沈黙のういザード 

豚さん

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25話 ご縁

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 最後の音が、スタジオの空気に溶けた。

 ドラムが止まり、ベースの余韻が消え、ギターの弦が、かすかに鳴り終わる。

 静寂。

「……ふう」

 理恵が、満足そうに息を吐いた。

 少しだけ間を置いて、ぽつりと付け加える。

「今日がさ。一番、いい音だった」

 評価は短く、それ以上の説明はない。
 けれど、その一言だけで十分だった。

 ギターを肩から外し、床に置く。
 そして、いつもの軽い調子に戻る。

「練習、楽しかったー」

 もう話は終わり、というように。
 理恵は手早く機材を片づけ始める。

「はいはい、次の仕事あるから。撤収撤収」

「え、もう!?」

 結衣が抗議する。

「相変わらず勝手すぎでしょ!」

「知ってたでしょ」

 理恵は振り返りもせずに言う。

「だから、ついてきたんでしょ」

「……そうだけどね」

 結衣は悔しそうに唸る。

 小鈴は軽くため息をつき、憂の方を見る。

「……憂さん。参りましょうか」

 手のひらで、出口を示す仕草。

「……はい」

 スタジオを出る直前、憂は一度だけ、足を止めた。

 汗だくのまま、無言で片づけを続ける理恵の背中。

 憂は一歩だけ近づき、はっきりと声を出す。

「……理恵さん」

 理恵の手が、一瞬だけ止まる。

「ありがとうございました。……あの音、出せたのは……理恵さんのおかげです」

 短く、まっすぐな言葉。

 理恵は振り返らない。
 けれど、ケーブルをまとめる手元が、ほんの少しだけ緩んだ。

「……礼はいらない」

 ぶっきらぼうに、それだけ言って――
 次の瞬間、思い出したように続ける。

「あ、そうだ」

 理恵はようやく振り返り、憂を見た。

「披露宴、来る?」

「……え?」

「招待するからさ。席、用意しとく」

 一瞬、空気が止まる。

 憂の顔が、みるみるうちに赤くなった。

「え、えっと……わ、わたし……白凰の……後輩、でもないですし……そんな、場違いというか……」

 視線が泳ぎ、言葉がしぼんでいく。

 次の瞬間。

「はぁ!?」

 理恵の声が、スタジオに響いた。

「何言ってんだ、お前」

 ぐっと距離を詰め、腕を組む。

「師匠の誘い、断る気か?」

「えっ……!」

「昨日も今日も一緒に特訓して、それで関係ないは通らねえだろ」

 完全に、ヤンキーの詰め方だった。

「来いって言ってんの。文句ある?」

 憂は一瞬、固まり――
 次の瞬間、ぱっと表情を明るくした。

「……い、行きます!」

 声は少し裏返っていたが、顔にははっきりと嬉しさが浮かんでいた。

「よし」

 理恵は満足そうに頷く。

「それでいい」

 スタジオの灯りが落ちる。

 それぞれの夜へ――
 少しだけ、前に進んだ足取りで。

 ◇

帰り道。

夜風に当たりながら、憂は結衣と小鈴の間を歩いていた。

スタジオを離れてしばらく、三人とも、なんとなく言葉が少ない。

沈黙を破ったのは、結衣だった。

「……ねえ、憂君」

「は、はい?」

「さっきのさ。披露宴の話」

結衣は前を見たまま、少しだけ笑う。

「理恵姐が絡んでる時点で、普通になるわけないんだよね」

「……やっぱり……」

「うん。悪だくみ確定」

にやり、とするけれど――
その笑顔は、どこか懐かしそうだった。

「でもさ、久しぶりなんだよ。ああやって集まるの」

憂が、きょとんとする。

「……え?」

「理恵姐と僕と……千鈴」

結衣は、さらりと口にした。

「幼馴染。小学校から、ずっと一緒だったんだ」

その言葉に、小鈴が静かに補足する。

「……正確には、ずっと一緒だった時期も、あったですわね」

夜道に、少しだけ重たい空気が落ちる。

結衣は肩をすくめた。

