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6.お家に帰ろう
しおりを挟む信濃さんとの放課後街探検……見る人によっては放課後デートだと言われかねないそれは、思いの他順調だった。
信濃さんの行きつけの本屋は電子書籍全盛の時代にしては相当繁盛している人気店らしく、商品がかなり充実していた。
趣味がギターだと言ったのを覚えていてくれたのか、少し遠い場所にあった楽器店も案内してくれた。店主さんも優しそうで、暫くはこの店にお世話になることになりそうだ。
他にも、帰り道に寄りやすいファミレスやファストフード店など、使用頻度の多そうな場所をいくつか紹介してもらった。個人的には、岡山には数店舗しか存在せず行ったことのないチェーン店があって、かなりテンションが上がった。ここのドリアが美味しいという話は、風の噂で聞いていた。今度食べてみよう。
そして、現在夕方六時前。流石にそろそろ帰路につかねば不味い時間帯になってきた。
というわけで、今俺たちは談笑(傍から見れば、無表情塩対応の女の子とそれに話しかける空回り気味の男の子)しながら帰路についていた。幸いなことに、俺の家と彼女の家は同じ方向だった。
「今日はありがとね。急にお願いしたのに……」
「構わない。私も本屋に寄りたかった」
見せつけるように手にしたエコバックを持ち上げる信濃さん。三冊ほどの本を購入していたが、ジャンルはラノベ、漫画、時代文庫とバラバラだった。流石入学二日目に太宰を教室で開く読書家。
「違う。本の虫」
「大差ないでしょ……いや、何心読んでるの?」
「黒澤くんのことなら、大体わかる」
「出会って二日でベストフレンドかー。きっと世界平和は目の前だね」
「人類が消えてなくなる方がまだ早い」
「発想が闇落ちした天使じゃん」
どうやら、信濃さんは思いの外冗談の言える口らしい。惜しむべきは、軽口を叩いている時ですら表情が変わらないから、一見すると本気なんじゃないかと思ってしまうところか。
しかし、本当に感情が見えにくい。不快を感じた時は分かりやすいのだが、それ以外は本当に見えない。
むむむ、と彼女の横顔を覗き込もうとするが……頭一個以上違う背丈の差が、簡単にさせてくれない。本当に小さいな信濃さん。下手したら140センチ台なんじゃないだろうか?
「……何。じろじろ見て」
「いやぁ……荷物重たくないかなって」
「本三冊だけ。重いわけない」
咄嗟のごまかしは上手くできたようで、信濃さんは見せつけるようにエコバックをダンベルを持ち上げるかのように何度か持ち上げようとしていた。
その手が、俺の右手にぶつかる。
「あっ……ごめん」
「大丈夫だよ。痛くもなかったし………………そっちも、大丈夫?」
『やっぱり、距離感掴みづらいの?』……そう口にしようとして、やめる。
片目で見た世界は遠近感が測りにくい、という話は聞いたことがあるし、自分でも試したことがある。何故か信濃さんは、そんな世界で生きている。
自ら閉じたのか、閉ざされてしまったのか。
真偽のほどは分からない……いや、恐らくこうだろうと考えられるが。だからといって、触れるわけにはいかない。
そこに触れないから、俺は彼女と話せるようになったのだから。
喉まで出かかった言葉を無理やり飲み込む。
「大丈夫……それじゃ、私の家ここだから」
「へっ…………ここ?」
「ここ」
信濃さんがここ、と指さしたマンション。何故か、非常に見覚えがあった……それこそ、今朝とか。
こんな偶然あるんだ、と思わず吹き出してしまう。
「はははっ……なーんだ、信濃さん、同じマンションの住民だったんだ!」
「えっ……何階?」
「四階。403号室! 信濃さんは?」
「私は……五階の507号室」
「そっかそっか! じゃあ、送り迎えもし易いね! あ、じゃあ明日は一緒に登校しよっか! いつも何時くらいに家出てる?」
「落ち着いて」
思わぬ幸運に舞い上がっていた俺の心を、信濃さんの一言が急速に冷やした。顔がさあっと青くなっていく感覚。
やらかした──そう気付いた俺は、どう彼女に謝罪すべきか必死に考え始める。
「もう一回、落ち着いて……この世の終わりみたいな顔してる」
ぺし、と肩を優しく叩かれる。
思考の海に落ちかけていた俺を引きずり上げてくれた信濃さんは──微かに、本当に微かに、笑っていた。
「別に、嫌だなんて言ってない。言うつもりもない」
「…………よ、よかったぁ…………嫌われたかと」
「嫌わない。嫌う意味がない……明日は、朝七時四十五分に、入口で」
じゃあ、また明日。今日はありがとう。
淡々と、しかし確かにそう口にした信濃さんは、そのまま俺を置いてマンションの正面玄関をくぐる。
取り残された俺は、そんな彼女の背中をぼうっと眺めていたが……やがて正気に戻る。
「……信濃さん、やっぱり君、すっごい良い子だよ……」
夕焼けに照らされた彼女の微笑を思い出す。
あんな風に優しく笑える女の子が、良い子じゃないわけないだろう……そんな俺の呟きは、背後の道路を通っていくトラックの音に完全にかき消されていた。
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