちが一斉に恭順してきたため、モルダヴィアを狙うポーランドに備えるための予備兵力の抽出が可能となった。
やはりヤーノシュの存在がトランシルヴァニア貴族にとって、解放のための唯一の支えであったのだ。
強国ハンガリーの壊滅とトランシルヴァニアの恭順。
老獪なポーランド王カジミェシュ4世が、いかにモルダヴィア侵攻に意欲を燃やそうとも、無理な敵対行為は差し控えることになるだろう。
それにしても驚いたのはハンガリーでのベルドの見事な手腕である。
とりあえず現状維持をしてくれれば十分だと考えていたはずが、ヤーノシュ一派を粛清し、さらに汚名をマルクトに着せて処分するとは、同じことを自分も考えていたとはいえ驚愕の念を禁じえない。
子供だ子供だと思ってきたが、いつのまにかベルドも免許皆伝ということか。
ハンガリー貴族に俺の不在が不審に思われないうちに、ブダに行って褒めてやらんといかんな。
食事もそこそこにブダへ戻ろうとトゥルゴヴィシュテを出立しようとした俺であったが…………。
「ところで……そこにいられると俺が動けんのだが?」
「妾を連れていくというまでは絶対にここから動かぬのじゃ!」
俺の膝のうえでいたくご立腹の様子のヘレナが、梃子でも動かぬとばかりに腰に手を回していた。
こういう態度そのものはまだまだお子様なのだがな。
「いや、だからね? これから行くブダは敵の真っ只中なわけで。ヘレナにこれ以上危ない思いをさせたくなくてだね?」
「危ないのはどこでもいっしょじゃ! それに……妾はもう我が夫から絶対に離れぬと決めたのじゃ!」
スリスリと子犬のように頭を胸にこすりつけるヘレナの姿にクラクラと眩暈にも似た症状が俺を襲う。
まさかこの俺がこの言葉を使う日がこようとは!
(――――俺を萌え殺す気か!)
ザワディロフの反乱から間一髪生き延びて以来、ヘレナは俺にべったりで離れようとしなかった。
天使のように可愛いヘレナにまとわりつかれるのは男として悪い気はしないので放置していたのだが、まさかブダまで同行すると言い出すとは。
ヤーノシュに勝利した現在、ワラキアにおける脅威は限りなく小さくなったはずであった。
もちろん毒殺やテロの可能性がないわけではないが、どこもかしこも敵だらけであった先ごろとは事情が違う。
だがブダとなればそうもいかない。
先王ヤーノシュを殺したのは何といってもヴラドなのであり、その後のマルクトの悪政もワラキアに非なしとは言えないのである。
むしろ実情を考えればすべてはワラキアの思惑通りに進んだといえる。
政治を見通す目をもったものであれば、その真実に気づいていてもおかしくはなかった。
そんなところへヘレナを伴うのはさすがの俺でも容認することはできなかった。
「我ままを言わないで。今度はある程度兵も残していくしブダはこことは比較にならないくらい危険なんだから」
「でも我が夫は、その危険な場所に行くのではないか! 妾を置いて!」
自分の知らない場所でヴラドが死んでしまうなど想像しただけでも身が凍る思いである。
まだ自分は何もしていない。この気持ちを何一つ伝えていない。
あの生と死の挟間で自覚したヴラドへの思いは、ヘレナの中で消化不良のまま澱のようにたまり続けていた。
「そ、それに妾はまだ我が夫に……その、つ、伝えていないことが」
どんどん尻すぼみになっていく自分の声を不甲斐無く思いつつも、ヘレナは瞬く間に頬が熱く血が勢いよく頭に上っていくのを抑えることができなかった。
そんなヘレナを、柱の陰からサレスが腕を回して応援している。
磁器のように白いヘレナの顔が、まるで林檎のように真っ赤に染まっていった。
天才と呼ばれり聡明な頭脳も、ローマ皇帝の高貴な血も、初恋という障害の前には全くと言っていいほど役に立たない。
「何? 何かあった?」
「う、うるさいのじゃ! 女の我儘くらい叶えてやれぬと我が夫の器量がしれるのじゃ!」
再び癇癪を起してヘレナはヴラドに抱きついた。
こうなると意地になったヘレナを説得することは不可能だ。
無理やり置いていくこともできるが、下手をするとあの侍女といっしょに城を抜け出して追いかけて来かねない。
困ったことにそうするだけの実行力が、あの暗殺者あがりのおかしな侍女にはあるだろう。
そんなことになるくらいならまだ一緒に連れて監視していたほうがましである。
それに心のどこかで、ヘレナについてきてほしいという気持ちもあるというのが嘘偽らざる本音でもあった。
ヘレナがザワディロフに殺されているかもしれないと知ったあの時の絶望感を今でもまざまざと覚えている。
この世のすべてが色を失って、何もかも破壊してしまいたいという衝動にかられた憎悪とも怒りともつかぬあの感情を。
いつの間にかヘレナは仲間以上に大切な俺にとっても家族の一人となってしまっていた。
いつからだろう? 彼女の天才を知ったときか、はたまた夫と呼んでくれたときなのか、あるいは初めて彼女の美貌を見たときか――――。
今はまだ妹以上恋人未満といったところだが、あと数年ほどヘレナが成長した暁にはそのときには本当の意味で夫婦となるときが来るのだろうか。
「俺の傍から離れるんじゃないぞ?」
「う、うむ! 望むところなのじゃ!」
パッと花が咲いたように微笑むヘレナの頭を撫でる俺の視界に、なぜか計画通り、とばかりに口の端を吊り上げる侍女の姿が映った。
―――――もしかして全て作戦通りか?
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~
ぐうのすけ
ファンタジー
主人公(太田太志)は高校デビューと同時に体重130キロに到達した。
食事制限とハザマ(ダンジョン)ダイエットを勧めれるが、太志は食事制限を後回しにし、ハザマダイエットを開始する。
最初は甘えていた大志だったが、人とのかかわりによって徐々に考えや行動を変えていく。
それによりスキルや人間関係が変化していき、ヒロインとの関係も変わっていくのだった。
※最初は成長メインで描かれますが、徐々にヒロインの展開が多めになっていく……予定です。
カクヨムで先行投稿中!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる