沈黙のういザード 

豚さん

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12話 あーん対策

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 高級車の車内は、静かで広かった。
 走行音も控えめで、外の景色がゆっくりと流れていく。

 後部座席で、憂は少し落ち着かない様子でシートに座っている。

「あの……理恵さんは?」

 その問いに、助手席の結衣が軽く振り返った。

「理恵姐? 仕事中だよ。あとで現地集合してくれってさ」

「そうなんですね……」

 少し残念そうな憂に、小鈴が優しく微笑む。

「その間に、憂さんにぜひご案内したい場所がございますの」

「ご案内……?」

「えー、僕はスイーツがいいなぁ」

 結衣が間に割り込む。

「甘いものは別腹でしょ? 憂君の食後のデザートは、僕が担当するよ」

 どこかホストのような軽い調子。

「結衣さん」

 即座に、小鈴の声がぴしりと入る。

「なれなれしすぎですわ。 憂さんのエスコートは、まず――わたくしが致します」

「はいはい、小鈴お嬢様」

 結衣は笑いながらも、少し悔しそうだった。

 車はやがて、落ち着いた通りに面した一軒の店の前に停まった。

 店内は、L字型のカウンターが八席。
 奥に、二人掛けのテーブルが二卓。

 昼時を外しているにもかかわらず、店内には人が絶えない。
 活気がありつつも、どこか居心地の良い空気だった。

「いらっしゃいませー」

 店員の気さくな声に、小鈴は慣れた様子で軽く会釈する。

「……常連さんなんですか?」

 憂が小声で聞く。

「ええ。こちらは、わたくしのお気に入りですの」

 券売機の前に並ぶ。

「小鈴のおすすめは、どれ?」

「金の麦味噌つけ麺ですわ」

 憂と結衣は顔を見合わせ、同じ食券を購入した。

 席に着いてから、憂がふと思い出したように言う。

「前に小鈴さんの家でいただいた、ざるそば……すごくおいしかったです」

「まあ」

 小鈴は嬉しそうに目を細める。

「覚えていてくださったのですね」

 憂は少し不思議そうに首を傾げる。

「小鈴さん、ラーメン屋で外食もされるんですね」

「ラーメンは、一番好きな食べ物ですわ」

「えー、意外」

 結衣が笑う。

「……大きな屋敷のお店ですと、どうしても肩に力が入ってしまいますでしょう?
 その点、こうした場所でしたら、余計なことを考えずに済みますから
 憂さんには、そのほうが……落ち着いて召し上がっていただけるかと存じまして」

 憂は、少し間を置いてから、そっと笑った。

「……あのざるそば、忘れられません。
 味もですけど……小鈴さんと並んで食べた時間が、すごく落ち着いて、
 また……ああいうふうに、一緒に食べられたら、嬉しいです」

