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9話 涼香の贖罪
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お別れの誕生日パーティが終わった帰り道。
葉月は、少しだけ遠回りをしていた。
夕方の幼稚園。
門の向こうから、子どもたちの笑い声が弾むように聞こえてくる。
フェンス越しに覗くと、園庭の片隅で小柄な女性がしゃがみ込み、子どもと同じ目線で話していた。
涼香。
去年まで六地蔵家でメイドをしていたひとり。
葉月に嫉妬し、心ないことをしてしまい――
それが発覚し、自ら身を引いた人。
今の涼香は、エプロン姿で、土のついた手も気にせず子どもたちと笑い合っていた。
その表情は、屋敷で見せていた頃よりも、ずっと柔らかい。
葉月は、しばらく黙って見学していたが、ふと視線が合った。
「……葉月、さん?」
涼香の顔が強張る。
「こんにちは」
葉月は、何事もなかったように会釈した。
休憩時間。
園庭の端にあるベンチで、二人は並んで座る。
「差し入れです」
葉月が差し出したのは、淡い水色のラベルが巻かれた、冷えた缶の清涼飲料水だった。
持った指先に、ひやりとした感触が伝わる。
「……ありがとう」
涼香は缶を受け取り、そっと振ってから、苦笑する。
「こういうの、助かります」
汗をかいたあとにちょうどいい、すっと体に染み込むような飲み物。
涼香が受け取ったあと、葉月の足元に置かれた箱に目を留める。
「それ……なに?」
「これですか?」
葉月は箱を軽く叩いた。
「包丁セットです。誕生日の頂きもので」
涼香の動きがぴたりと止まる。
「……まさか」
一歩、距離を取る。
「わ、私を刺すとかじゃ……」
「ないですないです」
葉月は慌てて首を振った。
「奥様から。ほんとにプレゼントです」
涼香は拍子抜けしたように息を吐き、くすっと小さく笑う。
「……びっくりさせないでください」
「すみません、つい」
葉月も小さく笑った。
しばらく沈黙が続いたあと、葉月は視線を前に向けたまま言った。
「――六地蔵家に、戻りませんか?」
涼香の肩が、びくりと揺れる。
「……」
「無理にとは言いません」
葉月の声は、静かだった。
「でも、戻りたいなら……戻ったほうがいいです」
涼香は俯き、唇を噛みしめる。
「……私は、ひどいことをしました」
声が震える。
「葉月さんに嫉妬して、傷つけて……戻りたいなんて、言える立場じゃ」
「反省してるの、知ってます」
葉月は、即答した。
「だから奥様も、石田さんも……フォローしてました」
涼香が顔を上げる。
「……え?」
葉月は少し照れくさそうに続けた。
「落ち着いたら、戻ってきなさいって」
涼香の目に、みるみる涙が溜まる。
「……そんな」
声が詰まり、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
やがて、肩を震わせながら、堰を切ったように泣き出した。
「……戻りたいです……!」
嗚咽混じりの声。
「六地蔵家に……本当は、ずっと戻りたい……!」
葉月は、何も言わずにそばに座ったまま待った。
やがて、涼香は涙を拭い、震える声で続ける。
「……でも、今は」
園庭を見る。
「今は、ここで頑張りたいんです」
子どもたちの笑い声が、遠くから聞こえる。
「ここでちゃんと働いて……もう誰かを妬まない、自分になれるまで」
葉月は、ゆっくりとうなずいた。
「それでいいと思います。奥様には、そう報告します」
少し間を置いて、葉月は付け加えた。
「でも、いつか『もう大丈夫』って思えたら……連絡待ってます」
涼香は、涙に濡れた顔で、ほっとしたように笑った。
そのとき――
遠くで、子どもが涼香を呼んだ。
「涼香せんせー!」
「……行ってきます」
立ち上がりかけた涼香が、振り返る。
深く頭を下げた。
葉月は、それを黙って見送る。
夕焼けに染まる園庭。
子どもたちの声は、まだ途切れない。
葉月は、足元の箱――包丁セットを見下ろし、ぽつりとつぶやいた。
