沈黙のういザード 

豚さん

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8話 幽霊

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 ベルテントの中は、外の夜気とは違って、やわらかな温もりに満ちていた。

 ランタンの灯りは落とされ、薄闇の中、二人は並んで寝袋にくるまっている。

 布越しに伝わる、互いの体温。

 静かすぎて、呼吸の音さえ、近い。

「……葉月さん」

「ん~?」

 秋香は、天井を見つめたまま、ぽつりと言った。

「文化祭のときのこと……ずっと、心に残っていましたの」

「文化祭?」

「はい。ライブで……わたくし、ベースを弾いていましたでしょう」

「うん……覚えてる」

「あのときの憂さんの音……いつもと、少し違って聞こえました」

 少し間を置く。

「まるで……誰か、別の人の想いが、一緒に鳴っているみたいで」

 葉月は、黙って聞いている。

「六地蔵家のクリスマス会で……雪乃さんが、二重人格だと告白されたと、聞きました」

「……うん」

「それで、すべて、腑に落ちたのです」

 静かな声。

「……あのときの憂さんは、雪乃さんに、背中を押されていたのですね」

 葉月は、ゆっくりと息を吐いた。

「……うん。たぶん、そう」

 少しの沈黙。

「……不思議ですわね」

「なにが?」

「こうして話してみると……わたくしたち、どちらも“幽霊”に、ご縁があるみたいですわ」

「……あ」

 葉月は一瞬きょとんとして、それから、ふっと笑った。

「ほんとだ」

「秋香ちゃんは、おばあちゃんで。あたしは……雪姉ちゃん、か」

「ええ。しかも、どちらも……怖いというより、見守ってくれている感じです」

「確かに」

 葉月は、天井を見上げたまま肩をすくめる。

「なんかさ……霊感体質ってほどじゃなくて、情が深いだけなのかもね」

「……ふふ」

 秋香は、思わず微笑んだ。

「そうでしたら……安心ですわ」

 また、静けさが戻る。

「……ねえ、秋香ちゃん」

「はい?」

 葉月は、天井を見上げたまま、ぽつりと言った。

「憂ちゃん、今ごろ……理恵姐さんと、なにしてるんだろ」

 秋香は、少しだけ間を置いてから答える。

「気になりますの? 理恵お姐様は……妥協をなさらない、とても厳しい方ですから」

「うん……まあ、ね」

 葉月は、小さく笑う。

「心配、しないって言ったら……嘘になるかな」

 寝袋の中で、指先が、きゅっと動く。

「でもさ……」

 声が、少しだけ真剣になる。

「世の中って、やさしいだけじゃないでしょ」

「……そうですわね」

「厳しいことも、思い通りにならないことも、いっぱいある」

 葉月は、静かに続ける。

「それでも……憂ちゃんには、ちゃんと向き合ってほしいんだ」

 少し、息を吸って。

「傷ついてもいい。逃げないで。自分の足で、立ってほしい」

 姉としての、まっすぐな願い。

「……成長してほしいんだよね」

 その言葉を聞いた瞬間、秋香の胸が、じん、と熱くなった。

 ――こんなふうに、誰かを想って、自分を後回しにできる人。

「……葉月さんは」

 声が、少しだけ低くなる。

「本当に……お優しい方ですわ」

「……え? べ、別に」

「心配しながら……それでも、ちゃんと手を放せる――わたくし、そういう優しさに弱いのです」

 そう言って、秋香はそっと、葉月の手を探した。

 指先が触れた瞬間、迷いはなかった。

 絡めた指に、秋香のほうから、わずかに力がこもる。

 まるで、離したくないと、言葉にしないまま伝えるように。

「……でも」

 秋香は、声を落とし、ほとんど囁く。

「それって……憂さんが、お姉さんから……離れてしまうことでも、ありますのよね?」

 不安を隠さない、正直すぎる問い。

 指を絡めたまま、ぎゅっと、今度ははっきりと力がこもる。

 葉月の体温を、確かめるみたいに。

「……お姉ちゃん離れ、か」

 葉月は、少し照れたように言う。

「正直、寂しいよ。だって、ずっと守ってきたからさ」

 それでも、と。

「でも……憂ちゃんのためだからね」

 その言葉に、秋香の胸が、ぎゅっと締めつけられる。

 ――こんな人を、どうして、好きにならずにいられるだろう。

「……そういう葉月さんが」

 秋香は、絡めた指をほどかず、むしろ、自分のほうへ引き寄せる。

「わたくしは……とても、大好きですわ」

 葉月は、一瞬言葉を失い、それから小さく笑った。

「……もう。そんなふうに言われると、本気で照れちゃう」

「本気ですもの」

「……心臓、もたないんだけど」

 そう言いながら、葉月は指を絡め直す。

 今度は、離れないように。

 寝袋の中、距離は、もう自然とは言えないほど近い。

「秋香ちゃん」

「はい」

「……手、離さないでね」

 小さな、冗談みたいな声。

 秋香は、即座に答えた。

「離しませんわ」

 外では、森が静かに息をしている。

 テントの中、二人は手をつないだまま、指を絡めたまま、互いの体温を確かめ合うように、ゆっくりと眠りに落ちていく。

 それぞれの想いは、もう少しだけ、深いところで、触れ合っていた。

 夜はとても甘くて、穏やかだった。
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