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二章 朱火
九
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「今日は並んで眠りましょうね」
常盤の言葉に、ふたりの子供が飛び跳ねて喜びを表現する。しかしながら少女は無表情、少年にいたっては顔がないのだが。
朱火とのっぺらぼうが嬉しそうにしているのを見て、常盤も嬉しくなってくる。ふたりがこんなにもはしゃぐのは、彼女が「友達になりましょう」と声をかけて以来だろう。
ふたりにとって初めての旅であることも配慮し、早めに寝床を整えようと立ち上がるが、飛び跳ねていた朱火がぴたりと動きをとめ、あらぬ方向に視線を向ける。
「朱火様?」
常盤が怪訝そうに声をかけると、彼女は弾かれたように駆け出し、部屋を飛び出していく。
「朱火様!」
追いかけようとするのっぺらぼうに辛うじて天蓋をかぶせ、彼女も朱火のあとを追う。
朱火の足は思いのほか速かった。屋敷にいるときは活発に動いているところを見たことがなかったので、常盤は内心驚きながら、懸命に追う。
宿から出た朱火は道からはずれ川のある方角へと走っていく。常盤が先ほど妖の気配を感じた方角。躯血もおそらくこちらにむかったはず。彼女の背に冷たい汗が流れる。
「並みの妖に遅れをとるような方には見えませんでしたが……」
躯血の堂々とした体躯を思い浮かべた常盤の耳に、ばしゃばしゃと激しく水を叩く音がとどく。
彼女の目に映ったのは川に浮き沈みする三体の人影。
「常盤さん! 川の妖です! ご加勢を!」
躯血を羽交い絞めしている、全身を銀色の鱗に覆われた、虎のような妖の鋭い歯をかわしながら、妖を躯血から引きはがそうと悪戦苦闘していた夢助が叫ぶ。
薄暗くまだ距離がある中で常盤の顔を見極めたのは流石だが、いつもの腹のたつほどの冷静さは鳴りをひそめている。初めて見る彼の様子に常盤も血相をかえ、管狐の入った竹筒を取り出す。
しかし封を開けようとした指がとまった。
常盤の記憶が正しければ、あの妖は水虎。大陸から渡ってきたとされる妖。その鱗は矢すら通さぬという。
実際に夢助は躯血を助けるため、妖に苦無をつきたてようとしているが、妖の鱗に跳ね返されている。
管狐は素早く動きまわることにかけては、とても優れているが、強い妖ではない。刃物を弾くような妖をどうにかできる力はない。
むしろ夢助が邪魔をしているとはいえ、川の妖に川に沈められずに抵抗できている躯血がおかしい。
解決策をなにも思いつかない常盤の目が光をとらえる。
川辺で膝をつき目を閉じる朱火。その身体が赤い光に包まれている。
「あれが有修様が仰られていた朱火様の加護なのかしら」
朱火が屋敷に軟禁状態にされている理由と聞いている火護女の証し。
一方、川の妖に羽交い絞めにされつつ川に沈められようとしている躯血は、何度も水を飲まされてはいる、切羽詰まった状況ではあったが、思いのほか落ち着いていた。最初に川に引きずり込まれ、羽交い絞めにされ、首に噛みつかれそうになるが、そこに夢助が飛び込んできた。おかげで妖は鋭い歯を夢助の威嚇に使い、躯血に対しては川に引きずりこもうとするのが精一杯。
だが躯血も妖を振り払うまではできなかった。陸であれば力負けをしなかったであろうが、川の流れが邪魔をし全力をだしきれない。
そんな躯血の目の端にに赤い光が差し込む。同時に川下から光に導かれるように近づいてくる影があった。
流れに逆らっているにも関わらず。その影は見る間に大きくなる。
躯血の背中に張り付いている妖と同じ緑がかった体色であるが、鱗はなくその背には甲羅が、頭には赤い光反射する皿が見えた。
河童だ。河童は水かきの付いた手で水虎の鼻をつまんだかと思うと、事もなげに躯血から引きはがす。すかさず夢助が躯血に肩を貸し、川べりへと引き上げる。
「すまぬ」
かろうじてそれだけを口にした躯血の目に、赤い光の正体が映った。
「護る相手に守られてしまったようだのう」
呟きながら草むらに大の字に転がり、大きく息を吐く。
川では二体の妖ががっぷりよっつに組み合っていた。明らかに河童の方が押し込んでいる。水虎は河童に噛みつこうと口をひらくが、河童はそこに拳を叩きこむ。鱗の妖の鋭い歯が何本か折れた。