 小鈴は一瞬、言葉を失った。

 扇子を持つ手が、わずかに止まる。
 普段なら崩さぬ微笑みが、今日はほんの少しだけ揺れた。
 喉を整えるように、軽く咳払いをする。

「そのように仰られると……
 わたくしのほうが、気恥ずかしくなってしまいますわね」

 視線を逸らしながらも、頬には淡い朱が差している。

 その様子を横で見ていた結衣が、にやっと口角を上げる。

「いやあ……憂君って、ほんとすごいよね」

 肘で小鈴をつつきながら、わざとらしく言う。

「だってさ、あの小鈴をここまで赤くさせるんだよ? 普通、無理でしょ」

「……結衣さん?」

 小鈴がたしなめるように名を呼ぶが、声にいつもの余裕がない。

「褒めてるんだって」

 結衣は肩をすくめる。

「本人は無自覚なのに、年上の貴婦人を落としにかかってるんだから。
 たいしたもんだよ、ほんと」

 憂は戸惑ったように瞬きをして、小さく首を振る。

「そ、そんなつもりは……」

「ほら、そこ」

 結衣が即座に指を差す。

「その顔。それが一番、効くんだから」

 そのとき、店員の声が響いた。

「つけ麺、あと二分でーす」

 湯気の立つ寸胴。
 麺を引き上げる音が、食欲を刺激する。

 ほどなくして、丼が運ばれてきた。

「金の麦味噌つけ麺でーす」

 全粒粉の麺は、蕎麦のような色合い。
 細めの平打ちで、見るからにもっちりしている。

「……いただきます」

 憂が一口すすると、目を見開いた。

「……おいしい……!」

 味噌汁のような優しい香り。
 けれど、つけ麺としては新鮮な味わい。

「違和感あるのに……すごく合います」

 結衣は無言で食べ進める。
 悔しいが、美味い。

「ふふふ……」

 小鈴は満足そうに微笑んでいた。

 遅れて、小鈴の前に別の丼が置かれる。

「金の麦味噌ラーメンでーす」

「……あれ?」

 憂が首を傾げる。

「おすすめ、つけ麺じゃなかったんですか?」

「わたくしは、いつも頂いておりますので」

 小鈴は上品に答える。

「今日は、違うものを」

 スープを一口。

 ほんのり甘く、あとから僅かな辛さ。
 濃厚なのに、重くない。

「……とても、良いですわ」

 中太麺に、二種のチャーシュー。
 刻みねぎと玉ねぎが、しっかり仕事をしている。

 小鈴は、箸で麺をそっと持ち上げた。
 湯気の立つ細い線を、落とさぬよう丁寧に整える。

「憂さん」

「は、はい?」

「……よろしければ」

 静かに身を寄せ、口元まで運ぶ。

「あーん、ですわ」

「えっ……!?」

 憂の頬が一気に赤くなる。

「ち、ちょっと小鈴!」

 結衣が慌てるが、小鈴は微笑んだまま、動じない。

 憂は戸惑いながらも、意を決して口を開いた。

「……あーん……」

 麺をひとすじ。

「……おいしい……!」

 その一言に、小鈴の瞳が柔らかくほどける。

「でしょう?」

 嬉しさを噛みしめるように、声を落とす。

「……こうして差し上げて、憂さんが喜んでくださるのが……何よりでございますわ」

 一瞬の沈黙のあと、憂は、そっと箸を取り直した。

 つけ麺の器に麺をくぐらせ、少しだけ汁を切る。
 手つきはまだぎこちないが、とても慎重だった。

「……あの」

 小鈴が目を瞬かせる。

「今度は……わたしが小鈴さんに……」

 震えを抑えながら、箸を差し出す。

「あーん……しても、いいですか……?」

 一瞬、完全に固まる小鈴。

 次の瞬間、耳まで赤く染まり、それでも視線を逸らさずに微笑んだ。

「……あらあら」

 扇子を口元に添え、声を整える。

「憂さんに、そのように仰られては……断る理由など、ございませんわ」

 ゆっくりと、上品に口を開く。

「……あーん」

 麺が、唇に触れる。

 一口。

 小鈴は目を伏せ、そっと噛みしめた。

「……おいしい……ですわ」

 その声は、先ほどよりもずっと柔らかい。

「つけ麺が、というより……憂さんに、していただいたから……でしょうね」

 憂の顔が、今度は真っ赤になる。

 結衣はその様子を見て、箸を置き、肩をすくめた。

「ぐぬぬ……」

 結衣は唇をきゅっと噛み、じっと二人のトレイを見比べた。
 並んでいる皿は、主菜も副菜も、スープまで――寸分違わず同じ。

「ほら、僕と同じメニューでしょ」

 その一言が、決定打だった。
 結衣は一瞬だけ箸を握りしめ、肩を小さく震わせる。

「……対策、万全すぎない?」

 ぼそっと漏れた声には、悔しさがこれでもかと滲んでいた。
 視線だけは、未練がましく憂の口元へ向かうが、すぐにぷいっと逸らす。

「同じなら……その……意味、ないじゃん……」

 頬をむにっと膨らませ、箸で自分の皿をつつく。
 完全にあーんルートを封じられた結衣は、しばらく無言で、もそもそと食べ続けるしかなかった。
 その背中からは、「本当はしてほしかった」という感情だけが、分かりやすすぎるほど漂っていた。

 その様子を、少し離れた席から――小鈴はすべて見ていた。

 小鈴は、卓上に置かれた水のコップを、静かに指先で持ち上げる。
 厚めのガラス越しに、店内の白い光が淡く揺れた。

 ひと口、音も立てずに飲み下し、コップをそっと卓に戻す。

 そして――
 ほんのわずか、口角が上がった。

 派手さはない。
 だがそれは、明確な貴婦人の笑み。

(……勝ち、ですわ)

 結衣が頬を膨らませたまま、もそもそとラーメンを啜る背中を視界の端に収めながら、小鈴はそれ以上、何も言わない。

 水のコップに残る、わずかな水滴。
 その落ち着いた所作と表情が、この一局の勝敗を、静かに告げていた。

 店内には、穏やかな湯気と、小さな火花と、美味しい時間が流れていた。

 憂は、丼を両手で抱えながら、つけ汁に麺をくぐらせる。
 目の前のやり取りには、もう特別な意味を見出していない。

 ただ、もちもちの麺と、熱いつけ汁の香り。
 それだけに、意識を向ける。

(……今日は、楽しい)

 そう思えたこと自体が、この一杯を、少しだけ特別なものにしていた。
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