沈黙のういザード 

豚さん

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14話 二条家本家、訪問

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 夏休み、最後の日。

 憂は電車を降り、改札を抜けてから、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 目的地は、二条家本家。
 駅から少し歩いた先に現れたその屋敷を見上げ、思わず息をのむ。

 二条家本家――
 それは「豪邸」という言葉では足りない。

 高く連なる白壁は、門の内側で静かに弧を描き、
 手入れの行き届いた松と石灯籠が、まるで一幅の日本画のように配置されている。
 敷地の奥には洋館と和館が違和感なく共存し、窓ガラスに映る空さえ、ここでは少しだけ格が違って見えた。

(……やっぱり、別世界だ)

 足元の砂利を踏む音すら、慎重になる。

 重厚な玄関扉が開くと、涼やかな空気と、かすかな香の香りが流れ出してきた。

「いらっしゃい、憂」

 その声と同時に、現れた人物に、憂は一瞬だけ目を瞬かせる。

「……理恵さん?」

 そこに立っていたのは、見慣れた姉御肌の理恵――
 では、なかった。

 淡い色味の上質なワンピース。
 身体の線を主張しすぎない、けれど一目で高級と分かる仕立て。
 髪はきちんとまとめられ、耳元には控えめな宝石が揺れている。

 まるで、老舗名家の奥方、そのものだった。

「……どう?」

 理恵は、少し気まずそうに笑う。

「すごく……お似合いです。ちゃんとしてて、綺麗で……でも、その……理恵さんっぽくは、ないかもです」

 憂なりに、精一杯やわらかく言った本音だった。

 すると理恵は、驚くでも怒るでもなく、肩をすくめて小さく息を吐いた。

「だよねぇ」

 苦笑いしながら、玄関に上がる。

「周りはね、『さすが奥様完璧です』って言うんだけどさ。この服ね、座る角度も歩き方も気を使うの。昔みたいに床にどさっと座れないし」

 靴を揃えながら、ぼそりと続ける。

「正直言うと、Tシャツにジーンズの方が百倍楽なんだよ」

 憂は思わず、少しだけ笑ってしまった。

「……ですよね。今の理恵さん、ちょっとよそ行きすぎます」

「でしょ? 慣れないんだよ、金持ちの婦人ってやつ」

 憂は、思わず小さく笑ってしまった。

「でも……理恵さんらしいです」

「どこが?」

「ちゃんと、愚痴ってるところが」

「それ褒めてる?」

「……ちゃんと本音で話してくれるところ、です。わたしは、そこが一番好きなので」

 即答すると、理恵は吹き出した。

「はは、変わんないなあ」

 そう言って、ふっと表情を和らげる。

「で?」
 
 視線が、少しだけ真剣になる。

「今日は、小鈴のことだろ」

 憂は、胸の奥で覚悟を整え、うなずいた。

「……はい。小鈴さんが東大を目指してるって聞いて、わたしも二年後に同じ大学を目指そうか、迷ってるんです」

 名家の本家。
 豪奢な空間。
 けれど、ここには話を聞いてくれる大人がいる。

 憂はそう感じながら、この家の奥へと、足を進めた。
  
  ◆

「こっちだよ。……ほんと、初めて来ると迷うよね」

 理恵に案内されて歩く廊下は、まるで小さな美術館のようだった。
 天井は高く、白い壁には余計な装飾がない。
 けれど、床の木目や、ところどころに置かれた調度品が、さりげなく格を主張してくる。

「ここ、曲がるのですか?」

「そうそう。あと二回ね」

「……二回?」

 思わず聞き返すと、理恵はくすっと笑った。

「慣れると平気なんだけどさ。あたしも最初は、部屋に戻るのに地図欲しかった」

 そう言って辿り着いたのは、広々とした一室だった。

 理恵の部屋は、驚くほどシンプルだった。
 大きな窓。
 余白をたっぷり取った床。
 家具は必要最低限で、ソファとテーブル、背の低い棚が少しあるだけ。

 物が少ない分、部屋そのものの広さが際立っている。

「……広いですね」

「でしょ。あんまり物置きたくなくてさ」

 その言葉に、どこか昔の理恵らしさが滲んで、憂は少しだけ安心した。

 ほどなくして、メイドが静かに入室する。
 銀のトレイには、湯気の立つ紅茶と、丁寧に並べられた焼き菓子。
 茶葉の香りが、ふわりと空気を満たす。

「……いい香り」

「でしょ。正直、あたしにはもったいないくらい高いやつ」

 理恵は肩をすくめながら、椅子に腰を下ろした。

「小鈴さんは?」

「まだ勉強中。憂が来るって聞いてからさ、服選びで大騒ぎ」

「え?」

「『このお洋服、いかがかしら?』『やっぱり、こちらの方がよくて?』って、あたしに何回も見せに来るの。しつこいくらい」

 苦笑しながらも、どこか楽しそうだ。

「クレイジーなお嬢様に懐かれるのも、大変だね」

「……あ、あの」

 憂は少しだけ困ったように、視線を伏せた。

「そういう言い方は……小鈴さん、聞いたら傷ついちゃいます」

 理恵がきょとんとする。

「え、あたし?」

「はい。小鈴さん、わたしが来るって聞いて、すごく楽しみにしてたって……」

 指先をもじもじさせながら、憂は続ける。

「だから……クレイジーは、ちょっと……」

 その様子に、理恵は吹き出した。

「ははっ、真面目か!」

「ま、真面目です……」

「でもさ、そういうとこだよね。あの子が憂に懐く理由」

 そう言って、理恵は少しだけ声を柔らかくする。

「分かってるよ。大事にされてるの、ちゃんと」

 憂はほっとしたように、小さくうなずいた。

 部屋に流れる空気が、さっきよりも、少しだけ温かくなっていた。

 二人で小さく笑った、そのとき。

 テーブルの上に、もう一皿置かれる。
 ルビーグレープフルーツが、半分にカットされて、きれいに並んでいた。

「……最近さ、柑橘系ばっか欲しくなるんだよね。これも、つい頼んじゃった」

 理恵がぽつりとつぶやく。

 テーブルの焼き菓子には手を伸ばさず、彼女は迷いなく、ルビーグレープフルーツの皿にスプーンを入れた。

 果肉をすくって口に運ぶ。
 じゅわり、と広がる酸味に、ほんの一瞬だけ眉を寄せてから、すぐにもう一口。

「甘いのさ……今、ちょっと重くて」

 誰に言うでもなく、そんなふうに言って、肩をすくめる。

「毎日さ、『奥様』『二条家の嫁』って呼ばれて、ちゃんとしてないと、って顔されるでしょ。別に責められてるわけじゃないんだけど……」

 言葉を切り、スプーンを皿に置く。

「こういうの食べてるとさ、頭の中が一回、空っぽになるんだよね」

 もう一度、果肉を口に運び、ゆっくり噛む。

「……やっぱ、これ落ち着く」

 小さく息を吐く理恵を、憂は何も言わず、ただ静かに見つめていた。

 愚痴は軽い。
 口調も、どこか冗談めいている。

 けれど、その裏にある疲れを、憂はちゃんと感じ取っていた。

 ここなら。
 この人になら。

 迷っている気持ちも、東京へ行きたい理由も、離れることへの不安も――

 ちゃんと話せる。
 そんな予感が、胸の奥に、そっと灯っていた。
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