河童は拳を鱗の妖怪の口にいれたまま、もう一方の手で足を掴み抱えあげる。
「ぬりゃ!」
気合一閃、力いっぱい投げ飛ばす。下流へ派手な水しぶきをあげて着水した水虎は、甲高い声で言葉とは思えない言葉で、なにごとか叫ぶと泳いで逃げていく。
誇らしげな顔で仁王立ちしていた河童は、鱗の妖怪の姿が見えなくなると、川辺でいまだに目を閉じ赤い光を放ち続けている朱火に近寄る。彼女のかたわらには天蓋を取り払ったのっぺらぼうがいて、不安そうに朱火の顔を覗きこんでいた。
「おわたよ」
舌足らずな喋りで彼女に声をかける。すると朱火は目をあけた。赤い光が彼女に吸い込まれるように消え、朱火はこくりと頷く。のっぺらぼうが安心したように彼女にしがみついた。
立ち上がった躯血はそんな三者に歩み寄ると河童に深々と頭をさげる。
「お主のお蔭で助かった。礼を言う」
見守っていた常盤と夢助が、驚いたように顔を見合わせる。
「妖に頭をさげるお武家さまなんて、私、初めてお会いしました」
「変わっている人だとは思っていましたが、まさかこれほどとは」
ふたりの声は聞こえていたが、聞こえない振りをして頭をあげて河童と向き合う。
すると河童は躯血を頭のてっぺんから、足の先までしっかりとみやるとにんまりと笑った。
「こんど、すもしよ」
言葉を聞いて躯血も笑う。
「相撲か、心得た」
満足そうにうなずき川へと戻っていく河童の背中に、朱火が「またね」と声をかけると、軽く手をあげ川の中に沈んでいく。
見届けた躯血が、どすんと腰をおろす。
「あやつを呼んでくれたのはお主なのであろう。わしが守らねばならぬのに守られた。かたじけない」
額が地面につきそうなほど下げられた彼の頭に小さなふたりぶんの手が置かれる。
「遊びいける。嬉しい」
声音では感情の起伏は感じられないが、しっかりと口にされた言葉には本音以外の意図は感じない。
躯血は彼女の言葉を噛みしめるように、ゆっくりと頭をあげた。
朱火ものっぺらぼうも表情が見えないにも関わらず、笑っているように見える
「うむ、楽しき旅にしようぞ」
彼は誓うように力強く言葉を紡いだ。
常盤の言葉に、ふたりの子供が飛び跳ねて喜びを表現する。しかしながら少女は無表情、少年にいたっては顔がないのだが。
朱火とのっぺらぼうが嬉しそうにしているのを見て、常盤も嬉しくなってくる。ふたりがこんなにもはしゃぐのは、彼女が「友達になりましょう」と声をかけて以来だろう。
ふたりにとって初めての旅であることも配慮し、早めに寝床を整えようと立ち上がるが、飛び跳ねていた朱火がぴたりと動きをとめ、あらぬ方向に視線を向ける。
「朱火様?」
常盤が怪訝そうに声をかけると、彼女は弾かれたように駆け出し、部屋を飛び出していく。
「朱火様!」
追いかけようとするのっぺらぼうに辛うじて天蓋をかぶせ、彼女も朱火のあとを追う。
朱火の足は思いのほか速かった。屋敷にいるときは活発に動いているところを見たことがなかったので、常盤は内心驚きながら、懸命に追う。
宿から出た朱火は道からはずれ川のある方角へと走っていく。常盤が先ほど妖の気配を感じた方角。躯血もおそらくこちらにむかったはず。彼女の背に冷たい汗が流れる。
「並みの妖に遅れをとるような方には見えませんでしたが……」
躯血の堂々とした体躯を思い浮かべた常盤の耳に、ばしゃばしゃと激しく水を叩く音がとどく。
彼女の目に映ったのは川に浮き沈みする三体の人影。
「常盤さん! 川の妖です! ご加勢を!」
躯血を羽交い絞めしている、全身を銀色の鱗に覆われた、虎のような妖の鋭い歯をかわしながら、妖を躯血から引きはがそうと悪戦苦闘していた夢助が叫ぶ。
薄暗くまだ距離がある中で常盤の顔を見極めたのは流石だが、いつもの腹のたつほどの冷静さは鳴りをひそめている。初めて見る彼の様子に常盤も血相をかえ、管狐の入った竹筒を取り出す。
しかし封を開けようとした指がとまった。
常盤の記憶が正しければ、あの妖は水虎。大陸から渡ってきたとされる妖。その鱗は矢すら通さぬという。
実際に夢助は躯血を助けるため、妖に苦無をつきたてようとしているが、妖の鱗に跳ね返されている。
