沈黙のういザード 

豚さん

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10話 憂とマリーのサプライズ

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 葉月が御陵家のドアを開けた、その瞬間だった。

「――せーのっ!」

 乾いた破裂音が、夕暮れの空気を弾く。

 ぱん、ぱんっ。

 色とりどりの紙吹雪が、視界いっぱいに舞い落ちる。

「お誕生日おめでとう、葉月お姉ちゃん!」

「……え?」

 一瞬、何が起きたのか理解できず、葉月はその場で立ち尽くした。

 紙吹雪の向こう。
 玄関先に立っていたのは、憂と――もう一人。

 憂の隣にいた女性が、少し緊張した様子で一歩前に出る。

 淡いブロンドの長い髪が、夕暮れの光を受けてやわらかく揺れていた。
 上品なワンピースに身を包み、無理のない所作で背筋を伸ばしている。

 思わず視線を奪われる、美しい女性。
 青い瞳には、わずかな戸惑いと期待が静かに宿り、
 感情を抑えながらも、それを完全には隠しきれない透明さがあった。

 その佇まいには落ち着きがあり、経験を重ねてきた大人の余裕と、年相応の冷静さが、さりげなく滲んでいる。

「……はじめまして」

 丁寧に、少しぎこちなくお辞儀をして。

「マリーと申します。お誕生日、おめでとうございます」

 葉月は、目を丸くしたまま瞬きを繰り返す。

「え、えっ……?」

「わたしのお友達だよ。フランスから来てて。サプライズ、成功だね」

 憂が、少し誇らしそうに笑う。

 葉月は二人を交互に見比べ、ようやく状況を飲み込んだように、大きく息を吐いた。

「……びっくりした。憂ちゃんって、ほんと国際的なお友達多いよね」

 マリーは、少し照れたように口元を緩める。

 居間のテーブルには、ささやかなケーキが置かれていた。

 素朴なスポンジに、白いクリーム。
 飾りは控えめで、手作り感がそのまま残っている。

「業務スーパーで、スポンジとクリーム買ってきてね」

 憂が、少し申し訳なさそうに言う。

 マリーも肩をすくめ、控えめに続けた。

「本当は……葉月さんみたいなフレジエを作りたかったのですけれど……
 時間が、足りませんでした」

 葉月は、思わず吹き出すように笑った。

「ありがとう」

 短い一言だったが、そこには言葉にしきれない感情が詰まっていた。

「十分すぎるよ」

 憂はごそごそと袋を探りながら、視線を逸らす。

「えっと……その……千秋のプレゼントとか、買い食いとかで……ちょっと金欠で」

「言い訳が長い」

 即座にツッコミが入る。

 憂は顔を赤くしながら、小さな箱を差し出した。

「ポニーテールにつける、シュシュ。マリーさんと一緒に選んだよ」

 葉月は一瞬きょとんとし、それから、ふっと笑った。

「……つけていい?」

 その場で髪を結い直し、シュシュを通す。

 マリーの顔が、ぱっと明るくなる。

「……とても、似合います」

「ほんと?」

 葉月は少し誇らしげに胸を張る。

「センス良すぎじゃない?これ、めちゃくちゃ大事にするからね」

 二人が笑い合う中、マリーは少しだけもじもじしながら、もう一つの包みを取り出した。

「……こちらも」

 中から現れたのは、一枚の絵。

 葉月は、それを見た瞬間――
 完全に言葉を失った。

 上段には、幼い憂、葉月、雪乃。
 並んで笑う、子どもの頃の三人。

 下段には、母親の姿。

「……これ……」

 声が、かすれる。

 憂が、そっと説明する。

「マリーさん、芸術大学の出身なの。昔の写真は……わたしが画像で送って、それを見ながら描いてくれたんだ」

 キャンバスの中の四人は、どこか柔らかな輪郭をしていた。
 線は細く、角がなく、撫でるように重ねられている。

 色使いも穏やかで、強い影はない。
 淡い光に包まれたような色調。

