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12話 六地蔵の奥様は知っていた
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三人はカジノを後にし、
ラウンジの落ち着いた席で冷たいお茶を飲んでいた。
艶のあるガラスのテーブルに、
琥珀色のジャスミンティーが静かに並んでいる。
ついさっきまで熱狂と緊張の渦にいた憂は、
胸の奥がまだざわざわと落ちつかず、
指先でそっとカップの縁を撫でた。
「憂さん」
菊子が静かに声をかけた。
「三戦目……あなた、ひとりで打ってはいませんでしたね」
「……っ」
「左手の動き。チップの弾き方。
あれは、あなたの癖ではありません」
優しいのに、まっすぐ見抜く目だった。
嘘を否定しながらも、責める色は一切ない。
「わたくし……以前から、夫に聞かされておりましたの」
「……千秋のお父さんに……?」
「ええ。医療と心理の専門ですからね。
“憂さんには、ごくまれに別の人格が表に出る可能性がある”と」
憂は息を呑んだ。
胸の奥で、雪乃の記憶がひどく静かに震える。
「それが――雪乃さん、なのでしょう?」
菊子の声は驚くほど優しかった。
「……私の中に……雪姉が……いるって……」
「驚く必要はありませんよ」
菊子はそっと憂の手に触れた。
その温度は、不安を吸い取るように柔らかかった。
「菊子さん……ごめんなさい。
あんなふうに……“雪姉”が出てきて……」
隣で葉月も深く頭を下げる。
「わ、わたしもですっ!
気づけなくて、憂ちゃんのフォローもできなくて……!」
菊子はふぅ、と小さく息を吐き、微笑んだ。
「謝る必要などありませんわ」
「で、でも……私……」
「むしろ謝るのは、わたくしのほうですのよ」
「え……?」
菊子は静かに視線を伏せた。
「憂さんの“雪乃さん”のこと……
本当はもっと早くお話しすべきでした」
声は柔らかいのに、その奥に重い責任の色が見えた。
「……六地蔵事件のことですか?」
「ええ」
憂の胸がきゅっと縮む。
雪乃人格が小さく疼き、泣きそうになる。
「わたくしは、夫から聞かされておりましたの。
“憂さんには別の人格――雪乃さんがいる可能性がある”と」
医師である千秋の父。
厳しくも温かいあの人の冷静な眼差しが思い浮かぶ。
「夫いわく――
“その人格は憂さんを傷つけるのではなく、守ろうとする”と」
「守る……雪姉が……?」
「ええ。
三戦目のあなた、まるで天才でしたわ。
あれは雪乃さんの読み……その片鱗です」
胸が熱くなり、目の奥がじんと痛む。
「……雪姉……本当に……」
「独りにならないように。
あの子が残したものが、あなたを守っているのです」
憂はそっとまぶたを閉じる。
――大丈夫、憂。
まだ、そばにいるよ。
雪乃の記憶が胸にそっと触れた。
「奥様……その……六地蔵事件の“あれ”って……
やっぱり旦那様の……指示……ですよね……?」
葉月の恐る恐るの問いに、菊子の眉がぴくりと跳ねた。
「ええ、そうですわよ。ぷんぷんしております」
「ひぇっ!!」
菊子は腕を組んでふくれっ面。
いつもの上品な奥様からは想像できない可愛さだった。
「わたくしに相談もなく、あなたに大役を任せて……
“演出なら葉月さんが適任だろう”などと……!」
「い、言ってましたぁぁぁ!!」
「でしょう!? ぷんぷんですわ!!」
憂は慌てて葉月の袖を引っ張る。
「葉月姉、煽らないで……!」
「ご、ごめん……!」
でも葉月は小声で続けてしまう。
「でも……奥様……
怒ってるわりに……旦那様のこと、すごく大事ですよね……?」
「っ……!!?」
菊子の顔が一瞬で真っ赤になった。
「な、なな……ななな、なにを言って……!」
「だって、旦那様の話するときだけ……
声が……優しいですし……」
「う、うるさいですわ葉月さん!!
