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第百十話 あの日よもう一度
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三年の月日が流れた。
メフメト二世を失ったオスマン帝国は分裂し、その半ば以上はルーマニア王国の支配するところとなった。
遊牧の部族を中心に抵抗は続いているが、彼らもいずれどこかの勢力の軍門に降るだろう。
ローマ帝国もまたオスマンに奪われていた旧来の領地を奪還し、セルビアやブルガリアも再び独立を果たした。
黒羊朝と白羊朝の戦いはウズン・ハサンが有利に戦を進め、黒羊朝はかつての勢いを失い防戦一方を強いられている。
二年前、俺の最初の子を出産したのはフリデリカとなった。
母に似た可愛い女の子で、名前をダリアと名づけた。
フリデリカもすっかりお母さんが板につき、昔の気弱な薄幸さは微塵も感じられない。
そして戦勝もかねたヘレナとの盛大な結婚式はコンスタンティノポリスのソフィア大聖堂で執り行われ、皇帝や総代主教も隣席する華やかなものとなった。
もう誰も東欧の覇者が俺であることを疑わない。
オスマンが失われた今、長く停滞してきた東欧は、西欧に負けぬ強力な国家群となり、ローマ教皇庁は苦虫を嚙み潰していると聞く。
さすがに正教会を異端として十字軍を派遣することは、過去の歴史からいっても不可能であろう。
花嫁衣裳に身を包んだヘレナの可憐さは、脳内メモリー永久保存の素晴らしさであった。
結局身長やスタイルはあまり成長しなかったが。
「花嫁に対する敬意が足りないのではないか? 我が夫よ」
「そんなことはありませんよ?」
俺の視線を胸のあたりに感じたらしいヘレナが、眉を顰めて睨みつけてくるが、それも束の間であった。
心からうれしそうに破顔するや
「これで正真正銘の我が夫となるわけだ! 愛しているぞ我が夫!」
「愛しているよ、我が最愛よ」
そんな愛しいヘレナが、今出産の時を迎えている。
フリデリカの時もそうであったが、出産に対して男はいつも無力だ。
可能な限り前世知識で衛生環境は整えたつもりだが、それでも出産が命がけであることに変わりはない。
昨年出産したアンジェリーナの子が女児であったこともあり、ヘレナには世継ぎの出産が大いに期待されていた。
ヘレナの細く小さな身体をみるたびに、そうした期待などどうでもいいから、無事に生きて出産を終えてくれればいいと思う。
あれからワラキアは驚くほど強い国家に生まれ変わったが、俺の心はむしろ弱くなった。
生き延びるため、国家を延命させるため、ギリギリの選択をする必要がなくなったからだ。
いまだにベルドとラドゥを死なせてしまったあの日を思い出しては、夜中に叫び声をあげながら跳ね起きることがある。
情ない話だが、守るものが増え、失うことを恐れる小心者。
それが悪魔公、串刺し公の真実だ。
もしヘレナを失うようなことがあれば、この先正気でいられるか自信がない。
本物のヴラドの魂がラドゥとともに消え去ってから、俺は以前よりも孤独を恐れるようになった。
「ヘレナ……どうか無事で!!」
まだ見ぬ我が子も、最愛の妻も、どうか健やかに――そのためにこそルーマニア王国はあるのだから。
「陛下! ご嫡男! ご嫡男誕生にございます! おめでとうございます!」
「ヘレナは? ヘレナは無事か?」
「もちろん、母子ともにお健やかにございますとも」
「よかった――――!」
がっくりと膝をつくと同時に、安堵のため息が漏れる。
「どちらも元気な双子の男の子でございますよ!」
「双子?」
そういえばルイ14世の双子の兄が鉄仮面になったという都市伝説があるが、ワラキアでは双子はそれほど不吉な存在ではないらしい。
産婆の明るい笑顔を見ながら、俺は静かにヘレナの休むベッドへと歩き出した。
昨晩から続く出産の痛みでやつれきってはいるが、ヘレナはうずうずするようなドヤ顔で俺を待っていた。
「ありがとうヘレナ」
「ふふん、どうじゃ我が夫! 一気に二人の男の子じゃぞ!」
本当は一秒でも早く休みたいであろうに、初めての男子を出産して鼻高々なヘレナがいとおしすぎる。
「見ろ、なんと仲のよさそうな兄弟ではないか」
ヘレナに促され、愛しい我が子に視線を移した俺は瞠目した。
黒髪と金髪の双子が、お互いの両手を握りしめながら声の限りに泣いているではないか。
「生まれて早々に、目も見えぬはずなのにお互いに握りあったのじゃぞ?」
「そう――――か」
この三年間、片時も忘れるこのなかった追憶が流れた。
二度と愛し合った兄弟が、互いに殺しあうことのない世界にするために、俺は腑抜けている暇などないのだ。
これは奇蹟だろうか?
