愛するあなたを失いたくないけれど、今のままでは辛すぎる

一人じゃ進めないからと手を伸ばした

互いに一歩踏み出すために俺は君を待っていた

　ダンは帰って来た。
　メイヤーは俺を愛していると言い、俺の為なら何でもすると言ったが、それは本気であり真実であったようだ。
　ダンはティナの部屋に一直線に行き、そこで彼女の不在を知って立ち竦んだ。

　今朝のティナは泣いていた。
　ダンはティナを傷つけたくないからと一歩も前に出られず、ダンが義務感だけで自分と結婚したと思い込むティナは、そんなダンの行動に自分こそ身を引くべきだと絶望に泣き崩れたのだ。

　ダンはティナの空っぽの部屋を見て、彼女を失う可能性というものに打ちのめされたようである。
　俺はそんなダンを後ろから抱き締めた。
　慰める為ではない。
　俺が彼を抱きしめたいから抱き締めただけだ。
　これが最後となるのだから。

「ダン、ティナはホテルに行かせたよ。君もすぐにそこに向かいな。」

　俺の震える唇は次の言葉を失い、次の言葉を言えるようにと、俺は震えながらも息を吸って自分を落ち着かせた。
　言いたかった言葉だろう？
　言うべき言葉だろう？

「ダン。俺は、俺は君を愛している。君に抱かれたいと思っている。……気持ちが、……悪いだろ？だからね、俺のこの手を振り払ってね、その長くて力強い足でティナの所に進むんだよ。」

　ダンは俺に抱かれているのに俺を嫌がる素振りどころか、俺の手の甲に涙を落とした。
　俺はどうしたと後からダンの横顔を覗き込めば、彼は静かに涙を零しており、その瞳は俺を求めているかのようにして俺と目線を合わせて来たのだ。
　俺の中でざわっと気持ちが騒いだ。

「俺は君を手放したくない。君を振り払いたいと思うわけが無い。」

「……どうしてお前が泣くんだよ。俺は覚悟を決めたんだ。さあ、俺を思い切ってくれ。俺はお前を愛している。愛しているんだ。返らない愛は辛くて堪らない。いい加減に俺に引導を渡してくれ。」

「嫌だ！」

「ダン！」

　俺こそ彼を振り払えば良いのか！
　だが、俺の手こそダンがしっかりと掴んでもいる。

「どうして、どうして俺を振り払ってくれないんだ？」

「き、……君に、ああ、君に引導を渡したら、俺も君を思い切らなきゃいけないのだろう？俺の人生は君と共にあったというのに！俺達の今までは、俺達が常に一緒で作り上げて来たものだろう？」

「ああ、そうだ、ああそうだよ。だから俺は！ああ。」

「俺は君を愛している。君とは違う愛でも、君を手放したくはない。」

「違ったら意味が無いんだよ。簡単な一言だろ？俺の事は友人にしか見えない。俺はティナを愛している。その一言で終わりじゃないか。お願いだよ。お願いだから終わらせてくれ。」

「……言ったら、どうなるんだ？」

「君はティナの向かったホテルに行く。俺は引越し業者を呼んでもう一つのアパルトメントに移動する。君達はここに住んでいてもいいし、別のところに新居を移してもいい。そんな感じ、かな。」

「君は俺達を捨てるのか？」

「何を言っているの。俺の婚約発表を信じた時の君は、ここではない別の場所に住む予定だったのでしょう。ティナを連れて。」

「君の新婚生活など見たくはない。」

「ダン？」

　ダンは彼を抱き締める俺の腕を掴み、彼の身体から手を離させた。
　そして、彼は俺から体を離し、そしてそして、彼は俺を正面から抱き締めた。

「ダン？」

「俺達の事はティナの部屋で話す事じゃない。まず君の部屋に行きたい。」

「ここで一言言えばいいだけなのに。」

「黙って。」

　俺達は見つめ合い、どちらともなく唇を合わせていた。