沈黙のういザード 

豚さん

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21話 心の奥底 ※R15

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せんべえ布団が二つ、床にぴったりと並べて敷かれている。
畳の冷たさが、布団越しにじんわりと伝わってきた。

「ベッドがね、どうも苦手でさ」

理恵は仰向けのまま、天井を見つめて言う。

「落ち着かなくて眠れねえんだよ。こういうのが一番いい」

憂は小さく頷き、布団の端をきゅっと握った。

「……わかります。わたしも……布団のほうが好きです。
 なんだか、旅館みたいで……すごく、いいです」

二人の肩は、触れるか触れないかの距離。
沈黙が、夜の音に溶けていく。

しばらくして、理恵がぽつりと言った。

「なあ、憂」

「……はい?」

「文化祭のとき。憂とキーボード弾いてた千秋に、直接お礼言えなかったのが心残りでさ」

憂の胸が、きゅっと鳴る。

「だから……代わりに、憂に言わせて」

理恵は横を向き、はっきりとした声で言った。

「あの演奏、ちゃんと分かってた」

「……!」

「ハザード。あれ、お前じゃなかったんだな」

憂は、息を止めた。

「歌い手の才能だけじゃ出ねえ。人間の人格が、そのまま音になってる」

理恵は静かに続ける。

「映像であの曲を聴いた瞬間、ピンときた。
 ――ああ、これは歌われるのを待ってる曲だって」

憂の目が潤む。

憂は、ぎゅっと布団を握りしめたまま、視線を落とす。

「……あれ……わたし、じゃないんです」

理恵は何も言わず、続きを待つ。

「……正確には……わたしの中に、もう一人……いた、というか……」

喉が、きゅっと鳴る。

「生前の……姉です。三姉妹の……長女で……」

声が、少し震れる。

「雪乃っていうお姉さんで……歌も、勉強も……わたしなんかより、ずっと……」

言葉を探しながら、憂は続けた。

「……あのときは……わたしの中に、雪姉の人格が……乗り移ってた、みたいな……」

言い切った瞬間、空気が張りつめる。

理恵は――
驚かない。

馬鹿にもしない。

ただ、天井を見つめたまま、短く息を吐いた。

「……なるほどね」

低く、納得した声。

「だから、あんな音だったわけだ」

憂が、恐る恐る理恵を見る。

「……信じ、ますか……?」

理恵は、横を向いたまま言った。

「信じるも何も。説明が、全部合ってる」

布団の上で、指を軽く動かす。

「才能だけじゃない。生き方とか、背負ってきたもんとか、そういう人が音に出てた」

視線が、静かに憂へ戻る。

「お前が嘘ついてる顔でもないしな」

憂の目から、ぽろっと涙が落ちる。

理恵は、少しだけ声を緩めた。

「……姉ちゃん、相当な人だったんだろ」

否定じゃない。
同情でもない。

事実として受け止める声。

憂は唇を噛みしめる。

「……でも……雪姉のこと……わたしは……ちょっと、苦手だったと思います」

「ほう?」

「欲しいもの……才能も、居場所も……雪姉のほうが、全部持ってたから」

声は、わずかに震えていた。

「……劣等感、あったと思います」

理恵は、ふっと息を吐いた。

「葉月に聞いたよ。千秋と、喧嘩もしたんだろ?」

憂は静かに頷く。

「……留学を知ったとき……うじうじして……」

「で、お前の態度で葉月が怒ってくれたんだろ?」

「……はい」

思い出したように、憂は小さく笑った。

「すごく怒ってくれて……それで……立ち直れました」

「……で、ちゃんと別れも言えた?」

「……はい」

沈黙が、再び落ちる。

次の瞬間、理恵が勢いよく上体を起こした。

「――なんだよ、それ」

 憂が、びくっと肩を揺らす。

「ふざけんなよ」

 声は荒い。
 けれど、視線は一切逸らさない。

「東野高校を首席で合格。三か国語もぺらぺらだし、
 あたしが教えたこと、全部食らいついてくる」

 理恵は、憂を真正面から見据えた。

「とんだ高スペックじゃねえか、ばーか!」

「……で、でも……」

「でもじゃねえ」

 理恵は、どさっと布団に戻る。

「自分で自分を安売りすんな」

 少し間を置いて、低く続けた。

「姉ちゃん達も、千秋も、小鈴も、結衣も――
 みんな、お前の音を見てた。才能じゃなくて、中身をな」

 憂は言葉を失い、視線を落とす。

 理恵は横目でそれを見て、鼻で小さく息を吐いた。

「……なあ」

「……はい」

「その、うじうじ黙る癖。今日でやめろ」

 憂の肩が、びくっと跳ねる。

「考えてるつもりで、ただ自分を殴ってるだけだ」

 理恵は上体を起こし、腕を組んだ。

「前を向くのも、才能のうちだって言ってんの」

「……でも……」

「だから、でもは禁止」

きっぱりと言い切る。

「人生な、沈黙して考えてる間に、どんどん置いてかれる。才能も、縁も、タイミングも、運も」

少し間を置き、低い声で続けた。

「ポジティブ思考ってのはな、自分は大丈夫だって思い込む技術だ」

憂は、ゆっくり瞬きをする。

「思い込み……ですか?」

「そう。根拠なんか後でいい」

理恵は指を一本立てた。

「まず決めろ。自分はダメじゃないって」

