彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~ ヴラド・ツェペシュに転生したら詰んでます

高見 梁川

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第八十三話 草原の獅子

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 コンステンティノスがヴラドに王号を認めるという政策は、メフメト二世の面目を正面から罵倒するものである。
「………あの皇帝には思い知らせてやらねばならぬ。余をないがしろにするということがどういうことになるのかを」
 メフメト二世は本気で赫怒していた。
 いまだ交渉の打診の段階とはいえ、ヴラドにルーマニア王位を送るということは、形式上オスマンに服属しているワラキアに対する深刻な内政干渉である。
 まして即位したばかりの若きメフメト二世を、軽視するかのような対応であった。
 おそらく、皇帝にそうした意識はないのだろう。
 ただ、親オスマンのデメトリオスを皇太子とするために、バランスを取るためワラキア公の面目を立てる対応をとらせているのに違いなかった。この覇王たるメフメトをさしおいて!
 そんな無自覚な尊大さが、メフメト二世には悔しい。
 それは帝国千年の歴史が育んだ皇帝の血脈だけが享受できる特権であろうからだった。
「貴様が王の王を気取るのであれば、それを討ち滅ぼすのが新たなる王の王たる余の役目だ」
 紀元前331年、王の王を自称したペルシャの王ダレイオス三世は、ガウガメラの地で当時はまだ弱小なヘラスの王にすぎなかったアレクサンドロス三世に敗れた。
 揺ぎなく不動のものと思われた王の権威は、新たな英雄の登場によって永久に過去のものとされたのだ。
 自らを英雄アレクサンドロスになぞらえるメフメト二世にとって、ローマ世界の精神的支柱に引導を渡す英雄は自分以外にはありえなかった。
 千年の歴史を凌駕し、後世に称えられることこそ自らの生まれた宿命であると固く信じていた少年はいまだそのときの胸の熱さを忘れてはいなかった。
「見るがよい。これが余の伝説の始まりだ」


 砂塵のなかを数千の騎兵が見事な機動を行っている。
 その機動力と練度の高さは、おそらくオスマンを含むアジア世界のどの騎兵部隊をもしのぐであろう。
 まだ年若い、聡明そうな黒い瞳が印象的な指揮官の名をウズン・ハサンと言った。
 黒羊朝に奪われていたかつての首都ディヤルバキルを取り戻した兄ジャハーン・ギールは現在宴の真っ最中にいる。
 しかし首都奪還の実質的指揮官はウズン・ハサンであり、軍事的才能によって退勢著しい白羊朝を立て直しているのもまたウズン・ハサンに他ならない。
 にもかかわらず、弟の才能を憎む兄は宴から弟をはずし、首都近郊の警戒に当たらせていたのであった。
 昔は仲のよい兄弟だった。
 ともに馬に乗りともに剣を競った。
 体力のない弟の面倒をよく見てくれた優しい兄だった。
 ウズンは青い空を見上げて嘆息した。
 いつしか時が過ぎ、父カラ・ユルク・オスマンが戦死して国を担う責任を一身に背負ってから兄は変わった。
 ――それも悪いほうへと。
 自分だけは安全な場所から、部下の者たちに危険で無茶な任務を平気で与えるようになっていった。
 しかも、成功すれば自分の手柄にして失敗すれば過酷な罰を下した。
 誰の目にも王の器でないことは明らかだった。
 勇猛で懐の広かった父が無惨な戦死を遂げたときに、兄の心にはいつか自分もまた敵の剣に倒れるという恐怖が巣食っていたのかもしれない。
 気の毒なことではあるが、誇り高い遊牧の民は臆病な王には決して心からは従わないのだ。
「大丈夫、これからは心穏やかに余生を過ごせばよい…………今の世を生き抜くには兄上……貴方は弱すぎる」
 遊牧民にとって長が弱いことは罪だ。
 その日、王都ディヤルバキルは再び主を変えた。
 弱き王を守る民はほとんどいないことに、ジャハーンは泣き叫びながら呪いの言葉を放った。
「兄を殺して偽りの玉座を誇るかウズン!」
「嫌ならば貴方が弟(おれ)を殺せばいい。強き王であればそれができるはずだ」
 ウズンの予想通り、ジャハーンには剣を取りウズンに斬りかかる勇気すら持つことができなかった。