「人って、ちゃんと前に進くんだな」
夕焼けの中、幼稚園の笑い声は、まだ続いていた。
葉月は、少しだけ遠回りをしていた。
夕方の幼稚園。
門の向こうから、子どもたちの笑い声が弾むように聞こえてくる。
フェンス越しに覗くと、園庭の片隅で小柄な女性がしゃがみ込み、子どもと同じ目線で話していた。
涼香。
去年まで六地蔵家でメイドをしていたひとり。
葉月に嫉妬し、心ないことをしてしまい――
それが発覚し、自ら身を引いた人。
今の涼香は、エプロン姿で、土のついた手も気にせず子どもたちと笑い合っていた。
その表情は、屋敷で見せていた頃よりも、ずっと柔らかい。
葉月は、しばらく黙って見学していたが、ふと視線が合った。
「……葉月、さん?」
涼香の顔が強張る。
「こんにちは」
葉月は、何事もなかったように会釈した。
休憩時間。
園庭の端にあるベンチで、二人は並んで座る。
「差し入れです」
葉月が差し出したのは、淡い水色のラベルが巻かれた、冷えた缶の清涼飲料水だった。
持った指先に、ひやりとした感触が伝わる。
「……ありがとう」
涼香は缶を受け取り、そっと振ってから、苦笑する。
「こういうの、助かります」
汗をかいたあとにちょうどいい、すっと体に染み込むような飲み物。
涼香が受け取ったあと、葉月の足元に置かれた箱に目を留める。
「それ……なに?」
「これですか?」
葉月は箱を軽く叩いた。
「包丁セットです。誕生日の頂きもので」
涼香の動きがぴたりと止まる。
「……まさか」
一歩、距離を取る。
「わ、私を刺すとかじゃ……」
「ないですないです」
葉月は慌てて首を振った。
「奥様から。ほんとにプレゼントです」
涼香は拍子抜けしたように息を吐き、くすっと小さく笑う。
「……びっくりさせないでください」
「すみません、つい」
葉月も小さく笑った。
しばらく沈黙が続いたあと、葉月は視線を前に向けたまま言った。
「――六地蔵家に、戻りませんか?」
涼香の肩が、びくりと揺れる。
「……」
「無理にとは言いません」
葉月の声は、静かだった。
「でも、戻りたいなら……戻ったほうがいいです」
涼香は俯き、唇を噛みしめる。
「……私は、ひどいことをしました」
声が震える。
「葉月さんに嫉妬して、傷つけて……戻りたいなんて、言える立場じゃ」
「反省してるの、知ってます」
葉月は、即答した。
「だから奥様も、石田さんも……フォローしてました」
涼香が顔を上げる。
「……え?」
葉月は少し照れくさそうに続けた。
「落ち着いたら、戻ってきなさいって」
涼香の目に、みるみる涙が溜まる。
「……そんな」
声が詰まり、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
やがて、肩を震わせながら、堰を切ったように泣き出した。
「……戻りたいです……!」
嗚咽混じりの声。
「六地蔵家に……本当は、ずっと戻りたい……!」
葉月は、何も言わずにそばに座ったまま待った。
やがて、涼香は涙を拭い、震える声で続ける。
「……でも、今は」
園庭を見る。
「今は、ここで頑張りたいんです」
子どもたちの笑い声が、遠くから聞こえる。
「ここでちゃんと働いて……もう誰かを妬まない、自分になれるまで」
葉月は、ゆっくりとうなずいた。
「それでいいと思います。奥様には、そう報告します」
少し間を置いて、葉月は付け加えた。
「でも、いつか『もう大丈夫』って思えたら……連絡待ってます」
涼香は、涙に濡れた顔で、ほっとしたように笑った。
そのとき――
遠くで、子どもが涼香を呼んだ。
「涼香せんせー!」
「……行ってきます」
立ち上がりかけた涼香が、振り返る。
深く頭を下げた。
葉月は、それを黙って見送る。
夕焼けに染まる園庭。
子どもたちの声は、まだ途切れない。
葉月は、足元の箱――包丁セットを見下ろし、ぽつりとつぶやいた。
「人って、ちゃんと前に進くんだな」
夕焼けの中、幼稚園の笑い声は、まだ続いていた。
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