もう一度見失った兄弟の絆が取り戻せるなら。
もしそれでお前(ラドゥ)が許してくれるというのなら――――
「ヘレナ、許されるならこう名づけさせてほしい」
今度は決して失わない。
悪魔公ヴラド・ドラクリヤにはその力があるのだから。
「――――ヴラドとラドゥと」
メフメト二世を失ったオスマン帝国は分裂し、その半ば以上はルーマニア王国の支配するところとなった。
遊牧の部族を中心に抵抗は続いているが、彼らもいずれどこかの勢力の軍門に降るだろう。
ローマ帝国もまたオスマンに奪われていた旧来の領地を奪還し、セルビアやブルガリアも再び独立を果たした。
黒羊朝と白羊朝の戦いはウズン・ハサンが有利に戦を進め、黒羊朝はかつての勢いを失い防戦一方を強いられている。
二年前、俺の最初の子を出産したのはフリデリカとなった。
母に似た可愛い女の子で、名前をダリアと名づけた。
フリデリカもすっかりお母さんが板につき、昔の気弱な薄幸さは微塵も感じられない。
そして戦勝もかねたヘレナとの盛大な結婚式はコンスタンティノポリスのソフィア大聖堂で執り行われ、皇帝や総代主教も隣席する華やかなものとなった。
もう誰も東欧の覇者が俺であることを疑わない。
オスマンが失われた今、長く停滞してきた東欧は、西欧に負けぬ強力な国家群となり、ローマ教皇庁は苦虫を嚙み潰していると聞く。
さすがに正教会を異端として十字軍を派遣することは、過去の歴史からいっても不可能であろう。
花嫁衣裳に身を包んだヘレナの可憐さは、脳内メモリー永久保存の素晴らしさであった。
結局身長やスタイルはあまり成長しなかったが。
「花嫁に対する敬意が足りないのではないか? 我が夫よ」
「そんなことはありませんよ?」
俺の視線を胸のあたりに感じたらしいヘレナが、眉を顰めて睨みつけてくるが、それも束の間であった。
心からうれしそうに破顔するや
「これで正真正銘の我が夫となるわけだ! 愛しているぞ我が夫!」
「愛しているよ、我が最愛よ」
そんな愛しいヘレナが、今出産の時を迎えている。
フリデリカの時もそうであったが、出産に対して男はいつも無力だ。
可能な限り前世知識で衛生環境は整えたつもりだが、それでも出産が命がけであることに変わりはない。
昨年出産したアンジェリーナの子が女児であったこともあり、ヘレナには世継ぎの出産が大いに期待されていた。
ヘレナの細く小さな身体をみるたびに、そうした期待などどうでもいいから、無事に生きて出産を終えてくれればいいと思う。
あれからワラキアは驚くほど強い国家に生まれ変わったが、俺の心はむしろ弱くなった。
生き延びるため、国家を延命させるため、ギリギリの選択をする必要がなくなったからだ。
いまだにベルドとラドゥを死なせてしまったあの日を思い出しては、夜中に叫び声をあげながら跳ね起きることがある。
情ない話だが、守るものが増え、失うことを恐れる小心者。
それが悪魔公、串刺し公の真実だ。
もしヘレナを失うようなことがあれば、この先正気でいられるか自信がない。
本物のヴラドの魂がラドゥとともに消え去ってから、俺は以前よりも孤独を恐れるようになった。
「ヘレナ……どうか無事で!!」
まだ見ぬ我が子も、最愛の妻も、どうか健やかに――そのためにこそルーマニア王国はあるのだから。
「陛下! ご嫡男! ご嫡男誕生にございます! おめでとうございます!」
「ヘレナは? ヘレナは無事か?」
「もちろん、母子ともにお健やかにございますとも」
「よかった――――!」
がっくりと膝をつくと同時に、安堵のため息が漏れる。
「どちらも元気な双子の男の子でございますよ!」
「双子?」
そういえばルイ14世の双子の兄が鉄仮面になったという都市伝説があるが、ワラキアでは双子はそれほど不吉な存在ではないらしい。
産婆の明るい笑顔を見ながら、俺は静かにヘレナの休むベッドへと歩き出した。
昨晩から続く出産の痛みでやつれきってはいるが、ヘレナはうずうずするようなドヤ顔で俺を待っていた。
「ありがとうヘレナ」
「ふふん、どうじゃ我が夫! 一気に二人の男の子じゃぞ!」
本当は一秒でも早く休みたいであろうに、初めての男子を出産して鼻高々なヘレナがいとおしすぎる。
「見ろ、なんと仲のよさそうな兄弟ではないか」
ヘレナに促され、愛しい我が子に視線を移した俺は瞠目した。
黒髪と金髪の双子が、お互いの両手を握りしめながら声の限りに泣いているではないか。
「生まれて早々に、目も見えぬはずなのにお互いに握りあったのじゃぞ?」
「そう――――か」
この三年間、片時も忘れるこのなかった追憶が流れた。
二度と愛し合った兄弟が、互いに殺しあうことのない世界にするために、俺は腑抜けている暇などないのだ。
これは奇蹟だろうか?
もう一度見失った兄弟の絆が取り戻せるなら。
もしそれでお前(ラドゥ)が許してくれるというのなら――――
「ヘレナ、許されるならこう名づけさせてほしい」
今度は決して失わない。
悪魔公ヴラド・ドラクリヤにはその力があるのだから。
「――――ヴラドとラドゥと」
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