管狐は素早く動きまわることにかけては、とても優れているが、強い妖ではない。刃物を弾くような妖をどうにかできる力はない。
むしろ夢助が邪魔をしているとはいえ、川の妖に川に沈められずに抵抗できている躯血がおかしい。
解決策をなにも思いつかない常盤の目が光をとらえる。
川辺で膝をつき目を閉じる朱火。その身体が赤い光に包まれている。
「あれが有修様が仰られていた朱火様の加護なのかしら」
朱火が屋敷に軟禁状態にされている理由と聞いている火護女の証し。
一方、川の妖に羽交い絞めにされつつ川に沈められようとしている躯血は、何度も水を飲まされてはいる、切羽詰まった状況ではあったが、思いのほか落ち着いていた。最初に川に引きずり込まれ、羽交い絞めにされ、首に噛みつかれそうになるが、そこに夢助が飛び込んできた。おかげで妖は鋭い歯を夢助の威嚇に使い、躯血に対しては川に引きずりこもうとするのが精一杯。
だが躯血も妖を振り払うまではできなかった。陸であれば力負けをしなかったであろうが、川の流れが邪魔をし全力をだしきれない。
そんな躯血の目の端にに赤い光が差し込む。同時に川下から光に導かれるように近づいてくる影があった。
流れに逆らっているにも関わらず。その影は見る間に大きくなる。
躯血の背中に張り付いている妖と同じ緑がかった体色であるが、鱗はなくその背には甲羅が、頭には赤い光反射する皿が見えた。
河童だ。河童は水かきの付いた手で水虎の鼻をつまんだかと思うと、事もなげに躯血から引きはがす。すかさず夢助が躯血に肩を貸し、川べりへと引き上げる。
「すまぬ」
かろうじてそれだけを口にした躯血の目に、赤い光の正体が映った。
「護る相手に守られてしまったようだのう」
呟きながら草むらに大の字に転がり、大きく息を吐く。
川では二体の妖ががっぷりよっつに組み合っていた。明らかに河童の方が押し込んでいる。水虎は河童に噛みつこうと口をひらくが、河童はそこに拳を叩きこむ。鱗の妖の鋭い歯が何本か折れた。
河童は拳を鱗の妖怪の口にいれたまま、もう一方の手で足を掴み抱えあげる。
「ぬりゃ!」
気合一閃、力いっぱい投げ飛ばす。下流へ派手な水しぶきをあげて着水した水虎は、甲高い声で言葉とは思えない言葉で、なにごとか叫ぶと泳いで逃げていく。
誇らしげな顔で仁王立ちしていた河童は、鱗の妖怪の姿が見えなくなると、川辺でいまだに目を閉じ赤い光を放ち続けている朱火に近寄る。彼女のかたわらには天蓋を取り払ったのっぺらぼうがいて、不安そうに朱火の顔を覗きこんでいた。
「おわたよ」
舌足らずな喋りで彼女に声をかける。すると朱火は目をあけた。赤い光が彼女に吸い込まれるように消え、朱火はこくりと頷く。のっぺらぼうが安心したように彼女にしがみついた。
立ち上がった躯血はそんな三者に歩み寄ると河童に深々と頭をさげる。
「お主のお蔭で助かった。礼を言う」
見守っていた常盤と夢助が、驚いたように顔を見合わせる。
「妖に頭をさげるお武家さまなんて、私、初めてお会いしました」
「変わっている人だとは思っていましたが、まさかこれほどとは」
ふたりの声は聞こえていたが、聞こえない振りをして頭をあげて河童と向き合う。
すると河童は躯血を頭のてっぺんから、足の先までしっかりとみやるとにんまりと笑った。
「こんど、すもしよ」
言葉を聞いて躯血も笑う。
「相撲か、心得た」
満足そうにうなずき川へと戻っていく河童の背中に、朱火が「またね」と声をかけると、軽く手をあげ川の中に沈んでいく。
見届けた躯血が、どすんと腰をおろす。
「あやつを呼んでくれたのはお主なのであろう。わしが守らねばならぬのに守られた。かたじけない」
額が地面につきそうなほど下げられた彼の頭に小さなふたりぶんの手が置かれる。
「遊びいける。嬉しい」
声音では感情の起伏は感じられないが、しっかりと口にされた言葉には本音以外の意図は感じない。
躯血は彼女の言葉を噛みしめるように、ゆっくりと頭をあげた。
朱火ものっぺらぼうも表情が見えないにも関わらず、笑っているように見える
「うむ、楽しき旅にしようぞ」
彼は誓うように力強く言葉を紡いだ。
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