沈黙のういザード 

豚さん

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29話 変態お姉ちゃんの弱音

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 湯気が立ちこめる浴室。
 ちゃぷん、とやわらかな水音が響く。

 大きな湯船に、憂と葉月が並んで肩まで浸かっていた。

「……っはぁ~……」

 葉月が、わざとらしく長い息を吐く。

「生き返るわぁ……やっぱ風呂は一日の締めだよねぇ……」

「……葉月姉、言い方がおっさんだよ」

 憂がくすっと笑う。

「いいのいいの」

 葉月は肩を揺らす。

「年季入ってる証拠だから」

「もう……」

 憂は湯船の縁に顎を乗せて、ぽつり。

「でもさ、こうやってお風呂入ると……心の洗濯、って感じするよね」

「お、いいこと言うじゃん」

「でしょ?」

 湯気の向こうで、二人の表情が柔らかく溶ける。

 ――それは、今日のことじゃない。
 憂の記憶の中にある、少し前の夜。

「……ねえ、葉月姉」

「ん?」

 天井を見上げたままの葉月に、憂は少しだけ間を置いてから言った。

「……ありがとう」

「ん? なに急に」

「いっぱい、してくれたから」

 葉月が首だけ動かして、憂を見る。

「おいしいご飯、いつも作ってくれたでしょ。学校のこととか友達のこととか……
 わたしが一人にならないように、いろいろ気にしてくれてたのも」

 憂は、湯船の縁を見つめたまま続ける。

「ちゃんと……全部、覚えてるよ」

 葉月は一瞬、言葉を失って。
 それから、ふっと笑った。

「……なにそれ。改まって言われると、ちょっと照れるじゃん」

「本当だもん」

 憂は少しだけ身体をずらす。

「ねえ、お姉ちゃんの背中、洗ってあげよっか」

 一瞬。

 葉月の反応が、来ない。

「……え? いいの?」

 その声は、やけに素直だった。

「……あれ?」

 憂は、きょとんとした顔になる。

「いつもならさ、ぐへへとか言って変態お姉ちゃんになるところじゃない?」

「ちょっと!!」

 葉月が思わず湯気をはねさせる。

「人を何だと思ってるの!」

「だって事実だもん」

 二人で小さく笑う。

 でも、憂は気づいていた。
 葉月の声が、少しだけ軽くないことに。

「……ねえ、葉月姉」

「んー?」

「なにか悩んでたらさ、わたしでよければ相談のるよ?」

 湯気の向こうで、葉月が黙った。

 少しの沈黙。
 お湯の音だけが、静かに続く。

「……さ」

 葉月が、ぽつり。

「おせっかいってさ、たまに人を傷つけちゃうこともあるんだよね」

 憂は、はっとする。

「良かれと思ってやったことが、相手にとっては余計だったり……踏み込みすぎだったりするんだよね」

 葉月の声は、弱音だった。

 憂は、すぐに首を振る。

「そんなことないよ」

「え?」

「少なくとも、葉月姉がやってきたことは間違ってなかった」

 憂は、少し息を整えてから続けた。

「千秋の件も……本気で怒ってくれたでしょ」

 葉月の目が、わずかに揺れる。

「あれ、正直……すごく嬉しかったんだ」

「憂ちゃん……」

「迷惑かかることも、これからあると思う」

 憂は、湯気の向こうでまっすぐ葉月を見る。

「いつもありがとうお姉ちゃん。これからも、妹の御陵憂をお願いします」

 一瞬、時間が止まったように感じられた。

 葉月は目を見開き、それからゆっくりと笑った。

「……ほんと、大きくなったね、憂ちゃん」

「葉月姉もだよ」

 二人は、そっと肩を寄せる。

 湯船の中で、体温が静かに伝わった。

「……ずるいなあ」

 葉月が小さく言う。

「そういうこと、さらっと言うの」

「本音だもん」

 葉月は一度、目を閉じてから、深く息を吐いた。

「……ありがと。ちょっと……いや、だいぶ元気出た」

「よかった」

 すると葉月が、にやっとする。

「じゃあさ……せっかくだし、体のすみずみまで洗ってもらおっかな~?」

 葉月が勢いよく仁王立ち。湯気の向こうで、背筋をピンと伸ばして堂々たる姿。

「ぎゃあああ!! だ、だいじなところ隠してえええ!」

 慌てた憂は、とっさに手で前を覆いながら叫ぶ。

「ぐへへ……ういちゃんの体で洗ってくれないかな」

「な、なにそれ~~!! 急にいつもの変態お姉ちゃんに戻らないでよ!」

「回復した証拠でーす」

「もー!」

 湯気と笑い声に包まれ、二人の声が重なる。

 ――憂は心の中で思う。
 あの夜、確かに葉月はまた一歩、前を向いたのだ、と。

 それは、おせっかいでも正解でもなく、
 ただ、姉妹が少し大人になった証の時間だった。
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