沈黙のういザード 

豚さん

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21話 ~マリーがいた季節~ 

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 梅田の街を歩き回って、気づけば空は夕暮れ色に染まり始めていた。

「……歩いたわね」

 リナが肩を回す。

「じゃあ最後に一つだけ」

 憂が、ぱっと顔を上げた。

「カラオケ、行きませんか?」

「……カラオケ?」

 マリーが少し驚いたように目を瞬かせる。

「日本の……歌うお店、ですわよね?」

「うん!」

 憂はうなずいた。

「いっぱい歩いたし、最後に楽しいことしよって思って!」

 リナは一瞬考えてから、肩をすくめる。

「まぁ……悪くないわね」

 こうして三人は、駅近くのカラオケボックスへと入った。



 防音された小さな部屋。
 ソファに腰を下ろし、最初の曲を入れたのはリナだった。

「……じゃあ、いくわよ」

 前奏が流れた瞬間、空気が変わる。

 伸びやかで、芯のある声。
 音程は一切ぶれず、感情の乗せ方も的確。

「……うわ……」

 憂が思わず声を漏らす。

「リナ、やっぱり上手……!」

 歌い終えたリナは、何事もなかったようにマイクを置く。

「まぁ、普通でしょ」

「普通じゃないよ!」

 憂は胸を張る。

「リナって、プロ級のヴァイオリン弾くんですよ!」

 ふふん、と自慢げ。

「ちょっと憂!余計なこと言わないで!」

 リナは顔を赤くする。

「でも本当だもん」

 憂はにこにこ。

 次にマイクを取ったのは、憂だった。

 流れ出す前奏。
 憂が息を吸い、歌い出す。

 透明で、まっすぐな歌声。
 でも、ただ綺麗なだけじゃない。
 聴く人の胸に、すっと入り込む。

 マリーは、息を呑んでいた。

 歌い終えた瞬間、リナが思わず口を開く。

「……ほんと、反則」

「え?」

「その歌声」

 憂は少し照れながら言った。

「前にね、クルージングで歌ったことがあって……
 そのとき、ちょっとだけ……ファン、できちゃった」

「ちょっとだけじゃないでしょ」

 リナが即ツッコミ。

 マリーは、二人を見比べて微笑んだ。

「……お二人、とても仲が良いのですね」

「え?」

「なんだか……少し、羨ましいですわ」

 そう言ってから、マリーは視線を下げた。

「私……歌は苦手で……
 こういう場所、ほとんど来たことがありませんの」

 マイクを前に、少し躊躇する。

 憂は、そっと隣に座った。

「大丈夫です」

 やさしく。

「一緒に歌いましょう」

「……一緒に?」

「うん。わたしが隣にいます」

 マリーは少し迷ってから、小さくうなずいた。

 憂が選んだのは、ゆっくりしたテンポの曲。

 二人で、同じマイク。

 最初は震えていたマリーの声も、次第に、少しずつ、音に乗り始めた。

 ――澄んだ、透明感のある声。
 高音に差しかかっても無理がなく、細い光の糸のように、すっと伸びていく。

 その響きは不思議と柔らかく、包み込むような優しさがあった。
 聴いているだけで、胸の奥がふっと緩む。
 母性的で、あたたかい――癒やしの音色。

 けれど甘さもある。
 ふわりとした可愛らしさが、ところどころに滲んでいて、
 どこか“永遠の十七歳”を思わせる、無垢な軽やかさがあった。

 音程は終始安定していて、揺れることなく、最後まで流れを保ったまま――

 歌い終えたとき。

「……できました」

 マリーの声は、少し誇らしげだった。

「できましたね!」

 憂が笑う。

 リナは腕を組みながら、満足そうに言った。

「初めてにしては、上出来よ。
 ――それに、あの声。
 人を安心させる、いい歌声ね」



 カラオケを出た、そのとき。

 マリーのスマホが、静かに震えた。

「……え?」

 画面を見た瞬間、マリーは一瞬、言葉を失った。

  マリーは、少し戸惑いながら画面を見せる。

「……彼のお姉さんから、メールが……」

 息を呑む音。

『突然ごめんなさい。
 実はね、明日、私が東京に行くことになって……
 弟が、空港まで見送りに来るって言ってるの』

 指先が、わずかに震える。

『まだ、記憶は戻っていないみたいなんだけど……
 それでも、“もしかしたら会えるかもしれない場所”には行きたいって。
 だから……もし、マリーが無理でなければ』

 一拍、置いて。

 『ほんの少しでいいの。
 顔を見るだけでも構わないから……
 空港に、来てくれないかな』

 マリーは胸にスマホを抱きしめ、小さく、でも確かにうなずいた。

「……あの人のお姉さん、本当に……お人よしですね」

 マリーの手が、胸の前で震える。

 リナは腕を組み、ふっと息を吐いた。

「行きなさいよ。こんな機会、二度と来ないかもしれない」

 憂も、強くうなずく。

「マリーさん、絶対行ったほうがいいです!
 たとえ覚えてなくても……マリーさんの気持ちは、きっと伝わります」

 マリーは、唇を噛みしめる。

「……怖い……です」

 小さな声。

「忘れられていたら……私……」

「怖がりながらでいいんです」

 憂は、そっと言った。

「でも、会いたい気持ちは本物でしょう?
 その気持ちが……きっと、彼に届きます」

 マリーの瞳に、涙がにじむ。

「……行きますわ」

 震えながらも、はっきりと。

「明日……空港へ。もう一度……彼に会います」

 リナは満足そうに鼻を鳴らした。

「よろしい。やっと覚悟決めた顔になったじゃない」

 マリーは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

「ありがとう……お二人とも」

「私……あした、勇気を出しますわ」

 夕暮れの梅田の風が、三人の髪を、そっと揺らす。

 その風の向こうに――
 明日、空港で待つ「未来」が、
 確かに続いているように思えた。
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