布団の中で、憂の指がきゅっと握られる。

「それでよ……」

理恵は少し声を緩める。

「一番効く方法、教えてやる」

「……なんですか?」

「恋をしろ」

憂の目が、ぱちっと見開かれた。

「男でも女でもいい。誰か一人、ちゃんと好きになれ」

「……!」

「誰かを好きになるとよ、自分を粗末に扱えなくなる」

理恵は、憂をまっすぐ見る。

「こんな自分じゃダメだって思うたびに、あの人に見せられる自分か?って考えるようになる」

憂の胸が、静かに鳴った。

「……でも……千秋は……親友で……」

「だから?」

即座に返される。

「親友でも、愛しちまってもいいだろ」

「……え……」

「勘違いすんな。恋人になれって話じゃねえ」

理恵は、少しだけ笑った。

「誰かを大切に想う気持ちを、自分で禁止すんなって言ってんだ」

憂は、言葉を失ったまま布団を見つめる。

沈黙。

やがて、憂の目尻に、ぽろりと涙が滲む。

「……わたし……ちゃんと、前を向いて……いいんですよね……」

理恵は、ふっと息を吐き、布団に仰向けに戻った。

「当たり前だ。ここまで来たんだからよ」

「……ありがとうございます……」

小さな声。

理恵は目を閉じたまま、ぶっきらぼうに言う。

「礼はいらねえ。次、うじうじしてたら――また説教だ」

憂は、涙を拭いながら、少しだけ笑った。

「……でも」

理恵が片目を開ける。

「まだ言うか?」

憂は一瞬だけ迷ってから、意を決したように続けた。

「理恵さんだって……旦那様のこと、周りに何言われても、逃げなかったじゃないですか」

「……」

「ちゃんと選んで、隣に立つって決めて、覚悟を持って進んでる」

声は震えているけれど、まっすぐだった。

「それ、すごく説得力あります。……だから、わたしも、前を向こうって思えました」

「……うっせー、ばか」

理恵が布団の上で顔を背ける。

「…ったく、調子に乗んなよ」

でも、その声は少しだけ柔らかい。

一瞬の沈黙。

理恵は、はあっと大きく息を吐く。

「……ほんと、生意気になったな」

布団の軋む音。

理恵は体を起こし、そのまま迷いなく憂の布団へ入り込んできた。
掛け布団がわずかに持ち上がり、空気が変わる。

憂は息を詰める。

距離は、もう逃げ場がないほど近い。
けれど――触れない。

理恵は横を向いたまま、低く言った。

布団の掛けが、わずかに持ち上がった。
理恵の体温が、すぐそばにあった。
息遣いが混じり合う距離。
憂の心臓が、耳元で鳴っているのが自分でもわかる。
理恵は横向きのまま、ゆっくりと顔を寄せる。
その動きは、急がない。
まるで、獲物を驚かせないように、でも確実に捕らえるように。
憂の頬に、理恵の吐息が触れる。
温かくて、少し湿った空気。
理恵の長い睫毛が、薄暗い部屋の灯りに影を落とす。
普段の荒っぽい表情とは違う、柔らかく、でもどこか捕らえきれない色気が、そこにあった。

「……怖いか?」

理恵の声は、低く掠れて、布団の中に染み込む。
指先が、憂の布団の端を軽く掴む。
そのまま、ゆっくりと、憂の肩に触れる。
布団越しではなく、直接、薄いパジャマの袖の上から。
触れるというより、覆うように。
掌の熱が、じんわりと伝わってくる。
憂の体が、びくっと小さく震えた。

「……理恵、さん……」

声が、かすれている。
憂は目を逸らそうとして、でも理恵の視線に捕まって動けない。
理恵の瞳は、いつもより深く、暗く、でもどこか優しい光を宿していた。
理恵の指が、肩からゆっくりと鎖骨のあたりへ滑る。
触れるのは、布越し。
でも、その指の腹が、憂の鼓動を拾うように、軽く押さえる。

「逃げんなよ」

理恵の唇が、ほんの少しだけ弧を描く。
微笑みというより、挑戦。
でもその奥に、ちゃんと守るような、確かな覚悟がある。
憂の喉が、きゅっと鳴る。

「……逃げ、ません……」

小さな、でもはっきりとした声。
憂は、震える指で、理恵の腕にそっと触れた。
触れるだけ。
握るでもなく、ただ、確かめるように。
理恵の目が、わずかに細くなる。
満足げに、でもまだ物足りなさそうに。

「……いい子だ」

理恵はそう囁いて、
もう少しだけ顔を近づけた。
鼻先が触れそうな距離。
憂の唇が、震えて、息を止める。
理恵の指が、憂の頬に触れる。
親指で、そっと、涙の跡をなぞるように。
それから、耳の後ろへ。
髪を、優しくかき上げる。

「大人の世界ってのはな……
 こういう距離を、怖がらずに受け止めることから始まるんだよ」

理恵の声は、囁きに変わっていた。
憂の耳朶に、直接息がかかる。
憂は、目を閉じた。
頰が、熱い。
体が、熱い。
でも、逃げない。

「……教えて、ください…… 理恵さん……」

震える声で、憂は言った。
理恵は、ふっと小さく息を吐いて、そのまま、額を憂の額に軽く寄せた。
触れるだけの、温もり。

「……ゆっくりな」

理恵の声は、優しく、でも確かだった。
布団の中の空気が、二人の呼吸だけに満たされていく。
まだ、何も起きていない。
ただ、近づく。
ただ、触れる。
それだけで、十分に「大人の世界」が、そこにあった。
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