 子どもだった憂と葉月、そして雪乃の表情は無邪気で、
 目元が少し大きく誇張されているのに、不思議と作為を感じさせない。

 下段の母親は、声を上げて笑ってはいない。
 それでも口元にはやさしい弧があり、
 三人を見守る視線には、確かな温度があった。

 四人の距離は近く、肩や手が自然に触れ合っている。

 ――家族でいることが、当たり前だった時間。

 その空気ごと、キャンバスに閉じ込められているようだった。

 マリーが、静かに口を開く。

「……私の恋人も、記憶を失いました」

 葉月の指先が、わずかに震える。

「同じ境遇の方のお話を聞いて……少しでも、力になれたらと……思いました」

 ぽろり、と。

 葉月の目から、涙が落ちた。

 これまで――
 元気いっぱいで、
 いつも笑って、冗談を言って、
 憂に心配をかけないように、明るく振る舞ってきた。

 でも。

 雪乃を事故で失った、あの日。
 そして、その衝撃で母が記憶を失った現実。

 胸の奥に押し込めていた想いが、静かに、しかし確実に、溢れ始める。

「……あたしね」

 声が震える。

「当時……壊れそうな時期があったの」

 涙が止まらない。

「でも……憂ちゃんがいて……友達が増えてね……」

 声が、崩れる。

「……すごく、嬉しかった……!」

 嗚咽が漏れ、大泣きだった。

 そのとき。

 憂の目からも、静かに涙がこぼれた。

 必死に堪えていたものが、葉月の涙につられるように、決壊する。

「……葉月姉……」

 声が震え、言葉にならない。

「……ずっと、平気なふりしてるの、分かってた……」

 憂は唇を噛みしめ、涙をこぼしながら続ける。

「でも……どう声かけたらいいか、分かんなくて……怖くて……」

 葉月は、はっとして憂を見る。

 その瞬間――
 マリーが、静かに立ち上がった。

 音を立てず、慌てる様子もなく。
 場の空気を壊さない速度で。

 葉月の前にしゃがみ、視線を同じ高さに合わせる。

 そして――
 何も言わず、そっと背中に手を回した。

 抱き寄せるわけでもなく、突き放すわけでもない。

 「ここにいていい」と、全身で伝える距離。

「……泣いて、いいです」

 マリーの日本語は、少しだけゆっくりだった。

「大丈夫なふりは……とても、疲れます」

 葉月の肩が、びくりと揺れる。

「私も……同じでした」

 淡い微笑み。

「失った人の記憶を、代わりに抱えて生きるのは……とても、重たいです」

 葉月は、声も出せずにうなずく。

 マリーの手が、幼い子をあやすように、一定のリズムで背中を撫でる。

「でも」

 小さく、しかし確かな声。

「あなたは、ひとりではありません。こうして、泣ける場所も……
 あなたを見ている人も、います」

 その言葉に、葉月の涙はさらに溢れた。

 そして――
 憂も、堪えきれずに泣き崩れる。

「……ごめんね……もっと、ちゃんと……そばにいればよかった……!」

 マリーは、そっと憂にも手を伸ばし、三人が自然に、ひとつの輪になるように寄り添わせた。

 言葉は少ない。
 けれど、否定も評価もしない。

 ただ、そこにいる。

 それだけで、十分だった。

 やがて、葉月は深く息を吸い、ゆっくりと顔を上げる。

「……ありがとう」

 マリーは、やさしく首を振る。

「どういたしまして、ではありません」

 少しだけ、大人の表情で。

「……仲間、です」

 その一言が、葉月の胸に、静かに落ちた。


 しばらくの沈黙のあと、最初に動いたのは憂だった。

 ぐし、と袖で目元を拭い、少し照れたように鼻を鳴らす。

 その横で、葉月が小さく息を吐く。

「……あー……やば……」

 声がまだ、少しかすれている。

「人前で泣くの、久しぶり……憂ちゃんみたいに、ないちゃった」

 憂は一瞬ぽかんとして――
 次の瞬間、ぴしっと指を立てた。

「ちょっと!それ、完全に言い方ずるいから!」

