沈黙のういザード 

豚さん

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22話 静かなラウンジ、心の温度差

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 関西国際空港。
 国際線フロアの奥にある、静謐なファーストクラスラウンジ。

 外の喧騒とは対照的に、
 厚い絨毯がすべての足音を吸い込み、
 低い照明が昼の光をまるく包み込んでいた。

 ソファ席は深く、
 流れる音楽は控えめで、
 まるで五つ星ホテルのラウンジのような空気が漂う。

 その奥の丸テーブルで――
 千秋と石田が向かい合っていた。

 紅茶の香りが、
 緊張で強張った千秋の胸を少しずつほぐしていく。

「……ふぅ……少し落ち着きましたわ」

 千秋はそっと視線を落とした。
 膝の上には――あの日、憂が不器用に縫った手袋。

 高級ブランドの手袋が似合う身分なのに、
 千秋は迷いなく、この手袋を身につけてきた。

 糸はほつれている。
 縫い目は揃っていない。
 けれど指先を包む温もりは、
 どんな高級品にも負けなかった。

 石田はその手袋を見て、
 深い慈しみを滲ませて微笑んだ。

「……憂様の手作りでございましたね」

 千秋は、胸の奥がきゅっと熱くなるのを感じながら、
 手袋をそっと握りしめる。

「ええ……粗は多いのに……不思議ですわ。
 つけていると……胸の奥が、ほんのり温かくなるのです」

 言葉にした途端、胸の奥がふるりと震えた。
 寂しさと温かさが同時に込み上げてくる。

 ガラス越しには、整備中の飛行機。
 白い機体が陽を反射し、ゆっくりと影を伸ばしていた。

(……日本を離れたら、しばらくは……戻れませんわね)

 雪乃に託された“続き”。
 音楽の道。
 未来。

 胸に刻んだ覚悟が揺らぐわけではない。

 だが――

(憂さんに……会えなくなってしまいますもの)

 昨日までいつも隣にいた温度が、
 突然ふっと消えてしまう未来に胸が締めつけられた。

 その時、
 石田がそっと紅茶を置き、姿勢を正した。

「千秋様。
 ひとつ、お話ししてもよろしいでしょうか」

 千秋は顔を上げる。

「寂しさは、決して消さずともよいのです。
 寂しいというお気持ちは、
 大切な方を深く愛している証でございますから」

 千秋は目を瞬く。

「……わたくし、そんなに……顔に出ていましたの?」

「はい。
 ですが――それは悪いことではございません」

 石田はゆっくり続けた。

「千秋様。
 これからあなたが歩まれる“音楽の世界”は、
 実に厳しい場所でございます」

 千秋は息を飲んだ。

「大人たちは容赦なく評価を下します。
 若い才能に対しても妥協はなく、
 正しさよりも結果を問われる場面も多々ございます」

 石田の声は穏やかだが、
 現実の壁を知る者の重さがあった。

「言葉の壁もございます。
 文化の違いもございます。
 音楽もまた“競い合う世界”であり、
 プロの舞台は、選ばれし者しか立てません」

 千秋は静かに手袋を握りしめる。

「……分かっていますわ。
 簡単な道ではないということくらい」

 すると石田は、
 温かな眼差しで千秋を見つめた。

「ですが――」

 声のトーンが少しだけ優しくなった。

「千秋様なら、必ず乗り越えられます」

 千秋は胸が跳ねるような感覚に包まれた。

「あなた様は、甘さを知りながらも前を向けるお方。
 恐れを抱きながらも一歩を踏み出せるお方。
 そして何より――
 人の想いを音にできる稀有な才能を、お持ちです」

 静かなラウンジに、
 その言葉はゆっくり浸透していった。

「心配には及びません。
 わたくしは、これからも千秋様の傍におります。
 言葉の壁も、音楽の荒波も、
 すべて共に越えてまいりましょう」

 千秋の胸が、ほっと温度を取り戻していく。

「……石田さん。
 ほんとうに……心強いですわ」

「お任せくださいませ。
 千秋様が迷わぬよう、努めて参ります」

 ラウンジの静寂が、
 まるで千秋の決意を包むように深まっていく。

 搭乗アナウンスはまだ流れない。

 だが千秋は、
 少しだけ強くなれた気がした。

(憂さん……
 あなたの手袋と、この決意を胸に。
 わたくし、必ず“未来”を掴んでみせますわ)

 千秋はそっと息をつき、
 手袋を指先で整えながら、
 滑走路に並ぶ飛行機の影を静かに見つめた。
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