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第二章・墓標に刻む者
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勇三は洗面台の陶器に両手をついて、頬の上で水が滴り落ちるにまかせていた。
<サムソン&デリラ>のトイレは店内以上に手狭で、個室と男性用小便器がそれぞれ一基ずつ置かれた男女兼用の空間だった。
目の前の壁にかかっていた鏡は全体的にくすんでおり、あつらえられた金箔の文字もあちこち剥がれていて判然としなかった。
顔を洗い、薄く曇った鏡に映る自分の姿を見ると、いくらか頭をすっきりとさせることができた。とはいえ、相変わらず現実味が欠けたままだったが。
信じられないことの連続に思考がうまく追いつかない。
レギオン、<グレイヴァー>、一千万ドルの違約金、気味の悪いロボット、おまけに怪物と戦う少女と人の言葉を喋る犬……これらの物事の中心には、常に<アウターガイア>という悪夢のような圧倒的存在があった。
ただの偶然から迷いこんだあの世界へ、今度は自らの意志で赴こうとしている。
勇三自身、その決断が常軌を逸しているものだと重々承知していた。
だが年端もいかない少女ひとりを、あの危険な空間へ行かせることにも気が咎めた。
霧子があの世界で生き抜く術を熟知しているのはあきらかだし、勇三もそれを理解しているつもりだ。だが頭でどれだけわかったからとしても、それを見過ごすことはできなかった。
良心や正義感からではない、自分のことしか考えない臆病者にはなりたくなかったからだった。
勇三は鏡の中の自分に頷いてみせると、洗面所をあとにした。
「あとは契約の必要事項を書いて簡単な適正テストを受けてくれ。それから証明用写真を一枚撮れば登録は終わりだ」
店に戻った勇三は、トリガーに言われるまま内容を端末に入力していた。
名前と年齢を入力したあとで、彼の目がある一点で止まる。
〝契約者本人が死亡した際の報酬受取人〟
死亡、という単語が重くのしかかってくる。
それを振り払うように、勇三はひとまず叔父の名前を借りることにした。
トリガーの言葉どおり適正テストは簡単で、単純な計算式が解ければ小学生でもパスできるようなものだった。
それから勇三は、店の一角にある比較的きれいな壁の前に立たされた。彼の目の前ではハロルドくんがデジタルカメラを構えている。
先ほど勇三がぶちまけたシュガーポットやテーブルの残骸も片付けられている。やはりこれも、この器用なロボットの働きによるものなのだろうか。
「ハァイ、ぼっチャンモとうチャンモ、スマァイル」
ハロルドくんの合図と同時にフラッシュが焚かれ、即席の背景となった白い壁の前でひきつった笑いを浮かべる勇三を照らし出す。
トリガーはデジタルカメラから端末に送られた画像データを、登録用のフォーマットに掲載した。最後に送信を実行すると、画面が切り替わって仮登録が完了した旨を知らせてきた。
「これでよし。あとは三ヶ月以内に会社で本登録をする必要があるが……いまからおまえも<グレイヴァー>の仲間入りだ」
端末の画面に勇三の個人ページが表示される。そこにはいましがた撮られたばかりの写真も貼りつけられていた。
「ひでえ顔だな」
「撮り直すか?」
「いや……」それから画面のある一点を見ると、「この受取金額って?」
勇三が指さす先には、目を見張るような金額が表示されていた。
「個人識別が通ったんだろう」トリガーがにべもなく答える。「お前が昨夜倒したレギオン、あれは撃破者不明扱いで報酬の行き先が宙に浮いていたんだ」
「それが、おれが<グレイヴァー>になったから金が入ったのか」
多額の金が懐に飛び込んでくる。つい今日の昼過ぎまで、金銭のことで叔父と叔母に迷惑をかけないよう頭を痛めていた勇三にとってはまるで信じられないことだった。
<サムソン&デリラ>のトイレは店内以上に手狭で、個室と男性用小便器がそれぞれ一基ずつ置かれた男女兼用の空間だった。
目の前の壁にかかっていた鏡は全体的にくすんでおり、あつらえられた金箔の文字もあちこち剥がれていて判然としなかった。
顔を洗い、薄く曇った鏡に映る自分の姿を見ると、いくらか頭をすっきりとさせることができた。とはいえ、相変わらず現実味が欠けたままだったが。
信じられないことの連続に思考がうまく追いつかない。
レギオン、<グレイヴァー>、一千万ドルの違約金、気味の悪いロボット、おまけに怪物と戦う少女と人の言葉を喋る犬……これらの物事の中心には、常に<アウターガイア>という悪夢のような圧倒的存在があった。
ただの偶然から迷いこんだあの世界へ、今度は自らの意志で赴こうとしている。
勇三自身、その決断が常軌を逸しているものだと重々承知していた。
だが年端もいかない少女ひとりを、あの危険な空間へ行かせることにも気が咎めた。
霧子があの世界で生き抜く術を熟知しているのはあきらかだし、勇三もそれを理解しているつもりだ。だが頭でどれだけわかったからとしても、それを見過ごすことはできなかった。
良心や正義感からではない、自分のことしか考えない臆病者にはなりたくなかったからだった。
勇三は鏡の中の自分に頷いてみせると、洗面所をあとにした。
「あとは契約の必要事項を書いて簡単な適正テストを受けてくれ。それから証明用写真を一枚撮れば登録は終わりだ」
店に戻った勇三は、トリガーに言われるまま内容を端末に入力していた。
名前と年齢を入力したあとで、彼の目がある一点で止まる。
〝契約者本人が死亡した際の報酬受取人〟
死亡、という単語が重くのしかかってくる。
それを振り払うように、勇三はひとまず叔父の名前を借りることにした。
トリガーの言葉どおり適正テストは簡単で、単純な計算式が解ければ小学生でもパスできるようなものだった。
それから勇三は、店の一角にある比較的きれいな壁の前に立たされた。彼の目の前ではハロルドくんがデジタルカメラを構えている。
先ほど勇三がぶちまけたシュガーポットやテーブルの残骸も片付けられている。やはりこれも、この器用なロボットの働きによるものなのだろうか。
「ハァイ、ぼっチャンモとうチャンモ、スマァイル」
ハロルドくんの合図と同時にフラッシュが焚かれ、即席の背景となった白い壁の前でひきつった笑いを浮かべる勇三を照らし出す。
トリガーはデジタルカメラから端末に送られた画像データを、登録用のフォーマットに掲載した。最後に送信を実行すると、画面が切り替わって仮登録が完了した旨を知らせてきた。
「これでよし。あとは三ヶ月以内に会社で本登録をする必要があるが……いまからおまえも<グレイヴァー>の仲間入りだ」
端末の画面に勇三の個人ページが表示される。そこにはいましがた撮られたばかりの写真も貼りつけられていた。
「ひでえ顔だな」
「撮り直すか?」
「いや……」それから画面のある一点を見ると、「この受取金額って?」
勇三が指さす先には、目を見張るような金額が表示されていた。
「個人識別が通ったんだろう」トリガーがにべもなく答える。「お前が昨夜倒したレギオン、あれは撃破者不明扱いで報酬の行き先が宙に浮いていたんだ」
「それが、おれが<グレイヴァー>になったから金が入ったのか」
多額の金が懐に飛び込んでくる。つい今日の昼過ぎまで、金銭のことで叔父と叔母に迷惑をかけないよう頭を痛めていた勇三にとってはまるで信じられないことだった。
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