「学校の頃はさ。今みたいに仲良くなかったんだ」

「……そうだったのですか」

「理恵姐、婚約したでしょ」

憂は、息を呑む。

「……それで……?」

「うん」

結衣は、笑うでもなく、誤魔化すでもなく。

「僕ね。理恵姐の旦那さんのこと、好きだったんだ」

さらり、と言った。

けれど、その言葉の奥にあるものは、憂にも、はっきり伝わってしまう。

「それで――三人、ちょっとずつ、ズレてさ」

「……亀裂、ですわね」

小鈴が、静かに言葉を置く。

「会えば気まずい。話せば、昔と比べてしまう」

結衣は苦笑する。

「だから、しばらく遊んでもなかった」

憂は、足を止めそうになりながら、それでも前を向いて口を開いた。

二人が、憂を見る。

「今日の……あの地獄のレッスン……」

一瞬、言いづらそうにしてから。

「……楽しかった、ですか?」

結衣が、吹き出した。

「ははっ!あれを地獄って言えるの、憂君だけだよ」

でも――
そのまま、少し真面目になる。

「……うん。楽しかったよ。久しぶりに、昔みたいに何も考えずに音を出せた」

少し間を置いて、結衣は続けた。

「文化祭のライブのときもさ。理恵姐、やけに積極的だったんだ。正直、あの時はね。僕、そこまで乗り気じゃなかったんだ」

夜道に、靴音が静かに重なる。

「でもさ。当日になって――理恵姐は風邪で声出ないし、小鈴は怪我するし。
 正直、終わったと思った」

結衣は苦笑する。

「そしたらさ。憂君と千秋君が、何も言わずに手伝ってくれて」

一瞬だけ、言葉を探すように視線を落とす。

「……あれ、ほんとに嬉しかった」

だから――
今日、音を出したとき。

「また、やってもいいかなって思えた」

小鈴も、ゆっくりと頷く。

「わたくしも……同じ気持ちですわ」

 小鈴はそう言ってから、少しだけ言葉を探すように視線を落とした。

「もともと、わたくしは……前に出るのが得意ではありませんの」

 指先が、スカートの端をそっとつまむ。

「音楽も、人付き合いも。つい一歩、引いた場所から眺めてしまう性分で……」

 けれど、と小さく息を吸う。

 顔を上げ、穏やかに微笑んだ。

「憂さんと、千秋さんがいらしてくださって。失敗しても大丈夫だと、自然に思えましたの」

 夜風が、髪を揺らす。

「誰かに背中を押されるのではなく、一緒に前へ出てくれる感覚と申しましょうか」

 小鈴は、胸の前で手を重ねた。

「おかげで……少しだけ、勇気を持てました。昔のように、音を楽しむことができたのは――お二人のおかげですわ」

その言葉は、飾りのない、まっすぐな感謝だった。

貴婦人らしい、穏やかな微笑み。

「戻れるとは思っておりませんでしたの。あの頃の、無邪気な空気に」

夜風が、三人の間を通り抜ける。

憂の胸が、じんわりと温かくなる。

「……よかった……」

思わず、そう呟いた。

結衣は照れ隠しのように、憂の肩を軽く叩く。

「憂君のおかげだよ。君がいたから、また遊ぼうって思えた」

小鈴も、そっと微笑む。

「音楽は、不思議ですわね。人と人を、思いがけない場所へ連れて行ってくれますもの」

憂は、小さく頷いた。

夜風が、三人の間を抜けていく。
それは冷たいはずなのに、不思議と胸の奥は温かかった。

ここに来るまで、それぞれが違う場所で、違う時間を過ごしてきた。

すれ違い、離れ、止まっていた音もあった。
けれど今日、また偶然のように重なって――
同じリズムを刻んだ。

誰かが強く引き寄せたわけではない。
無理に繋ぎ直したわけでもない。

ただ、音楽があって。
一緒に音を出して。
その延長線に、自然と並んで歩く帰り道があった。

それだけで、十分だった。

音楽がつないだご縁は、確かに――ここにあった。

そしてその縁は、これから先のどこかへ、静かに続いていく。

物語は、少し賑やかで、少し大人になった足取りで――
また一歩、前へ進んでいく。
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