あなたはほんと、すぐそういう……!!」
「奥様ってば、旦那様のこ――」
「言わせませんわよ!?!?!」
菊子は慌てて葉月の口を両手で塞ぐ。
ラウンジに微笑ましい小騒ぎが起き、憂はつい笑ってしまった。
その笑顔を見て、菊子もようやく肩の力を抜く。
そして、そっと憂の手を握った。
「憂さん。
あなたが雪乃さんを忘れない限り……
本当の意味で独りになることはありませんわ」
胸があたたかくなり、憂はこくりと頷く。
「……うん……ありがとう……」
葉月が憂の背をやさしく撫でる。
「憂ちゃん。これからも、ずっと一緒にいるからね」
憂は二人に囲まれながら、
胸のざわめきがゆっくりと溶けていくのを感じた。
――大丈夫。
憂は、独りじゃないよ。
雪乃の声が、
いちばんやさしい場所から響いていた。
ラウンジの落ち着いた席で冷たいお茶を飲んでいた。
艶のあるガラスのテーブルに、
琥珀色のジャスミンティーが静かに並んでいる。
ついさっきまで熱狂と緊張の渦にいた憂は、
胸の奥がまだざわざわと落ちつかず、
指先でそっとカップの縁を撫でた。
「憂さん」
菊子が静かに声をかけた。
「三戦目……あなた、ひとりで打ってはいませんでしたね」
「……っ」
「左手の動き。チップの弾き方。
あれは、あなたの癖ではありません」
優しいのに、まっすぐ見抜く目だった。
嘘を否定しながらも、責める色は一切ない。
「わたくし……以前から、夫に聞かされておりましたの」
「……千秋のお父さんに……?」
「ええ。医療と心理の専門ですからね。
“憂さんには、ごくまれに別の人格が表に出る可能性がある”と」
憂は息を呑んだ。
胸の奥で、雪乃の記憶がひどく静かに震える。
「それが――雪乃さん、なのでしょう?」
菊子の声は驚くほど優しかった。
「……私の中に……雪姉が……いるって……」
「驚く必要はありませんよ」
菊子はそっと憂の手に触れた。
その温度は、不安を吸い取るように柔らかかった。
「菊子さん……ごめんなさい。
あんなふうに……“雪姉”が出てきて……」
隣で葉月も深く頭を下げる。
「わ、わたしもですっ!
気づけなくて、憂ちゃんのフォローもできなくて……!」
菊子はふぅ、と小さく息を吐き、微笑んだ。
「謝る必要などありませんわ」
「で、でも……私……」
「むしろ謝るのは、わたくしのほうですのよ」
「え……?」
菊子は静かに視線を伏せた。
「憂さんの“雪乃さん”のこと……
本当はもっと早くお話しすべきでした」
声は柔らかいのに、その奥に重い責任の色が見えた。
「……六地蔵事件のことですか?」
「ええ」
憂の胸がきゅっと縮む。
雪乃人格が小さく疼き、泣きそうになる。
「わたくしは、夫から聞かされておりましたの。
“憂さんには別の人格――雪乃さんがいる可能性がある”と」
医師である千秋の父。
厳しくも温かいあの人の冷静な眼差しが思い浮かぶ。
「夫いわく――
“その人格は憂さんを傷つけるのではなく、守ろうとする”と」
「守る……雪姉が……?」
「ええ。
三戦目のあなた、まるで天才でしたわ。
あれは雪乃さんの読み……その片鱗です」
胸が熱くなり、目の奥がじんと痛む。
「……雪姉……本当に……」
「独りにならないように。
あの子が残したものが、あなたを守っているのです」
憂はそっとまぶたを閉じる。
――大丈夫、憂。
まだ、そばにいるよ。
雪乃の記憶が胸にそっと触れた。
「奥様……その……六地蔵事件の“あれ”って……
やっぱり旦那様の……指示……ですよね……?」
葉月の恐る恐るの問いに、菊子の眉がぴくりと跳ねた。
「ええ、そうですわよ。ぷんぷんしております」
「ひぇっ!!」
菊子は腕を組んでふくれっ面。
いつもの上品な奥様からは想像できない可愛さだった。
「わたくしに相談もなく、あなたに大役を任せて……
“演出なら葉月さんが適任だろう”などと……!」
「い、言ってましたぁぁぁ!!」
「でしょう!? ぷんぷんですわ!!」
憂は慌てて葉月の袖を引っ張る。
「葉月姉、煽らないで……!」
「ご、ごめん……!」
でも葉月は小声で続けてしまう。
「でも……奥様……
怒ってるわりに……旦那様のこと、すごく大事ですよね……?」
「っ……!!?」
菊子の顔が一瞬で真っ赤になった。
「な、なな……ななな、なにを言って……!」
「だって、旦那様の話するときだけ……
声が……優しいですし……」
「う、うるさいですわ葉月さん!!
あなたはほんと、すぐそういう……!!」
「奥様ってば、旦那様のこ――」
「言わせませんわよ!?!?!」
菊子は慌てて葉月の口を両手で塞ぐ。
ラウンジに微笑ましい小騒ぎが起き、憂はつい笑ってしまった。
その笑顔を見て、菊子もようやく肩の力を抜く。
そして、そっと憂の手を握った。
「憂さん。
あなたが雪乃さんを忘れない限り……
本当の意味で独りになることはありませんわ」
胸があたたかくなり、憂はこくりと頷く。
「……うん……ありがとう……」
葉月が憂の背をやさしく撫でる。
「憂ちゃん。これからも、ずっと一緒にいるからね」
憂は二人に囲まれながら、
胸のざわめきがゆっくりと溶けていくのを感じた。
――大丈夫。
憂は、独りじゃないよ。
雪乃の声が、
いちばんやさしい場所から響いていた。
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