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第三章 魔族と人間と

第164話

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 さて、それじゃ炊き出しを始めるとするか。

「お師様、何を作るんです?」

「取りあえず卵をとじたお粥で様子見だ。」

「え?お腹減ってるんだからもっとこう……お肉とかの方が良いんじゃないの?」

 お粥を作ると聞いたアベルは首をかしげながら問いかけてくる。
 確かにお腹いっぱい食べさせてやりたい気持ちはわかるのだが、それには意外な落とし穴が存在するのだ。

「アベルが彼らにお腹いっぱい食べさせてやりたい気持ちはわかる。だが、今彼らは飢餓状態なのはわかるな?」

「うん、それはわかるけど……。」

「飢餓状態ってことは、しばらくの間胃袋とかそういう消化器官が機能してなかったんだ。」

「うん?だから……つまり?」

「リフィーディング症候群って言ってな。飢餓状態の人に突然栄養満点の物を食べさせると、消化器官が驚いてショック死する可能性があるんだ。」

 事実、戦国時代……豊臣秀吉が敵軍に対して兵糧攻めを行った後、投降してきた兵士に飯を振る舞ったところ何人もバタバタと死んでいったという話がある。
 秀吉は決して飯に毒を盛った訳ではない。その現象は、現代医学でそれは飢餓状態の人間に突然大量の栄養を摂取させたことによるショック死……つまりリフィーディング症候群を発症したと解明されている。

「うわ……それホント!?」

「ホントの話だ。だからノアをここに連れてきたときもお粥から食べさせただろ?」

 あれも念のためリフィーディング症候群を防ぐためだったんだが……。

「だから今は取りあえずお粥を何回かに分けて皆に食べさせるぞ。?」

「「「はいっ!!」」」

 念のため食べさせ過ぎないように……と皆に釘を刺しておく。恐らく不満を持つ人間が出てくるだろうからな。

 ノノ達が調理に取りかかったのを見て、私はゼバスと名乗った騎士のもとへと歩み寄った。

「ゼバスさん……でしたよね?」

「む、貴殿は?」

「私はミノルと言います。彼女に仕えてる料理人です。」

「魔王殿の料理人か。我輩に何か用事でも?」

「今から皆さんにご飯を振る舞うのですが……先に理解していただきたいことがあります。」

「聞こう。」

 私はゼバスにリフィーディング症候群の事を分かりやすく説明した。そして、不平や不満を持つ人が出てくるかもしれないことも……。

 すると……。

「なるほど、それは我輩に任せてもらおう。我輩から彼らに説明する。」

「そうしてくれるとありがたいです。弱った胃腸の調子を整えたら普通の食事を提供するとも伝えてください。」

「承った。」

 バサリと鎧についたマントを翻すと、彼は集まった人達の前で演説を始めた。
 彼への民衆の信頼は厚いようで、集まった人間達は彼の言葉を素直に聞いていた。

「これで良し。」

 人々の理解を得られたことは大きい。理解がないまま配給を始めたら暴動が起こりかねないからな。

 食欲に突き動かされる人間の行動力は恐ろしい。飢餓状態の人は気持ちを落ち着かせることができなくなり、あっさりと人を殺してしまったりすることもある。

 アベル達の前にゼバスの指揮のもと行列ができている様を満足そうに眺めていると、後ろから声をかけられた。

「よもや私めが生あるうちにこのような光景を目にすることができるとは……。」

「ようやく魔族と人間とが手を取り合いましたね。」

 いつの間にか私の後ろにはシグルドさんが佇んでいた。その目の縁には一粒の涙があった。

「ここからは一気に崩れますよ。」

 彼等達が亡命に成功した……と広まれば、これから一気に人の流れができてくるだろう。

「そうなれば魔王様の願いも後一歩……ですな。」

「はい。」

 シグルドさんの言葉に私は頷いた。

「っと、そろそろアベル達の方が忙しくなってきたみたいなので……私も手伝ってきます。」

「よろしくお願いいたします。」

 こちらに深く一礼するシグルドさん。そんな彼を背に私はアベル達のもとへ駆け足で駆け寄った。

「皆大丈夫か?」

「あ!!ミノル!!どこ行ってたのさ!!も~忙しくて大変だよ!!」

 わしゃわしゃと大量のお米をとぎながらアベルは私に言った。

「すまんすまん、ちょっといろいろやることがあったんだよ。あ~っと、アベルは米をといでもらって……ノノは米を炊いてくれ。」

「はいです!!」

「ノアは私が作ったお粥を盛り付けて皆に配るんだ。」

「わかりました。」

 それぞれに役割を言い渡して一気に作業に取りかかる。そして人間達への配給は滞りなく進んでいった。
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