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第6巻 1話 優友のシェアードザード
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雲ひとつない春の空の下、
東野高校の校門は、朝から静かな熱気に包まれていた。
大阪府立東野高校。
百五十年以上の歴史を持ち、府内トップクラスの進学校。
文理学科を擁し、独自の六十五分授業と自由な校風で知られる名門校だ。
その校門を、
御陵 憂はひとりでくぐった。
真新しい制服。
背筋を伸ばし、歩幅を乱さず。
姿勢だけを見れば、どこからどう見ても模範的な新入生だった。
だが――
その隣に立つはずの人影は、ない。
周囲では、
両親と腕を組む生徒、
写真を撮る家族、
「頑張ってね」「楽しんでね」と声をかけられる新入生たちが行き交っている。
憂は、
それらを見ないふりをして、
ただ正門の先を見つめていた。
(……入学式、か)
胸の奥で、
小さく何かが沈む。
晴れ舞台。
娘の門出。
それなのに、
自分は、最初から最後までひとりだった。
◆
講堂は、厳かな空気に満ちていた。
壇上に並ぶ来賓。
整然と並べられた新入生の席。
校歌が流れ、式は滞りなく進んでいく。
そして――
名前が呼ばれた。
「文理学科・御陵 憂」
一瞬、空気が変わる。
小さなどよめき。
視線が、いっせいに集まる。
憂は立ち上がり、
静かに壇上へと向かった。
卓上に立ち、
短い挨拶を求められる。
「……本日は、このような素晴らしい式に参加でき、光栄です」
声は落ち着いていた。
震えはない。
「東野高校での学びを通して、自らを高め、
仲間と切磋琢磨できるよう努めてまいります」
簡潔で、過不足のない言葉。
拍手が起こる。
その音の中で、
憂はふと、客席を見渡した。
――空席。
拍手を送る“誰か”が、
そこにはいなかった。
胸の奥が、
少しだけ冷えた。
◆
式が終わると、
まるで合図でもあったかのように、
憂のまわりに人だかりができた。
「首席の子だよね?」
ひそひそとした声。
遠慮がちで、けれど隠しきれない好奇心。
褒め言葉。
探るような視線。
憂は、どう反応するのが正解なのか分からないまま、
曖昧に笑い、
軽く頭を下げた。
それだけで十分だと、
皆が納得したかのように。
だが――
誰も、隣には来ない。
輪はできているのに、
中心には、ぽっかりと空白があった。
「一緒に帰ろう」
「クラスどこ?」
そんな何気ない一言は、
結局、どこからも飛んでこなかった。
気づけば、
憂はまた、ひとりだった。
「……はぁ」
胸の奥から、
小さなため息がこぼれる。
体育館を出て、
教室棟へ向かう長い廊下。
磨かれた床に、
新しい制服の影が揺れる。
ざわざわとした波が、
前からも、後ろからも流れていく。
誰かの笑い声。
名前を呼び合う声。
はしゃいだ足音。
その背中越しに――
憂の耳へ、囁きが届いた。
「ねえ……聞いた?」
「うん。あの子でしょ」
「高校受験、全科目満点だったって……」
「え、冗談でしょ……?」
歩調が、ほんのわずかに乱れる。
声は小さいのに、
なぜか、はっきりと聞こえた。
「首席どころじゃないらしいよ」
「聞いた? 減点対象が一切なかったらしい。海外育ちで、英語とドイツ語も流暢だとか」
背中に、視線が集まるのを感じる。
近づいてくる――
けれど、距離は縮まらない。
並びかけた足が、
途中で、ためらうように止まる気配。
誰も、声をかけない。
ただ、
“すごい子”を見る目だけが、
そこにあった。
憂は何も言わず、
視線を前へ戻す。
(……また、だ)
この感覚は、
初めてじゃない。
校門を抜け、駅前へ続く人の流れを見やる。
春の光。
新学期の匂い。
賑やかなはずの道。
なのに、どこか少し、遠い。
気づけば、憂はやっぱり、ひとりだった。
「……はぁ」
今度は、さっきより少し長く息を吐く。
人の流れ。
春の匂い。
「……みたらし団子、食べて帰ろ……」
独り言のように呟き、
足を踏み出そうとした、その瞬間。
視界の端が、不自然に暗くなった。
影が、重なる。
「――憂様」
低く、丁寧すぎる声。
振り向く間もなく、気づいたときには、憂は数人の黒服に囲まれていた。
逃げ場はない。
周囲の雑踏が、一歩分、遠のいた気がした。
一歩前に出てきたのは、背の高い、整った顔立ちの男。
無駄のない動きで、完璧な姿勢のまま、深く一礼する。
「少々、お時間を頂戴いたします」
「……え?」
