沈黙のういザード 

豚さん

文字の大きさ
156 / 255

エピローグ

しおりを挟む
雲海を切り裂くように、
白いチャーター機が静かに航路を進んでいた。

機内は驚くほど静謐で、
豪奢なシートと銀のカトラリーが、わずかに気流に揺れるのみ。

壁一面のスクリーンには、
白凰女学院・文化祭ライブの映像が映し出されていた。

舞台中央で歌うのは、
柔らかな栗色のセミロングヘアを揺らす少女。

――御陵 憂。

澄み切った高音。
芯のある伸びやかな声。
光をまとうような存在感で、舞台そのものを支配している。

その映像を、
ひとりの貴婦人が足を組み、優雅に眺めていた。

小柄な体躯に、無駄のない姿勢。
白磁のように滑らかな指先が、
紅茶カップの縁をなぞる所作には、一切の隙がない。

憂が高音を放つたび、
貴婦人は静かに息を整え、
頬に指を添えて、ほのかに微笑んだ。

「……やはり、素晴らしいですわね。雪乃さん……」

その声音は低く、穏やかで、
深い愛惜と、決して表に出ぬ独占の熱を内包している。

「どうしてでしょう……
 あなたの声は、
 いつもわたくしの心の奥を、そっと揺らすのですわ」

カップに口をつけ、
一拍置いて、ゆっくりと言葉を継ぐ。

「……映像越しでは、
 少々、物足りなくなってしまいましたけれど」

瞳は湖面のように静かでありながら、
一度踏み入れれば底を知れぬ深さを秘めていた。



貴婦人はリモコンに軽く指を触れる。

映像が切り替わる。

——クルーズ船のメインホール。
陽光と海風に包まれ、
憂が英語で軽やかに歌い上げている。

その笑顔。
その声。
その佇まい。

すべてが、観る者の心を自然と引き寄せていた。

貴婦人は、微かに目を細める。

「……この日のあなたも、
 本当に愛らしいこと」

紅茶の水面に映る憂の姿を、
指先でなぞるように見つめながら。

「あなたが受け継いだものも、
 その才能の源も……ええ、存じておりますわ」

そして、静かに告げる。

「けれど……
 雪乃さんの音よりも、
 あなたの“歌声”のほうが、
 わたくしの心には深く届くのです」

少しだけ、声を落とす。

「“好き”などという言葉では、
 到底、足りませんわね」

瞳の奥に、抑えきれぬ熱が灯る。

「雪乃さんの音は、完成されていて、凛としている。
 けれど、どこか距離がある……」

胸に手を当て、
ごく小さく息を吸った。

「あなたの歌は違います。
 触れた瞬間、
 心が静かに崩れてしまうのです」

「……欲してしまう、とでも申しましょうか」

スクリーンの憂が微笑む。
それに応えるように、貴婦人の唇もわずかに緩む。

「どうか……
 誰のものにもならないでくださいませ」

声音は柔らかい。
だが、揺るぎはない。

「あなたの歌で泣き、笑う権利は……
 限られた者だけに、許されるべきですもの」

紅茶をソーサーに置く音が、
静寂の中で澄んで響いた。

「世界を救う必要はありませんわ。
 あなたの歌が向けられる先は……
 わたくしひとりで、十分なのです」

そこで、貴婦人はほんのわずかに表情を曇らせた。

「……本来なら、
 同じ学び舎でお会いできると思っておりましたのに」

香り高い紅茶が、かすかに揺れる。

「憂さん……東野高校、ですのね」

声には、上品に包まれた落胆が滲んでいた。

「白凰にいらっしゃれば、
 毎日、拝見できたでしょうに……」

だが、その感情はすぐに整えられる。

唇に指先を添え、
貴婦人は静かに微笑んだ。

「けれど……
 地方屈指の名門校。
 その場所を選ばれたあなた……
 やはり、特別ですわ」

瞳が、柔らかな熱を帯びる。

「平凡な環境では、
 決して映えない方」

「あなたが歩く廊下も、
 腰掛ける席も、
 乗る電車でさえ……
 すべてが、愛おしく感じられますの」

視線が、ゆっくりとスクリーンをなぞる。

「同じ学校でなくとも、構いません。
 わたくしは……
 あなたの歩むすべてを、見届けますわ」



そのとき、執事が音もなく現れ、一礼した。

「小鈴お嬢様。
 例の“お礼”につきまして……
 すべて、滞りなく」

「そう……ありがとう」

穏やかな笑み。
その奥に、冷ややかな光が宿る。

「ええ……
 あの方には、相応のお礼を差し上げませんと」

それが誰に向けられたものかは、語られない。

だが、
その微笑の端に漂う影が、すべてを物語っていた。

貴婦人は窓の外、雲海を見下ろす。

「……新学期が、待ち遠しいですわ」

甘く、しかし危うさを孕んだ声音。

「また……お会いできますものね、憂さん」

紅茶の香りを胸いっぱいに吸い込み、
艶やかな微笑を浮かべる。

「さて……
 どのような“ご挨拶”が、相応しいでしょう」

「あなたが、ほんの少し……
 心を乱してしまうほどの——」

チャーター機は、
雲に溶けるように遠ざかっていった。

「……ふふふ。
 ええ、憂さん。
 わたくしはあなたを愛しておりますわ。
 それだけは、疑う余地もなく」

その胸の奥で、
期待と執着が、
静かに、そして甘美に鳴り続けながら——

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...