Luxlunae

夏日和

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第一章

三節:蒼月の女

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「動物界節足動物門昆虫綱カマキリ目」
 そうさらりと言いながら、銀髪の女は俺に気にかける様子もなく、目の前を通り過ぎる。
「科は――」
 真横で倒れていた一匹に近づき、その周りをぐるぐると歩き始めた。
 時々蹴っては、腰を屈め、何かを探り始める。
「カマキリ……か?」
 そう言った後、今度は立ち止まり、何かをぶつぶつと呟き出した。その光景をただ茫然と見――女と目が合う。
 俺の存在に気づいたのだろうか? 顔を見つめながら、こちらに向かって歩いて来た。
 敷き詰められた煉瓦《れんが》に響く靴音が止む。――目の前にあの女が立っていた。
 街灯にはっきりと照らし出された姿。それを目にした俺は、再び驚かされた。
 制服だ。ネクタイもリボンもない真っ白なワイシャツに紺のスカート。腰まで伸ばした空に浮かぶ月のように光る銀髪を垂らし、凜とした表情に合ったその冷たい目で俺を静かに見下ろしていた。
 右手には銃。これが、さっきの空気が割れるような音の正体……。
 何も喋らず、瞳だけを交差させる中、女がスカートのポケットに右手を入れ、何かを取り出した。
 無言のまま、手慣れた手付きで筒状の黒い物を銃の先に取り付け、先に口を開く。
「……おま」
「――後ろッ!!」
 交わす第一声、俺は咄嗟に叫んだ。
 目にした物、女の後ろ、ちょうど肩から垂直に伸びる、あの光が――。
 その言葉を合図とするかの様に、女の肩を目掛け、光が降り落ちてきた。
 同時、女が左後ろに体を傾け、光を避ける。
――瞬間、上がる左足がそいつに蹴りとして入った。
 鈍い音と共に体が吹き飛び、薄闇へと消える。
 すぐさま地面に体をぶつける様な重たい音があがった。
 女はそいつ追うように、同じく薄闇へと姿を隠す。
 反響する足音をしばらく耳にした後、目の前に広がる薄闇から二度の閃光と、小さく甲高い音が短く響いた。
 閃光の狭間に見えた女の背中。騒音から再び静寂がおとず――。
 突然、あの閃光と沈む音が再び鳴り響き、今度は女の左側――肘ぐらいの高さの垣根の方から、遅れて枝に圧し掛かるような音が鳴った。
 瞬間、今度は休む間もなくありとあらゆる所から閃光が発し、その度に、何かが倒れるような音が聞こえ続けた。
 俺の目で繰り広げられている光景、それはまるでカメラのフラッシュを何度もたいているような感じだった。
 瞬《またた》いては消え、また瞬いては消え繰り返し、忙しく位置を変えては光る。
 一瞬の明かりの刹那に見せる女の姿は、右腕を伸ばしたり、しゃがんでいたりと、毎回異なっていた。
 だが、この中でただ一つ、変わってない所があった。それは女の姿だった。
 先程から絶え間なく聞こえてくる沈む音。あれはあのカマキリのようなものが、倒れたり、蹴られたりした時に聞こえる音なのだろう。
 その数は多く、頭と耳で理解する限りでは、五つも六つ……それ以上聞こえていた。
 それにも関わらず、音の後に現れる女の姿は、先ほど俺が見た姿と何一つ変わりがなかった。
 その光景を目にしている俺には信じられなかった。
 聞いただけでは、それが何か? と思えるが、今目の前で起きていることは、そう簡単に納得のいくようなものではなかった。
 頻りに浮かび上がる女の姿、そしてそれを襲う何か。
 それは暗闇で例え姿がハッキリ見えないとしても、それが一対一の状態ではなく、一対と複数の状態だという事が分かる。
 さらに、女には銃があったとしても、相手は複数人で、手には振り下ろしただけで人を裂く程の鋭い刃物がある。
 幾つも降り注ぐ刃の中でたった一人、あの女は表情一つ変えることなく相手をし、そして無傷どころかその返り血すら浴びていなかったのだ。
 しばらくそれは続き、そして止んだ。
 騒音から一転し、今度は足音だけが響く。
 ぴちゃ、ぴちゃと、まるで地面に溜まった水を踏んでいるかのようなあの耳障りな音が、遠くもなく近い場所から聞こえる。俺はそれに違和感を覚えた。
 その音は等間隔ではなく、数回鳴れば、また数秒してからまた鳴ると、まるで力もなく弱々しい感じだ。
 ケガをしているのか……。
 頭の中ではそう言葉が出るも、体を動かし確かめる意思などは湧かなかった。
 このまま終わるならそれでいい、でももし近づいてきたら……。
 耳障りの音から煉瓦を蹴る音へと切り替わり、それから数歩、それは俺の目の前で立ち止まった。――自然と目が見開き、一瞬で心が奪われる。
 だらりと垂らした両腕からは、絶え間なく血が滴り落ちていた。ゆらゆらと左右に体が揺れる度、足下に緑を散らばめる。
 そいつは何も言わずただ茫然と立ち尽くし、そして――跪いた。
 目と鼻の先、座り込んだままの俺と同じ目線にあの顔がある。
 周りを包む闇よりも深い黒色の瞳で、じっと見る俺の瞳を見返しある言葉を呟く。
「タスケテ……」
「……ッ!?」
 その言葉に俺は我に返った。改めて目にする顔。それは、あの女ではない、そう――カマキリだった。
 逆三角の頭に緑の表皮。突き出た二本の触角の横には、深い黒色の大きな複眼が、夜にも拘わらず、目を見開かせた俺の顔を映していた。
 頻りに動かす口。女性とも子供とも取れるような高音で、そして、どこか機械質なあの声で、何度も同じ言葉を発している。
 俺はすぐに真横にいた一匹の死体に目を向け、そして前で跪くもう一匹へと戻す。
 それは紛れもなく同じものだった。
 俺は目を奪われたまま、その言葉を耳にし続けていた。
「タスケテ……」
 それは本当に人の様な声で――。
「タスケテ……」
 弱々しく力のない子供のような声で――。
「タスケテ……」
 傷つき今にも消えそうな女性の声で――。
「タスケテ……」
 何度も何度も止む気配のなく呟かれる無機質な言葉。
「タスケテ……」
 振るえる左手を俺は自然とそいつに向かい差し伸べていた。
「タスッ……」
 着いた時――既にそこには何も居なかった。
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