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25話 仕組まれた、あたたかさ
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朝の御陵家。
障子越しに差し込む柔らかな陽が、畳に淡い模様を描いている。
台所のほうからは、味噌汁の湯気と出汁の香り。
昨夜の鍋の余韻が、家の中にまだ残っていた。
憂は、ソファの上でゆっくりと目を開けた。
「……あ」
視界がぼやけたまま、天井を見つめる。
少し遅れて、記憶が戻ってくる。
身体を起こそうとした、その瞬間。
「……おはよ」
低く、ぶっきらぼうな声。
憂が驚いて顔を上げると、そこには腕を組んだリナが立っていた。
無表情。
昨日の涙の痕跡など、どこにも見当たらない。
「あっ……おはよう、リナ」
「よく寝てたじゃない」
リナはそっけなく言う。
「鍋食べすぎて、沈没したのかと思ったわ」
「うっ……否定できない……」
憂が苦笑すると、リナはふっと視線を逸らした。
「まぁ……あんたが幸せそうだったから、いいけど」
その瞬間だけ、リナの耳の先が、ほんのり赤く染まった。
憂はそれに気づいて、胸の奥がきゅっとくすぐったくなる。
◆
「二人とも、おはよ~」
キッチンから、葉月の明るい声。
エプロン姿で振り向き、いつも通りの笑顔だ。
「リナちゃん、朝ごはん食べる?」
「……いただく」
短い返事。
でも、妙に素直。
その声に、憂は思わずくすっと笑ってしまった。
「なに笑ってんのよ」
「なんでもないよ」
三人で食卓につく。
湯気の立つ味噌汁、炊き立てのご飯、焼き魚。
リナは黙々と箸を動かしながら、
どこか表情が柔らかい。
けれど、ツンはツンのまま。
(……昨日とは、少し違う)
その微妙な変化に気づいているのは、憂だけだった。
◆
食後。
玄関で靴を履こうとするリナに、葉月が紙袋を差し出した。
「リナちゃん、これ持っていって!」
中には——
丁寧に包まれたおにぎりが二つ。
鍋の残りで作ったおかず。
そして、丸文字で書かれたメモ。
《チンして食べてね♡》
「……こ、こんなに?」
リナは目を見開く。
「い、いや、悪いってば……!」
「ダメ!」
葉月は即答。
「昨日はいっぱい泣かせちゃったし、これはお礼!」
「泣いたのは……べ、別に……!」
耳が真っ赤になる。
憂も笑いながら口を挟む。
「リナ……嬉しい?」
「べ、べつに……」
少し間を置いてから、ぼそっと。
「……ただ、このチンって書くセンスはどうかと思うけど」
「そこ!?」
葉月が大笑いし、憂もつられて笑う。
リナの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……ありがとう」
小さく、けれど確かな声で。
「
その……二人とも」
その声は、昨夜の涙よりも、ずっと優しかった。
◆
「また来てね」
憂がそう言うと、リナは一瞬だけ足を止める。
春風が吹き、長いサイドテールがきらりと光った。
「……考えとく」
ツンツンした声。
でも、拒絶ではない。
歩き出す前に、もう一度だけ振り返る。
「憂」
「うん?」
「……友達、だよね」
少しだけ目を伏せて。
「昨日のこと……忘れてないから」
憂の胸に、じんわりと温かさが広がる。
「もちろん。ずっと友達だよ」
リナはそっぽを向き、耳を赤くしたまま、手をひらひらと振った。
紙袋を抱え、まるで御陵家の温度を持ち帰るように。
リナは、やさしい春の風の中へ歩き出していった。
◆
リナが帰ってからしばらくして。
御陵家のリビングは、片付けも終わり、春の午後の光が静かに差し込んでいた。
テーブルの端には、今朝まで湯気を立てていた鍋の名残と、
空になった肉のトレー。
ソファに腰を下ろした葉月は、それを一瞥してから、スマホを手に取った。
少しだけ迷って、画面をタップする。
《件名:ありがとうございました》
『小鈴ちゃん昨日は本当にありがとう。
リナちゃんの件、無事にお話ができました。
それと――おいしいお肉も、ありがとう。
あれがあったから、あの子も、ちゃんと心を開けた気がします。
次女として、心から感謝します』
送信。
数分も経たないうちに、
返信が届いた。
《From:小鈴》
『葉月さん。
いえ、とんでもございません。
場と温度と時間が整えば、人は自然と、話すべきことを話せるものです
わたくしはそのきっかけを少し並べただけですので』
葉月の指が、止まる。
続けて、
もう一通。
『すべてはリナが過去を手放し、前を向くための流れでした。
どうかあの夜を重荷ではなく、一つの通過点として受け取ってくださいませ』
画面を見つめたまま、葉月はゆっくりと息を吐いた。
「……やっぱりね」
鍋。
肉。
タイミング。
リナを招く流れ。
憂が眠り、
大人だけが残る夜。
――すべて。
「最初から、あの子が泣ける場所を用意してたんだ」
怒りはない。
むしろ、感嘆に近い。
「ほんと……おせっかいで、やさしくて、怖いくらいに頭が切れる」
スマホを伏せ、窓の外を見る。
春の風が、庭木をやさしく揺らしていた。
あの夜、流れた涙も、語られた真実も――
すべては、誰かが“仕組んだ救い”だった。
それでも。
「……助かったよ、小鈴ちゃん」
小さく、そう呟く。