「なに? 事実でしょ」

「違うし!わたしは……つられて泣いただけだし!」

 言い訳になっていない言葉に、葉月はくすっと笑う。

 そして、笑いながら、憂の頭に手を伸ばした。

 ぽん、と一度だけ。

「……ありがとうね」

 短い言葉。
 でも、それで十分だった。

 マリーは少し離れた場所で、そのやり取りを静かに見守っていた。

 踏み込みすぎず、けれど、離れすぎない距離。

 必要なときには手を差し伸べ、それ以外のときは、きちんと二人の世界を尊重する。

 その在り方が、あまりにも自然だった。

「……マリーさん」

 葉月が声をかける。

「ほんとに……ありがとうございます」

 マリーは一瞬、困ったように視線を泳がせてから、やわらかく微笑んだ。

「……私、何も特別なことは、していません」

 ゆっくりと言葉を選ぶ。

「泣いている人のそばに、いただけです」

 少しだけ肩をすくめて。

「それだけで、よいと……私は、思っています」

 憂は、その横顔をじっと見つめていた。

 強く主張するわけでもなく、誰かの居場所を奪うこともない。

 それでいて、確かに支えとしてそこにいる。

「……大人だ……」

 ぽつりと呟く。

 マリーは小さく首をかしげた。

「いいえ」

 くすっと、ほんの少しだけ笑う。

「たくさん、失敗しました」

 その言葉に、葉月と憂は顔を見合わせる。

「だから……同じ場所で、転んでいる人がいたら……手を差し出せるように、なっただけです」

 その言葉は、重すぎず、軽すぎず。
 人生を語るというより、事実を静かに置いたようだった。

 葉月は、もう一度キャンバスに目をやる。

 四人が並ぶ、あの絵。

 失われたものは、確かに戻らない。
 けれど、失われたからといって、
 すべてが消えてしまうわけではない。

 ――思い出は、誰かの中に残る。

 そう、教えられた気がした。

「……よし」

 葉月は、ぐっと立ち上がる。

 涙で少し腫れた目のまま、けれど表情は、もう前を向いていた。

「料理、する」

「え?」

「えっ?」

 憂とマリーが同時に声を上げる。

「だって」

 葉月は、いつもの少し強気な笑みを浮かべる。

「今日は誕生日だし。泣いた分、ちゃんと生きる日にしないと」

 憂は一瞬きょとんとしてから、苦笑した。

「……理屈が雑」

「うるちゃい」

 マリーは、そのやり取りを見て、目を細める。

「……とても、素敵だと思います」

「でしょ?」

 葉月は得意げに胸を張る。

「菊子様からもらった包丁、今日が初出番だから」

 憂は慌てて手を振る。

「待って待って、今日は葉月姉が祝われる日だよ?」

 葉月は首をかしげ、にやっと笑った。

「なに? お姉ちゃんの手料理、食べられないって言うの?」

「言ってないけど!」

「じゃあ決まり!」

 勝ち誇ったように言い切る。

 マリーはくすっと小さく笑い、肩をすくめた。

「……では、私は、お手伝いします」

「え、いいの?」

「はい」

 穏やかに。

「役割があるほうが……落ち着きます」

 その言葉に、憂は少しだけ目を見開き、
 そして、うなずいた。

「……じゃあ、あたしは味見係で」

「それ、ただのつまみ食いでしょ」

「大事な役目だから!」

 そんなやり取りの中で、居間に、台所に、
 少しずつ生活の音が戻っていく。

 包丁の音。
 鍋に火を入れる音。
 誰かが小さく笑う声。

 それは派手でも、特別でもない。

 けれど――
 確かに、ここには「続いていく時間」があった。

 マリーは、洗い物をしながら、そっとその様子を見つめる。

 (……よかった)

 心の中で、そう呟いた。

 この家には、もう一度、泣ける場所ができた。

 それだけで、今日ここに来た意味は、十分すぎるほどだった。
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