沈黙のういザード 

豚さん

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31話 泣いていい日

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 二条家の地下室スタジオは、いつもより少しだけ静かだった。
 機材のランプが淡く灯り、ケーブルの影が床に伸びている。

 憂は、そこに立ったまま動けずにいた。
 母の記憶が――完全ではないにせよ、確かに戻りはじめた。
 その事実が、胸の奥で遅れて実感に変わり、堰を切ったように涙が溢れる。

 ぽろり、ぽろりと落ちる涙を、憂は止められなかった。

 その背後から、理恵がそっと近づく。
 音を立てない歩き方で、でも迷いなく。

「憂」

 名前を呼ぶ声は、いつもより低く、柔らかい。
 理恵は、少しだけ困ったように笑った。

「泣くときってさ。財布なくしたときと、親族が亡くなったときくらいしか、許されない空気あるよね」

 憂は、くしゃっと顔を歪める。

 理恵は続けた。

「でも今日は――泣いていい日だ。むしろ、泣かなきゃいけない日だ」

 そう言って、憂を引き寄せる。

 次の瞬間、憂は理恵の胸に顔を埋め、声を上げて泣き出した。

「……っ、うあ……っ……」

 子どもみたいに、息が詰まるほど。
 これまで溜め込んできた不安も、怖さも、希望も、全部一緒に溢れ出す。

 理恵は何も言わず、しっかりと抱きしめた。
 大きな手で、背中をゆっくり撫でる。

「……よく頑張ったな」

 その一言で、憂の涙はさらに強くなる。

 それを見ていたリナが、唇を噛んだ。
 そう言ったきり、目元を押さえる。

「……ずるい……こんなの……泣くに決まってるでしょ……」

 リナの声も震え、ぽろっと涙が落ちた。

 秋香は、深く息を吸ってから、静かに言う。
 目尻を拭いながら、微笑む。

「……音で支えるつもりだったけど。今日は……感情に負ける日、みたいですわね」

 結衣は、鼻をすすりながら、ぐいっと袖で目を拭いた。
 悔しそうに、でも笑いながら、涙は止まらず、ぽたぽたと床に落ちる。

「……もう……いい誕生日だったね。……おめでとう、憂ちゃん」

 その一言は、冗談でも勢いでもなく、ちゃんと胸の奥から出た祝福だった。

 離れたところで、小鈴は何も言わずに近づいた。
 憂の頭に、そっと手を置く。

 指先は、驚くほど優しい。

「……よかったですわね」

 それだけ言って、憂の髪を静かに撫でる。
 小鈴の目にも、小さな光が滲んでいた。

 憂は理恵の胸に顔を埋めたまま、嗚咽混じりに呟く。

「……ありがとう……みんな……」

 返事はなかった。
 代わりに、誰かが肩に触れ、誰かが背中を支え、誰かの涙が近くで落ちる音がした。

 地下室スタジオは、泣き声と、呼吸と、ぬくもりで満たされていく。

 ここは音を生む場所。
 でも今日は――

 感情を、そのまま鳴らしていい場所だった。
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