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第九十八話 あの日の約束
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………………やられた
ゲクランが突破されたこの時点で、俺は敗北を覚悟した。
俺の用意した奥の手は敵と一時的に距離をおくことを前提としている。
ここまで接近されてはその手はつかえない。
督戦隊の投入がもう少し遅ければ間に合ったのかもしれないが、戦場では先手を取ったものが優位に立つのは当たり前のことだった。
ただ遅れてしまった自分が悪いのだ。
「すまんがヘレナを………」
ヘレナだけでも脱出させようとしたそのときだった。
「ネイ! ゲクラン殿を左右の両翼から至急退くように合図しろ! 本陣の榴弾をありったけ叩き込んだら私が近衛三千で突撃をかけるから、後は殿下を頼む」
急にベルドが会話に割り込んできた。いや、それどころか俺の意思を無視して全軍の指揮を執ろうとしていた。
「役どころが違うぞ、ベルド」
近衛を率いて殿を務めるのは自分が相応しい、とネイは反駁する。
「古い友人が私を呼んでいるのだ。悪いがこの任を譲る気はない。たとえこの命が失われようと、だ」
ネイはベルドを翻意させることができないことを卒然として悟らざるを得なかった。
こうしている間にも敵は接近し続けており、もはや一刻の猶予もない。
ベルドが覚悟を決めている以上、言い争うのは時間の無駄であった。
「………武勲を祈る」
「殿下を頼む、ネイ殿はよき兄、よき友であった」
「お前たち、俺を無視して何を勝手なことを言ってやがる!?」
すでにして二人の考えていることはわかっていた。
ベルドは死ぬ気だ。
近衛兵三千とともに、あの敵を足止めして死ぬ気なのだ。
………そんなことは認められない。
たとえ身びいきが過ぎようとも、ベルドはただの部下じゃない。大切な家族なんだ。
「そなたの忠誠に感謝を、ベルド」
「さらばです、公妃殿下」
「ヘレナ?!」
愛すべき伴侶の言葉に思わず俺は言葉を失った。
どうしてベルドの死をそんな簡単に許容してしまえるのだ?
ヘレナならば自分とベルドの深い絆がわかってくれるのではなかったか?
「我が夫よ、臣下には臣下の、主君には主君の務めがある。汝は主君なのだ、それを忘れてはならぬ」
奥歯が軋み、手のひらに爪がくいこんで鮮血が指先を伝って大地に吸い込まれた。
畜生! こんな思いをするために俺は君主になったわけじゃないのに!
「ゲクランの収容を急げ、点火したら一気に退くぞ」
ベルドに背を向けてオレは歩き出した。
泣くわけにはいかない、この決断を下した責任として泣いて楽になることなど決して許されるはずがないのだから。
「おさらばです殿下」
「覚えておけよ……生きて帰ったら絶対にいっしょに風呂に叩きこむからな!」
ヴラドの言葉に全く動揺を見せない僚友たちを見て、ようやくベルドは気づいた。
ネイもタンブルも、ヘレナもみんな、自分が女であることには気づいていたのだ。
「いいですね――ヘレナ様がやきもちを焼かなければよろしいですが」
そう言って微笑すると、ベルドは馬に鞭を打って駆け出していた。
そしてベルドが率いる近衛兵三千名の機動は、選び抜かれた精鋭の名に恥じぬものだった。
一糸乱れぬ統率を保ちながら、一部の兵が督戦隊に向けて銃口を向ける。
ただの銃ではない。口径が短く大きなそれは後代の大鉄砲に分類されるものだ。
いかに痛覚が麻痺していようとも、即死級の大ダメージを受ければその不死性を生かすことはできない。
さすがの督戦隊の兵士たちも、榴弾砲や大鉄砲のような打撃に耐えることはできないのである。
「ラドゥ? ラドゥ殿下はどこにおわす?」
洗脳されたものと忠誠をちかったもの、互いに心を鎧ったもの同士が血で血を洗う激戦を繰り広げる中、ベルドはただラドゥの姿を捜し求めていた。
「あれは…………?」
戦場の中に場違いなチューリップの紋章。
ベルドから受け取った手紙のなかに入っていた押し花を思い出してベルドは破顔した。
「そこにいるんだね? ラドゥ」
今こそ誓いを果たそう。
望まぬ戦場で今も胸を痛めているラドゥのために。彼の大切な幼なじみとして。
「生を望むな! ただひたすらに駆けよ!」
互いに心を鎧ったもの同士なら、訓練と才能に勝る近衛兵が勝つのは当然である。
薬物による高揚は、人の心の底から湧き上がる本物の高揚には決して及ばない。
無敵を確信していた督戦隊が、ワラキア公国軍の一隊に推しこまれていく様子を見たメムノンは嚇怒した。
「あの死に損ないを叩き潰せ! 一人たりとも生かして帰すな!」
わずか三千名の近衛兵に、左右から数万の軍勢が殺到した。
だが、前面の督戦隊の異形たちと全力で交戦する彼らに対応する余力はない。
「両翼にかまうな! 一人でも多くの化け物を倒せ! 一歩でも前に進め!銃がなくなれば剣を抜き、剣がなくなれば牙を剥け!死の瞬間まで戦いを諦めるな!」
くしの歯が欠けるように一人また一人と精鋭が失われていく。
いつの間にかベルドに付き従う兵は百人を割っていた。
だが、すでに目的は達せられている。
オスマンの兵を十分釘付けにし、ゲクランの撤退を完遂させた以上、これから追撃してもヴラドのもとへは届かない。
あとは幼い日の親友との約束を果たすのみ!
