沈黙のういザード 

豚さん

文字の大きさ
158 / 255

2話 貴婦人との邂逅

しおりを挟む
 目隠しはなかった。

 だが、気づいたときには、憂は黒塗りの高級車の後部座席に座らされていた。

 車内に差し込む光はまだ高く、窓越しの街は、昼前の穏やかな気配を残している。

 ドアが閉まる音は驚くほど静かで、外の喧騒は、ぴたりと遮断された。

(……なに、これ……)

 本革のシートは柔らかく、身体が沈み込むような座り心地。

 向かいの席には、先ほど校門前で声をかけてきた執事が座っていた。

 背が高く、均整の取れた体躯。
 無駄を削ぎ落とした輪郭に、切れ長の目元が静かな光を宿している。
 黒のスーツはまるで身体の一部のように馴染み、皺ひとつない仕立てが几帳面さを物語っていた。

 髪は短く整えられ、光を受けても乱れない。
 近づいても、香水の主張はなく、ただ石鹸のような清潔な気配だけが残る。

 派手さはない。
 だが、立っているだけで視線を引き寄せる。
 所作のひとつひとつに余計な癖がなく、磨き上げられた印象が、自然と“格の違い”を感じさせた。

 その執事が、深く、深く、頭を下げた。

「誠に……誠に申し訳ございません」

「……え?」

 憂が戸惑うより先に、執事はもう一度、頭を下げる。

「このような形でお迎えすることになり、
 本来であれば、事前にご説明を差し上げるべきでした」

「……あの」

「恐怖を与えてしまったこと、心よりお詫び申し上げます」

 謝られている。
 それも、非の打ちどころがないほど丁寧に。

 車は、なめらかに走り出す。

 その間にも、助手席からトレーが差し出された。

 高そうなガラス瓶のジュース。
 薄く切られた生ハム。
 香りの異なる数種のチーズ。

「……どうぞ。まだ昼前ですので、軽めのものをご用意しております」

 憂はしばらく警戒していたが、
 喉の渇きに負けて、
 ジュースを一口だけ含んだ。

 思わず、目を見開く。

(……おいしい……)

 悔しいほどに。

「お気に召しましたなら、何よりです」

 執事は、ほっとしたように、わずかに表情を緩めた。

(だまされてたまるか……!)

 心の中で叫びながら、生ハムにも手を伸ばしてしまう。



 しばらくして、
 憂は膝の上で、ぎゅっと拳を握りしめた。

「……電話、してもいいですか」

 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

 執事は一瞬だけ目を伏せ、すぐに姿勢を正す。

「もちろんでございます」

 否定も、条件もない即答。

「どなたに、おかけになりますか?」

「……姉に」

「承知いたしました」

 それだけ言って、執事は視線を外した。

 まるで、
 “聞く必要はありません”
 とでも言うように。

 憂は自分のバッグからスマートフォンを取り出し、
 慣れた指で名前を探す。

――葉月

 ほとんど反射的に、発信した。

『もしもし?』

「葉月姉!大変! 今……今ね、黒服の人たちに囲まれてて……!」

『あら、憂ちゃん?』

 受話口から聞こえてきたのは、思いのほか落ち着いた、いつもの声だった。

「落ち着いてる場合じゃないから! これ、どう考えてもおかしいでしょ!?」

『ふふ……』

 葉月は、少し楽しそうに笑った。

『それ、貴婦人ちゃんのところね』

「……は?」

『ほら、あの子よ。名家のお嬢様の』

「……ちょっと待って、話がぜんぜん追いつかない……」

『ああ、そっか。憂ちゃんは初めてだものね』

 葉月は、思い出すような口調で続ける。

『貴婦人ちゃんってね、由緒も、規模も……桁が違う名家の娘なのよ』

「名家……?」

『そう。敷地も、使用人の数も、財も、人脈も。全部、比べものにならないくらい』

 葉月の声は、どこまでも軽やかで、それが余計に現実感を奪った。

「……そんな人が、なんでわたしを拉致してるの……?」

『拉致って言い方は、ちょっと大げさじゃない?』

「大げさじゃないよ!黒服だよ!? 車だよ!?」

『ふふ……でもね』

 葉月は、少しだけ声の調子を変える。

『あの子、立ち居振る舞いも、言葉遣いも、小さいころから貴婦人そのものなの』

『だから、周りが勝手に“貴婦人”ってあだ名をつけたのよ』

「……あだ名の由来、全然かわいくない……」

『でしょう?』

 葉月は楽しそうに言う。

『でもね、本当にそういう子なの。
 礼儀正しくて、筋を通して、自分が責任を持てないことは絶対にしない』

「……それで、拉致、する……?」

『ふふ……そこは、ちょっと不器用なのよね』

 迷いのない声。

『でもね、憂ちゃん』

 ここで、葉月の声が、ほんの少しだけ低くなる。

『正直に言うと……味方にすると、すごく頼もしい人よ』

「……は?」

『でも。敵には、絶対に回さない方がいいわ』

「……それ、ぜんぜん安心できないんだけど……」

『ふふ。だから言ってるの』

 どこか楽しげで、どこか本気の声。

『あの子のことは、信じてあげて』

「……理由は?」

『理由?』

 葉月は、本当に不思議そうに問い返す。

『だって、信用できるって分かってるもの』

「……分かってるって……」

『お姉ちゃんが言うんだから、大丈夫よ』

 その一言が、憂の胸を静かにかき乱した。

「……葉月姉が、そこまで言うなら……」

『でしょう?』

 満足そうな声。

『だから、少しだけ付き合ってあげて。きっと、悪い時間にはならないわ』

「……ほんとに?」

『ええ。それは保証する』

 即答だった。

『あ、そうそう』

 急に、軽い声に戻って。

『帰ったら、ちゃんと感想、聞かせてね』

「……感想って……」

『じゃあ、またあとで。ばいにゃ~ん』

「ちょっ……葉月姉!?」

 通話は、一方的に切れた。

 憂は、スマートフォンを握りしめたまま、しばらく言葉を失っていた。

「……名家の娘で……味方だと頼もしくて……敵に回すと、よくない……?」

 情報が、頭の中で噛み合わない。

 視線を上げると、執事は変わらぬ姿勢で座っていた。

 そのまま、静かに一礼する。

「……左様でございます」

(……否定、しないんだ……)

 その事実が、憂の混乱をさらに深めた。



 車は、静かな場所に停車した。

 執事が再び、丁寧にトレーを差し出す。

 今度は、小ぶりだが、明らかに高級そうなケーキ。

「こちらも……もしよろしければ」

 憂は警戒しつつ、フォークで一口。

「……なにこれ……すごくおいしい……」

 思わず、本音が漏れた。

「ありがとうございます」

 執事が、心底ほっとした顔をする。

(ちがう……これは接待……だまされてる……)

 だが、ケーキは確実においしく、車内は静かで、誰も怒鳴らない。

 昼前の光が、窓越しに街を流れていく。

(……入学初日から、なんでこんなことに……)

 フォークを握りしめながら、憂の脳裏に、ひとつの言葉が浮かんだ。

――貴婦人。

 その名前だけが、
 甘さと不安を同時に連れて、
 不思議と胸に残って離れなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...