彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~ ヴラド・ツェペシュに転生したら詰んでます

高見 梁川

文字の大きさ
60 / 111

第六十話 兄弟の運命

しおりを挟む
 ソロスはイワンと並ぶワラキアの外交官である。
 弁舌と交渉には少なからぬ自負を持つこの男をしても、目の前の男と言葉を交わすのは非常に多大な精神力を必要とした。
 もっともおそらく遠い東の大国明を除けば世界最強の権力者であろう、オスマン帝国スルタン、ムラト2世を相手に、なんら精神的重圧を感じないものもいなかったであろうが。
「我が主ヴラド・ドラクリヤはハンガリー王ヤーノシュを討ち取り、現在はブダにおいて王国の慰撫に努めております。しかしながら先ほども申し上げました通りワラキア国内にはいまだ我が主に逆らう不逞の輩も多く………」
 ソロスは自分を送り出したときのヴラドの懇願するような、祈るような複雑な表情を思い出す。
 言葉にこそ出さなかったが、何としても役目を果してくれと言いたかったに違いなかった。
「さらには神聖ローマ帝国もハンガリーを奪わんと蠢動している様子であり、我が主もなかなかにブダを離れることが出来ません。ゆえに……」
 ソロスは静かに、しかし渾身の精神力を籠めて言葉を吐き出した。
「我が主の最も信頼を置く実の弟、ラドゥ殿下をワラキアにお返しいただくことをお願い申しあげたく陛下のご寛容におすがりする次第」
 ムラトは失礼にならぬ程度に決然とした視線をそらさずに送り続けるワラキアの使者に一定の評価をした。
 超大国の頂点に立つムラトを相手にまともな交渉のできる人間は数少ない。
 なかなかにヴラドのもとには有能な部下がそろいつつあるようだ。
 もっともそうでなくしてオスマンですらてこずったヤーノシュを倒すことなどできるはずもなかった。
 ――――――ふむ、悪くはないか。
 オスマンにとってラドゥの価値はヴラドのスペアであるにすぎない。
 ヴラドがヤーノシュを相手に戦死でもすれば出番もあったであろうが、最大の宿敵がいなくなった今ヴラドを実力で倒せる相手は見当たらなかった。
 あとは子供のいないヴラドが病死、あるいは暗殺された場合だが、それならラドゥがワラキアにいたとしても問題はないはずだった。
 何よりムラト自身が、ヴラドは敵に回すことなく味方に取り込みたいと考え始めていた。
 せっかくヤーノシュがいなくなってくれたのに、ヤーノシュ以上に手ごわい強敵が立ちふさがったのではオスマンにとって何も益がない。
「こたびのワラキア公の戦勝、帝国にとってもまこと重畳なこと。これに報いるに帝国の恩義を知るラドゥ殿下をもってすることもまた陛下のご威光の賜物かと」
 宰相であるハリル・パシャがムラトの判断を後押しする。
 ムラトの見るところラドゥは兄ヴラドほどの器量はなく、ヴラドが健在である以上利用価値の少ないように思われたのである。
 ムラトが口を開き、ラドゥの帰国を認めようとしたそのとき、
「お待ちください――――――!」
 朗々と張りのあるバリトンが響き渡る。
 ムラトの前に大きな体躯の禿頭の男が進み出た。
「ラドゥ殿下は私が後継者に育てたいほどの逸材、オスマンにとっても有用な稀有の人材でございます。何とぞ陛下にはご賢察を賜りますよう……」

 余計なことを、とソロスは舌打ちしたい気分であったが軽くその男を睨みつけるにとどめた。
 特に役職こそないが、その比類ない学識でオスマン宮廷に多大な影響力を及ぼしているその男をソロスはよく承知していた。
「ラドゥがそれほどの期待を寄せられていたとは寡聞にして知らなかったな、メムノン」
 ムラトは脳内で計算をめぐらせる。
 はたしてラドゥはここでヴラドの要請を断るに足るほど役に立つ男であったろうか?
 もしそれだけの力があるならオスマンで育てるに吝かではないのだが。

「ラドゥ殿下に過分な評価をいただき臣としても喜びに耐えませぬ。しかし今こそワラキアにとっては肝要な時。ここはぜひともラドゥ殿下の力を頼らせてくださいませ」
 このままメムノンの言うとおりラドゥの身柄を押さえられてしまってはたまらない。ソロスは必死にムラトに向かって食い下がる。
「―――――それにラドゥ殿下は皇太子殿下も近習にとお望みゆえ、ラドゥ殿下自身にとってもこのまま我が国におられたほうがお身のためかと」
「ほう…………メフメトが」
 ムラトは苦そうに顔を顰めた。
 世界最強を自負するオスマン帝国のスルタンであるムラトにとって、唯一苦手なものがあるとすれば、それは息子であるメフメト自身にほかならなかったであろう。
 ムラトはメフメトの才幹自体は露ほども疑っていない。
 ただメフメトの強い野心と自己顕示欲が、オスマンを危ういほうに導くのではないかと危惧しているだけだ。
 若干12歳のメフメトに政治を任せ余生を送るつもりになっていたムラトは、その後の欧州の介入とメフメトと重臣たちの不和を収めるため、メフメトを退位させ再びスルタンの座に再登板せざるをえなかった。
 いわば自分の我がままで息子に生涯消えぬ恥をかかせてしまったに等しい。この事実はムラトの胸に消しきれぬ息子に対する負い目を刻みつけていた。
「陛下! どうか殿下を………!」
「すまんがラドゥは我が国に必要な人材であるようだ。ヴラド公には必ずや埋め合わせはすると伝えていただこう…………」
 退位してマニサに赴けと伝えたときのメフメトの屈辱にゆがんだ顔をムラトは今でも忘れることができない。
 そのメフメトが見出した部下を手放すように伝える勇気をムラトは持つことができなかった。
 ソロスの必死の嘆願もむなしく、ラドゥはイェニチェリの一員として将来の幹部候補として育成されることが決定したのだった。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった

ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます! 僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか? 『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~

ぐうのすけ
ファンタジー
主人公(太田太志)は高校デビューと同時に体重130キロに到達した。 食事制限とハザマ(ダンジョン)ダイエットを勧めれるが、太志は食事制限を後回しにし、ハザマダイエットを開始する。 最初は甘えていた大志だったが、人とのかかわりによって徐々に考えや行動を変えていく。 それによりスキルや人間関係が変化していき、ヒロインとの関係も変わっていくのだった。 ※最初は成長メインで描かれますが、徐々にヒロインの展開が多めになっていく……予定です。 カクヨムで先行投稿中!

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...