最後の突撃に力を振り絞った近衛兵たちは、遂に約束の地への扉をこじ開けることに成功した。
大きなチューリップの旗のもとで、ラドゥが微笑んでいるのがベルドの目に映った。
「待たせたねラドゥ」
「約束を果たしにきてくれたのかい? ベルド」
美しく成長しながら幼い日の面影を残すその姿を見紛うはずもない。
ベルドの探し求めたラドゥの姿がそこにいた。
期待と不安の色を浮かべたラドゥの瞳は、それでも幼い日の約束の履行を求めているかのようにベルドには感じられた。
「うん、今約束を果たすよラドゥ」
ベルドの言葉とは裏腹に、ベルドの身体は主人の声に応えようとはしなかった。
がくんとベルドの膝が揺れ、ベルドは顔から地面に倒れこんだ。
もうベルドには立ち上がる力も残されてはいない。
腹部には剣が突きたち、胸には数発の銃弾を浴びている。
瞳に写るラドゥの顔すらおぼろげな有様だった。
「――――ずっと待たせてごめん、ラドゥ」
待っていて、今私が貴方を殺してあげるから。
ベルドの指が震えながら半ばから折れた自らの剣に触れ、そしてそこで永遠に停止した。
「ベルド…………眠ったの?」
動かなくなったベルドをラドゥは優しく抱きしめる。
「いいよゆっくり休んで。もう少し待つのが長引くくらい、僕はどうってことないさ」
ラドゥの腕の中で、もう動かぬはずのベルドの瞳から、大粒の涙がこぼれて落ちた
ゲクランが突破されたこの時点で、俺は敗北を覚悟した。
俺の用意した奥の手は敵と一時的に距離をおくことを前提としている。
ここまで接近されてはその手はつかえない。
督戦隊の投入がもう少し遅ければ間に合ったのかもしれないが、戦場では先手を取ったものが優位に立つのは当たり前のことだった。
ただ遅れてしまった自分が悪いのだ。
「すまんがヘレナを………」
ヘレナだけでも脱出させようとしたそのときだった。
「ネイ! ゲクラン殿を左右の両翼から至急退くように合図しろ! 本陣の榴弾をありったけ叩き込んだら私が近衛三千で突撃をかけるから、後は殿下を頼む」
急にベルドが会話に割り込んできた。いや、それどころか俺の意思を無視して全軍の指揮を執ろうとしていた。
「役どころが違うぞ、ベルド」
近衛を率いて殿を務めるのは自分が相応しい、とネイは反駁する。
「古い友人が私を呼んでいるのだ。悪いがこの任を譲る気はない。たとえこの命が失われようと、だ」
ネイはベルドを翻意させることができないことを卒然として悟らざるを得なかった。
こうしている間にも敵は接近し続けており、もはや一刻の猶予もない。
ベルドが覚悟を決めている以上、言い争うのは時間の無駄であった。
「………武勲を祈る」
「殿下を頼む、ネイ殿はよき兄、よき友であった」
「お前たち、俺を無視して何を勝手なことを言ってやがる!?」
すでにして二人の考えていることはわかっていた。
ベルドは死ぬ気だ。
近衛兵三千とともに、あの敵を足止めして死ぬ気なのだ。
………そんなことは認められない。
たとえ身びいきが過ぎようとも、ベルドはただの部下じゃない。大切な家族なんだ。
「そなたの忠誠に感謝を、ベルド」
「さらばです、公妃殿下」
「ヘレナ?!」
愛すべき伴侶の言葉に思わず俺は言葉を失った。
どうしてベルドの死をそんな簡単に許容してしまえるのだ?
ヘレナならば自分とベルドの深い絆がわかってくれるのではなかったか?
