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第二章・墓標に刻む者
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風呂を出てコインランドリーに引き返した勇三は、その足でクリーニング店と食料の買出しにまわった。
クリーニング店では、店員が破けた学生服を見てぎょっとした表情を浮かべてきたが、少々日数はかかるが修繕できると教えてくれた。
提示された日にちと価格に対して、勇三はふたつ返事で修繕を頼んだ。
怪我の功名と言うべきか、自前の赤い髪も良い効果を生んだのだろう、店員は髪を赤く染めた不良学生が起こした派手な喧嘩が原因で服がぼろぼろになったとでも思ってくれたようだ。
自宅アパートに戻った勇三は食料品をしまうと、部屋にこもった臭いを逃がすため窓を少しだけ開けた。それから外にとって返し、敷地内の駐輪場へと向かう。
巻かれたゴムベルトをはずし、被せた雨除けシートを取り払う。
はたして姿をあらわしたのは、二百五十ccの中型バイクだった。
<三井モーターズ>製MC41ワスプは、その名に恥じない濃い黄色のガソリンタンクを持っていた。冷水4ストロークDOHC機構のエンジンを搭載したこのネイキッドバイクは、燃費こそ悪いものの柔軟な走りをしてくれる。
低速域での粘り、高速域での伸び、そして太いタイヤと車体バランスが売りであるこのバイクを、勇三は大いに気に入っていた。
勇三がこの愛車と出会ったのはおよそ十ヶ月前。法律の規制緩和により満十五歳から中型二輪免許を取得できる改正が行われてから二年後のことだった。
血が繋がっている叔母とは違い、それまで勇三と控えめな接し方しかしてこなかった叔父が、免許を取るよう勧めたのがそもそものきっかけだった。
ツーリングが趣味である叔父は、余暇のたびにバイクであちこちに出かけていた。甥と並んで隣県の湖まで走りにいきたい、という彼の希望は、本人ではなく叔母を経由して勇三に伝えられた。
養父母との距離をはかりかねていた勇三はこの申し出を控えめに辞退したが、いつもは大人しく引き下がるはずの叔父が、このときばかりは説得を重ねてきた。
けっきょく、根負けする形で勇三は夏休みを利用して免許センターの合宿に参加することとなった。それも九月生まれの彼が誕生日当日に免許を取れるよう、十四歳のときに入校させる念の入れようだった。
最初は辟易し、やがて半ば諦めるように叔父のわがままに付き合うつもりでまたがったバイクだったが、勇三はすぐにこの乗り物に魅せられていた。
気づけばあっという間に卒業を迎え、修了証書を受け取ったその足で叔父と連れ立って近所のバイクショップを訪れていた。
そのとき出会ったのが、いまの愛車だったのだ。
バイクの購入から免許の受験料まで、必要な金はすべて叔父が持ってくれた。
これは僕のわがままだから。
叔父は物静かに、しかし頑として勇三の断りを聞き入れなかった。
勇三くんはなにも遠慮することないのよ。
快活な叔母がそう明るく言ったのも覚えている。
必要以上の出費を強いるのは申し訳ない、それにも増して早く自分のバイクに乗ってみたい。
そんな心持ちで、十五歳の誕生日当日に臨んだ試験で勇三は見事に一発合格を果たした。
試験会場からの帰り道、心配でついてきていた叔父とふたりでバイクショップに向かうと、引き取ったワスプを押して帰った。
まだ夏の匂いを感じさせる夕暮れ、隣で同じように愛車を押す叔父を見て、勇三は父親という存在についてぼんやりと考えていた。
ワスプを駐輪場から移動した勇三は、近所の洗車場で車体を清める作業に没頭した。
これは彼の習慣だった。特に気持ちが落ち着かなかったり、くさくさするときは我を忘れてバイクを磨いていた。
機械的に手を動かしながらも、脳裏をちらついていたのは入江霧子のことだった。
それじゃあ、待ってる。彼女は手紙にそう書いていた。
あの妙に達観した様子の少女は、いまも地獄の淵のような世界にいるのだろうか。
仕上げに水を拭き取った勇三は一歩下がった位置からバイクを捉え、自分の仕事の出来を検めた。今回は軽く表面を磨いただけだが、近いうちにワックスをかける必要もありそうだ。
彼は洗いたての愛車にまたがると、とりあえず近くのコンビニに行くことにした。
綺麗になったバイクに乗っているおかげか、頬に感じる風も心地良かった。
帰宅した勇三はコンビニで買った弁当で遅めの昼食を済ました。朝にあれだけ食べたにもかかわらず、大きめの弁当は彼の腹にすんなりとおさまった。
一緒に買ってきた雑誌をぱらぱらとめくりながらペットボトルのお茶を飲む。だがその内容は少しも頭に入ってこなかった。
「そういやカバン、どうなったかな……」
空虚な室内に声が響く。それ以外は静寂だけで、日光が差し込むかすかな音さえ聞こえてきそうだ。
勇三はやおら立ち上がると、洗面所で身だしなみを整えた。顔を洗いなおし、髪をセットし、服を着替える。
(別に用があって、あいつに会いに行く訳じゃない。ただゲーセンにカバンが置いてないか見に行くついでってだけだ)
誰に言い訳をするでもなく、勇三はそう思った。
