沈黙のういザード 

豚さん

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11話 相棒の刃で紡ぐ食卓

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 キッチンに立った葉月は、迷いがなかった。

 調理台の上には、用途ごとに整然と並べられた包丁たち。
 刃渡りの長い洋包丁――牛刀。
 細かな作業に特化したペティナイフ。
 波打つ刃が美しいパン切り包丁。
 そして和包丁――出刃、柳刃、菜切り。

 どれも、菊子の誕生日に贈られたものだ。
 けれど今の葉月にとって、それらは「贈り物」という枠を越え、
 日々を共にしてきた道具――確かな相棒になっていた。

 最初に手に取ったのは牛刀。
 葉月は鶏もも肉の筋を迷いなく外し、厚みを均一に整える。
 続いて白身魚を引き、皮目に細かく包丁目を入れる。
 刃は押さず、引くだけ。
 重心に任せた動きが、素材の繊維を壊さない。

「……刃の入りが、すごくきれいですね」

 横で見ていたマリーが、料理人らしい視点で感嘆する。

「力、ほとんど入れてないよ。すごいね、この包丁。切れるって、こういう感じなんだ」

 細かな作業にはペティナイフ。
 エシャロット、ニンニク、ハーブ類。
 マリーがそれを受け取り、迷いのない手つきで刻んでいく。
 大きさは揃い、リズムも一定で、家庭料理に慣れた所作だった。

「ソース用は、このくらいでいいですか?」

「うん、それくらいなら大丈夫。ちゃんと火、通ると思う」

 パン切り包丁で、焼きたてのバゲットを引き切る。
 柔らかな内側を潰すことなく、断面は驚くほど美しい。

 和包丁も次々に使われる。

 出刃包丁で鯛の骨を断ち、頭と中骨から澄んだ出汁を引く。
 柳刃包丁で刺身を引けば、刃が吸い込まれるように進み、切り口は濡れた硝子のように艶を帯びた。

 菜切り包丁で、季節野菜を刻む音は一定で、無駄がない。
 人参、大根、青菜。
 葉月の動きは、もう「考える」段階を越えていた。

「憂ちゃん、器を温めて。あと、盛り位置はこの線ね」

「うん、わかった。葉月シェフの言う通りにするね」

 憂は控えめに頷き、皿を整える。
 包丁は握らないが、料理の流れを理解している。
 主役ではないが、場を支える役割だった。

 やがて、料理が完成していく。

 和食
・鯛の刺身――柳刃で引いた、透明感のある切り身
・出汁を生かした季節野菜の煮物
・焼き魚――皮目を香ばしく仕上げた一品
・小鉢三種(胡麻和え、酢の物、出汁巻き)

 フレンチ
・鶏もも肉のポワレ、白ワインとハーブのソース
・白身魚のムニエル、焦がしバターソース
・彩り野菜の付け合わせ
・バゲット

 和と洋が、競うことなく並ぶ。
 どちらかが引き立て役になることもない。
 ただ、この三人で食べるための食卓だった。

「……これ、全部……?」

 思わず漏れた声に、葉月は包丁をそっと置き、振り返って笑った。

 憂が目を丸くする。

「メイドの修行の成果、ってやつかな」

 葉月は、少しだけ得意そうに笑った。

 配膳を終え、三人で席につく。
 まず箸――ではなく、フォークを伸ばしたのはマリーだった。
 鶏もも肉のポワレをひと口、そっと口に運び、噛みしめる。

 皮目を下にした鶏もも肉は、こんがりと黄金色に焼けている。
 ナイフを入れると、じゅわりと澄んだ肉汁がにじみ、ハーブの香りがふわっと立ち上った。
 一口運んだマリーは、少しだけ目を細める。

「……C’est vraiment délicieux.Ça me réchauffe le cœur.(……とてもおいしいです。心まで、あたたかくなります)」

 一瞬、憂は驚いたように瞬きをしてから、少し照れた笑みを浮かべる。
 それでも、ちゃんと伝えたくて、ゆっくりと言葉を選んだ。

 憂は少し照れたように笑って、同じ言葉で返す。

「La cuisine de ma sœur est la meilleure du monde.(お姉ちゃんの料理は、世界一なんです)」

 それを聞いた瞬間――

「……ちょっと」

 葉月が、にやりと目を細める。

「なになに? 二人でフランス語の内緒話?」

 わざとらしく身を乗り出しながら、肩をすくめて笑った。

「お姉ちゃんにも、あとで通訳してもらおうかな?」

 憂は慌てて首を振り、マリーはくすっと声を立てて笑う。

 食卓には、言葉の壁を越えた、やわらかな温度が満ちていた。
 和と洋が自然に並ぶ皿の数々は、誰かを驚かせるためではなく、ただ「一緒に食べる時間」のために用意されたものだった。

 気づけば、皿は次々と空になり、テーブルには、満足そうな溜め息だけが残った。

 包丁たちは洗われ、静かに布で拭かれ、また元の場所へ戻される。

 その刃に残ったのは、技術ではなく――
 この夜の、確かな手応えだけだった。
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