すべてが、ほんの少しだけ前へ進んだ。
静かで、あたたかな午後だった。
障子越しに差し込む柔らかな陽が、畳に淡い模様を描いている。
台所のほうからは、味噌汁の湯気と出汁の香り。
昨夜の鍋の余韻が、家の中にまだ残っていた。
憂は、ソファの上でゆっくりと目を開けた。
「……あ」
視界がぼやけたまま、天井を見つめる。
少し遅れて、記憶が戻ってくる。
身体を起こそうとした、その瞬間。
「……おはよ」
低く、ぶっきらぼうな声。
憂が驚いて顔を上げると、そこには腕を組んだリナが立っていた。
無表情。
昨日の涙の痕跡など、どこにも見当たらない。
「あっ……おはよう、リナ」
「よく寝てたじゃない」
リナはそっけなく言う。
「鍋食べすぎて、沈没したのかと思ったわ」
「うっ……否定できない……」
憂が苦笑すると、リナはふっと視線を逸らした。
「まぁ……あんたが幸せそうだったから、いいけど」
その瞬間だけ、リナの耳の先が、ほんのり赤く染まった。
憂はそれに気づいて、胸の奥がきゅっとくすぐったくなる。
◆
「二人とも、おはよ~」
キッチンから、葉月の明るい声。
エプロン姿で振り向き、いつも通りの笑顔だ。
「リナちゃん、朝ごはん食べる?」
「……いただく」
短い返事。
でも、妙に素直。
その声に、憂は思わずくすっと笑ってしまった。
「なに笑ってんのよ」
「なんでもないよ」
三人で食卓につく。
湯気の立つ味噌汁、炊き立てのご飯、焼き魚。
リナは黙々と箸を動かしながら、
どこか表情が柔らかい。
けれど、ツンはツンのまま。
(……昨日とは、少し違う)
その微妙な変化に気づいているのは、憂だけだった。
◆
食後。
玄関で靴を履こうとするリナに、葉月が紙袋を差し出した。
「リナちゃん、これ持っていって!」
中には——
丁寧に包まれたおにぎりが二つ。
鍋の残りで作ったおかず。
そして、丸文字で書かれたメモ。
《チンして食べてね♡》
「……こ、こんなに?」
リナは目を見開く。
「い、いや、悪いってば……!」
「ダメ!」
葉月は即答。
「昨日はいっぱい泣かせちゃったし、これはお礼!」
「泣いたのは……べ、別に……!」
耳が真っ赤になる。
憂も笑いながら口を挟む。
「リナ……嬉しい?」
「べ、べつに……」
少し間を置いてから、ぼそっと。
「……ただ、このチンって書くセンスはどうかと思うけど」
「そこ!?」
葉月が大笑いし、憂もつられて笑う。
リナの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……ありがとう」
小さく、けれど確かな声で。
「
その……二人とも」
その声は、昨夜の涙よりも、ずっと優しかった。
◆
「また来てね」
憂がそう言うと、リナは一瞬だけ足を止める。
春風が吹き、長いサイドテールがきらりと光った。
「……考えとく」
ツンツンした声。
でも、拒絶ではない。
歩き出す前に、もう一度だけ振り返る。
「憂」
「うん?」
「……友達、だよね」
少しだけ目を伏せて。
「昨日のこと……忘れてないから」
憂の胸に、じんわりと温かさが広がる。
「もちろん。ずっと友達だよ」
リナはそっぽを向き、耳を赤くしたまま、手をひらひらと振った。
紙袋を抱え、まるで御陵家の温度を持ち帰るように。
リナは、やさしい春の風の中へ歩き出していった。
◆
リナが帰ってからしばらくして。
御陵家のリビングは、片付けも終わり、春の午後の光が静かに差し込んでいた。
テーブルの端には、今朝まで湯気を立てていた鍋の名残と、
空になった肉のトレー。
ソファに腰を下ろした葉月は、それを一瞥してから、スマホを手に取った。
少しだけ迷って、画面をタップする。
《件名:ありがとうございました》
『小鈴ちゃん昨日は本当にありがとう。
リナちゃんの件、無事にお話ができました。
それと――おいしいお肉も、ありがとう。
あれがあったから、あの子も、ちゃんと心を開けた気がします。
次女として、心から感謝します』
送信。
数分も経たないうちに、
返信が届いた。
《From:小鈴》
『葉月さん。
いえ、とんでもございません。
場と温度と時間が整えば、人は自然と、話すべきことを話せるものです
わたくしはそのきっかけを少し並べただけですので』
葉月の指が、止まる。
続けて、
もう一通。
『すべてはリナが過去を手放し、前を向くための流れでした。
どうかあの夜を重荷ではなく、一つの通過点として受け取ってくださいませ』
画面を見つめたまま、葉月はゆっくりと息を吐いた。
「……やっぱりね」
鍋。
肉。
タイミング。
リナを招く流れ。
憂が眠り、
大人だけが残る夜。
――すべて。
「最初から、あの子が泣ける場所を用意してたんだ」
怒りはない。
むしろ、感嘆に近い。
「ほんと……おせっかいで、やさしくて、怖いくらいに頭が切れる」
スマホを伏せ、窓の外を見る。
春の風が、庭木をやさしく揺らしていた。
あの夜、流れた涙も、語られた真実も――
すべては、誰かが“仕組んだ救い”だった。
それでも。
「……助かったよ、小鈴ちゃん」
小さく、そう呟く。
すべてが、ほんの少しだけ前へ進んだ。
静かで、あたたかな午後だった。
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