「我が夫よ、臣下には臣下の、主君には主君の務めがある。汝は主君なのだ、それを忘れてはならぬ」
奥歯が軋み、手のひらに爪がくいこんで鮮血が指先を伝って大地に吸い込まれた。
畜生! こんな思いをするために俺は君主になったわけじゃないのに!
「ゲクランの収容を急げ、点火したら一気に退くぞ」
ベルドに背を向けてオレは歩き出した。
泣くわけにはいかない、この決断を下した責任として泣いて楽になることなど決して許されるはずがないのだから。
「おさらばです殿下」
「覚えておけよ……生きて帰ったら絶対にいっしょに風呂に叩きこむからな!」
ヴラドの言葉に全く動揺を見せない僚友たちを見て、ようやくベルドは気づいた。
ネイもタンブルも、ヘレナもみんな、自分が女であることには気づいていたのだ。
「いいですね――ヘレナ様がやきもちを焼かなければよろしいですが」
そう言って微笑すると、ベルドは馬に鞭を打って駆け出していた。
そしてベルドが率いる近衛兵三千名の機動は、選び抜かれた精鋭の名に恥じぬものだった。
一糸乱れぬ統率を保ちながら、一部の兵が督戦隊に向けて銃口を向ける。
ただの銃ではない。口径が短く大きなそれは後代の大鉄砲に分類されるものだ。
いかに痛覚が麻痺していようとも、即死級の大ダメージを受ければその不死性を生かすことはできない。
さすがの督戦隊の兵士たちも、榴弾砲や大鉄砲のような打撃に耐えることはできないのである。
「ラドゥ? ラドゥ殿下はどこにおわす?」
洗脳されたものと忠誠をちかったもの、互いに心を鎧ったもの同士が血で血を洗う激戦を繰り広げる中、ベルドはただラドゥの姿を捜し求めていた。
「あれは…………?」
戦場の中に場違いなチューリップの紋章。
ベルドから受け取った手紙のなかに入っていた押し花を思い出してベルドは破顔した。
「そこにいるんだね? ラドゥ」
今こそ誓いを果たそう。
望まぬ戦場で今も胸を痛めているラドゥのために。彼の大切な幼なじみとして。
「生を望むな! ただひたすらに駆けよ!」
互いに心を鎧ったもの同士なら、訓練と才能に勝る近衛兵が勝つのは当然である。
薬物による高揚は、人の心の底から湧き上がる本物の高揚には決して及ばない。
無敵を確信していた督戦隊が、ワラキア公国軍の一隊に推しこまれていく様子を見たメムノンは嚇怒した。
「あの死に損ないを叩き潰せ! 一人たりとも生かして帰すな!」
わずか三千名の近衛兵に、左右から数万の軍勢が殺到した。
だが、前面の督戦隊の異形たちと全力で交戦する彼らに対応する余力はない。
「両翼にかまうな! 一人でも多くの化け物を倒せ! 一歩でも前に進め!銃がなくなれば剣を抜き、剣がなくなれば牙を剥け!死の瞬間まで戦いを諦めるな!」
くしの歯が欠けるように一人また一人と精鋭が失われていく。
いつの間にかベルドに付き従う兵は百人を割っていた。
だが、すでに目的は達せられている。
オスマンの兵を十分釘付けにし、ゲクランの撤退を完遂させた以上、これから追撃してもヴラドのもとへは届かない。
あとは幼い日の親友との約束を果たすのみ!
最後の突撃に力を振り絞った近衛兵たちは、遂に約束の地への扉をこじ開けることに成功した。
大きなチューリップの旗のもとで、ラドゥが微笑んでいるのがベルドの目に映った。
「待たせたねラドゥ」
「約束を果たしにきてくれたのかい? ベルド」
美しく成長しながら幼い日の面影を残すその姿を見紛うはずもない。
ベルドの探し求めたラドゥの姿がそこにいた。
期待と不安の色を浮かべたラドゥの瞳は、それでも幼い日の約束の履行を求めているかのようにベルドには感じられた。
「うん、今約束を果たすよラドゥ」
ベルドの言葉とは裏腹に、ベルドの身体は主人の声に応えようとはしなかった。
がくんとベルドの膝が揺れ、ベルドは顔から地面に倒れこんだ。
もうベルドには立ち上がる力も残されてはいない。
腹部には剣が突きたち、胸には数発の銃弾を浴びている。
瞳に写るラドゥの顔すらおぼろげな有様だった。
「――――ずっと待たせてごめん、ラドゥ」
待っていて、今私が貴方を殺してあげるから。
ベルドの指が震えながら半ばから折れた自らの剣に触れ、そしてそこで永遠に停止した。
「ベルド…………眠ったの?」
動かなくなったベルドをラドゥは優しく抱きしめる。
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