ジーパンと黒いTシャツ、その上に緑のラインが入ったジャージを羽織る。それから財布に学生証をしまい、携帯電話と住所の書かれたメモを持って家を出た。
クリーニング店では、店員が破けた学生服を見てぎょっとした表情を浮かべてきたが、少々日数はかかるが修繕できると教えてくれた。
提示された日にちと価格に対して、勇三はふたつ返事で修繕を頼んだ。
怪我の功名と言うべきか、自前の赤い髪も良い効果を生んだのだろう、店員は髪を赤く染めた不良学生が起こした派手な喧嘩が原因で服がぼろぼろになったとでも思ってくれたようだ。
自宅アパートに戻った勇三は食料品をしまうと、部屋にこもった臭いを逃がすため窓を少しだけ開けた。それから外にとって返し、敷地内の駐輪場へと向かう。
巻かれたゴムベルトをはずし、被せた雨除けシートを取り払う。
はたして姿をあらわしたのは、二百五十ccの中型バイクだった。
<三井モーターズ>製MC41ワスプは、その名に恥じない濃い黄色のガソリンタンクを持っていた。冷水4ストロークDOHC機構のエンジンを搭載したこのネイキッドバイクは、燃費こそ悪いものの柔軟な走りをしてくれる。
低速域での粘り、高速域での伸び、そして太いタイヤと車体バランスが売りであるこのバイクを、勇三は大いに気に入っていた。
勇三がこの愛車と出会ったのはおよそ十ヶ月前。法律の規制緩和により満十五歳から中型二輪免許を取得できる改正が行われてから二年後のことだった。
血が繋がっている叔母とは違い、それまで勇三と控えめな接し方しかしてこなかった叔父が、免許を取るよう勧めたのがそもそものきっかけだった。
ツーリングが趣味である叔父は、余暇のたびにバイクであちこちに出かけていた。甥と並んで隣県の湖まで走りにいきたい、という彼の希望は、本人ではなく叔母を経由して勇三に伝えられた。
養父母との距離をはかりかねていた勇三はこの申し出を控えめに辞退したが、いつもは大人しく引き下がるはずの叔父が、このときばかりは説得を重ねてきた。
けっきょく、根負けする形で勇三は夏休みを利用して免許センターの合宿に参加することとなった。それも九月生まれの彼が誕生日当日に免許を取れるよう、十四歳のときに入校させる念の入れようだった。
最初は辟易し、やがて半ば諦めるように叔父のわがままに付き合うつもりでまたがったバイクだったが、勇三はすぐにこの乗り物に魅せられていた。
気づけばあっという間に卒業を迎え、修了証書を受け取ったその足で叔父と連れ立って近所のバイクショップを訪れていた。
そのとき出会ったのが、いまの愛車だったのだ。
バイクの購入から免許の受験料まで、必要な金はすべて叔父が持ってくれた。
これは僕のわがままだから。
叔父は物静かに、しかし頑として勇三の断りを聞き入れなかった。
勇三くんはなにも遠慮することないのよ。
快活な叔母がそう明るく言ったのも覚えている。
必要以上の出費を強いるのは申し訳ない、それにも増して早く自分のバイクに乗ってみたい。
そんな心持ちで、十五歳の誕生日当日に臨んだ試験で勇三は見事に一発合格を果たした。
試験会場からの帰り道、心配でついてきていた叔父とふたりでバイクショップに向かうと、引き取ったワスプを押して帰った。
まだ夏の匂いを感じさせる夕暮れ、隣で同じように愛車を押す叔父を見て、勇三は父親という存在についてぼんやりと考えていた。
ワスプを駐輪場から移動した勇三は、近所の洗車場で車体を清める作業に没頭した。
これは彼の習慣だった。特に気持ちが落ち着かなかったり、くさくさするときは我を忘れてバイクを磨いていた。
機械的に手を動かしながらも、脳裏をちらついていたのは入江霧子のことだった。
それじゃあ、待ってる。彼女は手紙にそう書いていた。
あの妙に達観した様子の少女は、いまも地獄の淵のような世界にいるのだろうか。
仕上げに水を拭き取った勇三は一歩下がった位置からバイクを捉え、自分の仕事の出来を検めた。今回は軽く表面を磨いただけだが、近いうちにワックスをかける必要もありそうだ。
彼は洗いたての愛車にまたがると、とりあえず近くのコンビニに行くことにした。
綺麗になったバイクに乗っているおかげか、頬に感じる風も心地良かった。
帰宅した勇三はコンビニで買った弁当で遅めの昼食を済ました。朝にあれだけ食べたにもかかわらず、大きめの弁当は彼の腹にすんなりとおさまった。
一緒に買ってきた雑誌をぱらぱらとめくりながらペットボトルのお茶を飲む。だがその内容は少しも頭に入ってこなかった。
「そういやカバン、どうなったかな……」
空虚な室内に声が響く。それ以外は静寂だけで、日光が差し込むかすかな音さえ聞こえてきそうだ。
勇三はやおら立ち上がると、洗面所で身だしなみを整えた。顔を洗いなおし、髪をセットし、服を着替える。
(別に用があって、あいつに会いに行く訳じゃない。ただゲーセンにカバンが置いてないか見に行くついでってだけだ)
誰に言い訳をするでもなく、勇三はそう思った。
ジーパンと黒いTシャツ、その上に緑のラインが入ったジャージを羽織る。それから財布に学生証をしまい、携帯電話と住所の書かれたメモを持って家を出た。
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