沈黙のういザード 

豚さん

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6話 いままで、ありがとう

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シャワールームには、一定の水音だけが響いていた。

肩に当たるお湯が、一日の疲れと、焚き火の匂いをゆっくり洗い流していく。

(……気持ちいい)

森の夜は、思った以上に冷える。
湯気の向こうで、葉月は静かに息を吐いた。

蛇口を締め、タオルで髪と肩を拭く。

シャワールームの扉を開けると――
ひんやりとした外気が、肌を撫でた。

「……あ」

そこに、いた。

さっき、カレーを食べに来た女の子。

同じ、落ち着いた色合いの服。
同じ、利発そうな瞳。

ただ、今度はまっすぐ、葉月を見ていた。

暗い森の中で、その姿だけが、やけにはっきりしている。

「……どうしたの?」

葉月が声をかけるより早く、女の子は小さな体で、葉月にぎゅっと抱きついた。

「……!」

一瞬、息が詰まる。

けれど――
不思議と、怖くはなかった。

小さな腕。
冷たいはずなのに、胸元に伝わる感触は、やけに確かで。

葉月の胸が、じわっとあたたかくなる。

葉月はしゃがみ、そっと背中に手を回した。

「さっきは……あんまり懐いてくれなかったのに」

女の子は、しばらくそのままで。

それから、ゆっくり顔を上げた。

少しだけ、不安そうな表情。

「……きいても、いいですか」

「うん」

女の子は、まっすぐに葉月を見る。

「秋香おねえさんのこと……すきですか?」

葉月は一瞬、驚き、それから、迷わず答えた。

「うん」

やわらかく、はっきりと。

「大切なお友達だよ。……大好き」

その言葉を聞いた瞬間。

女の子は、ほっと息をつくように、にこっと笑った。

とても満足したような、安心したような笑顔。

「……よかった」

そして、少しだけ視線を伏せる。

「……あのね」

小さな声。
でも、とても真剣な響き。

「秋香おねえさん、がんばりすぎるから……」

ぎゅっと、小さな手が葉月の服を掴む。

「だいじょうぶかな、って……ずっと心配でした」

胸の奥が、きゅっと鳴った。

(……この子……)

「だから……」

女の子は、言葉を選ぶように、少し間を置いてから。

「秋香おねえさんに、つたえてほしくて」

葉月は、自然と頷いていた。

「……なにを?」

女の子は、顔を上げて、はっきりと言った。

「――いままで、ありがとう、って」

その一言が、夜の空気に、静かに溶ける。

葉月の胸が、じん、と熱くなる。

「……そっか」

小さく笑って、葉月は女の子の頭を、そっと撫でた。

「ちゃんと、伝えるよ」

その手のひらの温度を確かめるように、女の子は目を細める。

それから、少しだけ首を傾げて、懐かしそうに呟いた。

「……おねえさんが、最後に飲ませてくれた野菜ジュース……おいしかったよね?」

「え?」

葉月は一瞬きょとんとして、女の子を見つめた。
女の子は小さく笑って、続けた。

「ありますか? また、一緒に……飲みたい」

「ん~……野菜ジュースは、さすがにないかな」

葉月が困ったように笑うと、女の子はそうですか、と言うように小さく頷いた。

それでも、残念そうではなかった。
むしろ、どこか満足げで、安心したような、穏やかな顔。

まるで「それでいいよ」「ちゃんと伝わったよ」と言っているみたいに。

(……なんで野菜ジュースなんだろ。でも、なんかすごく大事なものみたい……)

葉月が首を傾げた、そのとき。
森の風が、さっと吹き抜けた。

目を瞬かせた、ほんの一瞬。

そこには、もう誰もいなかった。

「……え?」

足元にも、木立の向こうにも。

さっきまで確かにあった気配だけが、すっと、夜に溶けている。

葉月は、しばらくその場に立ち尽くし、それから、胸元に手を当てた。

(……今の……)

怖い、というより。

どこか、抱きしめ返した余韻だけが残っている。

そして――
胸の奥に残る、あの言葉。

(……ありがとう……)

なぜか、涙が出そうになって、葉月は小さく息を吐いた。

「……もう」

小さく笑い、夜の森を見上げる。

「ほんと、不思議な子……」

その背後で、木々が、ざわりと揺れた。

まるで、「ちゃんと届いたよ」と答える代わりに、森そのものが、静かに頷いたかのように。
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