沈黙のういザード 

豚さん

文字の大きさ
197 / 255

10話 森は、何も言わない

しおりを挟む
 朝の森に、まだエンジン音は届かない。

 小鳥のさえずりが、木々の間をゆらゆらと跳ねるように響き、
 風が葉を撫でるたび、葉先が小さく揺れる音だけが、静かに森を満たしていた。

 秋香は息を整え、葉月の手元を見つめる。

「……よし」

 葉月が最後のペグを引き抜くと、地面に軽く残った穴が、まるで昨日までの時間の記憶のように微かにそこに残った。

 大きなベルテントは、まるで昨日までの出来事を丁寧に折り畳むかのように、静かに、しかし確かな手つきで収納バッグへ収まっていく。

 布の端がきちんと重なり、テントが完全に形を変えたとき、秋香はそっと息をついた。

「本当に、いいテントでした」

 言葉には、昨日までの森での時間の楽しさと、少しの寂しさが混ざっていた。

「さすがお嬢様」

「ふふ……今回は、森にお借りしただけですわ」

 二人の視線が合い、小さな笑みが交わされる。
 言葉は少なくても、互いに通じる何かがあった。

 ◆

 荷物をすべて積み終え、バイクが並ぶ。

 一台は漆黒、もう一台は深紅。

 森の緑の中で、その色の対比が鮮やかに映え、朝の光にわずかに照らされて輝いていた。

 ヘルメットをかぶる前、秋香はふと足を止めた。

「……?」

 視線の先。

 木立の向こう、朝の光がやわらかく差し込む場所に――
 小さな影が、静かに立っていた。

 落ち着いた色合いの服に、利発そうな瞳。
 その姿は、朝の森に自然と溶け込んでいて、しかし確かに秋香の胸を打つ存在感があった。

 あの、女の子。

(……あのときの、幼い頃のおばあちゃん……)

 秋香の胸が、すっと静かになる。
 目を細め、そっと微笑んだ。


「……おばあちゃん」

 その声は、口には出さずとも、確かに呼んでいた。
 心の奥で、かすかに震えるような感謝を込めて――

(ありがとう)

 風が、柔らかく吹き抜ける。
 葉を揺らす音が、まるで小さな祝福のように耳に届いた。

 次の瞬間、朝の光が影を包み込むように、その姿はゆっくりと、しかし確実に消えていった。

「秋香ちゃん?」

「……いいえ」

 秋香は、ゆっくりと首を振る。
 迷いも躊躇もなく、今はただ、前に進む時だと体が知っている。

「行きましょう、葉月さん」

「うん」

 二人はヘルメットをかぶり、体をバイクに預ける。
 握る手に自然と力が入り、心が少し引き締まる。

 エンジンの低い振動が森の静けさを破り、道へと広がっていく。

 秋香は、最後に一度だけバックミラー越しに、森を見た。

 そこにはもう、影も何もない。
 しかし、森そのものが、呼吸のように彼女たちを見送ってくれている気配が確かに残っていた。

 深紅のバイクが、朝の道を滑るように走り出す。

 木漏れ日に照らされる二人の姿は、どこか軽やかで、しかし芯のある強さを漂わせていた。

 森は言葉を持たない。
 けれど、静かに、柔らかく、二人の背中を送り出していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...