「ワラキア公の援助には感謝している。このウズン・ハサン恩と怨は終生忘れぬ性質だ。いずれ公にこの恩は返そう」
 白羊朝が史実よりわずかに早くディヤルバキルを陥とせたのにはわけがある。
 ワラキアからの拳銃と大砲の供給がなくば、都市攻撃に不慣れな騎兵部隊は、さらなる消耗を強いられたであろう。
 しかもワラキア公はウズン・ハサンの公的な後ろ盾であり、彼の威光は兄ジャハーン・ギールから部下たちを寝返らせるのにこのうえなく有効なものであった。
「我が主は陛下が偉大なる君主として黒羊朝を膝下に置くことをお望みです。いまや黒羊朝とオスマン朝が手を組み飛ぶ鳥すら落としかねぬ勢い、われらは協力してこれに当たらねばなりませぬ」
 ワラキアにとって最低でも、黒羊朝が東欧まで援軍を派遣してくるような事態だけは避けたいのが本音である。
 オスマンの後援を受けた黒羊朝はティムール朝の支配領域を確実に侵食しており、早晩ティムールを版図に組み込んでしまう可能性すらあったのだ。
 そんなことになればグルジアやトレビゾントのような正教系の小国は完全に命運が尽きてしまう。
「ワラキアはオスマンを、我々は黒羊朝を、というわけなのだな。承知した、むしろそれはオレも望むところだ」
 父カラ・ユルク・オスマンの仇を討つのは長年の悲願である。
 ウズン・ハサンもまた在りし日の父に対する憧憬を胸の奥に留めていた。
 運悪く落命したが、戦士としての力量は高く、決して黒羊朝に劣るから負けたわけではなかった。
 それを証明するのは息子たる自分の責務であろう。
 そうでなくともウズン・ハサンは、自分で言ったとおり積年の怨を忘れるような男ではなかった。
「………トレビゾント帝国のご息女との婚姻の儀はつつがなく執り行えるものと存じます。婚姻が成ればよりいっそうの援助が可能となりましょう」
 ウズン・ハサンはワラキアの使者の言葉にひどくきな臭い匂いを感じ取っていた。
 自分にとっては嗅ぎなれた匂い………それは戦の匂いであった。
「トレビゾントはいまやオスマンの属国のひとつ………それをここまで急いで婚姻させるとは………ワラキア公もいよいよ覚悟を決められたと見るべきかな?」
「………たとえ覚悟があろうとなかろうと、戦というものはきっかけさえあれば始まってしまうものでございますよ」
 ウズン・ハサンは皇帝コンスタンティノス11世が、ワラキア公をルーマニア王につけようとしていることを知らない。
 そして皇帝の弟たちがいかにワラキア公を敵視しているのかも。
 戦争には当事者ではない第三者の思惑が複雑怪奇に入り組むものである。
 とはいえウズン・ハサンも当代の英雄の一人である。
 使者の言葉の中に彼なりに戦を志向する勢力の存在を感じ取った。
 それに小人がどれほど独善的で身勝手な行為に及ぶかということを、ウズン・ハサンもまた権力者の一人として身にしみて知っている。
「…………なかなかに度し難いものだな、この世界というものは………」
 視線を地に落としていたウズン・ハサンは何かに気づいて顔を使者に戻した。
「そういえば、ワラキア公の弟御がオスマンにいたな………」
 さすがに顔色こそ変えなかったが、使者は苦虫を噛み潰したような苦い思いを禁じえなかった。
 まさにそれはワラキア公のアキレス腱であり、ワラキア公の優しさを知る一部の臣下にとっては一番の心配の種であったのである。
「………スルタンのお傍近くに仕えているものと聞いております。それがどうかなさいましたでしょうか?」
「いや…………」
 ウズン・ハサンは哂った。
 寂しそうな、何かをあきらめた老人のような、誰かに置き去られた少年のような、いかにも虚ろな哂いだった。
 庶民であればともかく、王家に生まれついたならば兄弟は家族であると同時に、もっとも手強い敵となる。
 それがいかに情を通わせた大切な者であっても。
 あるいは自分が兄を国を守るために殺したように、ワラキア公も弟を殺す日が来るのだろうか?
「………………ワラキア公が弟をどう思っているのか気になっただけだ…………」


 一方、そのころのヴラドは――
「「どちらが殿下を満足させることができるか勝負ですわ!」」
 どうやら逃れることのできない修羅場のなかにいた。
 勝負と言われて退くヘレナではない。こういったところは存外お子様な感性のままなのである。
「いつでもかかってこい! 妾は誰の挑戦でも受ける!」
「いや、受けちゃだめだろうその場合!」
「「「口出し無用!!」」」
 負けず嫌いなヘレナの性格をついたアンジェリーナたちの完全な作戦勝ちであったようだ。
 なし崩し的に押し倒されたヴラドは、干からびた魚のようになって翌日の昼まで起き上がることができなかったという。
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