意味を理解するより早く、黒い影が、ゆっくりと視界を塞ぐ。
春の光は、その瞬間、静かに途切れた。
東野高校の校門は、朝から静かな熱気に包まれていた。
大阪府立東野高校。
百五十年以上の歴史を持ち、府内トップクラスの進学校。
文理学科を擁し、独自の六十五分授業と自由な校風で知られる名門校だ。
その校門を、
御陵 憂はひとりでくぐった。
真新しい制服。
背筋を伸ばし、歩幅を乱さず。
姿勢だけを見れば、どこからどう見ても模範的な新入生だった。
だが――
その隣に立つはずの人影は、ない。
周囲では、
両親と腕を組む生徒、
写真を撮る家族、
「頑張ってね」「楽しんでね」と声をかけられる新入生たちが行き交っている。
憂は、
それらを見ないふりをして、
ただ正門の先を見つめていた。
(……入学式、か)
胸の奥で、
小さく何かが沈む。
晴れ舞台。
娘の門出。
それなのに、
自分は、最初から最後までひとりだった。
◆
講堂は、厳かな空気に満ちていた。
壇上に並ぶ来賓。
整然と並べられた新入生の席。
校歌が流れ、式は滞りなく進んでいく。
そして――
名前が呼ばれた。
「文理学科・御陵 憂」
一瞬、空気が変わる。
小さなどよめき。
視線が、いっせいに集まる。
憂は立ち上がり、
静かに壇上へと向かった。
卓上に立ち、
短い挨拶を求められる。
「……本日は、このような素晴らしい式に参加でき、光栄です」
声は落ち着いていた。
震えはない。
「東野高校での学びを通して、自らを高め、
仲間と切磋琢磨できるよう努めてまいります」
簡潔で、過不足のない言葉。
拍手が起こる。
その音の中で、
憂はふと、客席を見渡した。
――空席。
拍手を送る“誰か”が、
そこにはいなかった。
胸の奥が、
少しだけ冷えた。
◆
式が終わると、
まるで合図でもあったかのように、
憂のまわりに人だかりができた。
「首席の子だよね?」
ひそひそとした声。
遠慮がちで、けれど隠しきれない好奇心。
褒め言葉。
探るような視線。
憂は、どう反応するのが正解なのか分からないまま、
曖昧に笑い、
軽く頭を下げた。
それだけで十分だと、
皆が納得したかのように。
だが――
誰も、隣には来ない。
輪はできているのに、
中心には、ぽっかりと空白があった。
「一緒に帰ろう」
「クラスどこ?」
そんな何気ない一言は、
結局、どこからも飛んでこなかった。
気づけば、
憂はまた、ひとりだった。
「……はぁ」
胸の奥から、
小さなため息がこぼれる。
体育館を出て、
教室棟へ向かう長い廊下。
磨かれた床に、
新しい制服の影が揺れる。
ざわざわとした波が、
前からも、後ろからも流れていく。
誰かの笑い声。
名前を呼び合う声。
はしゃいだ足音。
その背中越しに――
憂の耳へ、囁きが届いた。
「ねえ……聞いた?」
「うん。あの子でしょ」
「高校受験、全科目満点だったって……」
「え、冗談でしょ……?」
歩調が、ほんのわずかに乱れる。
声は小さいのに、
なぜか、はっきりと聞こえた。
「首席どころじゃないらしいよ」
「聞いた? 減点対象が一切なかったらしい。海外育ちで、英語とドイツ語も流暢だとか」
背中に、視線が集まるのを感じる。
近づいてくる――
けれど、距離は縮まらない。
並びかけた足が、
途中で、ためらうように止まる気配。
誰も、声をかけない。
ただ、
“すごい子”を見る目だけが、
そこにあった。
憂は何も言わず、
視線を前へ戻す。
(……また、だ)
この感覚は、
初めてじゃない。
校門を抜け、駅前へ続く人の流れを見やる。
春の光。
新学期の匂い。
賑やかなはずの道。
なのに、どこか少し、遠い。
気づけば、憂はやっぱり、ひとりだった。
「……はぁ」
今度は、さっきより少し長く息を吐く。
人の流れ。
春の匂い。
「……みたらし団子、食べて帰ろ……」
独り言のように呟き、
足を踏み出そうとした、その瞬間。
視界の端が、不自然に暗くなった。
影が、重なる。
「――憂様」
低く、丁寧すぎる声。
振り向く間もなく、気づいたときには、憂は数人の黒服に囲まれていた。
逃げ場はない。
周囲の雑踏が、一歩分、遠のいた気がした。
一歩前に出てきたのは、背の高い、整った顔立ちの男。
無駄のない動きで、完璧な姿勢のまま、深く一礼する。
「少々、お時間を頂戴いたします」
「……え?」
意味を理解するより早く、黒い影が、ゆっくりと視界を塞ぐ。
春の光は、その瞬間、静かに途切れた。
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